南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし - So long as he chants Nam-myoho-renge-kyo, they will invariably protect him.
本文
行者は 必ず 不実なりとも・智慧は をろかなりとも・身は 不浄なりとも・戒徳は 備へずとも・南無妙法蓮華経と申さば 必ず 守護し給うべし
ぎょうじゃ は かならず ふじつ なり とも・ちしゃ は おろか なり とも・み は ふじょう なり とも・かいとく は そなえず とも・なんみょうほうれんげきょう と もうさば かならず しゅご し たもうべし
祈祷抄
きとうしょう
(1352頁)
文永9年
(1272年)
通解(意訳)
もし行者であるかは真実でないにしても、智慧は愚かであっても、身は不浄であっても、戒徳は備えていなくても、ただ南無妙法蓮華経とならば、必ず諸天善神から守護されるべきである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
It makes no difference if the practitioner [ of the Lotus Sutra] himself is lacking in worth, defective in wisdom, impure in his person, and lacking in virtue derived from observing the precepts. So long as he chants Nam-myoho-renge-kyo, they will invariably protect [ by the Goodness of the Gods] him.
" On Player "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 345
Unclear Month, 1272.
[ --- ] is liberal translation.Gosho in Japanese
行者は 必ず 不実なりとも・智慧は をろかなりとも・身は 不浄なりとも・戒徳は 備へずとも・南無妙法蓮華経と申さば 必ず 守護し給うべし
GYŌJA WA KANARAZU FUJITSU NARITOMO・CHIE WA OROKA NARITOMO・MI WA FUJŌ NARITOMO・KAITOKU WA SONAEZU TOMO・NAM-MYOHO-RENGE-KYO TO MŌSABA KANARAZU SHUGO SHI TAMOU BESHI
祈祷抄
KITŌ SHŌ
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