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月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし - Strengthen your faith day by day and month after month. Should you slacken in your resolve even a bit, devils will take advantage.

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本文 設い大鬼神の つける人なりとも 日蓮をば 梵釈・日月・四天等・天照太神・八幡の守護し給う ゆへに ばつしがたかるべし と 存じ給うべし、 月月・日日につより給へ・すこしも たゆむ心あらば 魔 たよりを うべし。 我等 凡夫の つたなさは 経論に有る事と 遠き事は おそるる心なし たとい だいきじん の つける ひと なりとも にちれん をば ぼんしゃく・にちがつ・してんとう・てんしょうだいじん・はちまん の しゅご し たもう ゆへに ばっし がた かるべし とぞんじ たもうべし、 つきづき・ひび に つより たまへ・すこし も たゆむ こころ あらば ま たより を うべし、 われら ぼんぷ の つたなさ は きょうろん に ある こと と とおき こと は おそるる こころ なし TATOI DAI-KIJIN NO TSUKERU HITO NARITOMO NICHIREN WOBA BON-SHAKU・NICHI-GATSU・SHI-TEN-TOU・TENSHŌ-DAIJIN・HACHIMAN NO SHUGO SHI TAMOU YUE NI BAS'SHI GATAKARU BESHI TO ZONJI TAMOU BESHI, TUKI-ZUKI・HI-BI NI TSUYORI TAMAE・SUKOSHI MO TAYUMU KOKORO ARABA MA TAYORI WO UBESI. WARERA BONPU NO TSUTANASA WA KYŌRON NI ARU KOTO TO TŌKI KOTO WA OSORURU KOKORO NASHI 聖人御難事 しょうにんごなんじ SH Ō NIN GONANJI (1190頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) たとえ大鬼神が取りついている人であっても、日蓮を梵天・帝釈・日天・月天・四天王、天照太神・八幡大菩薩等、あらゆる諸天善神が守護されているゆえに、誰にも罰することはできないのだと確信していきなさい。 同じように、自分にも諸天の守護があるのだと確信して、月々日々に、常に信心を奮い起していきなさい。少しでも信心にゆるむ心が出てくれば、三障四魔がその心の隙をたよりにして、紛れて襲っ...

蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり - More valuable than treasure in at storehouse are the treasures of the body,and the treasure of the heart are the most valuable of all.

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本文 中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも 世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ、穴賢・穴賢、蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり なかつかささぶろうさえもんのじょう は しゅ の おんため にも ぶっぽう の おんため にも せけん の こころね も よかりけり・よかりけり と かまくら の ひとびと の くち に うたわれ たまえ、あなかしこ・あなかしこ・くら の たから より み の たから すぐれたり み の たから より こころ の たから だいいち なり NAKATSUKASA SABURŌ SAEMON-NO-JŌ WA SHU NO ON TAME NIMO BUP'PO NO ON TAME NIMO SEKEN NO KOKORONE MO YOKARIKERI・YOKARIKERI TO KAMAKURA NO HITOBITO NO KUCHI NI UTAWARE TAMAE, ANAKASHIKO・ANAKASHIKO・ KURA NO TAKARA YORI MI NO TAKARA SUGURETARI MI NO TAKARA YORI KOKORO NO TAKARA DAI-ICHI NARI 崇峻天皇御書 すしゅんてんのうごしょ SUSHUN TEN-NŌ GOSHO [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ SAN-SHU ZAIHŌ GOSHO (1173頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 中務三郎左衛門尉(四条金吾)は、主君のためにも、仏法においての心がけも、世間に対する心がけについても、人間として立派な人であった、立派であったと、鎌倉の人々にいわれるようになりなさい。 蔵におさめている財産よりも、健康、技能や才能などの自分の身の財産が優れている。その身の財よりも、誠実な振舞や感謝の念などの、心の財が第一なのである。 英語で御書 Gosho in English Live so that all the people of Kamakura will say in your praise that Nakatsukasa Saburō Saemo...

法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり - The Lotus Sutra is like the seed, the Buddha like the sower, and the people like the field.

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本文 此法門を日蓮申す 故に 忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ 命にも及びしなり、然どもいまだこりず候 法華経は種の如く 仏はうへての如く 衆生は田の如くなり この ほうもん を にちれん もうす ゆえ に ちゅうげん みみ に さからう どうり なる が ゆえに るざい せられ いのち にも およびし なり、しかれども いまだ こりず そうろう、 ほけきょう は たね の ごとく ほとけ は うえて の ごとく しゅじょう は た の ごとく なり KONO HŌMON WO NICHIREN MŌSU YUE NI CHŪGEN MIMI NI SAKARAU DŌRI NARU GA YUE NI RUZAI SERARE INOCHI NIMO OYOBISHI NARI, SHIKAREDOMO IMADA KORIZU SŌRŌ HOKEKYO WA TANE NO GOTOKU HOTOKE WA UETE NO GOTOKU SHUJŌ WA TA NO GOTOKU NARI 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ SOYA DONO GOHENJI [成仏用心抄] じょうぶつようじんしょう J ŌBUTSU Y ŌJIN SH Ō (1056頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 法華経の法門を日蓮が申すゆえに、忠告は耳障りに聞こえるのが人間の道理でもあるから、流罪にされたり、命にも及んだのである。しかしながら、私はいまだに懲りていない。 法華経は種のようであり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである。 英語で御書 Gosho in English I have expounded this teaching [ of The Lotus Sutra ] , I have been exiled and almost killed. As the saying goes, “Good advice grates on the ear.” But still I am not discouraged. The Lotus Sutra is like the seed, the Buddha like the sower, a...

広宣流布大願をも成就す可きなり - will fulfill his great vow to broadly proclaim and propagate the Lotus Sutra.

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本文 法華経の行者は 信心に退転無く 身に詐親 無く・一切法華経に其の身を任せて 金言の如く修行せば、 慥に後生は申すに及ばず 今生も息災延命にして 勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり ほけきょう の ぎょうじゃ は しんじん に たいてん なく み に きしん なく・いっさい ほけきょう に その み を まかせて きんげん の ごとく しゅぎょう せば、 たしか に ごしょう は もうす に およばず こんじょう も そくさいえんめい に して しょうみょう の だいかほう を え・こうせんるふ だいがん をも じょうじゅ す べき なり HOKEKYO NO GYŌJA WA SHINJIN NI TAITEN NAKU MI NI KISHIN NAKU・IS'SAI HOKEKYO NI SONO MI WO MAKASETE KINGEN NO GOTOKU SHUGYŌ SEBA, TASHIKA NI GOSHŌ WA MŌSU NI OYOBAZU KONJŌ MO SOKUSAI-ENMEI NI SHITE SHŌ-MYŌ NO DAI-KAHŌ WO E・KOSEN-RUFU DAIGAN WOMO JŌJU SU BEKINARI 祈祷経送状 きとうきょうそうじょう KIT ŌKY Ō S ŌJŌ (1357頁) 文永10年正月 (1273年) 通解(意訳) 法華経の行者は、信心においては退転なく、行動や振舞いにおいては偽り親しむことなく誠実に、一切を法華経にその身を任せて、金言のとおりに修行するならば、たしかに後生(未来世)はいうまでもなく、今生においても息災延命で、勝れた大果報を得て、広宣流布という大願をも成就することができるであろう。 謝辞 ~ 日替わり御書 5周年記念 日替わり御書 DAILY-GOSHO を読んで頂き、本当にありがとうございます。 2015年3月16日から始めた「日替わり御書 - Daily Gosho」が、今年で5周年を迎えることができました。 一人でもいいから、御書に触れていただくお手伝いができればいいな、という思いから始めた日替わり御書ですが、おかげさまで、DAILY-GOSHOは40万アクセス...

大難来れども憶持不忘の人は希なるなり - When great obstacles arise, just as they were told would happen, few remember it and bear it firmly in mind.

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本文 此の経をききうくる人は多し、まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、 受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、 此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり この きょう を きき うくる ひと は おおし、まこと に きき うくる ごとく に だいなん きたれども おくじふぼう の ひと は まれ なる なり、うくる は・やすく たもつ は かたし・さる あいだ・じょうぶつ は たもつ に あり、 この きょう を たもたん ひと は なん に あう べし と こころえて たもつ なり KONO KYŌ WO KIKI UKURU HITO WA ŌSHI, MAKOTO NI KIKI URKURU GOTOKU NI DAINAN KITAREDOMO OKUJI-FUBŌ NO HITO WA MARE NARUNARI, UKURUWA・YASUKU TAMOTSU WA KATASHI・SARU AIDA・JŌBUTSU WA TAMOTSU NI ARI,  KONO KY Ō WO TAMOTAN HITO WA NAN NI AU BESHI TO KOKOROETE TAMOTSU NARI 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ SHIJ Ō KINGO DONO GOHENJI [此経難持御書] しきょうなんじごしょ SHIKY Ō NANJI GOSHO (1136頁) 文永12年3月 (1275年) 通解(意訳) 法華経を聞き受ける人は多い。だが、本当に聞き信受して、どんな大難がきても、この法華経を常に思い持って忘れない人はまれである。受けることはやさしいが、持つことは難しい。したがって、成仏は持ちつづけることにある。 この法華経を持つ人は必ず難に値うのだと心得て持つべきである。 英語で御書 Gosho in English A passage from the Lotus Sutra reads that it is “the most difficult to believe and the most difficult to understand.” Many he...

悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり - It also refers to the merit achieved by wiping out evil, while the element toku or doku refers to the virtue one acquires by bringing about good.

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本文 功は幸と云う事なり又は悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、 功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり、 法華経の説文の如く修行するを六根清浄と意得可きなり く とは さち と いうこと なり または あく を めっする を く と いい ぜん を しょうずる をとく と いうなり、 くどく とは そくしんじょうぶつ なり また ろっこんしょうじょう なり、 ほけきょう の せつもん の ごとく しゅぎょう する を ろっこんしょうじょう と こころうべきべき なり KU TOWA SACHI TO IU KOTO NARI MATA WA AKU WO MES'SURU WO KU TO II ZEN SHŌZURU WO TOKU TO IU NARI, KUDOKU TOWA SOKUHSIN-JŌBUTSU NARI MATA ROK'ON SHŌJŌ TO KOKOROUBEKI NARI 御義口伝 おんぎくでん ON GI KUDEN 法師功徳品 四箇の大事 ほっしくどくほん よんかのだいじ HOSSHI KUDOKUHON YONKA NO DAIJI 第一 法師功徳の事 だいいち ほっしくどくのこと DAIICHI HOSSHI KUDOKU NO KOTO (762頁) 通解(意訳) (功徳とは)揺るぎない幸福境涯の確立である。功とは悪を滅することであり、徳とは善を生ずることである。 功徳とは即身成仏であり、六根清浄である。 功徳とは、信心の実践に励むことによって、私たちの生命を覆う煩悩や苦悩などの悪を消滅させ、智慧や安楽などの善を生み出すことであり、自身の宿命転換、人間革命で、絶対的な幸福境涯を確立すること、すなわち成仏が、最高・最大の功徳である。 六根清浄とは、目・耳・鼻・舌・身(皮膚)と意(心)という六つの感覚・認識器官、すなわち生命の全体が浄化され、本来もっている働きを十分に発揮できることである。 法華経の経文の通りに修行することを、六根清浄と心得るべきである。 英語で御書 Gosho in English The element ku in the word kudoku*means good for...

我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ - In the light of the above points, this shows my followers, cut short your sleep by night and curtail your leisure by day and ponder this!

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本文 我が門家は 夜は眠りを断ち 昼は暇を止めて 之を案ぜよ 一生空しく過して 万歳 悔ゆること勿れ わが もんけは よるは ねむりを たち ひるは いとまを とどめて これを あんぜよ いっしょう むなしく すごして ばんさい くゆること なかれ WAGA MONKE WA YORU WA NEMURI WO TACHI HIRU WA ITOMA WO TODOMETE KORE WO ANZEYO IS'SHŌ MUNASHIKU SUGOSHITE BANSAI KUYURU KOTO NAKARE 富木殿御書 ときどのごしょ TOKI DONO GOSHO [止暇断眠御書] しかだんみんごしょ SHI KA DAN MIN GOSHO (970頁) 建治元年8月 (1275年) 通解(意訳) 我が門下生は、夜は眠りを断ち、昼は暇なく「今、広宣流布の為に自分に何ができるか」を思案しなさい。 一生を空しく過ごして、後生・万歳(来世以降・万年の歳月)に渡って、悔やしく思うようであってはならない。 英語で御書 Gosho in English In the light of the above points*, this shows my followers, cut short your sleep by night and curtail your leisure by day and ponder this! You must not spend your lives in vain and regret it for ten thousand years to come. *[ "What can I do now for spread the Nichiren Buddhism of the SGI?";Kosen-Rufu ] " The Problem to Be Pondered Night and Day " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 622 in Month, 1275. [ --- ]...