仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや - Surely they should not forget the debts of gratitude they owe to their parents, their teachers, and their country.
本文
仏教を ならはん者 父母・師匠・国恩を わするべしや、
此の大恩を ほうぜんには 必ず仏法を ならひ きはめ 智者とならで叶うべきか
ぶっきょうを ならわん もの ぶも・ししょう・こくおんを わするべしや、
この だいおんを ほうぜんには かならず ぶっぽうを ならい きわめ ちしゃと ならで たもうべきか
報恩抄
ほうおんしょう
(293頁)
建治2年7月
(1276年)
通解(意訳)
仏法を習っている者が、父母の恩、師匠の恩、国(社会)の恩を忘れていいわけがあろうか。
この親・師匠・国主の大恩(主・師・親の三徳)に報恩(ほうおん・恩返し)するためには、必ず仏法の真髄を徹底して習い極め、智者へと成長する事で、報恩が叶うのである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
What can we say, then, of persons who are devoting themselves to Buddhism? Surely they should not forget the debts of gratitude they owe to their parents, their teachers, and their country.
But if one intends to repay these great debts of gratitude, one can hope to do so only if one learns and masters Buddhism, becoming a person of wisdom.
" On Repaying Debts of Gratitude "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 690
in July, 1276.
[ --- ] is liberal translation.Gosho in Japanese
仏教 を ならはん 者 父母・師匠・国恩 を わするべしや、
此の 大恩 を ほうぜん には 必ず 仏法 を ならひ きはめ 智者 と ならで 叶う べきか
BUK'KYO WO NARAWAN MONO BUMO・SHISHŌ・KOKUON WO WASURU BESHIYA,
KONO DAION WO HŌZEN NIWA KANARAZU BUP'PO WO NARAI KIWAME CHISHA TO NARADE TAMOU BEKIKA
報恩抄
HŌ-ON SHŌ
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