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賢聖は罵詈して試みるなるべし - Worthies and sages are tested by abuse

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本文 鉄は炎打てば剣となる 賢聖は罵詈して試みるなるべし くろがね は きたい うてば つるぎ と なる けんしょう は めり して こころみる なる べし KUROGANE HA KITAI UTEBA TSURUGI TO NARU KENSHO WA MERI SHITE KOKORO MIRU NARU BESHI 佐渡御書 さどごしょ SADO GOSHO [富木殿等御返事] ときどのとうごへんじ TOKI DONO TOU GOHENJI (956頁) 文永9年3月 (1272年) 通解(意訳) 鉄は炎に入れて、熱して鍛え打てば剣となる。賢人、聖人は罵ってみて真価が試されるものである。 仏法者である私達も、様々な困難に直面し、戦い抜いていくことで、自身の過去世からの宿業が、今世において表面に現れる。 この宿業を取り除くために、「今こそ自分の信心が試されている時だ」と決意し、強い信心で乗り越えることで、自身の宿命転換を成し遂げることができる。 苦難に直面した時こそ、強靭な信心を確立し、強い自分に変わるチャンスなのである。 英語で御書 Gosho in English Iron, when heated in the flames and pounded, becomes a fine sword. Worthies and sages are tested by abuse. " Letter from Sado "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 303 in 1272. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  As Buddhists, as we face various difficulties and fight through, karma from our past world appears on the surface in this world. To get rid of this karma, you can...

いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず - However wretched a beggar you might become, never disgrace the Lotus Sutra.

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本文 一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず いっしょう は ゆめ の うえ・あす を ご せず・いかなる こつじき には・なるとも ほけきょう に きず を つけ たもう べからず ISSHO WA YUME NO UE・ASU WO GO SEZU・IKANARU KOTSUJIKI NIWA・NARUTOMO HOKEKYO NI KIZU WO TSUKE TAMOU BEKARAZU 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ SHIJO KINGO DONO GOHENJI [ 不可惜所領事] ふかしゃくしょしょりょうのこ と FUKSHAKU SHO-SHORYO NO KOTO (1163頁) 建治3年7月 (1277年) 通解(意訳) 一生は夢の上の出来事のように、はかないものであり、明日の命があるか分からない。 たとえどのような乞食になったとしても、あなた自身の信心に傷をつけてはならない。 英語で御書 Gosho in English This life is like a dream. One cannot be sure that one will live until tomorrow. However wretched a beggar you might become, never disgrace the Lotus Sutra.  " A Warning against Begrudging One’s Fief " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 824 July, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 一生はゆめの上・明日をごせず・ ISSHO WA YUME NO UE・ASU WO GO SEZU・ いかなる 乞食 には・なるとも 法華経 に きず を つけ 給う べからず IKANARU KOTSUJIKI NIWA・NARUTOMO HOKEKYO NI KIZU W...

経文の如くんば南無妙法蓮華経と申す人をば大梵天・帝釈・日月・四天等・昼夜に守護すべしと見えたり - If we go by this passage of the sutra, then it would seem that Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, and the four heavenly kings ought day and night to guard and protect those persons who chant Nam-myoho-renge-kyo.

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本文 法華経の第五に云く 諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す、 経文の如くんば 南無妙法蓮華経と申す人をば大梵天・帝釈・日月・四天等・昼夜に守護すべしと見えたり ほけきょう の だいご に いわく しょてん ちゅうや に つね に ほう の ため の ゆえ に しかも これ を えいご す、 きょうもん の ごとくんば なんみょうほうれんげきょう と もうす ひと をば だいぼんてん・たいしゃく・にちがつ・してんとう・ちゅうや に しゅご すべし と みえたり HOKEKYO NO DAI GO NI IWAKU SHOTEN CHU-YA NI TSUNE NI HO NO TAME NO YUE NI SHIKAMO KORE WO EIGO SU, KYOMON NO GOTOKUNBA NAM-MYOHO-RENGE-KYO TO MOUSU HITO WOBA DAIBONTEN・TAISHAKU・NICHIGATSU・SHITEN-TOU・CHU-YA NI SHUGO SUBESHI TO MIETARI 諫暁八幡抄 かんぎょうはちまんしょう KANGYO HACHIMAN SHO (588頁) 弘安3年12月 (1280年) 通解(意訳) 法華経の第五巻、安楽行品第十四には「諸天は昼夜に常に法のためのゆえに、これを衛護する」と説かれている。  この経文通りであれば、南無妙法蓮華経と唱える人を、大梵天王・帝釈天王・日月・四天等の諸天善神が、昼夜にこの人を守護されるのである。 英語で御書 Gosho in English The Lotus Sutra says in its fifth volume, “The heavenly beings day and night will for the sake of the Law constantly guard and protect them.” If we go by this passage of the sutra, then it would seem that Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, and the four heavenly ...

仏法の根本は信を以て源とす - To have faith is the basis of Buddhism.

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本文 如何にも後生をたしなみ給ふべし・たしなみ給ふべし、 穴賢・南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、 信心の厚薄によるべきなり 仏法の根本は信を以て源とす いかにも ごしょう を たしなみ たもうべし・たしなみ たもうべし、 あなかしこ・なんみょうほうれんげきょう と ばかり となえて ほとけ に なる べき こと もっとも たいせつ なり、 しんじん の こう はく に よる べき なり ぶっぽう の こんぽん は しん を もって みなもと と す IKANIMO GOSHO WO TASHINAMI TAMOU BESHI・TASHINAMI TAMOU BESHI, ANA KASHIKO・NAM-MYOHO-RENGE-KYO TO BAKARI TONAETE HOTOKE NI NARU BEKI KOTO MOTTOMO TAISETSU NARI, SHINJIN NO KOUHAKU NI YORU BEKI NARI BUPPO NO KONPON HA SHIN WO MOTTE MINAMOTO TO SU 日女御前御返事 にちにょごぜんごへんじ NICHINYO GOZEN GOHENJI [御本尊相貌抄] ごほんぞんそうみょうしょう GOHONZON SOMYOSHO (1244頁) 建治3年8月 (1277年) 通解(意訳) なんとしても、来世の福運をも得るために、信心に励んでいきなさい。 「南無妙法蓮華経」とだけ唱えて、仏の境涯を成いていく事が最も大切である。 成仏を成し遂げる事ができるかどうかは、ひとえに信心の厚薄、信じる心が深いか浅いかによるのである。 仏法の根本は信心をもって源とするのである。 英語で御書 Gosho in English Make every possible effort for the sake of your next life. What is most important is that, by chanting Nam-myoho-renge-kyo alone, you can attain Buddhahood. It will no doubt depend...

妙と申す事は開と云う事なり - The character myō means to open

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本文 妙 と申す事は 開と云う事なり 世間に財を積める蔵に 鍵なければ 開く事かたし 開かざれば 蔵の内の財を見ず みょう と もうす こと は かい と いう こと なり せけん に たから を つめる くら に かぎ なければ ひらく こと かたし ひらかざれば くら の うち の たから を みず MYO TO MOUSU KOTO WA KAI TO YU KOTO NARI SEKEN NI TAKARA WO TSUMERU KURA NI KAGI NAKEREBA HIRAKU KOTO KATASHI HIRAKAZAREBA KURA NO UCHI NO TAKARA WO MIZU 法華経題目抄 ほけきょうだいもくしょう HOKEKYO DAIMOKU SHO (943頁) 文永3年1月 (1266年) 通解(意訳) (南無妙法蓮華経の)「妙」とは、本来自身に備わっている仏の境涯を開くということである。世間のたとえで言えば、財宝が詰まった蔵があっても、蔵を開く鍵がなければ開くことができない。蔵が開かなければ、蔵の中の財宝を見ることはできない。 南無妙法蓮華経の妙の文字は、仏の境涯を開く「鍵」なのである。 英語で御書 Gosho in English The Great Teacher Chang-an states, “Myō means to reveal the depths of the secret storehouse.” The Great Teacher Miao-lo says of this, “To reveal means to open.” Hence the character myō means to open. If there is a storehouse full of treasures but no key, then it cannot be opened, and if it cannot be opened, then the treasures inside cannot be seen. Myō : The Character of "Nam-Myoho-Renge-Kyo." ...

友に合うて礼あるべし - Courtesy toward one’s friends

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本文 四徳とは・一には父母に孝あるべし・二には主に忠あるべし・三には友に合うて礼あるべし・四には劣れるに逢うて慈悲あれとなり しとく とは・いち には ふぼ に こう ある べし・に には あるじ に ちゅう ある べし・さん には とも に おうて れい ある べし・よん には おとれる に おうて じひ あれ と なり SHI-TOKU TOWA・IHI NIWA HUBO NI KOU ARUBESHI・NI NIWA ARUJI NI CHU ARUBESHI・SAN NIWA TOMO NI OUTE REI ARUBESHI・YON NIWA OTORERU NI OUTE JIHI ARE TO NARI 上野殿御消息 うえのどのごしょうそく UENO DONO GOSHOSOKU [四徳四恩御書] しとくしおんごしょ SHITOKU SHION GOSHO (1526~1527頁) 建治元年 (1275年) 通解(意訳) 四徳とは、一には父母に孝行であれ、二には仕えている主に忠義であれ、三には友人に会っては礼義正しくあれ、四には自分より弱い者に会ったならば慈悲深くあれ、ということである。 「誠実な人」が「信頼の人」と輝く 身近な人が大切である。その人を宝のごとく大事にすることである。そして、誰に対しても誠実に、礼節をわきまえて接することである。  誠実ほど強いものはない。(中略)  誠実で築いた友情は、壊れない。策でつくった友情は、やがて崩れる。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English The four virtues are  (1) filial piety toward one’s father and mother; (2) loyalty to one’s lord; (3) courtesy toward one’s friends; and (4) pity and kindness toward those less fortunate than oneself.  " Four Virtues and Four Debts of Gratitude "...

法華経の行者の祈りの かなはぬ事は あるべからず - it could never come about that the prayers of the practitioner of the Lotus Sutra would go unanswered.

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本文 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・ 法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず だいち は ささば はずるる とも おおぞら を つなぐ もの は ありとも・しお の みちいぬ こと は ありとも ひ は にし より いづる とも・ ほけきょう の ぎょうじゃ の いのり の かなわぬ こと は ある べからず DAICHI WA SASABA HAZURURU TOMO OOZORA WO TSUNAGU MONO WA ARITOMO・SHIO  NO MICHI INU KOTO WA ARI TOMO HI WA NISHI YORI IZURU TOMO・ HOKEKYO NO GYOJA NO INORI NO KANAWANU KOTO WA ARU BEKARAZU 祈祷抄 きとうしょう KITOSHO (1352頁) 文永9年 (1272年) 通解(意訳) 大地を刺して外れる事があっても、大空をつなぎ合わせる者があっても、 潮の満ち干きがなくなることがあっても、太陽が西の空から昇るようなことがあっても、 法華経の行者の祈りが叶わないことは絶対にない。 英語で御書 Gosho in English Though one might point at the earth and miss it, though one might bind up the sky, though the tides might cease to ebb and flow and the sun rise in the west, it could never come about that the prayers of the practitioner of the Lotus Sutra would go unanswered. " On Player "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 345 in 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho...

命限り有り惜む可からず - Life is limited; we must not begrudge it.

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本文 流罪の事 痛く歎せ給ふべからず、勧持品に云く不軽品に云く、 命限り有り 惜む可からず 遂に願う可きは仏国也 るざい の こと いたく なげかせ たもう べからず、かんじぼん に いわく ふきょうぼん に いわく、 いのち かぎり あり おしむ べからず つい に ねがう べき は ぶっこく なり RUZAI NO KOTO ITAKU NAGEKASE TAMOU BEKARAZU, KANJIBON NI IWAKU FUKYOBON NI IWAKU, INOCHI KAGIRI ARI OSHIMU BEKARAZU TSUI NI NEGAU BEKI WA BUKKOKU NARI 富木入道殿御返事 ときにゅうどうどのごへんじ TOKI NYUDO DONO GOHENJI [ 願望仏 国事] がんぼうぶっこくじ GANBOU BUKKOKU JI (955~956頁) 文永8年11月 (1271年) 通解(意訳) 日蓮の佐渡流罪のことは、決して嘆いてはならない。勧持品や不軽品にあるとおり、大難にあうのは法華経の行者の証拠だからである。 命は限りあるものであるから、今世の人生を法華経のために使い、惜しんではならない。最終的に願うべきは、現実社会を幸福な仏国土へと変える事を実現する事である。 英語で御書 Gosho in English You absolutely must not lament over my exile. It says in the “Encouraging Devotion” chapter and in the “Never Disparaging” chapter [that the votary of the Lotus Sutra will meet with persecution]. Life is limited; we must not begrudge it. What we should ultimately aspire to is the Buddha land. " Aspiration for the Buddha Land " "The Writings of Nic...

ねふかければはかれず・いづみに玉あれば水たえず - When roots are deep, the leaves will not wither; when there is a jewel in the heart of the fountain, its waters will never cease to flow

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本文 ね ふかければ は かれず・いづみに 玉あれば 水 たえず と 申すやうに・御信心の ね の ふかく・いさぎよき玉の 心のうちに・わたらせ給うか、たうとし たうとし 根 深ければ 葉 枯れず・泉に たま あれば みず 絶えず と もうす ように・ご信心 の 根の深く・いさぎよき たま の こころ の 内に・わたらせ たもうか、尊し、尊し NE FUKAKEREBA HA KAREZU・IZUMI NI TAMA AREBA MIZU TAEZU TO MOUSU YOUNI・GOSHINJIN NO NE NO FUKAKU・ISAGIYOKI TAMA NO KOKORO NO UCHINI・WATARASE TAMOUKA,TOUTOSHI TOUTOSHI 窪尼御前御返事 くぼのあまごぜんごへんじ KUBONOAMA GOZEN GOHENJI (1479頁) 弘安元年6月 (1278年) 通解(意訳) 根が深ければ葉は枯れず、泉に玉があれば水が絶えないと言われている。信心も同じであり、どれほど強い風が草をなびかせようとしても、信心の根が深く張っているならば、倒れることはない。また心の中に信心の玉が輝いていれば、絶えず功徳の水が湧き出るのである。 あなたの心の中に、潔い清らかな信心の玉が輝いているからであろうか。まことに尊いことである。 英語で御書 Gosho in English They say that when roots are deep, the leaves will not wither; when there is a jewel in the heart of the fountain, its waters will never cease to flow. And how deep are the roots of your faith, how pure the jewel in your heart. How admirable, how admirable! " Reply to the Lay Nun of Kubo " "The Writings of Nichiren Daishonin...

わざはひも転じて幸となるべし - Misfortune will change into fortune

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本文 わざはひ も 転じて 幸 と なるべし、あひかまへて 御信心 を 出し 此の 御本尊 に 祈念 せしめ 給へ、何事 か 成就 せざる べき わざわい も てんじて さいわい と なるべし、あいかまえて ごしんじん を いだし この ごほんぞん に きねん せしめ たまえ、なにごと か じょうじゅ せざる べき WAZAWAI MO TENJITE SAIWAI TO NARUBESHI, AIKAMAETE GOSHINJIN WO IDASHI KONO GOHONZON NI KINEN SESHIME TAMAE, NANIGOTO KA JOJU SEZARU BEKI 経王殿御返事 きょうおうどのごへんじ KYO-O DONO GOHENJI (1124頁) 文永10年8月 (1273年) 通解(意訳) (信心によって) わざわいも転じて幸いとなるのである。よくよく心して信心を奮い起こし、この御本尊に御祈念していきなさい。何事か成就しないわけがあろうか。 英語で御書 Gosho in English Misfortune will change into fortune [ by your faith ] . Muster your faith, and pray to this Gohonzon. Then what is there that cannot be achieved? " Reply to Kyō’ō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol. 1, P 412 in August, 1273. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese わざはひ も 転じて 幸 と なるべし、 WAZAWAI MO TENJITE SAIWAI TO NARUBESHI, あひかまへて 御信心 を 出し 此の 御本尊 に 祈念 せしめ 給へ、何事 か 成就 せざる べき AIKAMAETE GOSHINJIN WO IDASHI KONO GOHONZON NI KINEN SESHIME TAMAE, NAN...

金はやけば弥色まさり剣はとげば弥利くなる - The more gold is heated in the flames, the brighter will be its color; the more a sword is whetted, the sharper it will become.

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本文 金は やけば 弥 色まさり 剣は とげば 弥 利くなる・ 法華経の功徳は ほむれば 弥 功徳まさる こがね は やけば いよいよ いろ まさり つるぎ は とげば いよいよ とく なる・ ほけきょう の くどく は ほむれば いよいよ くどく まさる KOGANE WA YAKEBA IYOIYO IRO MASARI TSURUGI WA TOGEBA IYOIYO TOKU NARU・ HOKEKYO NO KUDOKU WA HOMUREBA IYOIYO KUDOKU MASARU 妙密上人御消息 みょうみつしょうにんごしょうそく MYOMITSU SHONIN GOSHOSOKU [法華経功徳抄] ほけきょうくどくしょう HOKEKYO KUDOKU SHO (1241~1242頁)  建治2年潤3月 (1276年) 通解(意訳) 金は、焼いて精錬すれば、いよいよ色がよくなり、剣は、研げばいよいよ良く切れるようになる。 同じように、法華経の功徳に歓喜して讃嘆すれば、ますます功徳が勝るのである。 英語で御書 Gosho in English The more gold is heated in the flames, the brighter will be its color; the more a sword is whetted, the sharper it will become. And the more one praises the blessings of the Lotus Sutra, the more one’s own blessings will increase. " The Blessings of the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 673 in March, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 金は やけば 弥 色まさり 剣は とげば 弥 利くなる・ KOGANE WA YAKEB...

未来の果を知らんと欲せば 其の現在の因を見よ - If you want to understand what results will be manifested in the future, look at the causes that exist in the present.

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本文 過去の因を知らんと欲せば 其の現在の果を見よ 未来の果を知らんと欲せば 其の現在の因を見よ かこ の いん を しらん と ほっせば その げんざい の か を みよ みらい の か を しらん と ほっせば その げんざい の いん を みよ KAKO NO IN WO SHIRAN TO HOSSEBA SONO GENZAI NO KA WO MIYO MIRAI NOKA WO SHIRAN TO HOSSEBA SONO GENZAI NO IN WO MIYO 開目抄・下 かいもくしょう・げ KAIMOKUSHO・GE (231頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 過去に自分がどのような要因(要素や原因)を作ってきたかは、現在の自分の結果(状況や状態)を見なさい。同様に、未来の自分がどんな結果になっているかを知ろうとするなら、現在の要因を見なさい。 そして、理想の自分になれるような要因を、今作っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English If you want to understand the causes that existed in the past, look at the results as they are manifested in the present. And if you want to understand what results will be manifested in the future, look at the causes that exist in the present. " The Opening of the Eyes " Part Two "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 279 February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) You need to create factors that will make you ideal at th...

悪は多けれども一善にかつ事なし - Though evils may be numerous, they cannot prevail over a single great truth

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本文 日蓮が一類は 異体同心なれば 人人 すくなく 候へども 大事を成じて・一定 法華経 ひろまりなん と 覚へ候、 悪は多けれども 一善に かつ事なし、譬へば 多くの火 あつまれども 一水には きゑぬ  にちれん が いちるい は いだいどうしん なれば ひとびと すくなく そうらえども だいじ を じょうじて・いちじょう ほけきょう ひろまりなん と おぼえ そうろう、 あく は おおけれども いちぜん に かつ こと なし、たとえば おおく の ひ あつまれども いっすい には きえぬ NICHIREN GA ICHIRUI WA ITAIDOSHIN NAREBA HITOBITO SUKUNAKU SOURAEDOMO DAIJI WO JO-JITE・ICHIJO HOKEKYO HIROMARINAN TO OBOE SORO, AKU WA OOKEREDOMO ICHIZEN NI KATSU KOTO NASHI, TATOEBA OOKU NO HI WO ATSUMEREDOMO ISSUI NIWA KIENU 異体同心事 いたいどうしんじ ITAI DOSHIN JI (1463頁) 年不明、8月11日 文永末、建治、弘安説あり (1274、1275、1279年) 通解(意訳) 日蓮の一門は異体同心(いたいどうしん・人数は少ないが心は一つである)であるから、人数は少ないけれども、広宣流布という大事を成し遂げ、必ず法華経は広まるであろうと思うのである。 悪は多くても、一善に勝つことはない。例えば、多くの火が集まっても、たった一水(一度の雨)で消えてしまうようなものである。 *異体同心を英語に訳すと、 "Many in Body, One in Mind." (多くの体に、一つの意思)となります。 英語で御書 Gosho in English Although Nichiren and his followers are few, because they are different in body, but united in mind *, they will definitely accomplish their grea...