学文し候し事は仏教をきはめて仏になり恩ある人をも・たすけんと思ふ - I pursued my studies because I wanted to master Buddhism and attain Buddhahood, and also to save the people to whom I am indebted.
本文
本より 学文し候し事は 仏教を きはめて 仏になり 恩ある人をも・たすけん と思ふ、仏になる道は 必ず身命をすつる ほどの事 ありてこそ 仏には なり候らめと・をしはからる 、既に 経文のごとく 悪口・罵詈・刀杖・瓦礫・数数見擯出と説かれて かかる め に値い候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心も おこり 後生も たのもしく候、死して候はば 必ず 各各をも・たすけ たてまつるべし
もと より がくもん し そうろう し こと は ぶっぽう を きわめて ほとけ に なり おん ある ひと をも・たすけん と おもう、ほとけ に なる みち は かならず しんみょう を すつる ほど の こと ありて こそ ほとけ には なり そうらめ と・おし はからる、すで に きょうもん の ごとく あっく・ばげん・ごうじょう、がれき・さくさくけんひんずい と とかれて かかる め に あい そうろう こそ よけきょう を よむ にて そうらめ と、いよいよ しんじん も おこり ごしょう も たのもしく そうろう、し して そうらわば かならず おのおの をも・たすけ たてまつる べし
本より 学文し候し事は 仏教を きはめて 仏になり 恩ある人をも・たすけん と思ふ、仏になる道は 必ず身命をすつる ほどの事 ありてこそ 仏には なり候らめと・をしはからる 、既に 経文のごとく 悪口・罵詈・刀杖・瓦礫・数数見擯出と説かれて かかる め に値い候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心も おこり 後生も たのもしく候、死して候はば 必ず 各各をも・たすけ たてまつるべし
もと より がくもん し そうろう し こと は ぶっぽう を きわめて ほとけ に なり おん ある ひと をも・たすけん と おもう、ほとけ に なる みち は かならず しんみょう を すつる ほど の こと ありて こそ ほとけ には なり そうらめ と・おし はからる、すで に きょうもん の ごとく あっく・ばげん・ごうじょう、がれき・さくさくけんひんずい と とかれて かかる め に あい そうろう こそ よけきょう を よむ にて そうらめ と、いよいよ しんじん も おこり ごしょう も たのもしく そうろう、し して そうらわば かならず おのおの をも・たすけ たてまつる べし
佐渡御勘気抄
さどごかんきしょう
(891頁)
文永8年10月
(1271年)
さどごかんきしょう
(891頁)
文永8年10月
(1271年)
通解(意訳)
もともと、学問の道に進んだきっかけは、仏教を究めて修得して、自分が仏になって幸福になり、恩ある人も助けようと思ったからである。仏になる道は、かならず命を捨てるほどの大難にあってこそ仏の境涯が開かれるのであろう、と思われる。
すでに法華経の経文に「この経を弘める者は悪口を言われ、罵られ、刀で斬られ、杖で打たれ、瓦や小石を投げられ、たびたび所を追われる」と説かれている通りのまま、このように様々な難にあう事で、法華経を身で読んで、自分こそ末法に南無妙法蓮華経を流布する、法華経の行者に間違いないと確信したのである。これらを思い返せば、さらに信心も深く起こってくる。「来世には善処に生まれ、また法華経と縁することが出来る」と経文に問いてあることも、頼もしい思いである。私が死んだならば、仏となり諸天善神となって、必ずあなた方をもお助けするであろう。
もともと、学問の道に進んだきっかけは、仏教を究めて修得して、自分が仏になって幸福になり、恩ある人も助けようと思ったからである。仏になる道は、かならず命を捨てるほどの大難にあってこそ仏の境涯が開かれるのであろう、と思われる。
すでに法華経の経文に「この経を弘める者は悪口を言われ、罵られ、刀で斬られ、杖で打たれ、瓦や小石を投げられ、たびたび所を追われる」と説かれている通りのまま、このように様々な難にあう事で、法華経を身で読んで、自分こそ末法に南無妙法蓮華経を流布する、法華経の行者に間違いないと確信したのである。これらを思い返せば、さらに信心も深く起こってくる。「来世には善処に生まれ、また法華経と縁することが出来る」と経文に問いてあることも、頼もしい思いである。私が死んだならば、仏となり諸天善神となって、必ずあなた方をもお助けするであろう。
英語で御書
Gosho in English
From the beginning, I pursued my studies because I wanted to master Buddhism and attain Buddhahood, and also to save the people to whom I am indebted. It seems to me that on the path to attain Buddhahood it may invariably be when one has done something like lay down one’s life that one becomes a Buddha. I think that perhaps it is encountering such difficulties as have already been explained in the sutra—being cursed, vilified, attacked with swords and staves, shards and rubble, and banished again and again—that is reading the Lotus Sutra with one’s life. My faith springs up all the more, and I am confident about my next existence. If I should die, I will definitely also save each of you.
Gosho in English
From the beginning, I pursued my studies because I wanted to master Buddhism and attain Buddhahood, and also to save the people to whom I am indebted. It seems to me that on the path to attain Buddhahood it may invariably be when one has done something like lay down one’s life that one becomes a Buddha. I think that perhaps it is encountering such difficulties as have already been explained in the sutra—being cursed, vilified, attacked with swords and staves, shards and rubble, and banished again and again—that is reading the Lotus Sutra with one’s life. My faith springs up all the more, and I am confident about my next existence. If I should die, I will definitely also save each of you.
" Banishment to Sado "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 202
in October, 1271.
[ --- ] is liberal translation.
Interpretation (liberal translation)"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 202
in October, 1271.
[ --- ] is liberal translation.
I [Nichiren Daishonin] convinced that I am a ascetic of the Lotus Sutra who appear in the Latter Age and Spread the Nam-Myoho-Renge-Kyo of the Title of the Lotus Sutra.
Therefore, I had encountered many difficulties, but I had never give up.
Even if I dead then I will save you as Goodness gods.
参考文献:
「日蓮大聖人御書全集」
「御書をひもとく」
「英語で学ぶ御書」
第三文明社
Bibliography :
"The Writings of Nichiren Daishonin"
"The Record of The Orally Transmitted Teachings"
「日蓮大聖人御書全集」
「御書をひもとく」
「英語で学ぶ御書」
第三文明社
Bibliography :
"The Writings of Nichiren Daishonin"
"The Record of The Orally Transmitted Teachings"
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