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一閻浮提第一の大事を申すゆへに最第一の瑞相此れをこれり - I speak concerning the most important matter in the entire land of Jambudvīpa, my words are accompanied by portents of the first magnitude.

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本文 一閻浮提第一の大事を申す ゆへに最第一の瑞相 此れ をこれり、 あわれなるかなや・なげかしきかなや 日本国の人 皆 無間大城に堕ちむ事よ、 悦しきかなや・楽かなや 不肖の身として 今度 心田に仏種をうえたる 撰時抄 (286頁) 建治元年4月 (1275年) 通解(意訳) 一閻浮提(全世界)で第一の仏法である、法華経の肝心(大事)・南無妙法蓮華経の題目を日蓮が申したので、経文通り、様々な難に遭い、日本中の人々が日蓮や我が門下一同を責め立てた。そして今、やはり経文通りに、広宣流布の第一のきっかけとなる、他国侵逼難(蒙古襲来:他国からの侵略)と自界叛逆難(2月騒動:内乱)が、日本におきたのである。 なんと哀れで、なんと嘆かわしいことであろう。日蓮と門下を責めた人々は皆、無間地獄の大城に堕ちることであろう。 そしてなんと悦ばしく、なんと楽しいことであろう。我ら日蓮と門下一同は、凡夫の身でありながら、今生で心の田畑に仏種を植えたのである。 English Gosho Because I speak concerning the most important matter in the entire land of Jambudvīpa, my words are accompanied by portents of the first magnitude. How tragic, how pitiful, that all the people of Japan should fall into the great citadel of the hell of incessant suffering! But how fortunate, how joyous, to think that with this unworthy body I have received in my heart the seeds of Buddhahood! " The Selection of the Time " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 578 April, 1275. [ ...

法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し - Since the Law is wonderful, the person is worthy of respect; since the person is worthy of respect, the land is sacred.

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本文 法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊しと申すは是なり 南条殿御返事 [法妙人貴事] (1578頁) 弘安4年9月 (1281年) 通解(意訳) 法華経の行者が住んでいる処であれば、どうして霊山浄土に劣ることがあろうか。法華文句に「法が妙であるゆえに、その法を持った人は貴い。人が貴いがゆえに、その人の居る場所も尊い」と申してあるのは、このことである。 English Gosho This mountain [ of Minobu ] is where this wondrous votary of the Lotus Sutra dwells, how can it be any less sacred than the pure land of Eagle Peak? This is what [The Words and Phrases of the Lotus Sutra means when] it says, “Since the Law is wonderful, the person is worthy of respect; since the person is worthy of respect, the land is sacred.” " The Person and the Law " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1097 September, 1281. [ --- ] is liberal translation. 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

南無妙法蓮華経と唱え奉りて信心に住する処が住在空中なり虚空会に住するなり - chant Nam-myoho-renge-kyo and maintain their faith in it, they are “suspended in the air.” They are “suspended in” or participating in the Ceremony in the Air.

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本文 御義口伝に云く見大宝塔とは我等が一身なり住在空中とは我等衆生終に滅に帰する事なり、 今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉りて信心に住する処が住在空中なり虚空会に住するなり 御義口伝 宝塔品廿十箇の大事 第五 見大宝塔住在空中の事 (740頁) 通解(意訳) 御義口伝にいわく、法華経 宝塔本 第五にある「見大宝塔・ 住在空中 」では、私達の一人ひとりの身心が何よりも尊い「宝の塔」であることが説かれている。 「見大宝塔:大宝塔を見る」とは、御本尊を見て南無妙法蓮華経と唱えるその身体(色法)である。 「住在空中・空中に在住せる」とは、 一念を込めて 南無妙法蓮華経と唱える、私達の精神や心(心法)のことである。 妙法に帰依し、妙法を受持する事(色法)と、仏法の真髄・人間哲学を学ぶ精神(心法)とは一体であり、身体と精神はかけ離れたものではなく、身心は一体(色心不二)である。 我々の今生の終りの時、次の来世に向かって滅して、大宇宙に返り(帰依し)、また妙法に巡りあわせて生まれてくることができるという、大宇宙の法則が南無妙法蓮華経の五字七字なのである。 今、日蓮大聖人ならびにわれわれ門下が、南無妙法蓮華経と唱え奉って、信心に励んでいるその身心そのものが尊い仏であり、法華経に説かれている「虚空会の儀」に涌現する「地涌の菩薩」に当てはまるのである。 English Gosho The Record of the Orally Transmitted Teachings says:  The words “saw the great treasure tower” refer to our individual bodies.  “Suspended in the air” refers to the fact that we living beings in the end will pass away and return [to our origin]. Now when Nichiren and his followers chant Nam-myoho-renge-kyo and maintain their faith in it, they are “suspende...

根ふかければ枝さかへ源遠ければ流長し - The deeper the roots, the more luxuriant the branches.The farther the source, the longer the stream.

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本文 根ふかければ 枝さかへ 源 遠ければ流長しと 申して 一切の経は根あさく流ちかく 法華経は根ふかく源とをし、末代・悪世までも・つきず・さかうべし 四条金吾殿御返事 [源遠長流御書] (1180頁) 弘安元年9月 (1278年) 通解(意訳) 木の根が深ければその枝は栄え、水源が遠ければ川の流れは長いと言われるように、法華経以外の諸教は根が浅く流れは近く、反対に法華経は根が深くその源は遠い。 信心強盛な方がいるからこそ、法華経は末法、悪世までも尽きることなく栄え、流布していくのである。 English Gosho The deeper the roots, the more luxuriant the branches. The farther the source, the longer the stream. All sutras other than the Lotus Sutra have shallow roots and short streams, while the Lotus Sutra has deep roots and a distant source. That is why the Great Teacher T’ien-t’ai stated that the Lotus Sutra would survive and spread even in the evil latter age.  " The Farther the Source, the Longer the Stream " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 940 September, 1278. [ --- ] is liberal translation. 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Te...

本仏と云うは凡夫なり - The “true Buddha” here means common mortals

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本文 本仏と云うは凡夫なり 迹仏と云ふは仏なり 諸法実相抄 (1358~1359頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 「本仏」というのは「凡夫」であり、全ての生命の胸中に元来備わっている「真の仏の姿」である。「迹仏」というのは、釈尊の過去世の修行の姿を名付けた仏の名前であり、凡夫が仏の生命を理解するための「例えの姿」を「迹仏」というのである。 English Gosho The “true Buddha” here means common mortals, whereas “provisional Buddhas” means Buddhas. " The True Aspect of All Phenomena "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p.  384 May, 1273 [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) The "provisional Buddhas" is the name of the gods the form of previous life training of a Sakyamuni Buddha was called, and a ordinary person calls the form that it was compared the "provisional Buddhas" to understand Buddhahood.    参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

法華経の敵をだにも・せめざれば 得道ありがたし - if one fails to denounce the enemies of the Lotus Sutra, it will be impossible to attain the way.

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本文 信心ふかきものも 法華経の かたきをば せめず、いかなる大善をつくり 法華経を 千万部 読み 書写し 一念三千の観道を 得たる人 なりとも 法華経の敵をだにも・せめざれば 得道ありがたし 南条兵衛七郎殿御書 [慰労書] (1494頁) 文永元年12月 (1264年) 通解(意訳) 信心の深い者であっても、法華経の敵(かたき)を責めようとせずにいたなら、どれほど大善をつくり、法華経を千万部も読み、書き写し、一念三千の観心、仏への道を得た人であっても、法華経の敵を責めなければ、成仏への道を得る事はできないのである。 破折の精神 『悪人の敵になりうる勇者でなければ、善人の友とはなり得ぬ』 -牧口常三郎 『悪と戦う根性のない意気地無しは、戸田の弟子ではない』 -戸田城聖 『勝つか負けるかである。最後まで、悪にはとどめを刺さなければいけない』 -池田大作 English Gosho Even those with profound faith do not reproach the enemies of the Lotus Sutra. However great the good causes one may make, or even if one reads and copies the entirety of the Lotus Sutra a thousand or ten thousand times, or attains the way of perceiving three thousand realms in a single moment of life, if one fails to denounce the enemies of the Lotus Sutra, it will be impossible to attain the way. " Encouragement to a Sick Person " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 78 December, 1264. [ --- ] is liberal t...

一念に 億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり - If in a single moment of life we exhaust the pains and trials of millions of kalpas, then instant after instant there will arise in us the three Buddha bodies with which we are eternally endowed.

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本文 一念に 億劫の辛労を尽せば 本来 無作の三身 念念に起るなり 所謂 南無妙法蓮華経は 精進行なり 御義口伝 廿八品に一文充の大事 湧出品 (790頁) 通解(意訳) 一念に億劫(おくごう; 仏教における時間の最長単位である「劫(こう・ごう)」の一億倍、永劫、永遠 )にも匹敵する努力を尽くして仏道修行に励んでいけば、 本来、自分自身に具わっている仏の生命( 無作の三身 。 無作:むさ;本来の意、三身:さんじん;仏の三種類の特性) が、瞬間瞬間に起こってくるのである。いわゆる南無妙法蓮華経と唱えていくことは、精進行である。 ☆メリークリスマス!皆様のご健康をご祈念しつつ English Gosho If in a single moment of life we exhaust the pains and trials of millions of kalpas, then instant after instant there will arise in us the three Buddha bodies with which we are eternally endowed. Nam-myoho-renge-kyo is just such a “diligent” practice. ==================================== Separate Transmission The Essential Passage in Each of the Twenty-eight Chapters of the Lotus Sutra 15. Emerging from the Earth "The Record of The Orally Transmitted Teachings" Part 1, 214 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Happy Holidays ! I will pray for good health to All. ☆ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学...

八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなり - The heavenly gods will surely protect one who is unbending before the eight winds.

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本文 賢人は 八風と申して 八のかぜに をかされぬ を 賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、 をを心は 利あるに・よろこばず・をとろうるに なげかず等の事なり、此の 八風に をかされぬ人をば 必ず天はまほらせ給うなり 四条金吾殿御返事 [八風抄] (1151頁) 建治3年 (1277年) 通解(意訳) 賢人とは八風といって、八種の風に犯されないのを賢人というのである。八風とは利(利益を得る)・衰(衰える/損をする)・毀(非難される)・誉(誉められる)・称(讃えられる)・譏(謗られる)・苦(苦しむ)・楽(楽しむ)である。 大まかな意味は、世間的な利益を得たり、楽しい事が起きても喜ばず、逆に損をしたり、苦しい事が起きた事を嘆かない、ということである。この八風に犯されない人を、諸天善神は守られるのである。 多少の事で一喜一憂せず、何があっても動じない事が大切である。 English Gosho Worthy persons deserve to be called so because they are not carried away by the eight winds: prosperity, decline, disgrace, honor, praise, censure, suffering, and pleasure. They are neither elated by prosperity nor grieved by decline. The heavenly gods will surely protect one who is unbending before the eight winds.  " The Eight Winds " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 794 1277. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) It is the most important that you are not waver betwe...

定めて天之を抑うるか - Undoubtedly the heavenly gods are delaying such a pardon.

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本文 早早に御免を蒙らざる事は之を歎く可からず定めて天之を抑うるか 真言諸宗違目 (139頁) 文永9年5月 (1272年) 通解(意訳) 日蓮が佐渡流罪から早く赦免されない事には、 必ず意味がある のだから、これを嘆いてはならない。これは、諸天善神が赦免されないように抑えておられるのであろう。 * 必ず意味がある についての補足 この時、早くに赦免されて鎌倉に戻っていたら、内乱に巻き込まれるか、またはそれに乗じて暗殺される等、何らかの形で大聖人は命を落としていたかもしれません。 結果的には「佐渡に流罪されていたからこそ、内乱(自界本逆難)にも巻き込まれず、疫病にもかからずに済んだ」という意味があったと言えます。 「天之を抑うるか」の一文に、諸天善神の加護によるものだとの大聖人の大確信を感じとる事ができます。 さらに、「信心の途上に起きる出来事には、必ず意味がある。そう確信して、疑ったり嘆いたりしてはならない」と、弟子達にも信心の確信や不退転の信心を掴んで欲しいという、大聖人の慈悲の心であると拝することができます。 English Gosho You must not lament the fact that I have not speedily been granted pardon from my sentence of exile. Undoubtedly the heavenly gods are delaying such a pardon. " Errors of the True Word and Other Schools "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 434 May, 1272. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) Undoubtedly the heavenly gods are delaying such a pardon. There is important meaning, and Nichiren doesn...

各父母有りといへども其の詮を尋ぬれば教主釈尊の御子なり - we find that they are in fact the children of Shakyamuni Buddha

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本文 日本国の 四十九億九万四千八百二十八人の男女 各 父母有りと いへど も 其の詮を尋ぬれば 教主釈尊の御子なり 六郎恒長御消息 (1369頁) 文永元年9月  (1264年) 通解(意訳) 日本国の499万4千8百28人の男女は、それぞれに父母があるといえども、その究極を尋ねれば、教主釈尊の子なのである。 全世界の人々は教主釈尊の子であり、主師親の三徳を備えた日蓮大聖人の子であるから、その 万人の 子達にも等しく仏の生命が備わっているのである。 (億は当時の十万に当たるので、 四十九億九万…とは、 四十九億(490万)+九万…を足して499万…となる。 ) English Gosho The 4,994,828 men and women in Japan have each a mother and father, when we examine the matter, we find that they are in fact the children of Shakyamuni Buddha, the lord of teachings. " The Two Meanings Implied in the Nembutsu Leading to the Hell of Incessant Suffering "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 302 September, 1264. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) The people of the whole world are children of Buddha, and they are children of the Nichiren Daishonin who have the three virtues of sovereign, teacher, and parent, so that all children equally have Buddha nature in their's life. ...

身を持し心に物をなげかざれ - Take care of yourself, and do not burden your mind with grief.

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本文 いかでか病も失せ 寿も のびざるべき と 強盛に をぼしめし 身を持し 心に物を なげかざれ 富木尼御前御返事 [弓箭御書] (975頁) 建治元年3月 (1275年) 通解(意訳) 法華経の行者ならば、「どうして病気が治らず、寿命の延びないことがあろうか。必ず病を克服できる」と強く信心を奮い起こして、健康的な生活環境を作って体を大切にし、心の中で悲観的になって嘆かず、くよくよしないことが大切である。 English Gosho Be deeply convinced, then, that your illness cannot possibly persist, and that your life cannot fail to be extended! Take care of yourself, and do not burden your mind with grief. " The Bow and Arrow " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 656 March, 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) If you are a Lotus Sutra fellow, you have to inspire a strong faith; "Why can not the disease recover and not lengthen the lifespan, be sure to overcome the disease". You have to cherish the body, make a healthy living environment, treasure the body. And, you do not have to  mourn, do not pessimistic in your mind, and do not to worry. This is very important. ...

軍には大将軍を魂とす - In battles soldiers regard the general as their soul.

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本文 軍には大将軍を魂とす 大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり 乙御前御消息 [身軽法重抄] (1219頁) 建治元年8月 (1275年) 通解(意訳) 戦の際、軍には大将軍を魂として、将軍の采配次第で勝負が決まる。その大将軍が臆病になってしまえば、その部下の兵達も同じように、ことごとく臆病になってしまう。 広宣流布の戦い 広宣流布の戦いにおいては、リーダーが生命力豊かに、自ら率先して戦いに挑み、 また個人も自らがリーダーの気概を以って、心を合わせて戦っていかなければならない。 - 池田大作 English Gosho In battles soldiers regard the general as their soul. If the general were to lose heart, his soldiers would become cowards.  " The Supremacy of the Law " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 613 August, 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) In a Battle of KOSEN-RUFU. The leader is full of vitality, and it is important that oneself challenges a fight proactively. Each person needs Spirits;" I'm a leader,too! " , and must fight against all the members with a single purpose together. - Daisaku Ikeda 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of ...

法華経と申すは星の中の月ぞかし人の中の王ぞかし - the Lotus Sutra is comparable to the moon; among persons it is comparable to the king.

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本文 法華経と申すは星の中の月ぞかし 人の中の王ぞかし 山の中の須弥山・水の中の大海の如し、是れ程いみじき御経に 女人 仏になると説かれぬれば 一切経に嫌はれたるに・なにか・くるしかるべき、 譬えば盗人・夜打・強盗・乞食・渇体にきらはれたらんと 国の大王に讃られたらんと 何れかうれしかるべき。   日眼女造立釈迦仏供養事 (1188頁) 弘安2年2月 (1279年) 通解(意訳) 法華経という法門は、星の中の月なのである。人の中の王なのである。山の中の須弥山、水の中の大海のようなものであり、諸経の中の王なのである。それほど尊い御経に女性が成仏すると説かれているのだから、法華経以外の経典では、女性は成仏できないと嫌われていても、何も悲観することはない。 たとえば盗人・夜打・強盗・乞食・渇体などの卑しい者に嫌われているのと、一国の王から讃られているのとでは、どちらが嬉しいことか。 English Gosho   Among the heavenly bodies [at night], the Lotus Sutra is comparable to the moon; among persons it is comparable to the king.  Among mountains it is Mount Sumeru, among waters, the great ocean. And if so wonderful a sutra as this declares that women may attain Buddhahood, then what does it matter whether all the other sutras look down on them? Though thieves, housebreakers, burglars, beggars, or lepers may despise you, if the ruler of the nation praises you, you should rather rejoice, should you not?  " Concerning the Statue of Shakyamun...

色心二法共にあそばせたるこそ貴く候へ - It is reading the sutra with both one’s body and mind that is truly praiseworthy.

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本文 法華経を 余人の よみ候は 口ばかり・ことば ばかりは・よめども 心はよまず・心はよめども 身によまず、色心二法共にあそばせたるこそ貴く候へ 土籠御書 (1263頁) 文永8年10月 (1271年) 通解(意訳) 法華経を他の人が読む時は、書いてある文章をそのまま口や言葉で読んでも、「文章の奥底に込められた意味(文底)を考える」という求道心では読まない。また、文底を心で読んだとしても、その意味を自身の体験に置き換えたり、今の状況に当てはめて読まない。 身と心(色心二法)と共に、文底を読まれることは、尊いことなのである。 English Gosho Others read the Lotus Sutra with their mouths alone, in word alone, but they do not read it with their hearts. And even if they read it with their hearts, they do not read it with their actions.  It is reading the sutra with both one’s body and mind that is truly praiseworthy.  " Letter to Priest Nichirō in Prison " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 204 October, 1271. [ --- ] is liberal translation. Interpretartion (liberal translation) In words others and their own mouth, Read only the surface of the text that is written in the sutra; or the W.N.D Gosho, they do not read in mind that trying to study the essential meaning of the...

蒼蝿驥尾に附して万里を渡り - A blue fly, if it clings to the tail of a thoroughbred horse, can travel ten thousand miles

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本文 蒼蝿驥尾に附して万里を渡り 碧蘿松頭に懸りて 千尋を延ぶ 立正安国論 (17頁) 文応元年 (1260年) 7月 通解(意訳) 小さな青バエも、駿馬の尾につかまれば万里を渡ることができ、ツタは大きな松の木に寄り掛かれば、千尋も高く延びることができるのである。 English Gosho A blue fly, if it clings to the tail of a thoroughbred horse, can travel ten thousand miles, and the green ivy that twines around the tall pine can grow to a thousand feet. " On Establishing the Correct Teaching  for the Peace of the Land " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 17 July, 1260. [ --- ] is liberal translation. 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる - Great events never have minor omens. When great evil occurs, great good follows.

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本文 大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか 大悪大善御書 (1300頁) 年月不明 (文永12年(1275年)2月の説有り) 通解(意訳) 大事の起こる前には小さな瑞相(ずいそう、前触れ)はない。大悪が起これば大善がくる。既に、正法である法華経を謗る(そしる)という大悪(大謗法)が国に充満しているのであるから、大正法は必ず弘まるという大善もくるのである。各々(おのおの)何を嘆くことがあろうか。迦葉尊者でなくても、舞いを舞うべきところである。舎利弗でなくても、立って踊るべきところである。 上行菩薩ら地涌の菩薩が大地から湧出したときには、舞い踊りながら出られたのである。 末法において、教主釈尊は大地から「地涌の菩薩」を呼び出し、妙法蓮華経を弘める事を託された。この「地涌の菩薩」のリーダーである「上行菩薩」は、大地から舞い踊りながら出現されたのである。 「上行菩薩」は日蓮大聖人の事であり、「地涌の菩薩」とは、末法における法華経の行者である、私達の事なのである。 我々は、姿は凡夫の姿であるが、その内証(内に秘められた無限の可能性の証である、仏性)は尊い使命を果たすために今世に出現した、尊い「地涌の菩薩」なのである。 English Gosho Great events never have minor omens. When great evil occurs, great good follows. Since great slander already exists in our land, the great correct Law will spread without fail. What could any of you have to lament? Even if you are not the Venerable Mahākāshyapa, you should all perform a dance. Even if you are not Shāripu...

法華経は師子吼の第一なり - the Lotus Sutra is the foremost roar of the lion.

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本文 師子の筋を琴の絃にかけて・これを弾けば余の一切の獣の筋の絃皆きらざるに・やぶる、 仏の説法をば師子吼と申す乃至法華経は師子吼の第一なり 四条金吾殿御返事 [梵音声御書] (1122頁)  文永9年9月 (1272年) 通解(意訳) 師子(獅子)の筋を琴の絃にかけて、その琴を弾けば、他の一切の獣の筋で作られた琴の絃は、その音で皆切られてしまう。 釈迦仏の説法を師子吼という。その中で法華経は師子吼の第一である。 English Gosho They say that if one uses the sinews of a lion to make strings for a koto* and plucks them, then strings made from the sinews of other animals will automatically snap, even though no one cuts them. The Buddha’s preaching of the Law is called the lion’s roar, and the Lotus Sutra is the foremost roar of the lion. *Japanese Harp " The Pure and Far-Reaching Voice " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 332 September, 1272. [ --- ] is liberal translation. 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

妙法蓮華経とは其の体何物ぞや - What is the entity of Myoho-renge-kyo?

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本文 問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、 答う十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり、 問う若爾れば我等が如き一切衆生も妙法の全体なりと云わる可きか、 答う勿論なり経に云く「所謂諸法・乃至・本末究竟等」云云 当体義抄 (510頁) 文永10年 (1273年) 通解(意訳) 問う、妙法蓮華経とは、その当体は、どのようなものであろうか。 答う、心の状態を顕した十界の依報と正報とのすべてが、妙法蓮華経の当体である。 問う、もしそうであるならば、我々のような凡夫をはじめ、一切衆生も妙法の全体であるといえるのであろうか。 答う、もちろんそうである。その証文としては、方便品第二に「所謂諸法・乃至・本末究竟して等しい」とあるとおりである。 妙法蓮華経とは、その人の身心の事であり、身心の状態がそのまま妙法の当体なのである。 English Gosho QUESTION: What is the entity of Myoho-renge-kyo? Answer: All beings and their environments in any of the Ten Worlds are themselves entities of Myoho-renge-kyo. Question: If so, then is it possible to say that all living beings, such as ourselves, are entities of the Mystic Law in its entirety? Answer: Of course. The sutra says, “This reality [the true aspect of all phenomena] consists of the appearance, nature . . . and their consistency from beginning to end.” * [ Myoho is the person's mind and body, and the state of the mind and body is Myoho just as it is. ] *"Sho-...