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9月, 2017の投稿を表示しています

大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる - Great events never have minor omens. When great evil occurs, great good follows.

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本文 大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、 迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし、 上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか 大悪大善御書 (1300頁) 年月不明 (文永12年 (1275年) 2月 の説有り) 通解(意訳) 大事の起こる前には小さな瑞相(ずいそう、前触れ)はない。大悪が起これば大善がくる。既に、正法である法華経を謗る(そしる)という大悪(大謗法)が国に充満しているのであるから、大正法は必ず弘まるという大善もくるのである。各々(おのおの)何を嘆くことがあろうか。迦葉尊者でなくても、舞いを舞うべきところである。 舎利弗でなくても、立って踊るべきところである。 上行菩薩ら地涌の菩薩が大地から湧出したときには、舞い踊りながら出られたのである。 *末法において、教主釈尊は大地から「地涌の菩薩」を呼び出し、妙法蓮華経を弘める事を託された。この「地涌の菩薩」のリーダーである「上行菩薩」は、大地から舞い踊りながら出現されたのである。 「上行菩薩」は日蓮大聖人の事であり、「地涌の菩薩」とは、末法における法華経の行者である、私達の事なのである。 我々は、姿は凡夫の姿であるが、その内証(内に秘められた無限の可能性の証である、仏性)は尊い使命を果たすために今世に出現した、尊い「地涌の菩薩」なのである。 English Gosho  Great events never have minor omens. When great evil occurs, great good follows. Since great slander already exists in our land, the great correct Law will spread without fail. What could any of you have to lament?  Even if you are not the Venerable Mahākāshyapa, you should all perform a dance. Even if you are not...

仏の説法をば師子吼と申す乃至法華経は師子吼の第一なり - The Buddha’s preaching of the Law is called the lion’s roar, and the Lotus Sutra is the foremost roar of the lion.

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本文 師子の筋を琴の絃にかけて・これを弾けば余の一切の獣の筋の絃皆きらざるに・やぶる、 仏の説法をば師子吼と申す乃至法華経は師子吼の第一なり 四条金吾殿御返事 [梵音声御書] (1122頁)  文永9年9月 (1272年) 通解(意訳) 師子(獅子)の筋を琴の絃にかけて、その琴を弾けば、他の一切の獣の筋で作られた琴の絃は、その音で皆切られてしまう。 仏の説法を師子吼という。その中で法華経は師子吼の第一である。 English Gosho  They say that if one uses the sinews of a lion to make strings for a koto and plucks them, then strings made from the sinews of other animals will automatically snap, even though no one cuts them.  The Buddha’s preaching of the Law is called the lion’s roar, and the Lotus Sutra is the foremost roar of the lion. " The Pure and Far-Reaching Voice " September, 1272. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 332 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

四徳とは - The four virtues are

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本文 四徳とは・一には父母に孝あるべし・二には主に忠あるべし・三には友に合うて礼あるべし・四には劣れるに逢うて慈悲あれとなり 上野殿御消息 [四徳四恩御書] (1526~1527頁) 建治元年 (1275年) 通解(意訳) 四徳とは、一には父母に孝行であれ、二には仕えている主に忠義であれ、三には友人に会っては礼義正しくあれ、四には自分より弱い者に会ったならば慈悲深くあれ、ということである。 「誠実な人」が「信頼の人」と輝く  身近な人が大切である。その人を宝のごとく大事にすることである。そして、誰に対しても誠実に、礼節をわきまえて接することである。  誠実ほど強いものはない。(中略)誠実で築いた友情は、壊れない。策でつくった友情は、やがて崩れる。 -池田大作 English Gosho  The four virtues are (1) filial piety toward one’s father and mother; (2) loyalty to one’s lord; (3) courtesy toward one’s friends; and (4) pity and kindness toward those less fortunate than oneself.  " Four Virtues and Four Debts of Gratitude " 1275. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 636 [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) A faithful person is tame with a person of the trust.  Take good care of an imminent person. Take good care of the partner like treasure.And you behave to anyone faithfully and are to receive it politely. There is ...

不信ならばぬれたる・ほくちに・火をうちかくるが・ごとくなるべし - if you lack faith, it will be like trying to set fire to wet tinder. Spur yourself to muster the power of faith.

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本文 ただ心こそ大切なれ、いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたる・ほくちに・火をうちかくるが・ごとくなるべし、 はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし 四条金吾殿御返事 [法華経兵法事] (1192頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) 何事においても、根本は心こそ大切なのである。 いかに日蓮が、あなた(四条金吾=弟子)の事を祈ったとしても、あなた自身が信心に不信を起こしているなら、濡れている火口に火を着けるようなものである。 自身を励まして、強盛に信心を奮い起こしていきなさい。 English Gosho  It is the heart that is important. No matter how earnestly Nichiren prays for you [;Shijo Kingo/Disciples] ,  if you lack faith, it will be like trying to set fire to wet tinder. Spur yourself to muster the power of faith. " The Strategy of the Lotus Sutra " October, 1279. "The Writings of Nichiren Daishonin",  Vol.1, p. 1000 to 1001 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

魔の習いは善を障えて悪を造らしむるをば 悦ぶ事に候 - It is the way of the devil to delight in obstructing good and in causing the production of evil.

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本文 法華経の行者をば 第六天の魔王の必ず障うべきにて候、 十境の中の魔境此れなり 魔の習いは 善を障えて悪を造らしむるをば 悦ぶ事に候、強いて悪を造らざる者をば 力及ばずして 善を造らしむ 又 二乗の行をなす物をば・あながちに怨をなして善をすすむるなり、 又 菩薩の行をなす物をば 遮つて 二乗の行をすすむ 是後に 純円の行を一向になす者をば 兼別等に堕すなり 常忍抄 [稟権出界抄] (981頁) 建治3年10月 (1277年) 通解(意訳)  法華経の行者を第六天の魔王が必ず妨げるのである。天台大師が顕した「摩訶止観」にある、魔事境がこれにあたり、仏道修行の障げとなる種々の現象が起こるのである。   魔の習癖は、善い行い(善行)をしようとする者を妨げて、悪事をさせるのを悦ぶことにある。どうしても悪事を行わない者には、力が及ばずに善行をさせるが、天界・人界の六道(十界のうち、地獄界・餓鬼界・修羅界・人界・天界)に留まった善行をさせ、仏法と縁させないよう邪魔するのである。  また、法華経以外の小乗仏教(自分だけの悟りを得ようとする、声聞・縁覚界の仏教)の修行をする者には、ひたすら恨んで、仏法にまで及ばない天界・人界の善行をさせ、大乗仏教(他人にも悟りを得させようとする、菩薩界の仏道修行)をする者には、それを邪魔して、より劣った二乗仏教の修行をすすめる。 そして最後に、一切衆生に皆等しく仏性があると説いている、真の仏法である法華経を、説法通りに修行をする者には、法華経に別の教えや我見の解釈を加えたり、法華経の解釈を誤ったりした大謗法の邪法に堕とし、大悪を犯させようとするのである。  魔とは、こうして最高の善行である即身成仏をなんとしても妨げて、その人の生命境涯を下へ下へと堕とそうとするのである。 English Gosho  The votary of the Lotus Sutra is certain to be obstructed by the devil king of the sixth heaven. Among the ten objects of meditation, this corresponds to the object of diabolical funct...

地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり、地涌の菩薩の数にもや入りなまし - Nichiren alone took the lead in carrying out the task of the Bodhisattvas of the Earth.

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本文 地涌の菩薩のさきがけ 日蓮一人なり、地涌の菩薩の数にもや 入りなまし、 若し日蓮 地涌の菩薩の数に入らば 豈に 日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非ずや 諸法実相抄 (1359頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 地涌の菩薩の先駆けは、日蓮一人である。もしくは地涌の菩薩の数にも入っているのであろうか。 もし、日蓮が地涌の菩薩の数に入っているのであれば、日蓮の弟子檀那達もまた地涌の菩薩であり、仲間ということになろう。 English Gosho  Nichiren alone took the lead in carrying out the task of the Bodhisattvas of the Earth. He may even be one of them.  If Nichiren is to be counted among the Bodhisattvas of the Earth, then so must his disciples and lay supporters. " The True Aspect of All Phenomena " May, 1273. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 385 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ - The purpose of the appearance in this world of Shakyamuni Buddha, the lord of teachings, lies in his behavior as a human being.

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本文 教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ 崇峻天皇御書 [三種財宝御書] (1174頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 教主釈尊が生まれ持った使命とは、法華経を説いて、人としての振る舞いを説くことであった。 あなかしこ、誠実に振る舞う事を学んでいる、賢い者を人といい、振る舞いを知らない愚かなものを畜生というのである。 English Gosho  The purpose of the appearance in this world of Shakyamuni Buddha, the lord of teachings, lies in his behavior as a human being. Respectfully.  The wise may be called human, but the thoughtless are no more than animals. " The Three Kinds of Treasure " September, 1277. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 852 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ - In the light of the above points*, this shows my followers, cut short your sleep by night and curtail your leisure by day and ponder this!

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本文 我が門家は 夜は眠りを断ち 昼は暇を止めて 之を案ぜよ 一生空しく過して 万歳 悔ゆること勿れ 富木殿御書 [止暇断眠御書] (970頁) 建治元年8月 (1275年) 通解(意訳) 我が門下生は、夜は眠りを断ち、昼は暇なく「広宣流布の為に自分に何ができるか」を思案しなさい。 一生を空しく過ごして、後生・万歳(来世以降・万年の歳月)に渡って、悔やしく思うようであってはならない。 English Gosho   In the light of the above points*, this shows my followers, cut short your sleep by night and curtail your leisure by day and ponder this!  You must not spend your lives in vain and regret it for ten thousand years to come. * [ "What can I do to make people wake up in Myoho ?";Kosen-Rufu ] " The Problem to Be Pondered Night and Day " Month, 1275. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 622 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

後五百歳・広宣流布疑い無き者か - Can there then be any doubt about his prediction for the distant future, that in the last five-hundred-year period after his passing, the Lotus Sutra would spread abroad widely?

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本文 後五百歳・広宣流布疑い無き者か、 若し爾れば 近きを以て遠きを推し現を以て当を知る 如是相 乃至 本末究竟等 是なり。 聖人知三世事 (974頁) 建治元年 (1275年) 通解(意訳) 釈尊滅後の末法において、法華経の広宣流布を予言された事は疑いないものではないか。 もしそうならば、聖人とは、近い現在に起きている事柄や現象から遠い未来を推測し、宇宙の因果の法則に基づいて、現在をもって未来の当時(その時)を知ることができる、 宇宙の因果の法則を正しく理解している 者を指すのである。  法華経方便品の「如是相 〜 如是本末究竟等」の文は、このことである。 English Gosho  Can there then be any doubt about his prediction for the distant future, that in the last five-hundred-year period after his passing, the Lotus Sutra would spread abroad widely?  With such perception one can see the distant future by looking at what is close at hand. One can infer what will be from what exists in the present. This is the meaning of [the passage from the Lotus Sutra that says, “This reality consists of] the appearance . . . and their consistency from beginning to end.” " A Sage Perceives the Three Existences of Life " 1275. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 641 [ --- ] is liberal translation. Interpretation (lib...

法華経の行者の祈りの かなはぬ事は あるべからず - it could never come about that the prayers of the practitioner of the Lotus Sutra would go unanswered.

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本文 大地は ささば はづるるとも 虚空をつなぐ者は ありとも・ 潮の みちひぬ事は ありとも 日は西より出づるとも・ 法華経の行者の祈りの かなはぬ事は あるべからず 祈祷抄 (1352頁) 文永9年 (1272年) 通解(意訳) たとえ大地を刺して外れる事があっても、 大空をつなぎ合わせる者があっても、 潮の満ち干きがなくなることがあっても、 太陽が西の空から昇るようなことがあっても、 法華経の行者の祈りが叶わないことはない。 English Gosho  Though one might point at the earth and miss it, though one might bind up the sky, though the tides might cease to ebb and flow and the sun rise in the west, it could never come about that the prayers of the practitioner of the Lotus Sutra would go unanswered. " On Player " 1272.  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 345 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

「若有聞法者無一不成仏」 - “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.”

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本文 法華経を信ずる人は冬のごとし 冬は必ず春となる、 いまだ昔より きかず・みず 冬の秋と かへれる事を、いまだきかず 法華経を信ずる人の凡夫となる事を、 経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候 妙一尼御前御消息 [冬必為春事] (1253頁) 建治元年5月 (1275年) 通解(意訳)  法華経を信ずる人は、極寒の冬の辛い時期を耐える人のようなものである。 しかし、辛い冬も永遠に続くことはなく、信心根本に耐え貫いていけば、必ず春のような幸福が訪れるのである。  未だかつて、冬が春とならずに秋に戻ったということは、聞いたことも見たこともない。 同じように、いまだかつて法華経を信ずる人が、仏に成らず凡夫のままである、ということも聞いたことがない。 経文には「もしこの法を聞くことがあれば、一人として成仏しない人はいない」と説かれているのである。 English Gosho  Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring.  Never, from ancient times on, has anyone heard or seen of winter turning back to autumn. Nor have we ever heard of a believer in the Lotus Sutra who turned into an ordinary person.  The sutra reads, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.” " Winter Always Turns to Spring " May, 1275. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 536 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」...

煩悩即菩提・生死即涅槃・即身成仏と申す法門なり - the teachings called “earthly desires are enlightenment,” “the sufferings of birth and death are nirvana,” and “attaining Buddhahood in one’s present form.”

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本文 最後臨終に南無妙法蓮華経と・となへさせ給いしかば、一生乃至無始の悪業変じて仏の種となり給う、煩悩即菩提・生死即涅槃・即身成仏と申す法門なり 妙法尼御前御返事 [臨終一大事] (1405頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 人生の最期・臨終のときに「南無妙法蓮華経」と唱えられたのであれば、今世での一生、さらには無始以来の過去世での悪業をも変じて、一生成仏の種となっているのである。これが煩悩即菩提・生死即涅槃・即身成仏という法門なのである。 English Gosho When your deceased husband chanted Nam-myoho-renge-kyo at the end on his deathbed, the evil deeds of a lifetime, and from the beginningless past, changed into the seeds of Buddhahood. This is what is meant by the teachings called “earthly desires are enlightenment,” “the sufferings of birth and death are nirvana,” and “attaining Buddhahood in one’s present form.” " The Importance of the Moment of Death " July, 1278. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 760 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

王の心ざしをば臣のべ・をやの心ざしをば子の申しのぶる - a minister proclaims his ruler's sincerity, while a son proclaims his father's sincerity.

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本文 御心ざしのあらわれて候事申すばかりなし、せんするところは・こ なんでうどの(故 南条 殿)の法華経の御しんようの ふかかりし事の あらわるるか、 王の心ざしをば臣のべ・をやの心ざしをば 子の申しのぶるとはこれなり、あわれ ことの(故殿)の・うれしと・をぼすらん。 南条殿御返事 [大橋太郎抄] (1531頁) 建治2年3月 (1276年) 通解(意訳) (衣食等のご供養に対して、) 御供物に表れている信心に対するお志しは、言葉では申しつくすことができない。それも結局は、故・南条兵衛七郎殿の法華経の御信用が深かった事の表れであろうか。 王の志しは忠臣が述べ、親の志しを、子が申し述べるとは、このことである。故殿(南条殿)は嬉しく思っておられるであろう。 English Gosho  I do not know how to thank you for the sincerity you have shown in sending these articles.  In the end, it must be an indication of the depth of the late Nanjō's* faith in the Lotus Sutra.  This is what is meant by the statement that a minister proclaims his ruler's sincerity, while a son proclaims his father's sincerity. The late Nanjō is probably delighted. * late Nanjō; Father of Tokimitsu Nanjo. " The Story of Ōhashi no Tarō " March, 1276.  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 675 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Biblio...

法華経一部の肝心は南無妙法蓮華経の題目にて候 - the heart of the Lotus Sutra is its title, or the daimoku, of Nam-myoho-renge-kyo.

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本文 一切の事につけて所詮・肝要と申す事あり、法華経一部の肝心は 南無妙法蓮華経の題目にて候、 朝夕 御唱え 候はば  正く 法華経一部を真読 にあそばすにて候、二返唱うるは二部 乃至 百返は百部・千返は千部・加様に 不退に御唱え候はば 不退に法華経を読む人にて候べく候 妙法尼御前御返事 [一句肝心事] (1402~1403頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 世の中の一切の事柄には、いわゆる肝要という最も重要な事がある。法華経一部(全28巻)の肝心は、南無妙法蓮華経の題目なのである。  朝夕、南無妙法蓮華経の題目を唱えられるならば、まさしく法華経全28品を最初から最後まで、一門一句間違いなく真読(しんどく)したことと同じ事になるのである。2偏、南無妙法蓮華経と題目を唱えれば2回、100偏唱えれば100回、千偏は千回、法華経を読む事と同じであり、このように退転することなく題目を唱えられるならば、退転することなく法華経を真読する人なのである。 English Gosho  Everything has its essential point, and the heart of the Lotus Sutra is its title, or the daimoku, of Nam-myoho-renge-kyo.  Truly, if you chant this in the morning and evening, you are correctly reading the entire Lotus Sutra. Chanting daimoku twice is the same as reading the entire sutra twice, one hundred daimoku equal one hundred readings of the sutra, and one thousand daimoku, one thousand readings of the sutra.  Thus, if you ceaselessly chant daimoku, you will be continually reading th...

貴辺も上行菩薩の化儀をたすくる人なるべし - I am sure that you, too, are one who assists Bodhisattva Superior Practices in his propagation efforts.

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本文 経に云く「我が滅度の後に於て 応に斯の経を受持すべし 是の人 仏道に於て 決定して 疑 有ること無けん」云云、貴辺も上行菩薩の化儀をたすくる人なるべし。 右衛門太夫殿御返事 [斯人行世間事] (1102頁) 弘安2年12月 (1279年) 通解(意訳) 法華経神力品にいわく「我が滅度の後末法に於いて、応に斯の経を受持すべきである。是の人が成仏することは絶対疑いない」と説かれている。あなたも、末法における上行菩薩(=日蓮大聖人)の正法弘通を助ける使命を持った人なのである。 English Gosho  The sutra states, “After I have passed into extinction, [one] should accept and uphold this sutra. Such a person assuredly and without doubt will attain the Buddha way."  I am sure that you, too, are one who assists Bodhisattva Superior Practices* in his propagation efforts [;Nichiren Buddhism ] . * This Bodhisattava is Nichiren Daishonin. " This Person Advances through the World " December, 1279. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1011 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

きわめて・まけじたましの人 - A man who never gives in to defeat

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本文 きわめて・まけじ たましの人にて我がかたの事をば大事と申す人なり 可延定業書 [定業延命抄] (986頁) 弘安2年(1279年) 1月~2月の説有り 通解(意訳) (四条金吾は) 極めて負けじ魂の人で、自分の味方の事を大切にする人である。 English Gosho He [; Shijō Kingo ] is a man who never gives in to defeat and who greatly values his friends. " On Prolonging One’s Life Span " It's guessed at with February from January, 1279. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 955 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

一切衆生南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり - There is no true happiness for human beings other than chanting Nam-myoho-renge-kyo.

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本文 一切衆生 南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり 経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文あに自受法楽にあらずや 四条金吾殿御返事 [衆生所遊楽御書] (1143頁) 建治2年6月 (1276年) 通解(意訳) 一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱える以外の遊楽はないのである。法華経如来受量品第十六にある「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所なり)」との、この一文は「自受法楽」のことではないか。 人生の途上において起こる様々な苦難を自ら受け止め、自身の胸中に厳然と存在する妙法の力を、南無妙法蓮華経の題目で自由自在に発揮し、悠々と、楽しく乗り越えていく生き方である。 つまり、南無妙法蓮華経と唱え、「絶対的幸福」の境涯で、今世の人生を楽しく生きるという事なのである。 English Gosho  There is no true happiness for human beings other than chanting Nam-myoho-renge-kyo. The sutra reads, “. . . where living beings enjoy themselves at ease.”  How could this passage mean anything but the boundless joy of the Law? " Happiness in This World " June, 1276. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 681 [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  The life-style which catches the various hardships which are on the way to a life and occur personally and is getting positively is the purpose of Nichiren Buddhism, raising the power of Myoho which exis...

日蓮は今時を得たり - Nichiren has truly been given this time.

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本文 日蓮は今時を得たり豈此の所嘱の本門を弘めざらんや 妙一女御返事 [事理成仏抄] (1261頁) 弘安3年7月 (1280年) 通解(意訳) 日蓮は、法華経に説かれている末法に生まれ、妙法流布の時を得たのである。どうして末法において地涌の菩薩に託された、法華経の肝心である本門・南無妙法蓮華経を弘めずにはおられようか。 English Gosho  Nichiren has truly been given this time. How could I possibly not spread the essential teaching, which perfectly suits the age? " The Attainment of Buddhahood in Principle  and in Its Actual Aspect " July, 1280. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 892 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

末代の法華経の行者を供養するは十号を具足しまします如来を供養したてまつるにも其の功徳すぎたり - The blessings from making offerings to a votary of the Lotus Sutra in the latter age exceed even those from making offerings to a Thus Come One endowed with the ten honorable titles.

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本文 末代の法華経の行者を供養するは 十号を具足しまします如来を供養したてまつるにも 其の功徳すぎたり、 又濁世に法華経の行者あらんを留難をなさん人は頭七分にわるべし 国府尼御前御書 [佐渡給仕御書] (1324頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) 末代の法華経の行者を供養することは、十号を具足された仏を供養するよりも、その功徳が勝れているということである。 また五濁悪世(末法)に出現した法華経の行者に対して迫害する人々は、頭 (心、精神) が七つに破れるということである。 English Gosho  The blessings from making offerings to a votary of the Lotus Sutra in the latter age exceed even those from making offerings to a Thus Come One endowed with the ten honorable titles, while those who persecute a votary of the Lotus Sutra in the defiled age will have their heads split into seven pieces. " Letter to the Lay Nun of Kō " July, 1275. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 595 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"