法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ - The mighty sword of the Lotus Sutra must be wielded by one courageous in faith.
本文
但し御信心によるべし、つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし、
法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼうたるべし
ただし ごしんじん に よる べし、つるぎ なんども・すすまざる ひと の ため には もちいる こと なし、
ほけきょう の つるぎ は しんじん の けなげ なる ひと こそ もちいる こと なれ おに に・かなぼう たる べし
経王殿御返事
きょうおうどのごへんじ
(1124頁)
文永10年8月
(1273年)
通解(意訳)
ただし、(祈りが叶うかどうかは)信心によるのである。
剣なども、戦いに勝つために前進する勇気のない人のためには何の役にも立たない。
法華経(御本尊)という利剣は、信心の健気な人が用いる時こそ、役に立つのであり、鬼に金棒なのである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
But your faith alone will determine all these things. A sword is useless in the hands of a coward.
The mighty sword of the Lotus Sutra must be wielded by one courageous in faith. Then one will be as strong as a demon armed with an iron staff.
" Reply to Kyō’ō "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 412
in August, 1278.
[ --- ] is liberal translation.Gosho in Japanese
但し 御信心 に よるべし、つるぎ なんども・すすまざる 人 の ためには 用る 事 なし、
法華経 の 剣 は 信心 の けなげ なる 人 こそ 用る 事 なれ 鬼 に・かなぼう たる べし
TADASHI GOSHINJIN NI YORU BESHI, TSURUGI NANDOMO・SUSUMAZARU HITO NO TAMENIWA MOCHI-IRU KOTO NASHI,
HOKEKYO NO TSURUGI WA SHINJIN NO KENAGE NARU HITO KOSO MOCHI-IRU KOTO NARE ONI NI KANABŌ TARU BESHI
経王殿御返事
KYŌ-Ō DONO GOHENJI
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