難を忍び 慈悲のすぐれたる事 - To endure persecution and the wealth of my compassion for others
本文
日蓮が法華経の智解は 天台・伝教には 千万が一分も 及ぶ事なけれども
難を忍び 慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし
にちれんが ほけきょうの ちげは てんだい・でんきょうには せんまんが いちぶんにも およぶこと なけれども
なんを しのび じひの すぐれたることは・おそれをも・いだきぬべし
開目抄・上
かいもくしょう・じょう
[人本尊開顕書]
[人本尊開顕の書]
にんほんぞんかいけんのしょ
(202頁)
文永9年2月
(1272年)
通解(意訳)
日蓮が法華経に対する智解は、中国の天台大師、日本の伝教大師に比べて、千万が一分もおよぶことはないけれども、
いかなる難に耐え忍び、慈悲の心が勝れている点では、像法(ぞうほう)時代に法華経を説いた彼らは、末法において法華経を説いている日蓮に恐れをもいだくであろう。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
When it comes to understanding the Lotus Sutra, I have only a minute fraction of the vast ability that T’ien-t’ai and Dengyō possessed. But as regards my ability to endure persecution and the wealth of my compassion for others, I believe they would hold me in awe.
" The Opening of the Eyes " Part I
" The Writings of Nichiren Daishonin ",
Vol.1, p. 242
[ --- ] is liberal translation
Gosho in Japanese
日蓮 が 法華経 の 智解 は 天台・伝教 には 千万 が 一分 も 及ぶ事なけれども
難 を 忍び 慈悲 の すぐれたる 事 は・をそれ をも・いだきぬべし
NICHIREN GA HOKEKYO NO CHIGE WA TENDAI・DENKYŌ NIWA SEN-MAN GA ICHI-BUN MO OYOBU KOTO NAKEREDOMO
NAN WO SHINOBI JIHI NO SUGURETARU KOTO WA・OSORE WOMO・IDAKINUBESHI
開目抄・上
KAIMOKUSHŌ・JŌ
[人 本尊 開顕 書]
[人 本尊 開顕 の 書]
NIN HONZON KAIKEN NO SHO
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