教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ - The purpose of the appearance in this world of Shakyamuni Buddha, the lord of teachings, lies in his behavior as a human being.
本文
教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、
穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ
きょうしゅ しゃくそん の しゅっせい の ほんかい は ひと の ふるまい にて そうらいけるぞ、
あなかしこ・あなかしこ、かしこき を ひと と いい はかなき を ちく と いう
崇峻天皇御書
すしゅんてんのうごしょ
[三種財宝御書]
さんしゅざいほうごしょ
(1174頁)
建治3年9月
(1277年)
通解(意訳)
教主釈尊が生まれ持った使命(出生の本懐)とは、法華経を説いて、人としての振る舞いを説くことであった。
くれぐれも、よくお聞きなさい。
誠実に振る舞う事を学んでいる、賢い者を人といい、振る舞いを知らない愚かなものを畜生というのである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
The purpose of the appearance in this world of Shakyamuni Buddha, the lord of teachings, lies in his behavior as a human being.
Respectfully.
The wise may be called human, but the thoughtless are no more than animals.
" The Three Kinds of Treasure "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 852
in September, 1277.
[ --- ] is liberal translation.Gosho in Japanese
教主 釈尊 の 出世 の 本懐 は 人 の 振舞 にて 候けるぞ、
穴賢・穴賢、賢き を 人 と 云い はかなき を 畜 と いふ
KYOSHU SHAKUSON NO SHUS'SEI NO HONKAI WA HITO NO FURUMAI NITE SŌRAIKERUZO,
ANAKASHIKO・ANAKASHIKO, KASHIKOKI WO HITO TO II HAKANAKI WO CHIKU TO IU
崇峻 天皇 御書
SUSHUN TEN-NŌ GOSHO
[三種 財宝 御書]
SANSHU ZAIHŌ GOSHO
コメント
コメントを投稿
誰でもコメントができるようになりました。
匿名コメントも可能ですので、気軽にコメントできます。