法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず - It could never come about that the prayers of the practitioner of the Lotus Sutra would go unanswered.
本文
大地は ささば はづるるとも 虚空を つなぐ者は ありとも・潮の みちひぬ事は ありとも日は西より出づるとも・
法華経の行者の祈りの かなはぬ事は あるべからず
だいち は ささば はずるる とも おおぞら を つなぐ もの は ありとも・しお の みちいぬ こと は ありとも ひ は にし より いづる とも・
ほけきょう の ぎょうじゃ の いのり の かなわぬ こと は ある べからず
祈祷抄
きとうしょう
(1352頁)
文永9年
(1272年)
通解(意訳)
大地を刺して外れる事があっても、大空をつなぎ合わせる者があっても、
潮の満ち干きがなくなることがあっても、太陽が西の空から昇るようなことがあっても、
法華経の行者の祈りが叶わないことは絶対にない。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
Though one might point at the earth and miss it, though one might bind up the sky, though the tides might cease to ebb and flow and the sun rise in the west, it could never come about that the prayers of the practitioner of the Lotus Sutra would go unanswered.
" On Player "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 345
in 1272.
[ --- ] is liberal translation.Gosho in Japanese
大地は ささば はづるる とも 虚空 を つなぐ 者 は あり とも・潮 の みちひぬ 事 は あり とも 日 は 西 より 出づる とも・
法華経 の 行者 の 祈り の かなはぬ 事 は ある べからず
DAICHI WA SASABA HAZURURU TOMO ŌZORA WO TSUNAGU MONO WA ARI TOMO・SHIO NO MICHI-INU KOTO WA ARI TOMO HI WA NISHI YORI IZURU TOMO・
HOKEKYO NO GYŌJA NO INORI NO KANAWANU KOTO WA ARU BEKARAZU
祈祷抄
KITŌ SHŌ
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