心の師とはなるとも心を師とすべからず - one should become the master of one’s mind rather than let one’s mind master oneself.



本文
相構へ相構へて 心の師とはなるとも 心を師とすべからず と 仏は記し給ひしなり、
法華経の御為に 身をも捨て 命をも惜まざれ と 強盛に申せしは 是なり
あいかまえ あいかまえて こころ の し とは なる とも こころ を し と すべからず と ほとけ は しるし たまいし なり、
ほけきょう の おん ために み をも すて いのち をも おしまざれ と ごうじょう に もうせし はこれなり
義浄房御書
ぎじょうぼうごしょ
[己心仏界抄]
こしんぶっかいしょう
(892頁)
文永10年5月
(1273年)
通解(意訳)
よくよく心して、揺らぎやすい自身の心を、師匠の教え通りに自身の心とはしても、自分のわがままな心や臆病な心など、自分の心を師匠としてはならない、と釈尊は経文に記されている。
「法華経のためには身をも捨て、命をも惜しまないように」と強盛に教えてきたのは、このことである。
この師匠の教えの通りに実践するのが本当の弟子であり、本当の師弟である。

英語で御書
Gosho in English
The Buddha wrote that one should become the master of one’s mind rather than let one’s mind master oneself.
This is what I mean when I emphatically urge you to give up even your body, and never begrudge even your life for the sake of the Lotus Sutra.
" Letter to Gijō-bō "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 390
in May, 1273.
[ --- ] is liberal translation.
Gosho in Japanese
相構へ 相構へて 心 の 師 とは なるとも 心 を 師 と すべからず と 仏 は 記し 給ひし なり、
法華経 の 御為 に 身 をも 捨て 命 をも 惜まざれ と 強盛 に 申せし は 是 なり
AI KAMAE  AI KAMAETE KOKORO NO SHI TOWA NARUTUMO KOKORO WO SHI TO SUBEKARAZU TO HOTOKE WA SHIRUSHI TAMAISHI NARI,
HOKEKYO NO ON-TAME NI MI WOMO SUTE KOKORO WOMO OSHIMAZARE TO GŌJŌ NI MOUSESHI WA KORE NARI
義浄房 御書
GIJŌBŌ GOSHO
[己心 仏界 抄]
KOSHIN BUK'KAI SHŌ
参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」
「御書をひもとく」
「英語で学ぶ御書」
第三文明社
Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin"
"The Record of The Orally Transmitted Teachings"

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