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7月, 2024の投稿を表示しています

言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり - Words echo the thoughts of the mind and find expression through the voice.

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本文 心に分別して思い言い顕す言語なれば 心の外には分別も無分別も無し、 言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり こころに ふんべつして おもい いい あらわす げんごなれば こころのほかには ふんべつも むふんべつも なし、 ことばと いうは こころの おもいを ひびかして こえを あらわすを いうなり 三世諸仏総勘文教相廃立 さんぜしょぶつそうかんもんきょうそうはいりゅう (563頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) 心で分別した思いを言い表すのが言葉(言語)であるから、心の外に出た言葉には、分別も無分別もない。 言葉というのは心の思いを響かせて声に顕したものをいうのである。 言葉というものは、相手を思いやる心、敬う心、尊重する心、励ます心などの、自分の心の底から湧き上がる慈悲の思いを相手に届かせるために、堂々と、誠実に声に出して表現することである。 英語で御書 Gosho in English Words are what give expression to the distinctions that are thought of in the mind. Therefore, outside of the mind there are neither distinctions nor the absence of distinctions. Words echo the thoughts of the mind and find expression through the voice. " The Unanimous Declaration by the Buddhas  of the Three Existences regarding the Classification of the Teachings  and Which Are to Be Abandoned and Which Upheld " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 843 in October, 1279. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (lib

世間のことわざにも一は万が母といへり - The popular proverb says that ‘one is the mother of ten thousand.'

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本文 世間のことわざにも 一は万が母 と いへり 此等の道理を知らずや、所詮実相の理の背契を論ぜよ 強ちに多少を執する事なかれ せけんのことわざにも いちはまんがははといえり これらのどうりをしらずや、いわゆるじっそうの ことわりのはいけいをろんぜよ あながちに たしょうをしゅうすることなかれ 聖愚問答抄・下  しょうぐもんどうしょう・げ (498頁)  文永2年又は文永5年 (1265年、1268年) 通解(意訳) 世間のことわざにも、「一は万が母」といっている。これらの道理を知らないのか。 大切なことは、その宗派の教えが、世の中の実相の真理が集約されているか、背いているかを論じなさい。けっして教義が多いか少ないかに執着してはならない。 物事を見る際に、それに対する外見や数の多少だけに執着しては、物事の真実を見抜く事はできないのである。 英語で御書 Gosho in English The popular proverb says that ‘one is the mother of ten thousand.' Do you not understand the principle behind these matters? The important thing to consider is whether or not a doctrine conforms with the principle of the true aspect of all things. Do not be blindly attached to the question of many or few !  " Conversation between  a Sage and an Unenlightened Man "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 131 1265, or 1268. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 世間のことわざにも 一は万が母 と いへり 此等の道理を知らずや、所詮実相の理の背契を論ぜよ 強ちに多少を執する事なかれ SEKEN NO

皆おしなべて法華経にて成仏すべき国なり - A country where ... can all attain Buddhahood through the Lotus Sutra.

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本文 上も下も 貴も賎も 持戒も破戒も 男も女も 皆 おしなべて 法華経にて 成仏すべき国なり かみも しもも きも せんも じかいも はかいも おとこも おんなも みな おしなべて ほけきょうにて じょうぶつすべき くになり 法華初心成仏抄 ほっけしょしんじょうぶつしょう (545頁) 建治3年3月 (1277) 通解(意訳) 日本という国は、身分の上も下も、貴い人も賎しい人も、持戒を持つ僧侶も破戒の僧侶も、男も女も、皆が等しく法華経によって成仏することができる国なのである。 英語で御書 Gosho in English Japan is therefore a country where high and low, eminent and humble, those who observe the precepts and those who break them, men and women alike, can all attain Buddhahood through the Lotus Sutra. " How Those Initially Aspiring to the Way  Can Attain Buddhahood through the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 873 in March, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 上も下も 貴も賎も 持戒も破戒も 男も女も 皆 おしなべて 法華経にて 成仏すべき国なり KAMI MO SHIMO MO KI MO SEN MO JIKAI MO HAKAI MO OTOKO MO ON-NA MO MINA OSHINABETE HOKEKYO NITE JŌBUTSU SUBEKI KUNI NARI 法華 初心 成仏 抄 HOK'KE SHOSHIN JŌBUTSU SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The W

未来の大苦をまねぎこして少苦に値うなり - We can change the karma that destines us to suffer terribly in the future.

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本文 我等 過去に正法を行じける者に・あだをなして・ありけるが 今 かへりて信受すれば過去に人を障る罪にて 未来に大地獄に堕つべきが、 今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば 未来の大苦を まねぎこして少苦に値うなり われら かこに しょうほうを ぎょうじけるものに・あだをなして・ありけるが いま かえりて しんじゅすれば かこの ひとをさわる つみにて みらいに だいじごくに おつべきが、こんじょうに しょうほうを ぎょうずる くどく・ごうじょうなれば みらいの だいくを なぎこして しょうくに あたうなり 兄弟抄 きょうだいしょう (1083頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) 我らは、過去世で正法(法華経)を修行していた者に対して怨をなしたのであるが、今世では反対に自分が正法を信受することになったので、過去世に法華経の行者の修行を妨げた罪により、本当は未来世に大地獄に堕ちるはずであったが、 今世に強盛に正法を行じているため、その功徳も強盛であるから、来世の大きな苦しみを今世に招きよせて、少さな苦しみに値う事で済んでいるのである。 英語で御書 Gosho in English We, who now believe in the correct teaching , in the past once committed the offense of persecuting  its practitioners, and therefore are destined to fall into a terrible hell in the future. The blessings gained by practicing the correct teaching, however, are so great that by meeting minor sufferings in this life we can change the karma that destines us to suffer terribly in the future. " Letter to the Brothers " "The Writings of Nichiren Daishonin",

すこしも・へつらはず振舞仰せあるべし - You must act and speak without the least servility.

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本文 同くは・なげきたるけしきなくて此の状に・かきたるが・ごとく・すこしも・へつらはず振舞仰せあるべし、中中へつらふならば・あしかりなん、 設ひ所領をめされ追い出し給うとも十羅刹女の御計いにてぞ・あるらむと・ふかくたのませ給うべし おなじくは・なげきたる けしき なくて この じょう に・かきたるが・ごとく・すこしも・へつらわず ふるまい おおせ あるべし、なかなか へつらう ならば・あしかりなん、 たとい しょりょう を めされ おいだし たもう とも じゅうらせつにょ の おんはからい にてぞ・あるらん と・ふかく たのませ たもうべし 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [不可惜所領事] ふかしゃくしょしょりょうじ (1163~1164頁) 建治3年7月 (1277年) 通解(意訳) 同じ一生ならば、嘆いたような様子を見せずに、あなたがこの誓状に書かれた「決して退転しない」という強い決意のように、少しもへつらわず、今までのあなたの振舞い通りに、誠実に、堂々と振舞い、語っていきなさい。中途半端にへつらうようなことがあれば、かえって状況が悪くなるであろう。 たとえ所領を没収され、追い出されたとしても、それは諸天善神である十羅刹女の御計いであり、「必ず意味がある事だ」と、信心の眼で受け取って、より深く信心を奮い起こして、諸天にゆだねておきなさい。 英語で御書 Gosho in English Since it will be the same in any event, do not betray grief. Just as you have written in your letter, you must act and speak without the least servility.  If you try to curry favor, the situation will only worsen.  Even if your fiefs should be confiscated or you yourself driven out, you must think that it is due to the workings of the ten demon daughters, and whole

日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て - You should just single-mindedly chant Nam-myoho-renge-kyo morning and evening, day and night

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本文 日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、 妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、 法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし・金繩を以て八の道をさかひ、 天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば・我れ等も必ず其の数に列ならん、 法華経はかかる・いみじき御経にて・をはしまいらせ候 にち や ちょう せき・なんみょうほうれんげきょう と となえ そうらえて さいご りんじゅう の とき を みさせ たまえ、 みょうかく の やま に はしり のぼり しほう を ごらんぜよ、 ほうかい は じゃっこうど に して るり を もって ち とし・こがねなわ を もって やっつ の みち を さかい、 てん より ししゅ の はな ふり こくう に おんがく きこえ、しょぶつ・ぼさつ は みな じょうらくがじょう の かぜ に そよめき たまえば・われら も かならず その かず に つらならん ほけきょう は かかる・いみじき おきょう にて・おわし まいらせ そうろう 松野殿御返事 まつのどのごへんじ (1388頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 日夜、朝夕に、南無妙法蓮華経と真剣に唱えて、法華経を受持しきったあなたの最期・臨終の時を考えてみなさい。 妙覚の山に走り登って、頂上から東西南北の四方を御覧なさい。 法界は寂光土であり、七宝の一つである瑠璃(るり・インド古代の七宝の一つであるラピスラズリ)を大地とし、黄金の繩で成仏にいたる八つの道を境とし、 天からは曼荼羅華等の四種類の花が降り注ぎ、空には音楽が聞え、諸仏・菩薩は皆、常楽我浄の四徳の風にそよめいている。我らも必ず、その仏・菩薩の数の内に列なるのである。 法華経はこのようにすぐれた経なのである。 英語で御書 Gosho in English You should just single-mindedly chant Nam-myoho-renge-kyo morning and evening, day and night, and observe what happens at the last moments of your life. At that time, hasten to the summit

日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ - I, Nichiren, have inscribed my life in sumi ink, so believe in the Gohonzon with your whole heart.

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本文 日蓮がたましひを すみにそめながして・かきて候ぞ 信じさせ給へ、 仏の御心は法華経なり 日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるは なし にちれん が たましい を すみ に そめながして・かきて そうろう ぞ しんじ させ たまえ ほとけ の みこころ は ほけきょう なり にちれん が・たましい は なんみょうほうれんげきょう に・すぎたる は なし 経王殿御返事 きょうおうどのごへんじ (1124頁) 文永10年8月 (1273年) 通解(意訳) 日蓮が顕した御本尊は、日蓮の生命を削ってでも、すべての人々を救いたいという魂を墨に染め流して書き認めたものである。しっかりと信じ抜き、受持していきなさい。 釈尊が説いた真の法門は法華経であるが、諸法が乱立している末法においては、南無妙法蓮華経が真の法門であり、日蓮仏法の南無妙法蓮華経以外にはない。 英語で御書 Gosho in English I, Nichiren, have inscribed my life in sumi ink, so believe in the Gohonzon with your whole heart. The Buddha’s will is the Lotus Sutra, but the soul of Nichiren is nothing other than Nam-myoho-renge-kyo. " Reply to Kyō’ō " " Reply to Kyo'o " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 412 in August, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Nichiren wrote the GOHONZON with the soul that I want to save everyone even if I lose my life. Believe this GOHONZON firmly and keeping on it. Sakyamuni

鉄は炎打てば剣となる - Iron, when heated in the flames and pounded, becomes a fine sword

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本文 鉄は炎打てば剣となる 賢聖は罵詈して試みるなるべし、 我今度の御勘気は世間の失一分もなし 偏に先業の重罪を今生に消して 後生の三悪を脱れんずるなるべし くろがね は きたい うてば つるぎ と なる けんしょう は めり して こころみる なる べし われ こんど の ごかんき は せけん の とが いちぶん も なし ひとえ に せんごう の じゅうざい を こんじょう に けして ごしょう の さんあく を まぬがれんずる なるべし 佐渡御書 さどごしょ [富木殿等御返事] ときどのとうごへんじ (956頁) 文永9年3月 (1272年) 通解(意訳) 鉄は炎に入れて、熱して鍛え打てば剣となる。賢人、聖人は罵ってみて真価が試されるものである。 日蓮が今回受けた佐渡流罪の罪については、世間(今世)での罪は少しもない。 ただ、過去世の重罪を今生に消滅して、来世に三悪に堕すことを脱れることになるのであろう。 仏法者として生きていく上で、様々な困難に直面し、戦い抜いていくことで、自身の過去世からの宿業が、今世において表面に現れる。 この宿業を取り除くために、「今こそ自分の信心が試されている時だ」と決意し、強い信心で乗り越えることで、自身の宿命転換を成し遂げることができる。 苦難に直面した時こそ、強靭な信心を確立し、強い自分に変わるチャンスなのである。 英語で御書 Gosho in English Iron, when heated in the flames and pounded, becomes a fine sword. Worthies and sages are tested by abuse. My present exile is not because of any secular crime.  It is solely so that I may expiate in this lifetime my past grave offenses and be freed in the next from the three evil paths. " Letter from Sado "  "The Writings of Nichiren Daishonin",

若し日蓮地涌の菩薩の数に入らば豈に日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非ずや - If Nichiren is to be counted among the Bodhisattvas of the Earth, then so must his disciples and lay supporters.

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本文 地涌の菩薩のさきがけ 日蓮一人なり、地涌の菩薩の数にもや 入りなまし、 若し日蓮 地涌の菩薩の数に入らば 豈に 日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非ずや じゆの ぼさつの さきがけ にちれん いちにん なり、じゆの ぼさつの かずにもや いりなまし、 もし にちれん じゆの ぼさつの かずにいらば あに にちれんが でしだんな・じゆの るうりに あらずや 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1359頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 地涌の菩薩の先駆けは、日蓮一人である。もしくは地涌の菩薩の数にも入っているのであろうか。 もし、日蓮が地涌の菩薩の数に入っているのであれば、日蓮の弟子檀那達もまた地涌の菩薩であり、仲間ということになろう。 英語で御書 Gosho in English Nichiren alone took the lead in carrying out the task of the Bodhisattvas of the Earth. He may even be one of them. If Nichiren is to be counted among the Bodhisattvas of the Earth, then so must his disciples and lay supporters. " The True Aspect of All Phenomena " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 385 May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 地涌 の 菩薩 の さきがけ 日蓮 一人 なり、地涌 の 菩薩 の 数 にもや 入りなまし、 若し 日蓮 地涌 の 菩薩 の 数 に 入らば 豈に 日蓮 が 弟子 檀那・地涌 の 流類 に 非ずや JIYU NO BOSATSU NO SAKIGAKE NICHIREN ICHININ NARI, JIYU NO BOSATSU NO KAZU NIMOYA IRINAMASHI, MOSHI NICHIREN JIYU NO BOSATSU

蘭室の友に交りて麻畝の性と成る - You have associated with a friend in the orchid room and have become as straight as mugwort growing among hemp.

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本文 鳩 化して鷹と為り 雀 変じて蛤と為る、悦しきかな 汝 蘭室の友に交りて麻畝の性と成る はと け して たか と なり すずめ へんじて はまぐり と なる、よろこばしき かな なんじ らんしつ の とも に まじりて まほ の しょう と なる 立正安国論 りっしょうあんこくろん (31頁) 文応元年7月 (1260年) 通解(意訳) 古事に「鳩化して鷹となり、雀(福良雀という、雀(すずめ)の形のような貝)が変じて蛤(はまぐり)となる」とあるように、人は善き友(善知識)と交わることで、より善い人間になることができる。 悦ばしいことに、あなたは蘭室の友(蘭の香りのように人徳の薫り高い人)に交わって感化されて、蓬(よもぎ)のように曲がりがちな性格が、真っ直ぐに育つ麻畑の中に蓬が交わって正されたように、素直で真っ直ぐな性格になれた。 蘭室の友 「対話は、慈悲の香りが相手を包み込むようでありたい。 弘教は押しつけでもなければ、組織のためでもない。 弘教は、相手の仏界をを礼拝することだから、最高に相手を尊敬する行為なのです。(中略) 相手を論破しようとしたり、こちらの勢力に取り込もうとするような対立的な心で弘教するのではないのです。 」 - 池田大作 英語で御書 Gosho in English The dove has changed into a hawk, the sparrow into a clam. How gratifying! You have associated with a friend in the orchid room and have become as straight as mugwort growing among hemp. " On Establishing the Correct Teaching for the Peace of the Land " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 23 in July, 1260. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  You were in

法華を識る者は世法を得可きか - When one knows the Lotus Sutra, one understands the meaning of all worldly affairs.

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本文 正像に無き大地震・大彗星等 出来す、此等は金翅鳥・修羅・竜神等の動変に非ず 偏に四大菩薩を出現せしむ可き 先兆なるか、 天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り 花の盛なるを見て池の深きことを知る」等云云、妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、 天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか しょうぞうに なき おおじしん・だいすいせいとう しゅったいす、これらは こんじちょう・しゅら・りゅうじんとうの どうへんに あらず ひとえに しだいぼさつを しゅつげん せしむべき せんちょう なるか、 てんだいいわく「あめの たけきをみて りゅうの だいなるをしり はなの さかんなるを みて いけの ふかきことを しる」とう うんぬん、みょうらくたいし いわく「ちじんは きを しり へびは みずから へびを しる」とう うんぬん、 てん はれぬれば ち あきらかなり ほっけを しるものは せほうを うべきか 観心本尊抄 かんじんのほんぞんしょう [如来滅後五五百歳始観心本尊抄] にょらいめつご ご ごひゃくさい に はじむ かんじん の ほんぞんしょう [法本尊開顕の書] ほうほんぞんかいけんのしょ (246頁) 文永10年4月 (1272年) (254頁) 文永10年4月 正法・像法時代には起きなかった大地震・大彗星等の天変地異が、近年立て続けに出来している。これらは金翅鳥・阿修羅・竜神等が起こす動変ではない。ひとえに地涌の菩薩のリーダーである、上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩の四菩薩が出現すべき先兆であろう。 天台大師は「雨が猛々しく降る現証を見て、雨を降らせる言われている、竜の力の偉大なることを知り、蓮華の花が大きく咲き盛なっている様子を見て、その池の深いことを知る」等と言い、妙楽大師は「智人は将来起こるべきことを知り、蛇は自ら蛇の本質を知っている」等と言っている。 天が晴れるならば、大地は明るくなる。太陽の光に従って大地が明るくなるように、法華経を識る者は、今の世間の本質(世法)を明らかに知り得られるであろう。 英語で御書 Gosho in English We have recently experienced great earthquakes, huge comets, and oth

ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候 - Have profound faith. A coward cannot have any of his prayers answered.

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本文 なにの兵法よりも 法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、 兵法 剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候 なに の へいほう より も ほけきょう の へいほう を もちい たもう べし、「しょよ おんてき・かいしつ さいめつ」の きんげん むなし かる べからず、 へいほう けんぎょう の だいじ も この みょうほう より いでたり,ふかく しんじん を とり たまえ、あえて おくびょう にて は かなう べからず そうろう 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [法華経兵法事] ほけきょうへいほうじ [剣形書]  けんぎょうしょ (1193頁)  弘安2年10月  (1279年)  通解(意訳) どのような策や方法よりも、信心によって智慧を引き出す「法華経の兵法」を用いていきなさい。 法華経を信受している者の成仏を妨げようとする、あらゆる魔の働きは、すべて信心の功徳で滅ぼすことができるのである(諸余怨敵・皆悉摧滅 しょ よ おん てき ・かい しつ さい めつ)。 教主釈尊の御金言が決して空しいはずがない。信心によって乗り越えられない苦難はないのである。 すべての世法も技術も、「心こそ大切なれ」という妙法の思想から生まれ出たものである。 いかなる逆境にあっても、題目を唱えて智慧を頂き、その智慧と御本尊の妙法の力を信じ抜いて、努力を惜しまず、前進する勇気をもって行動していきなさい。 信心も行動も、臆病であっては何事も成就することはできないのである。 英語で御書 Gosho in English Employ the strategy of the Lotus Sutra before any other. “All others who bear you enmity or malice will likewise be wiped out.” These golden words will never prove false.  The heart of strategy and swordsmanship derives from the Mystic Law. Have profound faith. A cowa

ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし - Now you must build your reputation on the Lotus Sutra and give yourself up to it.

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本文 ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし、 釈迦仏多宝仏・十方の諸仏・菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、 唯ひとへに末法の令法久住の故なり ともかくも ほけきょうに なを たて みを まかせ たもうべし、 しゃかぶつ たほうぶつ・じっぽう の しょぶつ・ぼさつ・こくう に して にぶつ うなずきあい、さだめさせ たまいしは べつのこと には あらず、 ただ ひとえに まっぽうの りょうほうくじゅう の ゆえ なり 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう SHOHO JISSO SHO (1360頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) なんとしても、法華経に名を立て、身を任せていきなさい。 釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏・菩薩等、あらゆる仏菩薩達が集まり、虚空会の儀式において、釈迦仏と多宝仏の二人の仏がうなずきあい、その時に定められた(決めた)ことは、(一切衆生を仏にする事以外の)別のことではない。 ただひとえに、末法において、法華経の肝心である南無妙法蓮華経という、万人成仏のための立派な法(令法・りょうほう)を、釈尊滅度より久しく末法の世に住在させる(久住・くじゅう、令法久住・りょうほう くじゅう)のためであり、地涌の菩薩にその使命を託されたのである。 英語で御書 Gosho in English Now you must build your reputation on the Lotus Sutra and give yourself up to it. At the Ceremony in the Air, when the Buddhas and bodhisattvas of the ten directions gathered together, the two Buddhas, Shakyamuni and Many Treasures, nodded in agreement. What they decided on was nothing other than the perpetuation of the Law throughout the Latter Day. " The Tru

何として都の月をば詠め候べき - How can you admire the moon over the capital?

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本文 鎌倉より京へは十二日の道なり、 それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩を さしをきては何として都の月をば詠め候べき かまくら より きょう へ は じゅうに にち の みち なり、それを じゅういちにち あまり あゆみ を はこびて いま いちにち に なりて あゆみ を さしをきて は なんとして みやこ の つき をば ながめ そうろう べき 新池御書 にいけごしょ (1440頁)  弘安3年2月 (1280年) 通解(意訳) 鎌倉から京都へは12日の道のりである。 それを11日ほど歩いて、あと1日になって歩くのをやめてしまったら、どうして都の月をながめることができようか。 同じように、信心を始めたとしても、途中で信心をやめて退転してしまえば、成仏への直道を閉ざすばかりか、謗法という大罪を犯す事になるのである。 英語で御書 Gosho in English The journey from Kamakura to Kyoto takes twelve days.  If you travel for eleven but stop with only one day remaining, how can you admire the moon over the capital? " Letter to Niike " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1027 in February, 1280. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  The faith also the same. When you have stop the faith on the way even if you started the faith, it will be to commit the sin which slanders the Lotus Sutra [Nichiren Buddhism], as well as closing the way to a

仏種は縁に従つて起る - The seeds of Buddhahood sprout as a result of conditions

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本文 其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、 仏種は縁に従つて起る 是の故に 一乗を説くなるべし その くに の ぶっぽう は きへん に まかせ たてまつり そうろうぞ、 ぶっしゅ は えん に よって おこる その ゆえに いちじょう を とく なるべし 高橋殿御返事 たかはしどのごへんじ [米穀御書] べいこくごしょ (1445頁) 年月不明 (建治~弘安が有力) (1275~78年) 通解(意訳) その国の広宣流布は、あなたにお任せする。仏種という、本来誰もが持っている仏の生命は、この妙法を誠実に語るという、妙法との縁によって起こるものである。この故に、”諸教で最も優れた法華経の法(一乗)”を説くのである。 友情と信頼の拡大 人の心は、他者との触れ合いという「縁」によって大きく変わることができる。ありのままの人間として心を開き、声をかけていくのだ。  その瞬間から、お互いの生命が、より強く、より豊かに変わり始める。 -池田大作  英語で御書 Gosho in English I entrust you with the propagation of Buddhism in your province. It is stated that “the seeds of Buddhahood sprout as a result of conditions, and for this reason they preach the single vehicle.” " Properties of Rice " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1117 The main opinion is from 1275 to 1278. [ --- ] is liberal translation. Expanding friendship and trust People's minds be able to change greatly on the fellowship with others. Open your  heart as an natural person and call out to oth

南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり - There is no true happiness for human beings other than chanting Nam-myoho-renge-kyo.

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本文 一切衆生 南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり 経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文あに自受法楽にあらずや いっさいしゅじょう なんみょうほうれんげきょう と となうる より ほか の ゆうらく なきなり きょう に いわく「しゅじょうしょゆうらく」うんぬん、この ぶん あに じじゅほうらく に あらずや 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [衆生所遊楽御書] しゅじょうしょゆうらくごしょ (1143頁) 建治2年6月 (1276年) 通解(意訳) 一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱える以外の遊楽はないのである。法華経如来受量品第十六にある「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所なり)」との、この一文は「自受法楽」のことではないか。 人生の途上において起こる様々な苦難を自ら受け止め、自身の胸中に厳然と存在する妙法の力を、南無妙法蓮華経の題目で自由自在に発揮し、悠々と、「絶対的幸福」の境涯で、今世の人生を楽しく乗り越えていく生き方である。  英語で御書 Gosho in English There is no true happiness for human beings other than chanting Nam-myoho-renge-kyo. The sutra reads, “. . . where living beings enjoy themselves at ease.” How could this passage mean anything but the boundless joy of the Law? " Happiness in This World " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 681 in June, 1276. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  “. . . where living beings enjoy themselves at ease.” Please accept from yourself various pains that occur in

上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりて こそ いで給いしか - When Bodhisattva Superior Practices emerged from the earth, did he not emerge dancing?

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本文 大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、 すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、 迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし、 上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりて こそ いで給いしか だいじ には しょうずい なし、だいあく おこれば だいぜん きたる、すで に だいほうぼう・くに に あり だいしょうほう かならず ひろまる べし、おのおの なに をか なげかせ たもう べき、 かしょうそんじゃ に あらず とも・まい をも・まい ぬべし、しゃりほつ に あらねども・たって おどり ぬべし、じょうぎょうぼさつ の だいち より いで たまいし には・おどり て こそ いで たまいしか 大悪大善御書 だいあくだぜんごしょ (1300頁) 年月不明 (文永12年(1275年)2月の説有り) 通解(意訳) 大事の起こる前には小さな瑞相(ずいそう、前触れ)はない。大悪が起これば大善がくる。 既に、正法である法華経を謗る(そしる)という大悪(大謗法)が国に充満しているのであるから、大正法は必ず弘まるという大善もくるのである。各々(おのおの)何を嘆くことがあろうか。 迦葉尊者でなくても、舞いを舞うべきところである。舎利弗でなくても、立って踊るべきところである。 上行菩薩ら、地涌の菩薩が大地から湧出したときには、舞い踊りながら出られたのである。 末法において、教主釈尊は大地から「地涌の菩薩」を呼び出し、妙法蓮華経を弘める事を託された。この「地涌の菩薩」のリーダーである「上行菩薩」は、大地から舞い踊りながら出現されたのである。 「上行菩薩」は日蓮大聖人の事であり、「地涌の菩薩」とは、末法における法華経の行者である、私達の事なのである。  我々は、姿は凡夫の姿であるが、その内証(内に秘められた無限の可能性の証である、仏性)は尊い使命を果たすために今世に出現した、尊い「地涌の菩薩」なのである。 英語で御書 Gosho in English Great events never have minor omens. When great evil occurs, great good follows. Since great slander alrea

其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ - I entrust you with the propagation of Buddhism in your province

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本文 其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、 仏種は縁に従つて起る 是の故に 一乗を説くなるべし その くに の ぶっぽう は きへん に まかせ たてまつり そうろうぞ、 ぶっしゅ は えん に よって おこる その ゆえに いちじょう を とく なるべし 高橋殿御返事 たかはしどのごへんじ [米穀御書] べいこくごしょ (1445頁) 年月不明 (建治~弘安が有力) (1275~78年) 通解(意訳) その国の広宣流布は、あなたにお任せする。仏種という、本来誰もが持っている仏の生命は、この妙法を誠実に語るという、妙法との縁によって起こるものである。この故に、”諸教で最も優れた法華経の法(一乗)”を説くのである。 "友情と信頼の拡大" 人の心は、他者との触れ合いという「縁」によって大きく変わることができる。ありのままの人間として心を開き、声をかけていくのだ。  その瞬間から、お互いの生命が、より強く、より豊かに変わり始める。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English I entrust you with the propagation of Buddhism in your province. It is stated that “the seeds of Buddhahood sprout as a result of conditions, and for this reason they preach the single vehicle.” " Properties of Rice " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1117 The main opinion is from 1275 to 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  "Expanding friendship and trust" People's minds be able to change greatly on the fellowship with other

道理証文よりも現証にはすぎず - even more valuable than reason and documentary proof is the proof of actual fact.

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本文 日蓮 仏法をこころみるに 道理と証文とには すぎず、 又 道理 証文よりも現証にはすぎず にちれん ぶっぽう を こころみる に どうり と しょうもん と には すぎず、 また どうり しょうもん よりも げんしょう には すぎず 三三蔵祈雨事 さんさんぞうきうのこと (1468頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) 日蓮が様々な宗教の優劣・正邪を判断する際、その宗教の教義や主張に、道徳や人道といった道理にかなっており、普遍妥当性(ふへん だとうせい、条件や時間などにとらわれず、どのような場合にも常に当てはまる性質)があるかを問う「理証」と、 記録または文書などの証拠があり、どの経典や文献を根本としているかを問う「文証」で判断をする以上の方法はない。 さらに、その宗教の正しさが、現実社会や実生活で証明されて、現実を変える力を持っているかを問う「現証」に勝るものない。 英語で御書 Gosho in English In judging the relative merit of Buddhist doctrines, I, Nichiren, believe that the best standards are those of reason and documentary proof. And even more valuable than reason and documentary proof is the proof of actual fact. " Three Tripitaka Masters Pray for Rain " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 598  in June, 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  When Nichiren Buddhism judges the superiority or evilness of various religions, the doctrines and insistences of the religions c