難来るを以て安楽と意得可きなり - Difficulties will arise, and these are to be looked on as “peaceful” practices.
本文 末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり まっぽうに おいて いま にちれんらの たぐいの しゅぎょうは みょうほうれんげきょうを しゅぎょうするに なん きたるを もって あんらくと こころうべきなり 御義口伝 おんぎくでん 安楽行品 五箇の大事 あんらくぎょうぼん ごかのだいじ 第一 安楽行品の事 だいいち あんらくぎょうぼんのこと (750頁) 通解(意訳) 末法において、日蓮とその門下の修行とは、南無妙法蓮華経の題目を自分も唱え、他人にも妙法の素晴らしさを語り、題目を勧めていく「折伏行」であり、仏法対話である。 この折伏行の時に、様々な難が競い起きてくることで、自己の境涯を高めるための試練であり、これを乗り越える事で自己が鍛えられ、何事にも動じない「安楽な境涯を得る事ができる」と心得るべきである。 英語で御書 Gosho in English Concerning the “peaceful” practices of the Lotus Sutra of the Wonderful Law and the practices carried out by Nichiren and his followers now in the Latter Day of the Law, you should understand that, when one practices the Lotus Sutra under such circumstances, difficulties will arise, and these are to be looked on as “peaceful” practices. ==================================== Peaceful Practices Five important points Point One, concerning the “Peaceful Practices” chapter. "The Record of The Orally Transmitted Teachings" Part 1, 115 ==================================== [ ...