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11月, 2023の投稿を表示しています

うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し - Just as a single crab leg will ruin a thousand pots of lacquer.

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本文 謗法を責めずして成仏を願はば 火の中に水を求め 水の中に火を尋ぬるが如くなるべし はかなし・はかなし、 何に法華経を信じ給うとも 謗法あらば必ず地獄にをつべし、 うるし千ばいに蟹の足一つ 入れたらんが如し、毒気深入・失本心故(どっけじんにゅう・しっぽんしんこ)は是なり ほうぼう を せめず して じょうぶつ を ねがわば ひ の なか に みず を もとめ みず の なか に ひ を たずぬる が ごとく なるべし はかなし・はかなし、 いかに ほけきょう を しんじたもう とも ほうぼう あらば かならず じごく に をつ べし、 うるし せんばい に かに の あし ひとつ いれたらん が ごとし、どっけ じんにゅう・しっぽん しんこ とはこれ なり 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [成仏用心抄] じょうぶつようじんしょう (1056頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 謗法を責めないで成仏を願うことは、火の中に水を求め、水の中に火を探すようなものである。はかないことである。はかないことである。 いかに法華経を信じていても、謗法があれば必ず地獄に堕ちるのである。 千杯もの漆の中にカニの足を一つ入れれば、漆の効能は全てなくなり、役立たなくなるようなものである。「毒気が深く入って本心を失えるが故」とは、このことである。 英語で御書 Gosho in English To hope to attain Buddhahood without speaking out against slander is as futile as trying to find water in the midst of fire or fire in the midst of water. No matter how sincerely one believes in the Lotus Sutra, if one is guilty of failing to rebuke slander of the Law, one will surely fall into hell, just as a single crab leg will ruin a thousand pots of l...

八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなり - The heavenly gods will surely protect one who is unbending before the eight winds.

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本文 賢人は 八風と申して 八のかぜに をかされぬ を 賢人と申すなり、 利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、 をを心は 利あるに・よろこばず・をとろうるに なげかず等の事なり、 此の 八風に をかされぬ人をば 必ず天はまほらせ給うなり けんじんは はっぷう と もうして はち の かぜ に おかされぬ を けんじん と もうすなり、 り・すい・き・よ・そう・しき・く・らくなり、 おおこころ は り ある に・よろこばず・おとろうる に なげかず とう の こと なり、 この はっぷう に おかされぬ ひと をば かならず てん は まもらせ たもう なり 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [八風抄] はっぷうしょう (1151頁) 建治3年 (1277年) 通解(意訳) 賢人とは八風といって、八種の風に犯されないのを賢人というのである。八風とは利(利益を得る)・衰(衰える/損をする)・毀(非難される)・誉(誉められる)・称(讃えられる)・譏(謗られる)・苦(苦しむ)・楽(楽しむ)である。 大まかな意味は、世間的な利益を得たり、楽しい事が起きても喜ばず、逆に損をしたり、苦しい事が起きた事を嘆かない、ということである。この八風に犯されない人を、諸天善神は守られるのである。 多少の事で一喜一憂せず、何があっても動じない事が大切である。  英語で御書 Gosho in English Worthy persons deserve to be called so because they are not carried away by the eight winds: prosperity, decline, disgrace, honor, praise, censure, suffering, and pleasure. They are neither elated by prosperity nor grieved by decline. The heavenly gods will surely protect one who is unbending before the eight winds.  " The Eight Winds " "The Writings of Nichiren Daishoni...

道心堅固にして今度・仏になり給へ - Strengthen your resolve to seek the way all the more and achieve Buddhahood in this lifetime.

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本文 いよいよ道心堅固にして今度・仏になり給へ、 御一門の御房たち 又 俗人等にも・かかるうれしきこと候はず、 かう 申せば今生の よく と をぼすか、 それも凡夫にて候へば・さも候べき上 慾をも・はなれずして仏になり候ける道の候いけるぞ いよいよ どうしん けんご に して こんど・ほとけ に なり たまえ、 ごいちもん の ごぼう たち また ぞくじん ら にも・かかる うれしき こと そうらわず、 こう もうせば こんじょう の よく と おぼすか、 それも ぼんぷ にて そうらえば・さも そうろう べき うえ よく をも・はなれず して ほとけ に なり そうらいける みち の そうらいけるぞ 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [所領書] しょりょうしょ (1184頁)  弘安元年10月   (1278年) 通解(意訳) (四条金吾の領地が増えたという功徳について) いよいよ信心を強盛にして今生に成仏を期していきなさい。 御一門の出家者や在家の人々にとっても、これほどうれしいことはない。 このように申せば、現世の欲と思われるかもしれないが、 凡夫であるからにはそれが当然であるし、その欲を離れずに仏になる道があるのである。 英語で御書 Gosho in English Strengthen your resolve to seek the way all the more and achieve Buddhahood in this lifetime. No more gratifying thing has ever happened to any member of your lord’s clan, whether priest or layman. When I say this, it may seem as if it is a desire of the present existence, but for ordinary people, that too is only natural, and moreover, a way exists to become a Buddha even without eradicating desires. " The Receipt of ...

元品の無明は第六天の魔王と顕われたり - The fundamental darkness manifests itself as the devil king of the sixth heaven.

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本文 法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶 備われ 元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ 元品の無明は第六天の魔王と顕われたり ほっけしゅう の こころ は いちねん さんぜん・しょうあく しょうぜん・みょうかく の くらい に なお そなわれ がんぽん の ほっしょう は ぼんてん・たいしゃく とう と あらわれ がんぽん の むみょう は だいろくてん の まおう と あらわれたり 治病大小権実違目 じびょうだいしょうごんじついもく (997頁) 弘安元年6月 (1278年) 通解(意訳) 日蓮仏教の根本である、一念三千の法門に人の心(境涯)の善悪を照らせば、善の心も悪の心も、本来人の心の本性に備わっているものである。そのため、仏の境涯を開いたとしても、心の本性が消える訳ではなく、心のあらゆる側面(一念三千)がそのまま備わっているのである。 この法理によって、善心によって開かれた法性には、梵天・帝釈天等の諸天善神の加護が顕れ、無明に陥った悪心には第六天の魔王が顕れるのである。 英語で御書 Gosho in English The heart of the Lotus school is the doctrine of three thousand realms in a single moment of life, which reveals that both good and evil are inherent even in those at the highest stage of perfect enlightenment. The fundamental nature of enlightenment manifests itself as Brahmā and Shakra, whereas the fundamental darkness manifests itself as the devil king of the sixth heaven. " The Treatment of Illness " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1113 in June, 1278.  [ --- ] ...

仏種は縁に従つて起る - The seeds of Buddhahood sprout as a result of conditions

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本文 其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、 仏種は縁に従つて起る 是の故に 一乗を説くなるべし その くに の ぶっぽう は きへん に まかせ たてまつり そうろうぞ、 ぶっしゅ は えん に よって おこる その ゆえに いちじょう を とく なるべし 高橋殿御返事 たかはしどのごへんじ [米穀御書] べいこくごしょ (1445頁) 年月不明 (建治~弘安が有力) (1275~78年) 通解(意訳) その国の広宣流布は、あなたにお任せする。仏種という、本来誰もが持っている仏の生命は、この妙法を誠実に語るという、妙法との縁によって起こるものである。この故に、”諸教で最も優れた法華経の法(一乗)”を説くのである。 友情と信頼の拡大 人の心は、他者との触れ合いという「縁」によって大きく変わることができる。ありのままの人間として心を開き、声をかけていくのだ。  その瞬間から、お互いの生命が、より強く、より豊かに変わり始める。 -池田大作  英語で御書 Gosho in English I entrust you with the propagation of Buddhism in your province. It is stated that “the seeds of Buddhahood sprout as a result of conditions, and for this reason they preach the single vehicle.” " Properties of Rice " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1117 The main opinion is from 1275 to 1278. [ --- ] is liberal translation. Expanding friendship and trust People's minds be able to change greatly on the fellowship with others. Open your  heart as an natural person and call out to oth...

元品の無明を切る利剣は此の法門に過ぎざるか - The sharp sword that severs the fundamental darkness inherent in life, is none other than the Lotus Sutra.

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本文 生死の長夜を照す大燈・元品の無明を切る利剣は此の法門に過ぎざるか しょうじ の ちょうや を てらす だいとう・がんぽん の むみょう を きる りけん は この ほうもん に すぎざるか 諸経と法華経と難易の事 しょきょう と ほけきょう と なんい の こと [難信難解法門] なんしんなんげほうもん (991頁) 弘安3年5月 (1280年) 通解(意訳) 生死の悩みや苦しみという長い夜を照らすほどの大きな燈明、衆生の元品の無明(生命が迷っている状態)を断ち斬り、本来持っている仏性を開く利剣は、この法門をおいて他にはないのである。 英語で御書 Gosho in English The great lantern that illuminates the long night of the sufferings of birth and death, the sharp sword that severs the fundamental darkness inherent in life, is none other than the Lotus Sutra.  " A Comparison of the Lotus and Other Sutras " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1038 in May, 1280. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 生死 の 長夜 を 照す 大燈・元品 の 無明 を 切る 利剣 は 此の 法門 に 過ぎざるか SHŌ-JI NO CHŌYA WO TERASU DAITŌ・GANPON NO MUMYO WO KIRU RIKEN WA KONO HŌMON NI SUGIZARUKA 諸経と法華経と難易の事 SHOKYO TO HOKEKYO TO NAN-I NO KOTO [難信難解法門] NAN SHIN NAN GE HŌMON 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of ...

仏法は体のごとし世間はかげのごとし - Buddhism is like the body, and society like the shadow.

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本文 仏法やうやく顛倒しければ 世間も又 濁乱せり、仏法は体のごとし 世間はかげのごとし 体曲れば影ななめ なり ぶっぽう ようやく てんとう し ければ せけんも また じょくらんせり、 ぶっぽうは からだの ごとし せけんは かげの ごとし からだ まがれば かげ ななめなり 諸経と法華経の難易の事 しょきょうとほけきょうのなんいのこと [難信難解法門] なんしんなんげほうもん (992頁) 弘安3年5月 (1280年) 通解(意訳) 仏法が年月が経つにつれて本末転倒し、曲がった解釈が広がってしまったので、世間もまた濁り乱れてしまった。 仏法は全宇宙の万理の法則の本体であり、世間の法はその影のようなものである。例えて言えば、体が曲がれば、影も斜めになる事と同じようなものである。 間違った法を用いて国を治めたなら、その国土は乱れて、民もまた乱れる。間違った法を信じれば、その者の性分も曲がり、乱れてしまうのである。 英語で御書 Gosho in English Buddhism has gradually been turned upside down, the secular world also has been plunged into corruption and chaos. Buddhism is like the body, and society like the shadow. When the body bends, so does the shadow. " A Comparison of the Lotus and Other Sutras " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1039 in May, 1280.  [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Buddhism is the body of a law in a metagalaxy. And a law in the world is the one like its shadow. If a country was ruled u...

謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ - Reverently make this teaching your own, and transmit it as an axiom of faith for future generations.

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本文 此の法門を申すには必ず魔出来すべし 魔競わずは正法と知るべからず、 第五の巻に云く「行解 既に勤めぬれば 三障四魔 紛然として競い起る 乃至 随う可らず 畏る可らず 之に随えば 将に人をして 悪道に向わしむ 之を畏れば 正法を修することを妨ぐ」 等云云、 此の釈は 日蓮が身に当るのみならず 門家の明鏡なり 謹んで習い伝えて 未来の資糧とせよ この ほうもんを もうす には かならず ま しゅったい すべし ま きそわずは しょうほうと しる べからず、 だいごの まきに いわく「ぎょうげ すでに つとめぬれば さんしょうしま ふんぜんとして きそいおこる ないし したがう べからず おそる べからず これに したがえば まさに ひとをして あくどうに むかわしむ これを おそれば しょうほうを しゅうすることを さまたぐ」とう うんぬん この しゃくは にちれんが みに あたる のみならず もんけの めいきょうなり つつしんで ならい つたえて みらいの しりょうとせよ 兄弟抄 きょうだいしょう KYŌDAI SHŌ (1087頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) この法門を説けば、必ず魔が現れる。魔が競い起こらなければ、正法とは言えないのである。 天台大師の摩訶止観・第五巻には、「仏法の修行と理解が進んでくると、三障四魔が紛然として競い起こる。(乃至=中略の意味)しかし、決してしたがってはならない。おそれてはならない。これに随うならば、まさに人を悪道に向かわせる。これを畏れるならば、正法を修行することを妨げる」等と書かれている。 摩訶止観のこの内容は、日蓮の身にあてはまるばかりでなく、我が日蓮仏法の門家一同にも明鏡のように当てはまるものである。これをわきまえて、謹んで習い、次の世代に伝えて、未来の法華経の行者にとっての、修行の資料・糧としなさい。 英語で御書 Gosho in English If you propagate it, devils will arise without fail. If they did not, there would be no way of knowing that this is the correct teaching. One passage from th...

一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ - Believe in the Gohonzon, the supreme object of devotion in all of Jambudvīpa.

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本文 一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし、 行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし いちえんぶだい だいいち の ごほんぞん を しんじさせ たまえ、あいかまえて・あいかまえて・しんじん つよく そうらいて さんぶつ の しゅご を こうむらせ たもうべし、 ぎょうがく の にどう を はげみ そうろう べし、ぎょうがく たえなば ぶっぽう は ある べからず、われ も いたし ひと をも きょうけ そうらえ、ぎょうがく は しんじん より おこる べく そうろう、ちから あらば いちもん いっく なりとも かたらせ たもうべし 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1361頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 一閻浮提(全世界)で第一の御本尊を信じていきなさい。よくよく心を構えて信心を強め、釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏の三仏の守護を受けていきなさい。 法華経(広宣流布)のために行動し、法華経のことを学んでいきなさい。行学が途絶えてしまえば、仏法はないのである。 自分も行い、人にも教えて導いていきなさい。行学は信心から起こるものである。 力があれば、行学で学んだことや体験などを、一文一句でも人に語っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English Believe in the Gohonzon, the supreme object of devotion in all of Jambudvīpa. Be sure to strengthen your faith, and receive the protection of Shakyamuni, Many Treasures, and the Buddhas of the ten directions. Exert yourself in the two ways of practice and study. Without practice and study, there can be no Buddhism. You must not only per...

弥はげませ給うべし懈ることなかれ - Strive ever harder in faith, and never give in to negligence.

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本文 弥 はげませ給うべし 懈ることなかれ、 皆 人の此の経を信じ始むる時は 信心有る様に見え候が・中程は 信心も よはく 僧をも恭敬せず 供養をも なさず・自慢して悪見をなす、これ恐るべし恐るべし、 始より終りまで 弥 信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん いよいよ はげませ たもうべし おこたる こと なかれ、 みな ひとの この きょうを しんじはじむる ときは しんじん あるように みえ そうろうが・なかほどは しんじんも よわく そう をも きょうけいせず くようも なさず・じまんして あっけんを なす、これ おそるべし おそるべし、 はじまりより おわりまで いよいよ しんじんを いたすべし・さなくして こうかいや あらんずらん 新池御書 にいけごしょ NIIKE GOSHO (1440頁)  弘安3年2月 (1280年) 通解(意訳) さらに信心に励んでいき、怠ることがあってはならない。 皆、人がこの法華経を信じはじめる時は、信心がある様に見えるが、時が経って信心が深まる途中になると、信心も弱まり、僧侶(信心の先輩、同志)も敬うこともせず、御本尊へのご供養や、困った同志を助ける心も忘れ、慢心を起こして邪悪な考えを起こしてしまうものである。 これは大変に恐るべきことである。 始めから終りまで、いよいよ信心を深めて貫くべきである。そうでなければ後悔するであろう。 英語で御書 Gosho in English Strive ever harder in faith, and never give in to negligence. All the people appear to believe sincerely when they first embrace the Lotus Sutra, but as time passes, they tend to become less devout; they no longer revere or make offerings to the priest, giving themselves up to arrogance and forming distorted views.  This is most frightening. Be ...

未来の大苦をまねぎこして少苦に値うなり - Meeting minor sufferings in this life we can change the karma that destines us to suffer terribly in the future.

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本文 我等過去に正法を行じける者に・あだをなして・ありけるが今かへりて信受すれば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、 今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦をまねぎこして少苦に値うなり われら かこに しょうほうを ぎょうじけるものに・あだをなして・ありけるが いま かえりて しんじゅすれば かこに ひとをさわる つみにて みらいに だいじごくに おつべきが、 こんじょうに しょうほうを ぎょうずる くどく・ごうじょうなれば みらいの だいくを まねぎこして しょうくに あたうなり 兄弟抄 きょうだいしょう (1083頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) 我らは、過去世で正法(法華経)を修行していた者に対して怨をなしたのであるが、今世では反対に自分が正法を信受することになったので、過去世に法華経の行者の修行を妨げた罪により、本当は未来世に大地獄に堕ちるはずであったが、 今世に強盛に正法を行じているため、その功徳も強盛であるから、来世の大きな苦しみを今世に招きよせて、少さな苦しみに値う事で済んでいるのである。 英語で御書 Gosho in English We, who now believe in the correct teaching , in the past once committed the offense of persecuting  its practitioners, and therefore are destined to fall into a terrible hell in the future. The blessings gained by practicing the correct teaching, however, are so great that by meeting minor sufferings in this life we can change the karma that destines us to suffer terribly in the future. " Letter to the Brothers " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol...

鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか - You demons, by making this man suffer, are you trying to swallow a sword point first

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本文 鬼神めらめ 此の人を なやますは 剣を さかさまに・のむか 又 大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、 あなかしこ・あなかしこ、此の人の やまいを忽に なをして・かへりて まほりと なりて 鬼道の大苦を ぬくべきか  きじん めらめ この ひと を なやます は つるぎ を さかさま に・のむ か また だいか を いだくか、さんぜ じっぽう の ほとけ の だいおんてき と なるか、 あなかしこ・あなかしこ、この ひと の やまい を たちまちに なおして・かえりて まもり と なりて きどう の だいく を ぬく べきか 法華証明抄 ほっけしょうめいしょう [死活抄] しかつしょう (1587頁) 弘安5年2月 (1282年) 通解(意訳) 鬼神達め、法華経の行者である人を病気で悩ますとは、剣を逆に飲むか、または大火を抱くか、さらには三世十方の仏の大怨敵となろうとするのか。 (あなかしこ=くれぐれも、の意味あり)これを恐ろしく思うのであれば、この人の病をたちまちに冶して、かえって守護の善神となって、鬼神らこそ餓鬼道の大苦から免れるべきではないか。 英語で御書 Gosho in English You demons, by making this man suffer, are you trying to swallow a sword point first, or embrace a raging fire, or become the archenemy of the Buddhas of the ten directions in the three existences? How terrible this will be for you! Should you not cure this man’s illness immediately, act rather as his protectors, and escape from the grievous sufferings that are the lot of demons? " The Proof of the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishoni...

根ふかければ枝さかへ源遠ければ流長し - The deeper the roots, the more luxuriant the branches.The farther the source, the longer the stream.

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本文 根ふかければ 枝さかへ 源 遠ければ流長しと 申して 一切の経は根あさく流ちかく 法華経は根ふかく源とをし、末代・悪世までも・つきず・さかうべし ね ふかければ えだ さかえ みなもと とおければ ながれ ながし と もうして いっさい の きょう は ね あさく ながれ ちかく ほけきょう は ね ふかく みなもと とおし、まつだい・あくせ までも・つきず・さかうべし 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [源遠長流御書] ごんおんちょうりゅうごしょ (1180頁) 弘安元年9月 (1278年) 通解(意訳) 木の根が深ければその枝は栄え、水源が遠ければ川の流れは長いと言われるように、 法華経以外の諸教は根が浅く流れは近く、反対に法華経は根が深くその源は遠い。 信心強盛な者がいるからこそ、法華経は末法、悪世までも尽きることなく栄え、流布していくのである。 ☆今日は創価学会創立記念日です。おめでとうございます!☆ 11月18日 英語で御書 Gosho in English The deeper the roots, the more luxuriant the branches. The farther the source, the longer the stream. All sutras other than the Lotus Sutra have shallow roots and short streams, while the Lotus Sutra has deep roots and a distant source. " The Farther the Source, the Longer the Stream " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 940 in September, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  ☆Today is the founding anniversary of the Soka Gakkai. Congratulations! ☆ November 18. ...

命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候 - Life is something that cannot be purchased even for the price of an entire major world system.

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本文 命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候と仏は説かせ給へり、 米は命を継ぐ物なり 譬えば米は油の如く 命は燈の如し、 法華経は燈の如く 行者は油の如し いのち をば さんぜんだいせんせかい にても かわぬ もの にて そうろう と ほとけ は とかせ たまえり、 こめ は いのち を つぐ もの なり たとえば こめ は あぶら の ごとく いのち は ともしび の ごとし ほけきょう は ともしび の ごとく ぎょうじゃ は あぶら の ごとし 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [輪陀王御書] りんだおうごしょ (1059頁) 弘安2年8月 (1279年) 通解(意訳) 命というものは、全宇宙の財宝をもってしても買うことができないものであると、仏は説かれている。 (ご供養として頂いた)米は、命を継ぐものである。譬えていえば、米は油で、命は燈火のようなものであり、命という燈火が途切れないように、お米という油を足すのである。 これと同じように、法華経は燈火であり、法華経の行者は油のようなものである。法華経の行者という油がなければ、法華経という教えは途絶えてしまうのである。 英語で御書 Gosho in English Buddha says that life is something that cannot be purchased even for the price of an entire major world system. Rice is what sustains life. It is like the oil that sustains the life of the lamp. The Lotus Sutra is a lamp, and its votary is the oil that sustains it.  " King Rinda " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 983 in August, 1279. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal trans...

命と申す物は一身第一の珍宝なり - Life is the most precious of all treasures.

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本文 命と申す物は一身第一の珍宝なり 一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり、 法華経の一代の聖教に超過して いみじきと申すは寿量品のゆへぞかし いのち と もうす もの は いっしん いちだい の ちんぽう なり いちにち なり とも・これを のぶる ならば せんまんりょう の こがね にも すぎたり、 ほけきょう の いちだい の せいきょう に ちょうか して いみじき と もうす は じゅりょうほん の ゆえ ぞかし 可延定業書 かえんじょうごうしょ [定業延命抄] じょうごうえんめいしょう (986頁) 弘安2年(1279年) 1月~2月の説有り 通解(意訳) 命というものは人間が持っている第一の珍しい宝である。一日でも寿命を延ばすならば、千万両の金にもまさる。法華経が釈尊の説いた説法の中で最も優れている理由は、「あらゆる生命の中に仏性が存在する」ということが、法華経の如来寿量品第十六に説かれているからであり、その生命を一日でも長く寿命を延ばす事ができるからである。 *私達が日々実践している勤行の「妙法蓮華経如来寿量品第十六(みょうほうれんげきょう にょうらいじゅりょうほん だい16」は、この「法華経如来寿量品第十六」から抜粋したものです。 英語で御書 Gosho in English Life is the most precious of all treasures. Even one extra day of life is worth more than ten million ryō [;the currency unit of Japan at time ] of gold. The Lotus Sutra surpasses all the other sacred teachings of the Buddha’s lifetime because of the “Life Span” chapter. " On Prolonging One’s Life Span " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 955 There is opinion of February from Ja...

人のものををしふると申すは車のおもけれども油を ぬりてまわり - Teaching another something is the same as oiling the wheels of a cart so that they turn even though it is heavy

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本文 仏にやすやすとなる事の候ぞ・をしへ まいらせ候はん、 人の ものを をしふる と 申すは 車のおもけれども 油を ぬりてまわり・ふねを水にうかべて ゆき やすき やうに をしへ候なり、 仏になりやすき事は 別のやう候はず、 旱魃に かわけるものに 水をあたへ・寒冰に こごへたるものに 火を あたふる が ごとし ほとけ に やすやす と なる こと の そうろう ぞ・おしえ まいらせ そうらわん、 ひと の もの を おしうる と もうす は くるま の おもけれども あぶら を ぬりて まわり・ふね を みず に うかべて ゆきやすき ように おしえ そうろう なり、 ほとけ に なりやすき こと は べつ の よう そうらわず、 かんばつ に かわける もの に みず を あたえ・かんひょう に こごえたる もの に ひ を あたうる が ごとし 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [須達長者御書] すだつちょうじゃごしょ (1574頁) 弘安3年12月 ( 1280年) 通解(意訳) 仏に安々と成れる方法を、教えて差し上げよう。 人がものを教えるというのは、車が重かったとしても、油を塗って車輪の回りをよくし、船を水に浮かべて、岸辺に行きやすくなるように教えるようなものである。 仏に成りやすい方法というのは、特別なことではない。干ばつの時、喉の渇いた者に水を与え、寒さに凍えた者に火を与えるようにすることである。 英語で御書 Gosho in English I will teach you how to become a Buddha easily. Teaching another something is the same as oiling the wheels of a cart so that they turn even though it is heavy, or as floating a boat on water so that it moves ahead easily. The way to become a Buddha easily is nothing special. It is the same as giving water to a thirsty person in a ti...

各各互に読聞けまいらせさせ給え - Should read this letter to one another and listen.

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本文 設い身命に及ぶとも退転すること莫れ。 富木・三郎左衛門の尉・河野辺・大和阿闍梨等・殿原・御房達 各各 互に 読聞け まいらせさせ給え、 かかる濁世には 互に つねに・いゐあわせて ひまもなく 後世 ねがわせ給い候へ たとい しんみょうに およぶとも たいてん すること なかれ。 とき・さぶろうざえもんのじょう・かわのべ・やまとあじゃり とう・とのばら・ごぼう たち おのおの たがいに よみきけ まいらせ させたまえ、 かかる じょくせ には たがいに つねに・いいあわせて ひまもなく ごせ ねがわせ たまい そうらえ 法華行者逢難事 ほっけ ぎょうじゃ ほうなん じ (965頁) 文永11年1月 (1274年) 通解(意訳) たとえ大難が身命に及ぶ事があっても、決して退転してはならない。 富木常忍(とき じょうにん)・三郎左衛門尉(さぶろう ざえもんのじょう=四条金吾)・河野辺入道(かわのべ にゅうどう)・大和阿闍梨(やまと あじゃり)等の殿達や御房達、 おのおのお互いに読み聞かせてさしあげなさい。 このような濁世には互いにつねに話し合って、ひまなく後世を願うようにしなさい。 直接会って対話する「膝詰めの対話」 ただ一人でもいい。 その一人の人に全力で法を説き、体験を語り、広布のこと、 人生のことを心から話し合っていけばよいのだ。 二人でもいい、御本尊の話をして、感激し合って帰る座談会にしてほしい。 三人もくれば、”大勢”というべきである。 -戸田城聖 英語で御書 Gosho in English Even if it should cost you your lives, you must never discard your faith. Toki, Saburō Saemon-no-jō, Kawanobe, Āchārya Yamato, and the rest of you, gentlemen and priests, should read this letter to one another and listen. In this defiled age, you should always talk together and never cease to pray for your next lif...

題目の光無間に至りて... - The ray of light from the daimoku reaches all the way to the hell of incessant suffering...

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本文 日蓮等の類い 聖霊を訪う時 法華経を読誦し 南無妙法蓮華経と唱え奉る時 題目の光 無間に至りて 即身成仏せしむ、廻向の文 此れより 事 起るなり、 法華不信の人は 堕在無間なれども、題目の光を以て 孝子 法華の行者として訪わんに 豈 此の義に 替わる可しや にちれんとうの たぐい しょうりょうを とぶらう とき ほけきょう を どくじゅし なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるとき だいもくの ひかり むげんに いたりて そくしんじょうぶつ せしむ、えこうの もん これより こと おこるなり、 ほっけ ふしんの ひとは だざいむげん なれども、だいもくの ひかりを もって こうし ほっけの ぎょうじゃとして とぶらわんに あに この ぎに かわるべしや 御義口伝 おんぎくでん 序品七箇の大事 じょほんななかのだいじ 第五・下至阿鼻地獄の事 だいご・げしあびじごくのこと (712頁) 通解(意訳) 日蓮とその門下が、聖霊を弔う際に、法華経を誦読し、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光は無間地獄まで至って、即身成仏させることができるのである。回向の勤行・唱題も、生前と同じように聖霊も「仏の生命を成く(ひらく)=成仏する」という、宇宙に厳然と備わっている生命の原理から起きたものである。 また、法華経に不信を持ち退転したり、謗法を犯したりした人は、無間地獄におちて苦しまなければならないが、孝行しようとする遺族の方が法華経の行者となり、南無妙法蓮華経と唱え、題目の光で追善供養して差し上げれば、どうしてこの成仏の原理という義に変わる事があるだろうか。 英語で御書 Gosho in English Now when Nichiren and his followers perform ceremonies for the deceased, reciting the Lotus Sutra and chanting Nam-myoho-renge-kyo, the ray of light from the daimoku reaches all the way to the hell of incessant suffering and makes it possible for them to attain Budd...