いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず - However wretched a beggar you might become, never disgrace the Lotus Sutra.
本文
一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食には・なるとも 法華経に きずをつけ給うべからず
いっしょう は ゆめ の うえ・あす を ご せず・いかなる こつじき には・なるとも ほけきょう に きず を つけ たもう べからず
四条金吾殿御返事
しじょうきんごどのごへんじ
[不可惜所領事]
ふかしゃくしょりょうのこと
(1163頁)
建治3年7月
(1277年)
通解(意訳)
一生は夢の上の出来事のように、はかないものであり、明日の命があるか分からない。
たとえどのような乞食になったとしても、あなた自身の信心に傷をつけてはならない。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
This life is like a dream. One cannot be sure that one will live until tomorrow.
However wretched a beggar you might become, never disgrace the Lotus Sutra.
" A Warning against Begrudging One’s Fief "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 824
in July, 1277.
[ --- ] is liberal translation.Gosho in Japanese
一生 は ゆめ の 上・明日 を ごせず・いかなる 乞食 には・なるとも 法華経 に きず を つけ 給う べからず
IS'SHO WA YUME NO UE・ASU WO GO SEZU・IKANARU KOTSUJIKI NIWA・NARUTOMO HOKEKYO NI KIZU WO TSUKE TAMOU BEKARAZU
四条 金吾 殿 御返事
SHIJŌ KINGO DONO GOHENJI
[不可惜 所領事]
FUKASHAKU SHORYŌ-NO-KOTO
コメント
コメントを投稿
誰でもコメントができるようになりました。
匿名コメントも可能ですので、気軽にコメントできます。