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7月, 2021の投稿を表示しています

今生の名聞・後世の弄引 - Only glory that you need seek in your present lifetime, and is the action that will draw you toward Buddhahood in your next existence

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本文 願くは「現世安穏・後生善処」の妙法を持つのみこそ 只 今生の 名聞・後世の弄引なるべけれ 須く 心を一にして 南無妙法蓮華経と 我も唱へ 他をも 勧んのみこそ 今生人界の 思出 なるべき ねがわく は「げんせ あんのん・ごしょう ぜんしょ」の みょうほうを たもつ のみ こそ ただ こんじょうの みょうもん・ごせ の ろういん なるべけれ すべからく こころ を いつ に して なんみょうほうれんげきょう と われも となえ た をも すすめん のみ こそ こんじょう にんかい の おもいで なるべき 持妙法華問答抄 じみょうほっけもんどうしょう (467頁) 弘長3年 (1263年) 通解(意訳) 願くは「現世は安穏であり、後生は善処に生れる」と仰せの妙法を持つことのみが、ただ今世での真の名誉であり、未来世では成仏の手引きとなるのである。是非とも心を定めて、南無妙法蓮華経と真剣に祈り、勇気を持って他人にも勧めることが、人間として今生に生まれてきた思い出となるのである。 人生最高の思い出 「この世に生まれて、一体何人の人を幸福にしたか。 何人の人に『あなたのおかげで私は救われた』と言われる貢献ができたか。 人生、最期に残るのは、最期の生命を飾るのは、それではないだろうか。」 -池田大作 英語で御書 Gosho in English I pray that you will embrace the Mystic Law, which guarantees that people “will enjoy peace and security in their present existence and good circumstances in future existences.” This is the only glory that you need seek in your present lifetime, and is the action that will draw you toward Buddhahood in your next existence. Single-mindedly chant Nam-myoho-renge-kyo and urge others to do the same; th...

法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり - I was the first to reveal as the banner of propagation of the Lotus Sutra

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本文 爰に日蓮 いかなる不思議にてや候らん 竜樹 天親等・天台 妙楽等だにも 顕し給はざる大曼荼羅を・ 末法 二百余年の比 はじめて法華弘通のはたじるしとして 顕し奉るなり、 是 全く日蓮が自作にあらず 多宝塔中の大牟尼世尊 分身の諸仏 すりかたぎたる 本尊なり ここ に にちれん いかなる ふしぎ にてや そうらん りゅうじゅ てん しん とう・てんだい みょうらく とう だにも あらわし たまわざる だいまんだら を・ まっぽう にひゃくよねん の ころ はじめて ほっけぐつう の はたじるし と して あらわし たてまつる なり、 これ まったく にちれん が じさ に あらず たほうとうちゅう の だい むに せそん ぶんしん の しょぶつ すり かたぎたる ほんぞん なり 日女御前御返事 にちにょごぜんごへんじ [御本尊相貌抄] ごほんぞんしょうみょうそう (1243頁) 建治3年8月 (1277年) 通解(意訳) ここに、日蓮はどういう不思議であろうか、正法時代の竜樹・天親等・像法時代の天台・妙楽等でさえ、顕わす(あらわす)ことのなかった大曼荼羅を、末法にはいって二百余年を経たこの時に、初めて、法華弘通の旗印として顕わしたのである。 この大曼荼羅は、全く日蓮が勝手に作り出したものではなく、法華経に出現した多宝塔の中の釈迦牟尼仏、ならびに十方(全宇宙)の分身の諸仏のありさまを、まさに板木ですりあらわした御本尊なのである。 英語で御書 Gosho in English How wondrous it is that, around two hundred years and more into the Latter Day of the Law, I was the first to reveal as the banner of propagation of the Lotus Sutra this great mandala that even those such as Nāgārjuna and Vasubandhu, T’ien-t’ai and Miao-lo were unable to express. This mandala is in no way my invention. It is...

蘭室の友に交りて麻畝の性と成る - You have associated with a friend in the orchid room and have become as straight as mugwort growing among hemp.

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本文 鳩 化して鷹と為り 雀 変じて蛤と為る、悦しきかな 汝 蘭室の友に交りて麻畝の性と成る はと け して たか と なり すずめ へんじて はまぐり と なる、よろこばしき かな なんじ らんしつ の とも に まじりて まほ の しょう と なる 立正安国論 りっしょうあんこくろん (31頁) 文応元年7月 (1260年) 通解(意訳) 古事に「鳩化して鷹となり、雀(福良雀という、雀(すずめ)の形のような貝)が変じて蛤(はまぐり)となる」とあるように、人は善き友(善知識)と交わることで、より善い人間になることができる。 悦ばしいことに、あなたは蘭室の友(蘭の香りのように人徳の薫り高い人)に交わって感化されて、蓬(よもぎ)のように曲がりがちな性格が、真っ直ぐに育つ麻畑の中に蓬が交わって正されたように、素直で真っ直ぐな性格になれた。 蘭室の友 「対話は、慈悲の香りが相手を包み込むようでありたい。 弘教は押しつけでもなければ、組織のためでもない。 弘教は、相手の仏界をを礼拝することだから、最高に相手を尊敬する行為なのです。(中略) 相手を論破しようとしたり、こちらの勢力に取り込もうとするような対立的な心で弘教するのではないのです。 」 - 池田大作 英語で御書 Gosho in English The dove has changed into a hawk, the sparrow into a clam. How gratifying! You have associated with a friend in the orchid room and have become as straight as mugwort growing among hemp. " On Establishing the Correct Teaching for the Peace of the Land " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 23 in July, 1260. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  You were in...

御面を見ては なにかせん心こそ大切に候へ - Merely seeing each other’s face would in itself be insignificant. It is the heart that is important.

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本文 天月は 四万由旬なれども 大地の池には 須臾に 影 浮び 雷門の鼓は 千万里 遠けれども 打ちては 須臾に聞ゆ、 御身は 佐渡の国に をはせども 心は 此の国に 来れり、 仏に成る道も 此くの如し、我等は 穢土に候へども 心は霊山に住べし、 御面を見ては なにかせん 心こそ大切に候へ てんげつ は よんまん ゆじゅん なれども だいち の いけ には しゅゆ に かげ うかび らいもん の つづみ は せんまん り とおけれども うち ては しゅゆ に きこゆ、 おんみ は さど の くに に おわせども こころ は この くに に きたれり、 ほとけ に なる みち も かく の ごとし、われら は えど に そうらえども こころ は りょうぜん に すむ べし、 おかお を みては なにかせん こころ こそ たいせつ に そうらえ 千日尼御前御返事 せんにちあまごぜんごへんじ [雷門鼓御書] らいもんのつづみごしょ (1316頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 天の月ははるか遠くに離れているけれども、月が上れば大地の池にはすぐに影が浮かび、雷門の鼓は万里の遠くにあっても打てばすぐに聞こえる。あなたの身体は佐渡の国にいらっしゃるけれども、心はこの国に来られている。 仏に成る道もこのような事である。我等は穢土に住んではいるが、心は霊山浄土に住んでいる。お顔だけを拝見したからといって、なんになるだろう。 遠く離れていても、求道心あふれる心こそ大切なのである。 英語で御書 Gosho in English Though the moon is forty thousand yojanas [ feet ] high in the heavens, its reflection appears instantly in a pond on earth; and the sound of the drum at the Gate of Thunder is immediately heard a thousand, ten thousand ri [ miles ] in the distance. Though you remain in Sado, your heart has come to this p...

一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ - You must not spend your lives in vain and regret it for ten thousand years to come.

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本文 我が門家は 夜は眠りを断ち 昼は暇を止めて 之を案ぜよ 一生空しく過して 万歳 悔ゆること勿れ わが もんけは よるは ねむりを たち ひるは いとまを とどめて これを あんぜよ いっしょう むなしく すごして ばんさい くゆること なかれ 富木殿御書 ときどのごしょ [止暇断眠御書] しかだんみんごしょ (970頁) 建治元年8月 (1275年) 通解(意訳) 我が門下生は、夜は眠りを断ち、昼は暇なく「今、広宣流布の為に自分に何ができるか」を思案しなさい。 一生を空しく過ごして、後生・万歳(来世以降・万年の歳月)に渡って、悔やしく思うようであってはならない。 英語で御書 Gosho in English In the light of the above points, this shows my followers, cut short your sleep by night and curtail your leisure by day and ponder this! You must not spend your lives in vain and regret it for ten thousand years to come. " The Problem to Be Pondered Night and Day " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 622 in Month, 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  "In the light of the above points" Meaning this phrase is  "What can I do now for spread the SGI Nichiren Buddhism, for Kosen-Rufu." Gosho in Japanese 我が 門家 は 夜 は 眠り を 断ち 昼 は 暇 を 止めて 之 を 案ぜよ 一生 空しく 過して 万歳 悔ゆる こと 勿れ...

釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ - Devadatta was the foremost good friend to the Thus Come One Shakyamuni.

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本文 釈迦如来の 御ためには 提婆達多こそ 第一の 善知識なれ、 今の世間を見るに 人を よくなすものは かたうどよりも 強敵が 人をば・よくなしけるなり しゃかにょらい の おんため には だいばだった こそ だいいち の ぜんちしき なれ、いま の せけん を みる に ひと を よく なす もの は かたうど よりも ごうてき が ひと をば・よく なしけるなり 種種御振舞御書 しゅじゅおふるまいごしょ [佐渡抄] さどしょう (917頁)  建治2年3月 (1276年) 通解(意訳) 釈迦如来にとっては、釈尊の弟子でありながら嫉妬に狂って退転し、釈尊を迫害した提婆達多こそが、釈尊の正しさを証明した第一の善知識ではなかったか。 今の世間を見ると、人をより良く成長させ、強くするものは、味方よりも強敵が人をよくしているのである。 英語で御書 Gosho in English Devadatta was the foremost good friend to the Thus Come One Shakyamuni. In this age as well, it is not one’s allies but one’s powerful enemies who assist one’s progress. " The Actions of the Votary of the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 765 in February, 1277. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Devadatta was disciple of the Shakyamuni-Buddha, but he had jealous and grudge against Shakyamuni-Buddha. But, the Shakyamuni-Buddha's correctness was proved by the Evil attitude of the Devadatta. I...

女人となる事は物に随って物を随える身なり - Women support others and thereby cause others to support them.

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本文 女人となる事は物に随って物を随える身なり にょにん と なる こと は もの に したがって もの を したがえる み なり 兄弟抄 きょうだいしょう (1088頁) 文永12年4月 (健治2年の説あり) (1275年又は1276年) 通解(意訳) 女性になるということは、物に従って、物を従える身となることである。 女性の特質として、相手に従いつつ、忍耐強く豊かな感性で、周囲と調和しながら全体を導いていく(従える)のである。 英語で御書 Gosho in English Women support others and thereby cause others to support them. " Letter to the Brothers " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 498 in April, 1275, or 1276. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  As a characteristic of woman, woman follow the other person with patience and abundant sensibilities, and guide the whole in harmony with the surroundings. Gosho in Japanese 女人 と なる 事 は 物 に 随って 物 を 随える 身 なり NYONIN TO NARU KOTO WA MONO NI SHITAGAT'TE MONO WO SHITAGAERU MI NARI 兄弟 抄 KYŌDAI-SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり - We may say that our head corresponds to myō, our throat to hō, our chest to ren, our stomach to ge, and our legs to kyō

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本文 我等が 頭は妙なり 喉は法なり 胸は蓮なり 胎は華なり 足は経なり 此の五尺の身 妙法蓮華経の五字なり われらが こうべはみょうなり のどはほうなり むねはれんなり はらはげなり あしはきょうなり このごしゃくのみ みょうほうれんげきょうのごじなり 御義口伝 おんぎくでん 方便品八箇の大事 ほうべんぽん はちかのだいじ 第三唯以一大事因縁の事 だいさん ゆいい いちだいじ いんねん の こと (761頁) 通解(意訳) 我等の頭は妙であり、喉は法であり、胸は蓮であり、胎は華であり、足は経である。 この我等の身体が妙法蓮華経の五字であり、妙法の当体なのである。 英語で御書 Gosho in English We may say that our head corresponds to myō, our throat to hō, our chest to ren, our stomach to ge, and our legs to kyō. Hence this five-foot body of ours constitutes the five characters of Myoho-renge-kyo. ==================================== Chapter Two: Expedient Means Eight important points Point Three, regarding the passage “Because the Buddhas,  the World-Honored Ones, appear in the world for one great reason (ichidaiji innen) alone.” "The Record of The Orally Transmitted Teachings" Part 1, p.27 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 我等 が 頭 は 妙 なり 喉 は 法 なり 胸 は 蓮 なり 胎 は 華 なり 足 は 経 なり 此の 五尺 ...

是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず時のしからしむる耳 - This is in no way because of Nichiren’s wisdom, but simply because the time makes it so.

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本文 極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、 是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず時のしからしむる耳 ごくらく ひゃくねん の しゅぎょう は えど の いちにち の くどく に およばず、しょうぞう にせんねん は まっぽう の いちじ に おとるか、 これ ひとえ に にちれん が ち の かしこき には・あらず とき の しからしむる のみ 報恩抄 ほうおんしょう (329頁)  建治2年7月 (1276年) 通解(意訳) 極楽百年の修行は、穢土の一日の功徳に及ばない。正像二千年の弘通は、末法の一時の弘通に劣るのである。 これはひとえに日蓮の智慧がすぐれているからではない。弘めるべき時がきたのみである。 英語で御書 Gosho in English A hundred years of practice in the Land of Perfect Bliss cannot compare to the benefit gained from one day’s practice in the impure world. Two thousand years of propagating Buddhism during the Former and Middle Days of the Law are inferior to an hour of propagation in the Latter Day of the Law. This is in no way because of Nichiren’s wisdom, but simply because the time makes it so. " On Repaying Debts of Gratitude " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 736 July, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 極楽 百年 の 修行 は 穢土 の 一日 の 功徳 に 及ばず、正像 二千年 の 弘通 は 末法 の 一時 に 劣るか、 是れ ひと...

御みやづかいを法華経とをぼしめせ - Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra.

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本文 御みやづかいを法華経とをぼしめせ、 「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり おん みやづかいを ほけきょうと おぼしめせ、 「いっさい せけんの ちせい さんぎょうは みな じっそうと あい いはい せず」とは これなり 檀越某御返事 だんおつぼうごへんじ (1295頁) 弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) あなたの仕事が、そのまま法華経の修行なのだと思いなさい。 法華経に「社会全般の政治・経済・産業・日常生活は皆、法華経と相反する事はない」と説かれているのは、このことである。 仕事も、日常生活も、すべてが法華経の教えの根本である「誠実な振る舞い」が基本となっているのである。   英語で御書 Gosho in English Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra. This is what is meant by “No worldly affairs of life or work are ever contrary to the true reality.” " Reply to a Believer " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 905 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Regard your work as the practice of the Lotus Sutra. Because the work and everyday life are all based on "The Behavior of sincerely" which is the basis of the Lotus Sutra. Gosho in Japanese 御 みやづかい を 法華経 と をぼしめせ、 「一切 世間 の 治生 産業 は 皆 実相 と 相 違背 せず」とは 此れ なり ON MIYAZUKAI WO HOKEKY...

疑う心なくば自然に仏界にいたるべし - If we do not harbor doubts in our hearts, we will as a matter of course attain Buddhahood.

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本文 我並びに我が弟子・諸難ありとも 疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、 天の加護なき事を疑はざれ 現世の安穏ならざる事をなげかざれ、 我が弟子に 朝夕 教えしかども・疑いを・をこして 皆すてけん つたなき者のならひは 約束せし事を・まことの時は わするるなるべし われ ならび に わが でし・しょなん ありとも うたがう こころ なくば じねん に ぶっかい に いたる べし、 てん の かご なき こと を うたがわざれ げんせ の あんのん ならざる こと を なげかざれ、 わが でし に ちょうせき おしえ しかども・うたがい を・おこして みな すてけん つたなき もの の ならい は やくそく せし こと を・まこと の とき は わするる なるべし 開目抄・下 かいもくしょう・げ [人本尊開顕書] にんほんぞんかいけんのしょ (234頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 我ならびに我が弟子達は、いかなる大難があろうとも、法華経を疑う心がなければ、自然に仏界を開く事ができるのである。 法華経を信受していても、諸天の加護がないといって、法華経の功力を疑ってはならない。また、現状が安穏でない事を嘆いてはならない。 我が弟子に朝に晩に、このことを教えてきたが、疑いを起こして、みな退転してしまったであろう。 愚か者の常として、約束したことを大事な時には忘れてしまうのである。 学会精神の根幹 「まことの時」に、決然と立ち上がり、迅速に戦えるかどうかが、一切の勝敗を決する -池田大作 英語で御書 Gosho in English Although I and my disciples may encounter various difficulties, if we do not harbor doubts in our hearts, we will as a matter of course attain Buddhahood. Do not have doubts simply because heaven does not lend you protection. Do not be discouraged because you do not enjoy an easy and secure exis...

譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し - This is similar to a tarnished mirror that will shine like a jewel when polished.

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本文 衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し 迷う時は衆生と名付け悟る時をば仏と名けたり、 譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、 只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり 是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、 深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし 何様にしてか磨くべき 只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是を磨くとは云うなり しゅじょうと いうも ほとけと いうも また かくの ごとし まよう ときは しゅじょうと なづけ さとる ときをば ほとけと なづけたり、 たとえば あんきょうも みがき ぬれば たまと みゆるが ごとし、 ただいまも いっしんむみょうの めいしんは みがかざる かがみなり これを みがかば かならず ほっしょうしんにょの みょうきょうと なるべし、 ふかく しんじんを おこして にちやちょうぼに また おこたらず みがくべし いかようにしてか みがくべき ただ なんみょうほうれんげきょうと となえたてまつるを これを みがくとは いうなり 一生成仏抄 いっしょうじょうぶつしょう (384頁) 建長7年 (1255年) 通解(意訳) 衆生といっても仏といっても、また同様に2つの隔てがあるわけではない。迷う時は衆生と名付け、悟った時には仏と名付けるのである。 たとえば、曇っている鏡であっても、磨けば玉のように見えるようなものである。 一念無明の迷信とは、今の悩みや苦しみ等によって迷っている心の状態であり、まだ磨いていない鏡のようなものである。この鏡を磨けば、必ず仏性という本来生命に備わっている仏の生命(法性真如:仏界)を開き、明るく輝く鏡となるのである。 深く信心を奮い起こして、日夜、朝夕に、また怠らずに磨いていきなさい。 では、どのように磨けばよいのか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これを(生命という鏡を)磨くというのである。 英語で御書 Gosho in English It is the same with a Buddha and an ordinary being. When deluded, one is called an ordinary being, but when enlightened, one is called a Buddha. This is similar to ...

然どもいまだこりず候 - But still I am not discouraged.

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本文 此法門を日蓮申す 故に 忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ 命にも及びしなり、然どもいまだこりず候 法華経は種の如く 仏はうへての如く 衆生は田の如くなり この ほうもん を にちれん もうす ゆえ に ちゅうげん みみ に さからう どうり なる が ゆえに るざい せられ いのち にも およびし なり、しかれども いまだ こりず そうろう、 ほけきょう は たね の ごとく ほとけ は うえて の ごとく しゅじょう は た の ごとく なり 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [成仏用心抄] じょうぶつようじんしょう (1056頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 法華経の法門を日蓮が申すゆえに、忠告は耳障りに聞こえるのが人間の道理でもあるから、流罪にされたり、命にも及んだのである。しかしながら、私はいまだに懲りていない。 法華経は種のようであり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである。 英語で御書 Gosho in English I have expounded this teaching [ of The Lotus Sutra ], I have been exiled and almost killed. As the saying goes, “Good advice grates on the ear.” But still I am not discouraged. The Lotus Sutra is like the seed, the Buddha like the sower, and the people like the field. " The Essentials for Attaining Buddhahood " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 748 in August, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 此 法門 を 日蓮 申す 故に 忠言 耳 に 逆う 道理 なる が 故 に 流罪 せられ 命 にも 及びし なり、 然ども いまだ こりず 候 法華経 は 種 の 如く 仏...

此のなみだ世間の事には非ず但偏に法華経の故なり - I shed my tears not for worldly affairs but solely for the sake of the Lotus Sutra.

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本文 鳥と虫とは なけども なみだ をちず、日蓮は・なかねども・なみだ ひまなし、 此のなみだ 世間の事には非ず 但 偏に法華経の故なり とりと むしとは なけども なみだ おちず、にちれんは・なかねども・なみだ ひまなし、 この なみだ せけん の こと には あらず ただ ひとえに ほけきょうの ゆえ なり 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1361頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 鳥と虫とは、泣くといっても涙を落とすことはない。日蓮は泣かないが涙がひまなく止まらないのである。しかしこの涙は世間の事を考えて流す涙ではない。ただ、ひとえに法華経を弘めゆく使命に目覚めたゆえの、歓喜の涙なのである。 英語で御書 Gosho in English Birds and crickets cry, but never shed tears. I, Nichiren, do not cry, but my tears flow ceaselessly. I shed my tears not for worldly affairs but solely for the sake of the Lotus Sutra. " The True Aspect of All Phenomena " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 386 in May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Nichiren's tears is for the pleasure and awakening to the his missions of propagating the Nam-myoho-renge-kyo. Gosho in Japanese 鳥 と 虫 とは なけども なみだ をちず、日蓮 は・なかねども・なみだ ひまなし、 此の なみだ 世間 の 事 には 非ず 但 偏に 法華経 の 故 なり TORI TO MUSHI TOWA NAKEDOMO NAMIDA OCHIZU...

末代幼稚の頚に懸けさしめ給う - With which he then adorned the necks of the ignorant people of the latter age.

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本文 一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み  末代幼稚の頚に懸けさしめ給う いちねんさんぜんを しらざるものには ほとけ・だいじひを おこし ごじのうちに このたまをつつみ まつだい ようちのくびに かけさせしめたもう 観心本尊抄 かんじんのほんぞんしょう [如来滅後五五百歳始観心本尊抄] にょらいめつご ご ごひゃくさい に はじむ かんじん の ほんぞんしょう [法本尊開顕の書] ほうほんぞんかいけんのしょ (254頁) 文永10年4月 (1272年) 通解(意訳) 一念三千の法理を知らない末法の衆生に対して、仏は大慈悲を起こし、妙法蓮華経の五字に一念三千の珠をつつみ、 仏の生命を大御本尊として曼荼羅に顕して、 末法の無知で幼いすべての衆生が、自身の仏の境涯を開くことができるようにして下さったのである。 英語で御書 Gosho in English Showing profound compassion for those unable to comprehend the gem of the doctrine of three thousand realms in a single moment of life, the Buddha wrapped it within the five characters [ of Myoho-renge-kyo ], with which he then adorned the necks of the ignorant people of the latter age. " The Object of Devotion for Observing the Mind  Established in the Fifth Five-Hundred-Year  Period  after the Thus Come One’s Passing " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 376 April, 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 一念三千 を 識らざる 者 には 仏・大慈...

賢者はよろこび愚者は退く - The wise will rejoice while the foolish will retreat.

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本文 凡夫の仏になる又かくのごとし、 必ず三障四魔と申す障いできたれば  賢者はよろこび愚者は退くこれなり ぼんぷのほとけになるまたかくのごとし、かならずさんしょうしまともうすさわりいできたればけんじゃはよろこびぐしゃはしりぞくこれなり 兵衛志殿御返事 ひょうえのさかんどのごへんじ [三障四魔事] さんしょうしまのこと (1091頁) 建治元年11月 (1275年) 通解(意訳) 凡夫が仏になる時も季節の変化などと同じように、必ず三障四魔という信心を妨げる変化が現れる。その時、信心で乗り越えようとする賢い者はこれを喜び、恐れて信心を捨てようとする愚か者は退いていくのである。 英語で御書 Gosho in English Something uncommon also occurs when an ordinary person attains Buddahood. At such a time, the three obstacles and four devils will invariably appear, and the wise will rejoice while the foolish will retreat. " The Three Obstacles and Four Devils " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 637 in November, 1275. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 凡夫 の 仏 に なる 又 かく の ごとし、必ず 三障四魔 と 申す 障 いで きたれば  賢者 は よろこび 愚者 は 退くこれ なり BONPU NO HOTOKE NI NARU MATA KAKU NO GOTOSHI,  KANARAZU SANSHŌ-SHIMA TO MOUSU SAWARI IDE KITAREBA KENJA WA YOROKOBI GUSHA WA SHIRIZOKU KORE NARI 兵衛志殿 御返事 HYO-E-NO-SAKAN-DONO GOHENJI [三障 四魔 事] SANSHŌ-SHIM...

未来の大苦をまねぎこして少苦に値うなり - Meeting minor sufferings in this life we can change the karma that destines us to suffer terribly in the future.

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本文 我等過去に正法を行じける者に・あだをなして・ありけるが今かへりて信受すれば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、 今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦をまねぎこして少苦に値うなり われら かこに しょうほうを ぎょうじけるものに・あだをなして・ありけるが いま かえりて しんじゅすれば かこに ひとをさわる つみにて みらいに だいじごくに おつべきが、 こんじょうに しょうほうを ぎょうずる くどく・ごうじょうなれば みらいの だいくを まねぎこして しょうくに あたうなり 兄弟抄 きょうだいしょう (1083頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) 我らは、過去世で正法(法華経)を修行していた者に対して怨をなしたのであるが、今世では反対に自分が正法を信受することになったので、過去世に法華経の行者の修行を妨げた罪により、本当は未来世に大地獄に堕ちるはずであったが、 今世に強盛に正法を行じているため、その功徳も強盛であるから、来世の大きな苦しみを今世に招きよせて、少さな苦しみに値う事で済んでいるのである。 英語で御書 Gosho in English We, who now believe in the correct teaching , in the past once committed the offense of persecuting  its practitioners, and therefore are destined to fall into a terrible hell in the future. The blessings gained by practicing the correct teaching, however, are so great that by meeting minor sufferings in this life we can change the karma that destines us to suffer terribly in the future. " Letter to the Brothers " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol...

十羅刹女の御計いにてぞ・あるらむと・ふかくたのませ給うべし - Due to the workings of the ten demon daughters, and wholeheartedly entrust yourself to them.

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本文 同くは・なげきたるけしきなくて此の状に・かきたるが・ごとく・すこしも・へつらはず振舞仰せあるべし、中中へつらふならば・あしかりなん、 設ひ所領をめされ追い出し給うとも十羅刹女の御計いにてぞ・あるらむと・ふかくたのませ給うべし おなじくは・なげきたる けしき なくて この じょう に・かきたるが・ごとく・すこしも・へつらわず ふるまい おおせ あるべし、なかなか へつらう ならば・あしかりなん、 たとい しょりょう を めされ おいだし たもう とも じゅうらせつにょ の おんはからい にてぞ・あるらん と・ふかく たのませ たもうべし 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [不可惜所領事] ふかしゃくしょしょりょうじ (1163~1164頁) 建治3年7月 (1277年) 通解(意訳) 同じ一生ならば、嘆いたような様子を見せずに、あなたがこの誓状に書かれた「決して退転しない」という強い決意のように、少しもへつらわず、今までのあなたの振舞い通りに、誠実に、堂々と振舞い、語っていきなさい。中途半端にへつらうようなことがあれば、かえって状況が悪くなるであろう。 たとえ所領を没収され、追い出されたとしても、それは諸天善神である十羅刹女の御計いであり、「必ず意味がある事だ」と、信心の眼で受け取って、より深く信心を奮い起こして、諸天にゆだねておきなさい。 英語で御書 Gosho in English Since it will be the same in any event, do not betray grief. Just as you have written in your letter, you must act and speak without the least servility.  If you try to curry favor, the situation will only worsen.  Even if your fiefs should be confiscated or you yourself driven out, you must think that it is due to the workings of the ten demon daughters, ...