大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや - All rivers flow into the sea, but does the sea turn back their waters?
本文
大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや、
法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども・かへす事とがむる事なし、
諸河の水入る事なくば大海あるべからず、大難なくば法華経の行者にはあらじ
たいかい へ しゅうる いる・されども たいかい は かわ の みず を かえす こと ありや、
ほっけ たいかい の ぎょうじゃ に しょが の みず は だいなん の ごとく いれども・かえすこと とがむる こと なし、
しょが の みず いること なくば たいかい ある べからず、だいなん なくば ほけきょう の ぎょうじゃ には あらじ
大海には様々な河水が流れこむ。けれども、大海は河水を押し返すようなことがあるだろうか。
法華経という大海の行者には、様々な河水のように大難として流れ込むが、大難を押し返すことも、とがめたりすることもない。
河水が入ることがなければ、大海ではないからである。大難がなければ法華経の行者ではないのである。
大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや、
法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども・かへす事とがむる事なし、
諸河の水入る事なくば大海あるべからず、大難なくば法華経の行者にはあらじ
たいかい へ しゅうる いる・されども たいかい は かわ の みず を かえす こと ありや、
ほっけ たいかい の ぎょうじゃ に しょが の みず は だいなん の ごとく いれども・かえすこと とがむる こと なし、
しょが の みず いること なくば たいかい ある べからず、だいなん なくば ほけきょう の ぎょうじゃ には あらじ
椎地四郎殿御書
しいじしろうどのごしょ
[如度得船御書]
にょととくせんごしょ
[身軽法重死身弘法御書]
しんきょうほうじゅうししんぐほうごしょ
(1448頁)
弘長元年4月
(1261年)
通解(意訳)大海には様々な河水が流れこむ。けれども、大海は河水を押し返すようなことがあるだろうか。
法華経という大海の行者には、様々な河水のように大難として流れ込むが、大難を押し返すことも、とがめたりすることもない。
河水が入ることがなければ、大海ではないからである。大難がなければ法華経の行者ではないのである。
英語で御書
Gosho in English
All rivers flow into the sea, but does the sea turn back their waters?
The currents of hardship pour into the sea of the Lotus Sutra and rush against its votary. The river is not rejected by the ocean; nor does the votary reject suffering.
Were it not for the flowing rivers, there would be no sea. Likewise, without tribulation there would be no votary of the Lotus Sutra.
Gosho in English
All rivers flow into the sea, but does the sea turn back their waters?
The currents of hardship pour into the sea of the Lotus Sutra and rush against its votary. The river is not rejected by the ocean; nor does the votary reject suffering.
Were it not for the flowing rivers, there would be no sea. Likewise, without tribulation there would be no votary of the Lotus Sutra.
" A Ship to Cross the Sea of Suffering "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 33
in April, 1261.
[ --- ] is liberal translation.
Gosho in Japanese大海 へ 衆流 入る・されども 大海 は 河 の 水 を 返す 事 ありや、
法華 大海 の 行者 に 諸河 の 水 は 大難 の 如く 入れども・かへす 事 とがむる 事 なし、
諸河 の 水 入る 事 なくば 大海 ある べからず、大難 なくば 法華経 の 行者 には あらじ
TAIKAI E SHŪ-RU IRU・SAREDOMO TAIKA WA KAWA NO MIZU WO KAESU KOTO ARIYA,
HOKKE TAIKAI NO GYŌJA NI SHOGA NO MIZU WA DAINAN NO GOTOKU IREDOMO・KAESU KOTO TOGAMURU KOTO NASHI,
SHOGA NO MIZU IRU KOTO NAKUBA TAIKAI ARU BEKARAZU, DAINAN NAKUBA HOKEKYO NO GYŌJA NIWA ARAJI
椎地 四郎 殿 御書
SHĪ-JI SHIRŌ DONO GOSHO
[如度 得船 御書]
NYO TO TOKU SEN GOSHO
[身軽 法重 死身 弘法 御書]
SHIN KYŌ HŌ JŪ SHI SHIN GU HŌ GOSHO
参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」
「御書をひもとく」
「英語で学ぶ御書」
第三文明社
Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin"
"The Record of The Orally Transmitted Teachings"
「御書をひもとく」
「英語で学ぶ御書」
第三文明社
Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin"
"The Record of The Orally Transmitted Teachings"
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