世間に財を積める蔵に鍵なければ開く事かたし - If there is a storehouse full of treasures but no key, then it cannot be opened
本文
妙と申す事は 開と云う事なり 世間に財を積める蔵に 鍵なければ 開く事かたし 開かざれば 蔵の内の財を見ず
みょう と もうす こと は かい と いう こと なり せけん に たから を つめる くら に かぎ なければ ひらく こと かたし ひらかざれば くら の うち の たから を みず
法華経題目抄
ほけきょうだいもくしょう
(943頁)
文永3年1月
(1266年)
通解(意訳)
(南無妙法蓮華経の)「妙」とは、本来自身に備わっている仏の境涯を開くということである。世間のたとえで言えば、財宝が詰まった蔵があっても、蔵を開く鍵がなければ開くことができない。蔵が開かなければ、蔵の中の財宝を見ることはできない。
南無妙法蓮華経の妙の文字は、仏の境涯を開く「鍵」なのである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
The Great Teacher Chang-an states, “Myō means to reveal the depths of the secret storehouse.”
The Great Teacher Miao-lo says of this, “To reveal means to open.”
Hence the character myō means to open.
If there is a storehouse full of treasures but no key, then it cannot be opened, and if it cannot be opened, then the treasures inside cannot be seen.
" The Daimoku of the Lotus Sutra "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 145
in January, 1266.
[ --- ] is liberal translation.Myō : The Character of "Nam-Myoho-Renge-Kyo."
Gosho in Japanese
妙 と 申す 事 は 開 と 云う 事 なり 世間 に 財 を 積める 蔵 に 鍵 なければ 開く 事 かたし 開かざれば 蔵 の 内 の 財 を 見ず
MYO TO MŌSU KOTO WA KAI TO YŪ KOTO NARI SEKEN NI TAKARA WO TSUMERU KURA NI KAGI NAKEREBA HIRAKU KOTO KATASHI HIRAKAZAREBA KURA NO UCHI NO TAKARA WO MIZU
法華経 題目 抄
HOKEKYO DAIMOKU SHŌ
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