「衆生所遊楽」 - “. . . Where living beings enjoy themselves at ease.”
本文
一切衆生 南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり
経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文あに自受法楽にあらずや
いっさいしゅじょう なんみょうほうれんげきょう と となうる より ほか の ゆうらく なきなり
きょう に いわく「しゅじょうしょゆうらく」うんぬん、この ぶん あに じじゅほうらく に あらずや
四条金吾殿御返事
しじょうきんごどのごへんじ
[衆生所遊楽御書]
しゅじょうしょゆうらくごしょ
(1143頁)
建治2年6月
(1276年)
通解(意訳)
一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱える以外の遊楽はないのである。法華経如来受量品第十六にある「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所なり)」との、この一文は「自受法楽」のことではないか。
人生の途上において起こる様々な苦難を自ら受け止め、自身の胸中に厳然と存在する妙法の力を、南無妙法蓮華経の題目で自由自在に発揮し、悠々と、「絶対的幸福」の境涯で、今世の人生を楽しく乗り越えていく生き方である。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
There is no true happiness for human beings other than chanting Nam-myoho-renge-kyo. The sutra reads, “. . . where living beings enjoy themselves at ease.”
How could this passage mean anything but the boundless joy of the Law?
" Happiness in This World "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 681
in June, 1276.
[ --- ] is liberal translation.By chanting the DAIMOKU of Nam-Myoho-Renge-Kyo, you can accept the various pains from yourself that occur in the course of your life, and you can freely demonstrate for the power of the Myoho which exists in yourself.
This is way of life that overcome the life of this world happily in the logical of "The Absolute happiness."
and it is the just Nichiren Buddhism.
Gosho in Japanese
一切衆生 南無妙法蓮華経 と 唱うる より 外 の 遊楽 なき なり
経 に 云く「衆生 所 遊楽」云云、此 の 文 あに 自受法楽 に あらずや
IS'SAI-SHUJŌ NAM-MYOHO-RENGE-KYO TO TONAURU YORI HOKA NO YŪRAKU NAKI NARI
KYO NI IWAKU 「SHUJŌ-SHO-YŪRAKU」UN-NUN, KONO BUN ANI JIJU-HŌRAKU NI ARAZUYA
四条 金吾 殿 御返事
SHIJŌ KINGO DONO GOHENJI
[衆生 所 遊楽 御書]
SHUJŌ-SHO-YŪRAKU GOSHO
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