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5月, 2020の投稿を表示しています

石はやけばはいとなる金は・やけば真金となる - Put into flames, a rock simply turns to ashes, but gold becomes pure gold.

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本文 各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪を せめいだし給いて候、 たとへば くろがねを よくよく きたへば きずの あらわるる が ごとし、 石は やけば はいとなる 金は・やけば真金となる おのおの・ずいぶん に ほけきょう を じんぜられつる・ゆえ に かこ の じゅうざい を せめ いだし たまいて そうろう、 たとえば くろがね を よくよく きたえば きず の あらわるる が ごとし、 いし は やけば はい と なる こがね は やけば しんきん と なる  ONO ONO・ZUIBUN NI HOKEKYO WO SINZERARETSURU・YUE NI KAKO NO JŪZAI WO SEME IDASHI TAMAITE SŌRŌ, TATOEBA KUROGANE WO YOKUYOKU KITAEBA KIZU NO ARAWARURU GA GOTOSHI, ISHI WA YAKEBA HAI TO NARU KOGANE WA・YAKEBA SHINKIN TO NARU 兄弟抄 きょうだいしょう KYŌDAI SHŌ (1083頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) あなた達はそれぞれに、これまで随分と法華経を信じられてきた。それゆえ、過去世で犯した重罪への重い償いを、軽くして今世に責め出しているのである。 これは、たとえば鉄を鍛錬するためにしっかりと鍛え打てば、内部に隠れていた傷が表面にあらわれて、本物の鋼へと鍛えられるようなものである。また、石は焼けば灰になるが、金は焼いて精錬すれば純金へと変わるのである。 英語で御書 Gosho in English Both of you have continued believing in the Lotus Sutra; thus you are now ridding yourselves of your grave offenses from the past. For example, the flaws in iron come to the surface when it is forged. Put into flames, a rock s...

生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ - It is better to live a single day with honor

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本文 人身は受けがたし 爪の上の土・人身は持ちがたし 草の上の露、 百二十まで持ちて 名を・くたして死せんよりは 生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ じんしん は うけがたし つめ の うえ の つち・じんしん は もちがたし くさ の うえ の つゆ、 ひゃく にじゅう まで もちて な を くたして し せん より は いきて いちにち なりとも な を あげん こと こそ たいせつ なれ JINSHIN WA UKEGATASHI TSUME NO UE NO TSUCHI・JINSHIN WA TAMOCHI GATASHI KUSA NO UE NO TSUYU, HYAKUNIJŪ MADE MOCHITE NA WO・KUTASHITE SHI SEN YORI WA IKITE ICHINICHI NARITOMO NA WO AGEN KOTO KOSO TAISETSU NARE 崇峻天皇御書 すしゅんてんのうごしょ SUSHUN TEN-NŌ GOSHO [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ SAN-SHU ZAIHŌ GOSHO (1173頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 人間として生まれてくることは難しいことであって、爪の上に乗っているわずかな土のようにまれである。また、人間として生まれたとしてもその身を持つことは難しく、草の上に乗っている朝露がすぐに蒸発してしまうようにはかない。 たとえ120歳まで身を持ったとしても、悪い評判を残して死ぬよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である。 英語で御書 Gosho in English It is rare to be born a human being. The number of those endowed with human life is as small as the amount of earth one can place on a fingernail. Life as a human being is hard to sustain—as hard as it is for the dew to remain on the grass. B...

弥はげませ給うべし懈ることなかれ - Strive ever harder in faith, and never give in to negligence.

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本文 弥 はげませ給うべし 懈ることなかれ、 皆 人の此の経を信じ始むる時は 信心有る様に見え候が・中程は 信心も よはく 僧をも恭敬せず 供養をも なさず・自慢して悪見をなす、これ恐るべし恐るべし、 始より終りまで 弥 信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん いよいよ はげませ たもうべし おこたる こと なかれ、みな ひとの この きょうを しんじはじむる ときは しんじん あるように みえ そうろうが・なかほどは しんじんも よわく そう をも きょうけいせず くようも なさず・じまんして あっけんを なす、これ おそるべし おそるべし、 はじまりより おわりまで いよいよ しんじんを いたすべし・さなくして こうかいや あらんずらん IYOIYO HAGEMASE TAMOU BESHI OKOTARU KOTO NAKARE, MINA HITO NO KONO KYO WO SHINJI HAJIMURU TOKI WA SHINJIN ARU YOU NI MIE SŌRŌ GA・NAKAHODO WA SHINJIN MO YOWAKU SŌ WOMO KYŌKEI SEZU KUYŌ MO NASAZU・JIMAN SHITE AK'KEN WO NASU, KORE OSORUBESHI OSORUBESHI, HAJIMARI YORI OWARI MADE IYOIYO SHINJIN WO ITASUBESHI・SANAKUSHITE KOUKAI YA ARANZURAN 新池御書 にいけごしょ NIIKE GOSHO (1440頁)  弘安3年2月 (1280年) 通解(意訳) さらに信心に励んでいき、怠ることがあってはならない。 皆、人がこの法華経を信じはじめる時は、信心がある様に見えるが、時が経って信心が深まる途中になると、信心も弱まり、僧侶(信心の先輩、同志)も敬うこともせず、御本尊へのご供養や、困った同志を助ける心も忘れ、慢心を起こして邪悪な考えを起こしてしまうものである。 これは大変に恐るべきことである。 始めから終りまで、いよいよ信心を深めて貫くべきである。そうでなければ後悔するであろう。 英語で御書 Gosho ...

一生はゆめの上・明日をごせず - This life is like a dream. One cannot be sure that one will live until tomorrow.

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本文 一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず いっしょう は ゆめ の うえ・あす を ご せず・いかなる こつじき には・なるとも ほけきょう に きず を つけ たもう べからず IS'SHO WA YUME NO UE・ASU WO GO SEZU・IKANARU KOTSUJIKI NIWA・NARUTOMO HOKEKYO NI KIZU WO TSUKE TAMOU BEKARAZU 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ SHIJŌ KINGO DONO GOHENJI [不可惜所領事] ふかしゃくしょりょうのこと FUKSHAKU SHORYŌ NO KOTO (1163頁) 建治3年7月 (1277年) 通解(意訳) 一生は夢の上の出来事のように、はかないものであり、明日の命があるか分からない。 たとえどのような乞食になったとしても、あなた自身の信心に傷をつけてはならない。 英語で御書 Gosho in English This life is like a dream. One cannot be sure that one will live until tomorrow. However wretched a beggar you might become, never disgrace the Lotus Sutra.  " A Warning against Begrudging One’s Fief " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 824 in July, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず IS'SHO WA YUME NO UE・ASU WO GO SEZU・IKANARU KOTSUJIKI NIWA・NARUTOMO HOKEKYO NI KIZU WO TSUKE TAM...

我等は穢土に候へども心は霊山に住べし - Though we live in the impure land, our hearts reside in the pure land of Eagle Peak.

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本文 御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、 仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、 御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ おんみ は さど の くに に おわせども こころ は この くに に きたれり、 ほとけ に なる みち も かく の ごとし、われら は えど に そうらえども こころ は りょうぜん に すむ べし、 おかお を みては なにかせん こころ こそ たいせつ に そうらえ ON MI WA SADO NO KUNI NI OWASEDOMO KOKORO WA KONO KUNI NI KITARERI, HOTOKE NI NARU MICHI MO MATA KAKU NO GOTOSHI, WARERA WA EDO NI SŌRAEDOMO KOKORO WA RYŌZEN NI SUMU BESHI, OKAO WO MITEWA NANIKASEN KOKORO KOSO TAISETSU NI SŌRAE 千日尼御前御返事 せんにちあまごぜんごへんじ SEN-NICHI AMA GOZEN GOHENJI [雷門鼓御書] らいもんのつづみごしょ RAIMON NO TSUZUMI GOSHO (1316頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 天の月ははるか遠くに離れているけれども、月が上れば大地の池にはすぐに影が浮かび、雷門の鼓は万里の遠くにあっても打てばすぐに聞こえる。あなたの身体は佐渡の国にいらっしゃるけれども、心はこの国に来られている。 仏に成る道もこのような事である。我等は穢土に住んではいるが、心は霊山浄土に住んでいる。お顔だけを拝見したからといって、なんになるだろう。 遠く離れていても、求道心あふれる心こそ大切なのである。 英語で御書 Gosho in English Though you remain in Sado, your heart has come to this province. The way of attaining Buddhahood is just like this. Though we live in the impure land...

心の師とはなるとも心を師とすべからず - one should become the master of one’s mind rather than let one’s mind master oneself.

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本文 相構へ相構へて 心の師とはなるとも 心を師とすべからず と 仏は記し給ひしなり、 法華経の御為に 身をも捨て 命をも惜まざれ と 強盛に申せしは 是なり あいかまえ あいかまえて こころ の し とは なる とも こころ を し と すべからず と ほとけ は しるし たまいし なり、 ほけきょう の おん ために み をも すて いのち をも おしまざれ と ごうじょう に もうせし はこれなり AI KAMAE  AI KAMAETE KOKORO NO SHI TOWA NARUTUMO KOKORO WO SHI TO SUBEKARAZU TO HOTOKE WA SHIRUSHI TAMAISHI NARI, HOKEKYO NO ON-TAME NI MI WOMO SUTE KOKORO WOMO OSHIMAZARE TO GOUJOU NI MOUSESHI WA KORE NARI 義浄房御書 ぎじょうぼうごしょ GIJŌBŌ GOSHO [己心仏界抄] こしんぶっかいしょう KOSHIN BUK'KAI SHŌ (892頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) よくよく心して、揺らぎやすい自身の心を、師匠の教え通りに自身の心とはしても、自分のわがままな心や臆病な心など、自分の心を師匠としてはならない、と釈尊は経文に記されている。 「法華経のためには身をも捨て、命をも惜しまないように」と強盛に教えてきたのは、このことである。 この師匠の教えの通りに実践するのが本当の弟子であり、本当の師弟である。 英語で御書 Gosho in English The Buddha wrote that one should become the master of one’s mind rather than let one’s mind master oneself. This is what I mean when I emphatically urge you to give up even your body, and never begrudge even your life for the sake of the Lotu...

白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり - The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo.

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本文 白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、 この声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし はくばの なくは われらが なんみょうほうれんげきょうの こえなり、 この こえを きかせたもう ぼんてん・たいしゃく・にちがつ・してんとう いかでか いろを まし ひかりを さかんに なし たまわざるべき、いかでか われらを しゅごし たまわざるべき と・つよづよと・おぼしめすべし HAKUBA NO NAKU WA WARERA GA NAM-MYOHO-RENGE-KYO NO KOE NARI, KONO KOE WO KIKASETAMOU BONTEN・TAISHAKU・NICHIGATSU・SHITEN-TOU・IKADEA IRO WO MASHI HIKARI WO SAKAN NI NASHITAMAWAZARU BEKI, IKADEKA WARERA WO SHUGO SHI TAMAWAZARU BEKI TO・TSUYOZUYO TO・OBOSHIMESU BESHI 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ SOYA DONO GOHENJI [輪陀王御書] りんだおうごしょ RINDA Ō GOSHO (1065頁) 弘安2年8月 (1279年) 通解(意訳) 白馬がいななくのは、私達の南無妙法蓮華経の声である。 この唱題の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天等など(諸天善神)が、どうして色つやを増し、威光を強くされないことがあろうか。どうして我等を守護しないわけがあろうかと、強く強く思っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo. When Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, the four heavenly kings, and the others hear this sound, how coul...

一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う - All benefits clustered together make up the character myō.

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本文 此の妙の字は 仏にて おはし候なり、 又 此の妙の文字は 月なり 日なり 星なり かがみなり 衣なり 食なり 花なり 大地なり 大海なり、 一切の功徳を合せて 妙の文字と ならせ給う、 又は 如意宝珠の たまなり この みょう の じ は ほとけ にて おわし そうろう なり、 また この みょう の もじ は つき なり ひ なり ほし なり かがみ なり ころも なり しょく なり はな なり だいち なり たいかい なり、 いっさい の くどく を あわせて みょう の もじ と ならせ たもう、 また は にょい ほうじゅ の たま なり KONO MYO NO JI WA HOTOKE NITE OWASHI SŌRŌ NARI, MATA KONO MYO NO MOJI WA TSUKI NARI HI NARI HOSHI NARI KAGAMI NARI SHOKU NARI HANA NARI DAICHI NARI TAIKAI NARI, IS'SAI NO KUDOKU WO AWASETE MYO NO MOJI TO NARASE TAMOU,  MATA WA NYO-I-HŌ-SHU NO TAMA NARI 妙心尼御前御返事 みょうしんあまごぜんごへんじ MY ŌSHIN AMA GOZEN GOHENJI (1484頁) 弘安3年5月4日 (1280年) 通解(意訳) この妙の文字は仏にてあらせられる。 また、この妙の文字は月であり、太陽であり、星であり、鏡であり、衣であり、花であり、大地であり、大海であり、一切の功徳を合わせて妙の文字となられたのである。 または、如意宝珠(にょい ほうしゅ、意のままに様々な宝を出す取り出すことができるという宝玉)の珠である。 英語で御書 Gosho in English This character myō is itself a Buddha. Furthermore, this character myō is the moon, it is the sun, it is the stars, it is a mirror, it is garments, it is food,...

法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し - Since the Law is wonderful, the person is worthy of respect; since the person is worthy of respect, the land is sacred.

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本文 法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、 法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊しと申すは是なり ほけきょう の ぎょうじゃ の すみか なれば・いかでか りょうぜん じょうど に おとる べき、 ほう みょう なる が ゆえに ひと とうとし・ひと とうとき が ゆえに ところ とうとし と もうす は これ なり HOKEKYO NO GYŌJA NO SUMIKA NAREBA・IKADEKA RYŌZEN JŌDŌ NI OTORU BEKI, HŌ MYO NARU GA YUE NI HITO TOUTOSHI・HITO TOUTOKI GA YUE NI TOKORO TOUTOSHI TO MOUSU WA KORE NARI 南条殿御返事 なんじょうどのごへんじ NANJŌ DONO GOHENJI [法妙人貴事] ほうみょうにんきのこと HŌ-MYO NINKI NO KOTO (1578頁) 弘安4年9月 (1281年) 通解(意訳) 法華経の行者が住んでいる処であれば、どうして霊山浄土に劣ることがあろうか。 法華文句に「法が妙であるゆえに、その法を持った人は貴い。人が貴いがゆえに、その人の居る場所も尊い」と申してあるのは、このことである。 英語で御書 Gosho in English This mountain is where this wondrous votary of the Lotus Sutra dwells, how can it be any less sacred than the pure land of Eagle Peak? This is what [The Words and Phrases of the Lotus Sutra means when] it says, “Since the Law is wonderful, the person is worthy of respect; since the person is worthy of respect, the land is sacred.” " The Person and the Law "...

天晴れぬれば地明かなり - When the skies are clear, the ground is illuminated.

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本文 天 晴れぬれば 地 明かなり 法華を識る者は 世法を得可きか てん はれぬれば ち あきらか なり ほっけ を しる もの は せほう を う べきか TEN HARE NURE BA CHI AKIRAKA NARI HOKKE WO SHIRU MONO WA SEHŌ WO U BEKI KA 観心本尊抄 かんじんのほんぞんしょう KANJIN NO HONZON SHŌ [如来滅後五五百歳始観心本尊抄] にょらいめつご ご ごひゃくさい に はじむ かんじん の ほんぞんしょう NYORAI-METSUGO GO GOHYAKUSAI NI HAJIMU KANJIN NO HONZON SHŌ (246頁) 文永10年4月 (1272年) 通解(意訳) 天が晴れるならば、大地は明るくなる。太陽の光に従って大地が明るくなるように、法華経を識る者は、世の中の道理と仏法の法理がかけ離れていないこと(世法=仏法即社会)を、自ら明らかに知ることができて、自身の使命を果たし、実証を示すことに目覚めることができるであろう。 英語で御書 Gosho in English When the skies are clear, the ground is illuminated. Similarly, when one knows the Lotus Sutra, one understands the meaning of all worldly affairs. " The Object of Devotion for Observing the Mind Established in the Fifth Five-Hundred-Year Period  after the Thus Come One’s Passing " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 376 in April, 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 天 晴れぬれば 地 明かなり 法華を識る者は 世...

南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや - Nam-myoho-renge-kyo is like the roar of a lion. What sickness can therefore be an obstacle?

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本文 南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや、 鬼子母神・十羅刹女・法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり なんみょうほうれんげきょう は ししく の ごとし・いかなる やまい さわり を なす べきや、 きしぼじん・じゅうらせつにょ・ほけきょう の だいもく を たもつ もの を しゅご すべし と みえたり NAM-MYOHO-RENGE-KYO WA SHISHI-KU NO GOTOSHI・IKANARU YAMAI SAWARI WO NASUBEKIYA, KISHIBOJIN・JŪRASETSUNYO・HOKEKYO NO DAIMOKU WO TAMOTU MONO WO SHUGO SUBESHI TO MIETARI 経王殿御返事 きょうおうどのごへんじ KYŌ-Ō DONO GOHENJI (1124頁) 文永10年8月 (1273年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、成仏への障りをなすことができようか。鬼女母神や十羅刹女などの諸天善神が、法華経の題目を持つ者を守護すると、経文には書かれているのである 英語で御書 Gosho in English Nam-myoho-renge-kyo is like the roar of a lion. What sickness can therefore be an obstacle? It is written that those who embrace the daimoku of the Lotus Sutra will be protected by the Mother of Demon Children and by the ten demon daughters.  " Reply to Kyō’ō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 412 in August, 1273 [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる...

二人一同の儀は車の二つのわの如し鳥の二つの羽のごとし - The fact that the two of you are one in mind may be likened to the two wheels of a carriage, or the two wings of a bird.

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本文 二人一同の儀は 車の二つのわの如し 鳥の二つの羽のごとし、 設い 妻子等の 中の たがわせ給うとも 二人の御中・不和なるべからず、 恐れ候へども 日蓮を たいとし と をもひあわせ給へ ふたり いちどうの ぎは くるまの ふたつの わの ごとし とりの ふたつの はねの ごとし、 たとい さいし とうの なかの たがわせ たもうとも ふたりの おんなか・ふわ なる べからず、 おそれ そうらへども にちれんを たいとしと おもい あわせ たまえ FUTARI ICHIDŌ GI WA KURUMA NO FUTATSU NO WA NO GOTOSHI TORI NO FUTATSU NO HANE NO GOTOSHI, TATOI SAISHI TŌ NO NAKA NO TAGAWASE TAMOU TOMO FUTARI NO ON-NAKA・FUWA NARU BEKARAZU, OSORE SŌRAE DOMO NICHIREN WO TAITOSHI TO OMOI AWASE TAMAE 兵衛志殿御返事 ひょうえのさかんどのごへんじ HYŌ-E-NO-SAKAN DONO GOHENJI [兄弟同心御書] きょうだい どうしん ごしょ KYŌDAI DŌSHIN GOSHO (1108頁) 弘安3年11月 (1280年) 通解(意訳) あなた方二人が団結した姿は、ちょうど車の両輪のごとく、また鳥の二つの翼のようなものである。 たとえ、あなた方の妻子同士が仲違いするようなことがあっても、兄弟二人の仲は不和になってはならない。 恐れ多いことではあるけれども、日蓮のことを尊いと思って、お互い心を合わせていきなさい。 英語で御書 Gosho in English The fact that the two of you are one in mind may be likened to the two wheels of a carriage, or the two wings of a bird. Though your wives and children may have their disagreements, there shou...

此の度仏法を心みよ - Test the truth of Buddhism now!

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本文 我が 弟子等 心みに 法華経の ごとく 身命も おしまず 修行して 此の度 仏法を 心みよ わが でしら こころみに ほけきょうの ごとく しんみょうも おしまず しゅぎょうして このたび ぶっぽうを こころみよ WAGA DESHIRA KOKOROMI NI HOKEKYO NO GOTOKU SHIN-MYŌ MO OSHIMAZU SHUGYŌ SHITE KONO TABI BUPPŌ WO KOKOROMIYO 撰時抄 せんじしょう SENJI SHŌ (287頁) 建治元年4月 (1275年) 通解(意訳) 我が弟子達よ、試みに法華経のとおり身命もおしまず修行して、このたび仏法を試してみなさい。 英語で御書 Gosho in English I say to you, my disciples, try practicing as the Lotus Sutra teaches, exerting yourselves without begrudging your lives! Test the truth of Buddhism now! " The Selection of the Time " "The Writings of Nichiren Daishonin",  Vol.1, p. 583 - 584 April, 1275. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 我が 弟子等 心みに 法華経の ごとく 身命も おしまず 修行して 此の度 仏法を 心みよ WAGA DESHIRA KOKOROMI NI HOKEKYO NO GOTOKU SHIN-MYŌ MO OSHIMAZU SHUGYŌ SHITE KONO TABI BUPPŌ WO KOKOROMIYO 撰時抄 SENJI SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" ...

只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり - The Gohonzon exists only within the mortal flesh of us ordinary people who embrace the Lotus Sutra and chant Nam-myoho-renge-kyo.

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本文 此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只 我れ等 衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団に おはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり この ごほんぞん まったく よそ に もとむる こと なかれ・ただ われら しゅじょう の ほけきょう を たもちて なんみょうほうれんげきょう と となうる きょうちゅう の にくだん に おわします なり、これ を く しき しん のう しん にょ の みやこ とは もうすなり KONO GOHONZON MAT'TAKU YOSO NI MOTOMURU KOTO NAKARE・TADA WARERA SHUJŌ NO HOKEKYO WO TAMOCHITE NAM-MYOHO-RENGE-KYO TO TONAURU KYŌCHŪ NO NIKUDAN NI OWASHIMASU NARI、KORE WO KUSHIKI-SHIN-NYO-SHIN-NYO NO MIYAKO TOWA MŌSU NARI 日女御前御返事 にちにょごぜんごへんじ NICHINYO GOZEN GOHENJI [御本尊相貌抄] ごほんぞんそうみょうしょう GOHONZON SŌMYŌ SHŌ (1244頁) 建治3年8月 (1277年) 通解(意訳) この御本尊を決して別の所に求めてはならない。ただ、われわれ衆生が法華経を信受して、南無妙法蓮華経と唱える、自身の胸中の肉団にいらっしゃるのである。これを「九識心王真如の都」(自身の奥底にある、絶対的幸福の生命の都)というのである。 英語で御書 Gosho in English Never seek this Gohonzon outside yourself. The Gohonzon exists only within the mortal flesh of us ordinary people who embrace the Lotus Sutra and chant Nam-myoho-renge-kyo. The body is the palace of the ninth consciousness, the unchanging reality that ...