南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり - The Gohonzon exists only within the mortal flesh of ...chant Nam-myoho-renge-kyo.
本文
此の御本尊全く余所に求る事なかれ・
只 我れ等 衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団に おはしますなり、
是を九識心王真如の都とは申すなり
この ごほんぞん まったく よそ に もとむる こと なかれ・ただ われら しゅじょう の ほけきょう を たもちて なんみょうほうれんげきょう と となうる きょうちゅう の にくだん に おわします なり、これ を く しき しん のう しん にょ の みやこ とは もうすなり
日女御前御返事
にちにょごぜんごへんじ
[御本尊相貌抄]
ごほんぞんそうみょうしょう
(1244頁)
建治3年8月
(1277年)
通解(意訳)
この御本尊を決して別の所に求めてはならない。
ただ、われわれ衆生が法華経を信受して、南無妙法蓮華経と唱える、自身の胸中の肉団にいらっしゃるのである。
これを「九識心王真如の都」(自身の奥底にある、絶対的幸福の生命の都)というのである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
Never seek this Gohonzon outside yourself.
The Gohonzon exists only within the mortal flesh of us ordinary people who embrace the Lotus Sutra and chant Nam-myoho-renge-kyo.
The body is the palace of the ninth consciousness, the unchanging reality that reigns over all of life’s functions.
" The Real Aspect of the Gohonzon "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 821
in August, 1277.
[ --- ] is liberal translation.Gosho in Japanese
此の 御本尊 全く 余所 に 求る 事 なかれ・
只 我れ等 衆生 の 法華経 を 持ちて 南無妙法蓮華経 と 唱うる 胸中 の 肉団 に おはします なり、
是 を 九識心王真如 の 都 は 申す なり
KONO GOHONZON MAT'TAKU YOSO NI MOTOMURU KOTO NAKARE・
TADA WARERA SHUJŌ NO HOKEKYO WO TAMOCHITE NAM-MYOHO-RENGE-KYO TO TONAURU KYŌCHŪ NO NIKUDAN NI OWASHIMASU NARI、
KORE WO KUSHIKI-SHIN-NYO-SHIN-NYO NO MIYAKO TOWA MŌSU NARI
日女 御前 御返事
NICHINYO GOZEN GOHENJI
[御本尊 相貌 抄]
GOHONZON SŌMYŌ SHŌ
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