上は非想の雲の上・下は那落の炎の底まで... - The realm where there is neither thought nor no thought above the clouds down to the flames in the lowest depths of hell...
本文 上は非想の雲の上・下は那落の炎の底まで 所有 一切衆生の備うる所の仏性を妙法蓮華経とは名くるなり、 されば一遍此の首題を唱へ奉れば 一切衆生の仏性が皆よばれて 爰に集まる時 我が身の法性の法 報 応の三身 ともに・ひかれて顕れ出ずる 是を成仏とは申すなり、 例せば籠の内にある鳥の鳴く時・空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる 是を見て篭の内の鳥も出でんとするが如し かみ は ひそう の くも の うえ・しも は ならく の ほのお の そこ まで いわゆる いっさいしゅじょう の そなうる ところ の ぶっしょう を みょうほうれんげきょう とは なづくる なり、 されば いっぺん この しゅだい を となえ たてまつれば いっさいしゅじょう の ぶっしょう が みな よばれて ここ に あつまる とき わが み の ほっしょう の ほっぽうおう の さんじん とも に ひかれて あらわれ いずる これ を ぶっしょう とは もうす なり、 れいせば かご の うち に ある とり の なく とき・そら を とぶ しゅうちょう の どうじ に あつまる これ を みて かご の うち の とり も いでん と する が ごとし 聖愚問答抄・下 しょうぐもんどうしょう・げ (498頁) 文永2年又は文永5年 (1265年、1268年) 通解(意訳) 上は想像もつかない雲の上にいるような生命の状態の者から、下は地獄の炎の底にいるような生命の状態の者まで、あらゆる者の生命に本来備えている仏性を、妙法蓮華経と名づけるのである。 そうであるから、一遍でもこの妙法蓮華経と唱へたてまつれば、あらゆる者の仏性が皆呼ばれて、そこに集まる時、自己の生命の中の法・報・応の三身(仏の生命力)がともに引かれて顕れ出る。これを成仏というのであり、成仏とは、妙法蓮華経と唱えた瞬間に、即ぐに自己の仏の生命を成く(ひらく)という意味なのである。 たとえば籠の内いる鳥が鳴く時、その鳴き声を聞いて、空を飛ぶ多くの鳥が同時に集まる、これを見て、籠の中の鳥も出ようとするようなものである。 英語で御書 Gosho in English All living beings from the realm where there is neither thought nor no ...