善悪の根本枝葉をさとり極めたるを仏とは申す - One who is thoroughly awakened to the nature of good and evil from their roots to their branches and leaves is called a Buddha.
本文
本末究竟と申すは 本とは 悪のね 善の根・末と申すは 悪の をわり 善の終り ぞかし、
善悪の根本 枝葉をさとり極めたるを仏とは申すなり
ほんまつくきょう と もうすは ほん とは あく の ね ぜん の ね・まつ と もうすは あく の おわり ぜん の おわり ぞかし、
ぜん あく の こんぽん しよう を さとり きわめたるを ほとけ とは もうすなり
減劫御書
げんこうごしょ
[智慧亡国書]
ちえぼうこくしょ
(1466頁)
建治2年以後
(1276年)
通解(意訳)
本末究竟(ほんまつくきょう、勤行・方便品第二の最後にある、『所為諸法。如是相。如是性。。。如是本末究竟等。』の、十如是の箇所)というのは、本とは悪の根本・善の根本であり、末というのは悪の終わり、善の終わりのことである。善悪の根本から枝葉までを悟り極めているのを仏というのである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
In the phrase “consistency from beginning to end,” “beginning” indicates the root of evil and the root of good, and “end” indicates the outcome of evil and the outcome of good.
One who is thoroughly awakened to the nature of good and evil from their roots to their branches and leaves is called a Buddha.
" The Kalpa of Decrease "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1120
After 1276.
[ --- ] is liberal translation.In the phrase : The Part of the Gongyo from "SHO-I-SHO-HO" to "NYO-ZE-HON-MAK-KU-KYO-TO"
Gosho in Japanese
本 末 究竟 と 申す は 本 とは 悪 の ね 善 の 根・末 と 申す は 悪 の をわり 善 の 終り ぞかし、
善 悪 の 根本 枝葉 を さとり 極めたる を 仏 とは 申す なり
HON MATSU KU-KYŌ TO MŌSU WA HON TOWA AKU NO NE ZEN NO NE・MATSU TO MOUSU WA AKU NO OWARI ZEN NO OWARI ZOKASHI,
ZEN AKU NO KONPON SIYOU WO SATORI KIWAMETARU WO HOTOKE TOWA MŌSU NARI
減劫 御書
GENKŌ GOSHO
[智慧 亡国 書]
CHIE BŌKOKU SHO
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