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12月, 2024の投稿を表示しています

名聞名利は今生のかざり - Worldly fame and profit are mere baubles of your present existence

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本文 只須く 汝 仏にならんと思はば 慢の はたほこを たをし 忿りの 杖を すてて 偏に 一乗に 帰すべし、 名聞名利は 今生のかざり 我慢 偏執は 後生のほだしなり ただ すべからく なんじ ほとけ に ならん と おもわば まん の はたほこ を たおし いかり の つえ を すてて ひとえ に いちじょう に き すべし、 みょうもん みょうり は こんじょう の かざり がまん へんしゅう は ごしょう の ほだし なり 持妙法華問答抄 じみょうほっけもんどしょう (463頁) 弘長3年 (1263年) 通解(意訳) あなたがただ仏になろうと思うならば、傲慢な心という旗鉾(はたほこ)を倒し、怒りという杖を捨てて、ただひとえに、仏に成る事ができる唯一の法(一乗)である法華経に帰依すべきである。 世間の評判や名誉(名聞名利)は今生だけの飾りであり、それらに自惚れ、固執(我慢偏執)していても、来世には何の役にも立たず、ただ成仏への足かせにしかならないのである。 英語で御書 Gosho in English Now, if you wish to attain Buddhahood, you have only to lower the banner of your arrogance, cast aside the staff of your anger, and devote yourself exclusively to the one vehicle of the Lotus Sutra. Worldly fame and profit are mere baubles of your present existence, and arrogance and prejudice are ties that will fetter you in the next one. " Questions and Answers about Embracing the Lotus Sutra "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 58 to 59 in 1263. [ --- ] is liberal translati...

火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや - Doesn’t a fire burn more briskly when logs are added?

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本文 末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心 弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんに さかんなる事なかるべしや まっぽう には ほけきょう の ぎょうじゃ かならず しゅったい すべし、ただし だいなん きたり なば ごうじょう の しんじん いよいよ よろこび を なすべし、ひ に まき を くわえん に さかん なること なかるべしや 椎地四郎殿御書 しいじしろうどのごしょ [如度得船御書] にょととくせんごしょ [身軽法重死身弘法御書] しんきょうほうじゅうししんぐほうごしょ (1448頁) 弘長元年4月 (1261年) 通解(意訳) 末法には法華経の行者が必ず出現する。 ただし、大難が来たならば、さらに強盛に信心に励むことができると、これを喜びなさい。例えば、火に薪を加えれば、その火が増々さかんに燃え上がらない事があるだろうか。 英語で御書 Gosho in English In the Latter Day of the Law, the votary of the Lotus Sutra will appear without fail.  The greater the hardships befalling him, the greater the delight he feels,  because of his strong faith. Doesn’t a fire burn more briskly when logs are added? " A Ship to Cross the Sea of Suffering " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 33 in April, 1261. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 末法 には 法華経 の 行者 必ず 出来 すべし、 但し 大難 来りなば 強盛 の 信心 弥弥 悦び を なすべし、 火 に 薪 を くわへん に さかん なる 事 なかる べしや MAP'PO NIWA HOKEKYO NO GYŌJA KANARAZU SHUT'T...

一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり - I, Nichiren, am the first to embark on propagating, throughout Jambudvīpa

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本文 法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提に ひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、 わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし ほけきょう の かんじん・しょぶつ の がんもく たる みょうほうれんげきょう の ごじ・まっぽう の はじめ に いち えんぶだい に ひろまらせ たもう べき ずいそう に にちれん さきがけ したり、 わとうども にじん さんじん つづきて かしょう・あなん にも すぐれ てんだい・でんぎょう にも こえよかし 種種御振舞御書 しゅじゅおふるまいごしょ [佐渡抄] さどしょう (910~911頁)  建治2年3月 (1276年) 通解(意訳) 法華経の肝心であり・諸仏の眼目である妙法蓮華経の五字が、末法の始めに全世界に広まっていくきっかけとして、日蓮がその先駆を切った。わが門下一党の者も、二陣・三陣と日蓮に続いて正法を弘通して、法華経を伝えてきた先人達である、迦葉・阿難にも勝り、天台・伝教をも超えていきなさい。 英語で御書 Gosho in English Now, at the beginning of the Latter Day of the Law, I, Nichiren, am the first to embark on propagating, throughout Jambudvīpa, the five characters of Myoho-renge-kyo, which are the heart of the Lotus Sutra and the eye of all Buddhas. During the 2,220 or more years since the Buddha’s passing, not even  Mahākāshyapa, Ānanda, Ashvaghosha, Nāgārjuna, Nan-yüeh, T’ien-t’ai, Miao-lo, or Dengyō has propagated them. My disciples, form your ranks and follow me, and surpass even Mahākāshyapa ...

雨の猛きを見て竜の大なるを知り - By observing the fury of the rain, we can tell the greatness of the dragon that caused it

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本文 天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り花の盛なるを見て池の深きことを知る」等云云、 妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、 天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか。 てんだい いわく、「あめ の たけき を みて りゅう の だい なる を しり はな の さかん なる を みて いけ の ふかき こと を しる」とう うんぬん、みょうらく いわく、「ちじん は き を しり へび は みずから へび を しる」とう うんぬん、 てん はれぬれば ち あきらか なり ほっけ を しる もの は せほう を う べきか。 観心本尊抄 かんじんのほんぞんしょう [如来滅後五五百歳始観心本尊抄] にょらいめつごごごひゃくさいにはじむかんじんのほんぞんしょう (246頁) 文永10年4月 (1272年) 通解(意訳) 天台大師は「雨が猛々しく降る現証を見て、雨を降らせる言われている、竜の力の偉大なることを知り、蓮華の花が大きく咲き盛なっている様子を見て、その池の深いことを知る」等と言い、妙楽大師は「智人は将来起こるべきことを知り、蛇は自ら蛇の本質を知っている」等と言っている。 天が晴れるならば、大地は明るくなる。太陽の光に従って大地が明るくなるように、法華経を識る者は、世の中の道理と仏法の法理がかけ離れていないこと(世法=仏法即社会)を、自ら明らかに知ることができて、自身の使命を果たし、実証を示すことに目覚めることができるであろう。 英語で御書 Gosho in English T’ien-t’ai states, “By observing the fury of the rain, we can tell the greatness of the dragon that caused it, and by observing the flourishing of the lotus flowers, we can tell the depth of the pond they grow in.” Miao-lo says, “Wise men can perceive the cause of things, as snakes know the way of snakes.” When the...

いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず - However wretched a beggar you might become, never disgrace the Lotus Sutra.

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本文 一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食には・なるとも 法華経に きずをつけ給うべからず いっしょう は ゆめ の うえ・あす を ご せず・いかなる こつじき には・なるとも ほけきょう に きず を つけ たもう べからず 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [不可惜所領事] ふかしゃくしょりょうのこと (1163頁) 建治3年7月 (1277年) 通解(意訳) 一生は夢の上の出来事のように、はかないものであり、明日の命があるか分からない。 たとえどのような乞食になったとしても、あなた自身の信心に傷をつけてはならない。 英語で御書 Gosho in English This life is like a dream. One cannot be sure that one will live until tomorrow. However wretched a beggar you might become, never disgrace the Lotus Sutra.  " A Warning against Begrudging One’s Fief " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 824 in July, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 一生 は ゆめ の 上・明日 を ごせず・いかなる 乞食 には・なるとも 法華経 に きず を つけ 給う べからず IS'SHO WA YUME NO UE・ASU WO GO SEZU・IKANARU KOTSUJIKI NIWA・NARUTOMO HOKEKYO NI KIZU WO TSUKE TAMOU BEKARAZU 四条 金吾 殿 御返事 SHIJŌ KINGO DONO GOHENJI [不可惜 所領事] FUKASHAKU SHORYŌ-NO-KOTO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daish...

御みやづかいを法華経とをぼしめせ - Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra.

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本文 御みやづかいを法華経とをぼしめせ、 「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり おん みやづかいを ほけきょうと おぼしめせ、 「いっさい せけんの ちせい さんぎょうは みな じっそうと あい いはい せず」とは これなり 檀越某御返事 だんおつぼうごへんじ (1295頁) 弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) あなたの仕事が、そのまま法華経の修行なのだと思いなさい。 法華経に「社会全般の政治・経済・産業・日常生活は皆、法華経と相反する事はない」と説かれているのは、このことである。 仕事も、日常生活も、すべてが法華経の教えの根本である「誠実な振る舞い」が基本となっているのである。   英語で御書 Gosho in English Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra. This is what is meant by “No worldly affairs of life or work are ever contrary to the true reality.” " Reply to a Believer " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 905 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Regard your work as the practice of the Lotus Sutra. Because the work and everyday life are all based on "The Behavior of sincerely" which is the basis of the Lotus Sutra. Gosho in Japanese 御 みやづかい を 法華経 と をぼしめせ、 「一切 世間 の 治生 産業 は 皆 実相 と 相 違背 せず」とは 此れ なり ON MIYAZUKAI WO HOKEKY...

仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや - Surely they should not forget the debts of gratitude they owe to their parents, their teachers, and their country.

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本文 仏教を ならはん者 父母・師匠・国恩を わするべしや、 此の大恩を ほうぜんには 必ず仏法を ならひ きはめ 智者とならで叶うべきか ぶっきょうを ならわん もの ぶも・ししょう・こくおんを わするべしや、 この だいおんを ほうぜんには かならず ぶっぽうを ならい きわめ ちしゃと ならで たもうべきか 報恩抄 ほうおんしょう (293頁) 建治2年7月 (1276年) 通解(意訳) 仏法を習っている者が、父母の恩、師匠の恩、国(社会)の恩を忘れていいわけがあろうか。 この親・師匠・国主の大恩(主・師・親の三徳)に報恩(ほうおん・恩返し)するためには、必ず仏法の真髄を徹底して習い極め、智者へと成長する事で、報恩が叶うのである。 英語で御書 Gosho in English What can we say, then, of persons who are devoting themselves to Buddhism? Surely they should not forget the debts of gratitude they owe to their parents, their teachers, and their country. But if one intends to repay these great debts of gratitude, one can hope to do so only if one learns and masters Buddhism, becoming a person of wisdom. " On Repaying Debts of Gratitude " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 690 in July, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 仏教を ならはん者 父母・師匠・国恩を わするべしや、 此の大恩を ほうぜんには 必ず仏法を ならひ きはめ 智者とならで叶うべきか BUK'KYO WO NARAWAN MONO BUMO・SHISHŌ・KOKUON WO...

大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し - Will be like the drops of dew that gather to form the great ocean, or the specks of dust that pile up to become Mount Sumeru.

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本文 国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば 存外に功徳 身にあつまらせ給うべし、 其の功徳は 大海の露をあつめ 須弥山の微塵を つむが如し くにじゅう の ひとびと・ひとり・ふたり・ないし いっせんまんのく の ひと・だいもく を となうる ならば ぞんがい に くどく みに あつまらせ たもうべし、 その くどく は たいかい の つゆ を あつめ しゅみせん の みじん を つむ が ごとし 妙密上人御消息 みょうみつしょうにんごしょうそく [法華経功徳抄] ほけきょうくどくしょう (1234頁) 建治2年3月 (1276年) 通解(意訳) 国中の人々が、一人・二人・ないし千万億の人が題目を唱えるようになれば、知らず知らずのうちに、功徳があなたの身に集まるであろう。 その功徳は、ちょうど大海が露をあつめ、須弥山が塵を積んで大きくなっていくようのものである。 英語で御書 Gosho in English As first one person, then two persons, then a thousand, ten thousand, a hundred thousand, and then all the people throughout the country come to chant the daimoku, before you know it, their blessings will accrue to you. Those blessings will be like the drops of dew that gather to form the great ocean, or the specks of dust that pile up to become Mount Sumeru.  " The Blessings of the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 667 in March, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 国中 の 諸人・一人・二人・乃至 千...

悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり - It also refers to the merit achieved by wiping out evil, while the element toku or doku refers to the virtue one acquires by bringing about good.

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本文 功は幸と云う事なり又は悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、 功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり、 法華経の説文の如く修行するを六根清浄と意得可きなり く とは さち と いうこと なり または あく を めっする を く と いい ぜん を しょうずる をとく と いうなり、 くどく とは そくしんじょうぶつ なり また ろっこんしょうじょう なり、 ほけきょう の せつもん の ごとく しゅぎょう する を ろっこんしょうじょう と こころうべきべき なり 御義口伝 おんぎくでん 法師功徳品 四箇の大事 ほっしくどくほん よんかのだいじ 第一 法師功徳の事 だいいち ほっしくどくのこと (762頁) 通解(意訳) (功徳とは)揺るぎない幸福境涯の確立である。功とは悪を滅することであり、徳とは善を生ずることである。 功徳とは即身成仏であり、六根清浄である。 功徳とは、信心の実践に励むことによって、私たちの生命を覆う煩悩や苦悩などの悪を消滅させ、智慧や安楽などの善を生み出すことであり、自身の宿命転換、人間革命で、絶対的な幸福境涯を確立すること、すなわち成仏が、最高・最大の功徳である。 六根清浄とは、目・耳・鼻・舌・身(皮膚)と意(心)という六つの感覚・認識器官、すなわち生命の全体が浄化され、本来もっている働きを十分に発揮できることである。 法華経の経文の通りに修行することを、六根清浄と心得るべきである。 英語で御書 Gosho in English The element ku in the word kudoku*means good fortune or happiness. It also refers to the merit achieved by wiping out evil, while the element toku or doku refers to the virtue one acquires by bringing about good. Thus the word kudoku means to attain Buddhahood in one’s present form. It also means the purification of the six sense orga...

法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法共に尊し - Law does not propagating naturally.The law is propagating by the Person.

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本文 法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法共に尊し ほう みずからひろまらず ひと・ほうをひろむる ゆえに にんぽうともにとうとし 百六箇抄 ひゃくろっかしょう [血脈抄] けつみゃくしょう (856頁) 弘安3年1月 (1280年) 通解(意訳) 法は自然に弘まるものではない。人が法を弘めるのであるからこそ、弘める人も、弘まる法も、共に尊いのである。 英語で御書 Gosho in English The Law does not propagating naturally, the law is propagating by the Person. Therefore both of propagating person and propagate law are precious. " One Hundred and Six Articles " Writing in The Japanese Gosho, " Hyaku-Rokka-Sho " p.85 in January, 1280. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 法 自ら 弘まらず 人・法 を 弘むる 故 に人法 共 に 尊し HŌ MIZUKARA HIROMARAZU HITO・HŌ WO HIROMURU YUE NI NIN-PŌ TOMO NI TOUTOSHI 百六箇抄 HYAKU-ROK'KA SHŌ [血脈抄] KETSUMYAKU SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる - Alantern lighting up a place that has been dark for a hundred, a thousand, or ten thousand years.

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本文 この経の題目は習い読む事なくして大なる善根にて候、 悪人も女人も畜生も地獄の衆生も十界ともに即身成仏と説かれて候は、 水の底なる石に火のあるが如く百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる この きょうの だいもくは ならい よむ こと なくして だいなる ぜんこんにて そうろう、 あくにんも にょにんも ちくしょうも じごくのしゅじょうも じっかい ともに そくしんじょうぶつ と とかれて そうろうは、 みずの そこなる いしに ひの あるが ごとく ひゃくせんまんねん くらき ところにも ともしびを いれぬれば あかくなる 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1403頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 法華経の題目とは、内容を習い読み、理解して唱えるのではなくとも、大きな善根を積むことになるのである。 悪人も女人も、畜生界や地獄界の衆生も、一切衆生が等しく備えている十界と共に、題目を唱えた瞬間に即身成仏ができると説かれていることは、 水の底に沈んでいる石でも、こすれば火を発するように、また百千万年の間、闇に閉ざされていた所でも、燈火を入れれば明るくなるようなものである。 英語で御書 Gosho in English Even though one neither reads nor studies the sutra, chanting the title alone is the source of tremendous good fortune. The sutra teaches that women, evil men, and those in the realms of animals and hell—in fact, all the beings of the Ten Worlds—can attain Buddhahood in their present form. [This is an incomparably greater wonder than] fire being produced by a stone taken from the bottom of a river, or a lantern lighting...

よりて法門御聴聞有るべし互に師弟と為らんか - That way my disciples can learn to instruct one another.

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本文 これより ぐ して・いたらん人には よりて法門 御聴聞 有るべし 互に師弟と為らんか これより ぐ して・いたらん ひとには よりて ほうもん ごちょうもん あるべし たがい に してい と ならんか 弁殿御消息 べんどのごしょうそく (1224頁) 文永9年7月 (1272年) 通解(意訳) 遠い本土から、わざわざ佐渡まで日蓮を訪ねてきた弟子が、法門を聞いて帰ってきたなら、自分の年齢や信心の長さ、深さに関係なく、直接日蓮から法門を聴くのだと心得て、よく法門を聴くようにしていきなさい。そうすれば、互いに師弟の関係となって、よき同志となっていくであろう。 英語で御書 Gosho in English As a rule, you should learn of such doctrinal matters from those who have received instruction in them directly from me. That way my disciples can learn to instruct one another. " Letter to Ben " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 440 in July, 1272. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  When a disciple who visits Nichiren from a distant mainland to Sado returns to hear the Buddhism, it is the same as listening directly to Nichiren, regardless of their age, length of religion, or depth. Think hard and listen to his Buddhist tales. Then you will become a teacher and disciple relationship and become g...

口に唱ふれば其の口即ち仏なり - When one’s mouth chants it, that mouth is itself a Buddha

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本文 法華経と申すは 手に取れば其の手 やがて仏に成り・口に唱ふれば 其の口 即ち 仏なり、 譬えば天月の東の山の端に出ずれば 其の時 即 水に影の浮かぶが如く・音と ひびき との同時なるが如し ほけきょう と もうすは てに とれば そのて やがて ほとけ に なり・くち に となうれば そのくち すなわち ほとけ なり、 たとえば てんげつ の ひがし の やま の は に いずれば そのとき すなわち みずに かげ の うかぶ が ごとく・おと と ひびき との どうじ なる が ごとし 上野尼御前御返事 うえのどのあまごぜんごへんじ [鳥竜遺竜事] おりょうおりょうのこと (1580頁) 弘安4年11月 (1281年) 通解(意訳) 日蓮仏法というものは、手に取って行ずれば、その行いがそのまま仏の手となり、口に題目を唱え、信心の体験を語れば、その口がそのまま仏の口になって、自身がありのままの姿で、即座に仏の境涯を開くことができるのである。 例えば、月が東の山に出れば、それと同時に水面に月が映るように、また大きな音が鳴ると、周囲に音が響くのが同時であるようなものである。 英語で御書 Gosho in English With regard to the Lotus Sutra, when one’s hand takes it up, that hand immediately attains Buddhahood, and when one’s mouth chants it, that mouth is itself a Buddha, as, for example, the moon is reflected in the water the moment it appears from behind the eastern mountains, or as a sound and its echo arise simultaneously. " Wu-lung and I-lung " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1099 November, 1281. [ --- ] is liberal tra...

言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり - Words echo the thoughts of the mind and find expression through the voice.

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本文 心に分別して思い言い顕す言語なれば 心の外には分別も無分別も無し、 言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり こころに ふんべつして おもい いい あらわす げんごなれば こころのほかには ふんべつも むふんべつも なし、 ことばと いうは こころの おもいを ひびかして こえを あらわすを いうなり 三世諸仏総勘文教相廃立 さんぜしょぶつそうかんもんきょうそうはいりゅう (563頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) 心で分別した思いを言い表すのが言葉(言語)であるから、心の外に出た言葉には、分別も無分別もない。 言葉というのは心の思いを響かせて声に顕したものをいうのである。 言葉というものは、相手を思いやる心、敬う心、尊重する心、励ます心などの、自分の心の底から湧き上がる慈悲の思いを相手に届かせるために、堂々と、誠実に声に出して表現することである。 英語で御書 Gosho in English Words are what give expression to the distinctions that are thought of in the mind. Therefore, outside of the mind there are neither distinctions nor the absence of distinctions. Words echo the thoughts of the mind and find expression through the voice. " The Unanimous Declaration by the Buddhas  of the Three Existences regarding the Classification of the Teachings  and Which Are to Be Abandoned and Which Upheld " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 843 in October, 1279. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (lib...

仏法の根本は信を以て源とす - To have faith is the basis of Buddhism.

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本文 如何にも後生をたしなみ給ふべし・たしなみ給ふべし、 穴賢・南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、 信心の厚薄によるべきなり 仏法の根本は信を以て源とす いかにも ごしょう を たしなみ たもうべし・たしなみ たもうべし、 あなかしこ・なんみょうほうれんげきょう と ばかり となえて ほとけ に なる べき こと もっとも たいせつ なり、 しんじん の こう はく に よる べき なり ぶっぽう の こんぽん は しん を もって みなもと と す 日女御前御返事 にちにょごぜんごへんじ [御本尊相貌抄] ごほんぞんそうみょうしょう (1244頁) 建治3年8月 (1277年) 通解(意訳) なんとしても、来世の福運をも得るために、信心に励んでいきなさい。 「南無妙法蓮華経」とだけ唱えて、仏の境涯を成いていく事が最も大切である。 成仏を成し遂げる事ができるかどうかは、ひとえに信心の厚薄、信じる心が深いか浅いかによるのである。 仏法の根本は信心をもって源とするのである。 英語で御書 Gosho in English Make every possible effort for the sake of your next life. What is most important is that, by chanting Nam-myoho-renge-kyo alone, you can attain Buddhahood. It will no doubt depend on the strength of your faith. To have faith is the basis of Buddhism. " The Real Aspect of the Gohonzon " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 832 in August, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 如何にも 後生 を たしなみ 給ふ べし・たしなみ 給ふ べし、 穴賢・南無妙法蓮華経 と ばかり 唱へて 仏 に なるべき 事 尤も ...

つたなき者のならひは 約束せし事を・まことの時は わするるなるべし - Foolish men are likely to forget the promises they have made when the crucial moment comes.

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本文 我並びに我が弟子・諸難ありとも 疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、 天の加護なき事を疑はざれ 現世の安穏ならざる事をなげかざれ、 我が弟子に 朝夕 教えしかども・疑いを・をこして 皆すてけん つたなき者のならひは 約束せし事を・まことの時は わするるなるべし われ ならび に わが でし・しょなん ありとも うたがう こころ なくば じねん に ぶっかい に いたる べし、 てん の かご なき こと を うたがわざれ げんせ の あんのん ならざる こと を なげかざれ、 わが でし に ちょうせき おしえ しかども・うたがい を・おこして みな すてけん つたなき もの の ならい は やくそく せし こと を・まこと の とき は わするる なるべし 開目抄・下 かいもくしょう・げ [人本尊開顕書] にんほんぞんかいけんのしょ (234頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 我ならびに我が弟子達は、いかなる大難があろうとも、法華経を疑う心がなければ、自然に仏界を開く事ができるのである。 法華経を信受していても、諸天の加護がないといって、法華経の功力を疑ってはならない。また、現状が安穏でない事を嘆いてはならない。 我が弟子に朝に晩に、このことを教えてきたが、疑いを起こして、みな退転してしまったであろう。 愚か者の常として、約束したことを大事な時には忘れてしまうのである。 学会精神の根幹 「まことの時」に、決然と立ち上がり、迅速に戦えるかどうかが、一切の勝敗を決する -池田大作 英語で御書 Gosho in English Although I and my disciples may encounter various difficulties, if we do not harbor doubts in our hearts, we will as a matter of course attain Buddhahood. Do not have doubts simply because heaven does not lend you protection. Do not be discouraged because you do not enjoy an easy and secure exis...

善悪の根本枝葉をさとり極めたるを仏とは申す - One who is thoroughly awakened to the nature of good and evil from their roots to their branches and leaves is called a Buddha.

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本文 本末究竟と申すは 本とは 悪のね 善の根・末と申すは 悪の をわり 善の終り ぞかし、 善悪の根本 枝葉をさとり極めたるを仏とは申すなり ほんまつくきょう と もうすは ほん とは あく の ね ぜん の ね・まつ と もうすは あく の おわり ぜん の おわり ぞかし、 ぜん あく の こんぽん しよう を さとり きわめたるを ほとけ とは もうすなり 減劫御書 げんこうごしょ [智慧亡国書] ちえぼうこくしょ (1466頁) 建治2年以後 (1276年) 通解(意訳) 本末究竟(ほんまつくきょう、勤行・方便品第二の最後にある、『所為諸法。如是相。如是性。。。如是本末究竟等。』の、十如是の箇所)というのは、本とは悪の根本・善の根本であり、末というのは悪の終わり、善の終わりのことである。善悪の根本から枝葉までを悟り極めているのを仏というのである。 英語で御書 Gosho in English In the phrase “consistency from beginning to end,” “beginning” indicates the root of evil and the root of good, and “end” indicates the outcome of evil and the outcome of good. One who is thoroughly awakened to the nature of good and evil from their roots to their branches and leaves is called a Buddha. " The Kalpa of Decrease " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1120 After 1276. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  In the phrase : The Part of the Gongyo from "SHO-I-SHO-HO" to "NYO-...

受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり - To accept is easy; to continue is difficult. But Buddhahood lies in continuing faith.

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本文 此の経をききうくる人は多し、まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、 受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり この きょう を きき うくる ひと は おおし、まこと に きき うくる ごとく に だいなん きたれども おくじふぼう の ひと は まれ なる なり、うくる は・やすく たもつ は かたし・さる あいだ・じょうぶつ は たもつ に あり、 この きょう を たもたん ひと は なん に あう べし と こころえて たもつ なり 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [此経難持御書] しきょうなんじごしょ (1136頁) 文永12年3月 (1275年) 通解(意訳) 法華経を聞き受ける人は多い。だが、本当に聞き信受して、どんな大難がきても、この法華経を常に思い持って忘れない人はまれである。受けることはやさしいが、持つことは難しい。したがって、成仏は持ちつづけることにある。 この法華経を持つ人は必ず難に値うのだと心得て持つべきである。 英語で御書 Gosho in English A passage from the Lotus Sutra reads that it is “the most difficult to believe and the most difficult to understand.” Many hear about and accept this sutra, but when great obstacles arise, just as they were told would happen, few remember it and bear it firmly in mind. To accept is easy; to continue is difficult. But Buddhahood lies in continuing faith. Those who uphold this sutra should be prepared to meet difficulties. " The Difficulty of Sustaining Faith " ...