智者とは世間の法より外に仏法を行ず - A person of wisdom is not one who practices Buddhism apart from worldly affairs
本文 智者とは 世間の法より外に仏法を行ず、世間の 治世の法を 能く能く 心へて候を 智者とは申すなり ちしゃ とは せけん の ほう より ほか に ぶっぽう を おこなわず、せけん の ちせい の ほうを よく よく こころえて そうろう を ちしゃ とは もうす なり 減劫御書 げんこうごしょ [智慧亡国書] ちえぼうこくしょ (1466頁) 建治2年以後 (1276年) 通解(意訳) 智者とは、世間の法(現実社会の道理)から離れて仏法を行ずることはない。世間の治世の法を十分に心得ている人を、智者というのである。 社会を離れて仏法はない 生活上の事象一つ一つが、そのまま仏法そのものです。仏法の智慧の光は、苦悩渦巻く現実の社会の中でこそ輝き、希望となり、勇気となり、安心となります。(中略) 社会を離れて仏法はありません。仏法の慈悲と智慧の力で、社会に貢献し、社会を正しく導いていてこそ真の「智者」です。そして、仏法の英知が発揮された社会は、必ず栄えていくのです。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English A person of wisdom is not one who practices Buddhism apart from worldly affairs but, rather, one who thoroughly understands the principles by which the world is governed. " The Kalpa of Decrease " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1121 After 1276. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) There is no Nichiren Buddhism apart from society. Every single event on life is Nichiren Buddhism itself.The light of the Wisdom of Nichiren Buddhism is shi...