法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり - I was the first to reveal as the banner of propagation of the Lotus Sutra
本文
爰に日蓮 いかなる不思議にてや候らん
竜樹 天親等・天台 妙楽等だにも 顕し給はざる大曼荼羅を・末法 二百余年の比 はじめて法華弘通のはたじるしとして 顕し奉るなり、
是 全く日蓮が自作にあらず 多宝塔中の大牟尼世尊 分身の諸仏 すりかたぎたる 本尊なり
ここ に にちれん いかなる ふしぎ にてや そうらん
りゅうじゅ てん しん とう・てんだい みょうらく とう だにも あらわし たまわざる だいまんだら を・まっぽう にひゃくよねん の ころ はじめて ほっけぐつう の はたじるし と して あらわし たてまつる なり、
これ まったく にちれん が じさ に あらず たほうとうちゅう の だい むに せそん ぶんしん の しょぶつ すり かたぎたる ほんぞん なり
日女御前御返事
にちにょごぜんごへんじ
[御本尊相貌抄]
ごほんぞんしょうみょうそう
(1243頁)
建治3年8月
(1277年)
通解(意訳)
ここに、日蓮はどういう不思議であろうか、正法時代の竜樹・天親等・像法時代の天台・妙楽等でさえ、顕わす(あらわす)ことのなかった大曼荼羅を、末法にはいって二百余年を経たこの時に、初めて、法華弘通の旗印として顕わしたのである。
この大曼荼羅は、全く日蓮が勝手に作り出したものではなく、法華経に出現した多宝塔の中の釈迦牟尼仏、ならびに十方(全宇宙)の分身の諸仏のありさまを、まさに板木ですりあらわした御本尊なのである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
How wondrous it is that, around two hundred years and more into the Latter Day of the Law, I was the first to reveal as the banner of propagation of the Lotus Sutra this great mandala that even those such as Nāgārjuna and Vasubandhu, T’ien-t’ai and Miao-lo were unable to express.
This mandala is in no way my invention. It is the object of devotion that depicts Shakyamuni Buddha, the World-Honored One, seated in the treasure tower of Many Treasures Buddha, and the Buddhas who were Shakyamuni’s emanations as perfectly as a print matches its woodblock.
" The Real Aspect of the Gohonzon "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1,
p. 831-p.832
in Month, 1277.
★Text★
Gosho in Japanese
爰 に 日蓮 いかなる 不思議 にてや 候らん
竜樹 天親 等・天台 妙楽 等 だにも 顕し 給はざる 大曼荼羅 を・末法 二百余年 の 比 はじめて 法華弘通 の はたじるし と して 顕し 奉る なり、
是 全く 日蓮 が 自作 に あらず 多宝塔中 の 大牟尼世尊 分身 の 諸仏 すり かたぎたる 本尊 なり
KOKO NI NICHIREN IKANARU FUSHIGI NITEYA SŌRAN
RYŪJU TEN-SHIN TOU・TENDAI MYŌ-RAKU TOU DANIMO ARAWASHI TAMAWAZARU DAI-MANDARA WO・MAP'PO NI-HYAKU-JŪ-YO-NEN NO KORO HAJIMETE HOKKE-GUTSŪ NO HATAJIRUSHI TO SHITE ARAWASHI TATEMATSURU NARI
日女 御前 御返事
NICHINYO GOZEN GOHENJI
[御本尊 相貌 抄]
GOHONZON SŌMYŌ SHŌ
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