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諸天善神等或はをとことなり或は女となり形をかへ... - The heavenly gods and benevolent deities will assume various forms such as those of men and women...

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本文 法華経を行ぜん者をば 諸天善神等 或は をとこ と なり 或は 女 と なり 形を かへ さまざまに 供養して たすくべし ほけきょうを ぎょうぜん もの をば しょてんぜんじんとう あるいは おとこと なり あるいは おんなと なり かたちを かえ さまざまに くようして たすくべし 船守弥三郎許御書 ふなもりやさぶろうもとごしょ [伊豆流罪事] いずるざいじ (1445頁) 弘長元年6月 (1261年) 通解(意訳) 法華経を行ずる者を、 諸天善神等が、あるいは男となり、あるいは女となって、形を変えて様々に供養して助けるであろう。 英語で御書 Gosho in English The heavenly gods and benevolent deities will assume various forms such as those of men and women, and present offerings to help the persons who practice the Lotus Sutra. " The Izu Exile " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 35 in June, 1261 [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 法華経 を 行ぜん 者 をば 諸天善神 等 或 は をとこ と なり 或 は 女 と なり 形 を かへ さまざま に 供養 して たすく べし HOKEKYO WO GYOZEN MONO WOBA SHOTEN-ZENJIN TOU ARUI WA OTOKO TO NARI ARUI WA ON-NA TO NARI KATACHI WO KAE SAMAZAMA NI KUYŌ SHITE TASUKU BESHI 船守 弥三郎 許 御書 FUNAMORI YASABURŌ MOTO GOSHO [伊豆 流罪 事] IZU RUZAI JI 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The ...

教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ - The purpose of the appearance in this world of Shakyamuni Buddha, the lord of teachings, lies in his behavior as a human being.

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本文 教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、 穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ きょうしゅ しゃくそん の しゅっせい の ほんかい は ひと の ふるまい にて そうらいけるぞ、 あなかしこ・あなかしこ、かしこき を ひと と いい はかなき を ちく と いう 崇峻天皇御書 すしゅんてんのうごしょ [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ (1174頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 教主釈尊が生まれ持った使命(出生の本懐)とは、法華経を説いて、人としての振る舞いを説くことであった。 くれぐれも、よくお聞きなさい。 誠実に振る舞う事を学んでいる、賢い者を人といい、振る舞いを知らない愚かなものを畜生というのである。  英語で御書 Gosho in English The purpose of the appearance in this world of Shakyamuni Buddha, the lord of teachings, lies in his behavior as a human being. Respectfully. The wise may be called human, but the thoughtless are no more than animals. " The Three Kinds of Treasure " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 852 in September, 1277.  [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 教主 釈尊 の 出世 の 本懐 は 人 の 振舞 にて 候けるぞ、 穴賢・穴賢、賢き を 人 と 云い はかなき を 畜 と いふ KYOSHU SHAKUSON NO SHUS'SEI NO HONKAI WA HITO NO FURUMAI NITE SŌRAIKERUZO,  ANAKASHIKO・ANAKASHIKO, KASHIKOKI WO HITO TO II HAKANAKI WO CHIKU TO IU 崇峻 天皇 御書 S...

難来るを以て安楽と意得可きなり - Difficulties will arise, and these are to be looked on as “peaceful” practices.

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本文 末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり まっぽうに おいて いま にちれんらの たぐいの しゅぎょうは みょうほうれんげきょうを しゅぎょうするに なん きたるを もって あんらくと こころうべきなり 御義口伝 おんぎくでん  安楽行品 五箇の大事 あんらくぎょうぼん ごかのだいじ 第一 安楽行品の事 だいいち あんらくぎょうぼんのこと (750頁) 通解(意訳) 末法において、日蓮とその門下の修行とは、南無妙法蓮華経の題目を自分も唱え、他人にも妙法の素晴らしさを語り、題目を勧めていく「折伏行」であり、仏法対話である。 この折伏行の時に、様々な難が競い起きてくることで、自己の境涯を高めるための試練であり、これを乗り越える事で自己が鍛えられ、何事にも動じない「安楽な境涯を得る事ができる」と心得るべきである。  英語で御書 Gosho in English Concerning the “peaceful” practices of the Lotus Sutra of the Wonderful Law and the practices carried out by Nichiren and his followers now in the Latter Day of the Law, you should understand that, when one practices the Lotus Sutra under such circumstances, difficulties will arise, and these are to be looked on as “peaceful” practices. ==================================== Peaceful Practices Five important points Point One, concerning the “Peaceful Practices” chapter. "The Record of The Orally Transmitted Teachings" Part 1, 115 =======================...

御みやづかいを法華経とをぼしめせ - Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra.

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本文 御みやづかいを法華経とをぼしめせ、 「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり おん みやづかいを ほけきょうと おぼしめせ、 「いっさい せけんの ちせい さんぎょうは みな じっそうと あい いはい せず」とは これなり 檀越某御返事 だんおつぼうごへんじ (1295頁) 弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) あなたの仕事が、そのまま法華経の修行なのだと思いなさい。 法華経に「社会全般の政治・経済・産業・日常生活は皆、法華経と相反する事はない」と説かれているのは、このことである。 仕事も、日常生活も、すべてが法華経の教えの根本である「誠実な振る舞い」が基本となっているのである。  英語で御書 Gosho in English Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra. This is what is meant by “No worldly affairs of life or work are ever contrary to the true reality.” " Reply to a Believer " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 905 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Regard your work as the practice of the Lotus Sutra. Because the work and everyday life are all based on "The Behavior of sincerely" which is the basis of the Lotus Sutra. Gosho in Japanese 御 みやづかい を 法華経 と をぼしめせ、 「一切 世間 の 治生 産業 は 皆 実相 と 相 違背 せず」とは 此れ なり ON MIYAZUKAI WO HOKE...

一閻浮提うちみだすならば... - If all of Jambudvīpa were to be thrown into chaos...

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本文 大悪は 大善の来るべき瑞相なり、 一閻浮提 うちみだすならば 閻浮提内 広令流布は よも疑い候はじ だいあくは だいぜんの きたるべき ずいそうなり、 いちえんぶだい うちみだす ならば えんぶだい ない こうりょうるふ は よも うたがい そうらわじ 減劫御書 げんこうごしょ [智慧亡国書] ちえぼうこくしょ (1467頁) 建治2年以後 (1276年) 通解(意訳) 大悪は大善が来る前兆である。 全世界の世相が打ち乱れるならば、「一閻浮提の内に広く流布せしめる」(全世界に民衆救済のための法華経が広く流布する)の経文の通りになることは、よもや疑うことではないのである。 英語で御書 Gosho in English Great evil portends the arrival of great good. If all of Jambudvīpa were to be thrown into chaos, there could be no doubt that [this sutra would] “be widely propagated throughout Jambudvīpa.” " The Kalpa of Decrease " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1121 After 1276. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Jambudvīpa: All of the World Gosho in Japanese 大悪 は 大善 の 来るべき 瑞相 なり、 一 閻浮提 うちみだす ならば 閻浮提内 広令流布 は よも 疑い 候はじ。 DAIAKU WA DAIZEN NO KITARUBEKI ZUISŌ NARI, ICHI-ENBUDAI UCHIMIDASU NARABA ENBUDAI-NAI K ŌRYO-RUFU WA YOMO UTAGAI SŌRAWAJI 減劫 御書 GENKŌ GOSHO [智慧 亡国 書] CHI-E BŌKOKU SHO ...

経に云く「師子奮迅之力」とは是なり - the sutra means by “the power [of the Buddhas] that has the lion’s ferocity.”

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本文 師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり、 日蓮守護たる処の御本尊を・したため参らせ候事も師子王に・をとるべからず、経に云く「師子奮迅之力」とは是なり ししおう は ぜんさんごいち と もうして・あり の こ を とらん と する にも また たけき もの を とらん と する とき も・いきおい を だす こと は・ただ おなじ こと なり、 にちれん しゅご たる ところ の ごほんぞん を・したため まいらせ そうろう こと も ししおう に・おとる べからず、きょう に いわく「しし ふんじん の りき」とは これ なり 経王殿御返事 きょうおうどのごへんじ (1124頁) 文永10年8月 (1273年) 通解(意訳) 師子王は前三後一といって、蟻の子を捕ろうとする時にも、また猛々しいものを捕ろうとする時も、全力の勢いを出すことは全く同じである。 日蓮が、(経王御前を)お護りするための御本尊を書き認め差し上げるのも、この師子王の姿に劣るものではない。法華経湧出品第十五にある「師子奮迅の力」とは、このことである。 英語で御書 Gosho in English The lion king is said to advance three steps, then gather himself to spring, unleashing the same power whether he traps a tiny ant or attacks a fierce animal. In inscribing this Gohonzon for her protection, Nichiren was like the lion king. This is what the sutra means by “the power [of the Buddhas] that has the lion’s ferocity.” " Reply to Kyō’ō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 412 in August, 1273. [ -...

深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し - For those who have profound faith, it is as though a full moon were illuminating the night.

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本文 法華経は闇夜の月のごとし 法華経を信ずれども 深く信ぜざる者は 半月の闇夜を照すが如し 深く信ずる者は 満月の闇夜を照すが如し ほけきょうは あんやの つきの ごとし ほけきょうを しんずれども ふかく しんぜざるものは はんげつの あんやを てらすが ごとし ふかく しんずる ものは まんげつの あんやを てらすが ごとし 薬王品得意抄 やくおうぼん とくい しょう (1501頁) 文永二年 (1265年) 通解(意訳) 法華経は闇夜の月のようなものである。 法華経を信じたとしても、深く信じない者は半月が闇夜を照らすようなものであり、深く信ずる者は満月が闇夜を照らすようなものである。 英語で御書 Gosho in English The Lotus Sutra is like the moon. For those who have faith in the Lotus Sutra, but whose faith is not deep, it is as though a half moon were lighting the darkness. But for those who have profound faith, it is as though a full moon were illuminating the night. " The Essence of the “Medicine King” Chapter " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 94 in 1265. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 法華経 は 闇夜 の 月 の ごとし 法華経 を 信ずれども 深く信ぜざる 者 は 半月 の 闇夜 を 照す が 如し 深く 信ずる 者 は 満月 の 闇夜 を 照す が 如し HOKEKYO WA AN-YA NO TSUKI NO GOTOSHI HOKEKYO WO SHINZUREDOMO FUKAKU SHINZEZARU MONO WA HANGETSU NO AN-YA WO TERASU GA GOTOSHI FUKA...

深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず - If you chant Myoho-renge-kyo with deep faith in this principle, you are certain to attain Buddhahood in this lifetime.

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本文 善悪に付いて 起り起る処の念心の当体を指して 是れ妙法の体と説き宣べたる経王なれば 成仏の直道とは云うなり、 この旨を深く信じて 妙法蓮華経と唱へば 一生成仏 更に疑あるべからず ぜんあくに ついて おこり おこる ところの ねんしんの とうたいを さして これ みょうほうの たい と ときのべたる きょうおうなれば じょうぶつの じきどうとは いうなり、 このむねを ふかくしんじて みょうほんれんげきょう と となえば いっしょうじょうぶつ さらに うたがい あるべからず 一生成仏抄 いっしょうじょうぶつしょう (384頁) 建長7年 (1255年) 通解(意訳) 人の心の善悪は、一瞬一瞬に起こる心の状態の変化によるものである事を指して、凡夫の心そのものがそのまま妙法蓮華経の当体(本質)であると説いたのが、諸経の王である法華経である。だから、成仏の直道というのである。 この宇宙の法理である妙法を深く信じて、疑う事なく妙法蓮華経と唱えたなら、一生成仏は絶対に間違いないのである。  英語で御書 Gosho in English The entity of our life, which manifests either good or evil at each moment, is in fact the entity of the Mystic Law. If you chant Myoho-renge-kyo with deep faith in this principle, you are certain to attain Buddhahood in this lifetime. " On Attaining Buddhahood in This Lifetime " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 3 in 1255. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 善悪 に 付いて 起り 起る 処 の 念心 の 当体 を 指して 是れ 妙法 の 体 と 説き 宣べたる 経王 なれば 成仏 の 直道 とは 云う なり、 この 旨 を 深く 信じ...

今一重強盛に御志あるべし - Now you must strengthen it more than ever.

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本文 されば妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等云云、 人の心かたければ 神のまほり必ずつよしとこそ候へ、 是は御ために申すぞ 古への御心ざし申す計りなし・其よりも 今 一重強盛に御志あるべし されば みょうらくたいし のたまわく 「かならず こころ の かたき に よりて かみ の まもり すなわち つよし」とう うんぬん、 ひと の こころ かたければ かみ の まほり かならず つよし と こそ そうらえ、 これ は おん ため に もうす ぞ いにしえ の おん こころざし もうす ばかり なし・それよりも いま いちじゅう ごうじょう に おん こころざし あるべし 乙御前御消息 おと ごぜん ごしょうそく [身軽法重抄] しんきょうほうじゅうしょう  (1220頁) 建治元年8月 (1275年) 通解(意訳) (諸天善神が法華経を信ずる人を守護することは間違いないとの道理と先例を挙げて) それゆえに、妙楽大師は「心が堅固であれば、必ず神の守りも強いのである」と言われている。 その人の信心が固ければ、諸天善神の守りは必ず強い、ということである。 これは、あなたのために申し上げるのである。これまでのあなたの信心の深さは、言い表すことができない。しかし、それよりもなお一層、強盛に信心をしていきなさい。 英語で御書 Gosho in English That is why the Great Teacher Miao-lo stated, “The stronger one’s faith, the greater the protection of the gods.” So long as one maintains firm faith, one is certain to receive the great protection of the gods. I say this for your sake. I know your faith has always been admirable, but now you must strengthen it more than ever.  " The Supremacy of the Law " "Th...

妙とは蘇生の義なり - Myō means to revive

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本文 妙とは蘇生の義なり 蘇生と申すは蘇る義なり みょう とは そせい の ぎ なり そせい と もうす は よみがえる ぎ なり 法華経題目抄 ほけきょうだいもくしょう (947頁) 文永3年1月6日 (1266年) 通解(意訳) (南無妙法蓮華経の)妙とは蘇生の意味である。 蘇生とは、悩んで苦しんでいる心や生命が蘇るということである。 英語で御書 Gosho in English Myō means to revive, that is, to return to life. " The Daimoku of the Lotus Sutra "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 149 in January, 1266. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Resuscitation means that the troubled and suffering body and mind is revive. "Myō : 妙" , This is the character of the Nam-Myoho-Renge-Kyo. Gosho in Japanese 妙 とは 蘇生 の 義 なり 蘇生 と 申す は 蘇る 義 なり MYO TOWA SOSEI NO GI NARI SOSEI TO MOUSU WA YOMIGAERU GI NARI 法華経 題目 抄 HOKEKYO DAIMOKU SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

なにの兵法よりも 法華経の兵法をもちひ給うべし - Employ the strategy of the Lotus Sutra before any other.

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本文 なにの兵法よりも 法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、 兵法 剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候 なに の へいほう より も ほけきょう の へいほう を もちい たもう べし、「しょよ おんてき・かいしつ さいめつ」の きんげん むなし かる べからず、 へいほう けんぎょう の だいじ も この みょうほう より いでたり,ふかく しんじん を とり たまえ、あえて おくびょう にて は かなう べからず そうろう 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [法華経兵法事] ほけきょうへいほうじ [剣形書]   けんぎょうしょ (1193頁)  弘安2年10月  (1279年)  通解(意訳) どのような策や方法よりも、信心によって智慧を引き出す「法華経の兵法」を用いていきなさい。 法華経を信受している者の成仏を妨げようとする、あらゆる魔の働きは、すべて信心の功徳で滅ぼすことができるのである(諸余怨敵・皆悉摧滅 しょ よ おん てき ・かい しつ さい めつ)。 教主釈尊の御金言が決して空しいはずがない。信心によって乗り越えられない苦難はないのである。 すべての世法も技術も、「心こそ大切なれ」という妙法の思想から生まれ出たものである。 いかなる逆境にあっても、題目を唱えて智慧を頂き、その智慧と御本尊の妙法の力を信じ抜いて、努力を惜しまず、前進する勇気をもって行動していきなさい。 信心も行動も、臆病であっては何事も成就することはできないのである。 英語で御書 Gosho in English Employ the strategy of the Lotus Sutra before any other. “All others who bear you enmity or malice will likewise be wiped out.” These golden words will never prove false.  The heart of strategy and swordsmanship derives from the Mystic Law. Have ...

未来の果を知らんと欲せば 其の現在の因を見よ - If you want to understand what results will be manifested in the future, look at the causes that exist in the present.

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本文 過去の因を知らんと欲せば 其の現在の果を見よ 未来の果を知らんと欲せば 其の現在の因を見よ かこ の いん を しらん と ほっせば その げんざい の か を みよ みらい の か を しらん と ほっせば その げんざい の いん を みよ 開目抄・下 かいもくしょう・げ (231頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 過去に自分がどのような要因(要素や原因)を作ってきたかは、現在の自分の結果(状況や状態)を見なさい。同様に、未来の自分がどんな結果になっているかを知ろうとするなら、現在の要因を見なさい。 そして、理想の自分になれるような要因を、今作っていきなさい。  英語で御書 Gosho in English If you want to understand the causes that existed in the past, look at the results as they are manifested in the present. And if you want to understand what results will be manifested in the future, look at the causes that exist in the present. " The Opening of the Eyes " Part Two "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 279 in February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  You should have create factors that you will make ideal yourself at now. Gosho in Japanese 過去 の 因 を 知らん と 欲せば 其の 現在 の 果 を 見よ 未来 の 果 を 知らん と 欲せば 其の 現在 の 因 を 見よ KAKO NO IN WO SHIRAN TO HOS'SEBA SONO G...

妙法蓮華経とは其の体何物ぞや - What is the entity of Myoho-renge-kyo?

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本文 問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、 答う十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり、 問う若爾れば我等が如き一切衆生も妙法の全体なりと云わる可きか、 答う勿論なり経に云く「所謂諸法・乃至・本末究竟等」云云 とう みょうほうれんげきょう とは その たい なにもの ぞや、 こたう じっかい の えしょう すなわち みょうほうれんげ の とうたい なり、 とう もし しかれば われら が ごとき いっさいしゅじょう も みょうほう の ぜんたい なり と いわる べき か、 こたう もちろん なり きょう に いわく「しょいしょほう・ないし・ほんまつくきょうとう」うんぬん 当体義抄 とうたいぎしょう (510頁) 文永10年 (1273年) 通解(意訳) 問う、妙法蓮華経とは、その当体は、どのようなものであろうか。 答う、心の状態を顕した十界の依報と正報とのすべてが、妙法蓮華経の当体である。 問う、もしそうであるならば、我々のような凡夫をはじめ、一切衆生も妙法の全体であるといえるのであろうか。 答う、もちろんそうである。その証文としては、方便品第二に「所謂諸法・乃至・本末究竟して等しい」とあるとおりである。 妙法蓮華経とは、その人の身心の事であり、身心の状態がそのまま妙法の当体なのである。 英語で御書 Gosho in English QUESTION: What is the entity of Myoho-renge-kyo? Answer: All beings and their environments in any of the Ten Worlds are themselves entities of Myoho-renge-kyo. Question: If so, then is it possible to say that all living beings, such as ourselves, are entities of the Mystic Law in its entirety? Answer: Of course. The sutra says, “This reality [the true aspect of all phenomena] consists of the appearance...

石に金を・かふるにあらずや - Not be exchanging rocks for gold?

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本文 日蓮は日本国・東夷・東条・安房の国・海辺の旃陀羅が子なり、 いたづらに・くちん身を法華経の御故に捨てまいらせん事 あに 石に金を・かふるにあらずや にちれん は にほんこく・とうい・とうじょう・あわのくに・うみべ の せんだら が こ なり、 いたずらに・くちん み を ほけきょう の おん ゆえ に すて まいらせん こと あに いし に きん を・かうる に あらずや 佐渡御勘気抄 さどごかんきしょう (891頁) 文永8年10月 (1271年) 通解(意訳) 日蓮は、日本国の東国の片田舎の者で、安房の国東条の郷・海辺の旃陀羅(せんだら・漁師)の子であり、名誉も財産も地位もない身である。 むなしく朽ちるであろう、この身を法華経のために捨てることができるのは、ちょうど石を金にかえるようなものではないか。 英語で御書 Gosho in English Nichiren is the son of a chandāla [;fisherman] family who lived near the sea in Tōjōin Awa Province, in the remote countryside of the eastern part of Japan. How could giving a body that will decay uselessly for the sake of the Lotus Sutra not be exchanging rocks for gold? " Banishment to Sado " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 202 in October, 1271. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 日蓮は日本国・東夷・東条・安房の国・海辺の旃陀羅が子なり、 いたづらに・くちん身を法華経の御故に捨てまいらせん事 あに 石に金を・かふるにあらずや NICHIREN WA NIHONKOKU・TŌI・TŌJŌ・AWA NO KUNI・UMIBE NO SENDARA GA KO NARI, ITAZURANI・...

大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる - Great events never have minor omens. When great evil occurs, great good follows.

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本文 大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、 すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、 迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし、 上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりて こそ いで給いしか だいじ には しょうずい なし、だいあく おこれば だいぜん きたる、すで に だいほうぼう・くに に あり だいしょうほう かならず ひろまる べし、おのおの なに をか なげかせ たもう べき、 かしょうそんじゃ に あらず とも・まい をも・まい ぬべし、しゃりほつ に あらねども・たって おどり ぬべし、じょうぎょうぼさつ の だいち より いで たまいし には・おどり て こそ いで たまいしか DAI-JI NIWA SHŌ-ZUI NASHI, DAI-AKU OKOREBA DAI-ZEN KITARU, SUDE NI DAI-HŌBŌ・KUNI NI ARI DAI-SHŌHŌ KANARAZU HIROMARU BESHI, ONO-ONO NANI WOKA NAGEKASE TAMOU BEKI, KASHŌ-SONJA NI ARAZUTOMO・MAI WOMO・MAI NUBESHI, SHARIHOTSU NI ARANEDOMO・TAT'TE ODORI NUBESHI, JŌGYŌ-BOSATSU NO DAICHI YORI IDE TAMAISHI NIWA・ODORITE KOSO IDE TAMAISHIKA 大悪大善御書 だいあくだぜんごしょ (1300頁) 年月不明 (文永12年(1275年)2月の説有り) 通解(意訳) 大事の起こる前には小さな瑞相(ずいそう、前触れ)はない。大悪が起これば大善がくる。既に、正法である法華経を謗る(そしる)という大悪(大謗法)が国に充満しているのであるから、大正法は必ず弘まるという大善もくるのである。各々(おのおの)何を嘆くことがあろうか。迦葉尊者でなくても、舞いを舞うべきところである。舎利弗でなくても、立って踊るべきところである。 上行菩薩ら、地涌の菩薩が大地から湧出したときには、舞い踊りながら出られたのである。 末法において、教主釈尊は大地から「地涌の菩薩」を...

広宣流布大願をも成就す可きなり - will fulfill his great vow to broadly proclaim and propagate the Lotus Sutra.

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本文 法華経の行者は 信心に退転無く 身に詐親 無く・一切法華経に其の身を任せて 金言の如く修行せば、 慥に後生は申すに及ばず 今生も息災延命にして 勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり ほけきょう の ぎょうじゃ は しんじん に たいてん なく み に きしん なく・いっさい ほけきょう に その み を まかせて きんげん の ごとく しゅぎょう せば、 たしか に ごしょう は もうす に およばず こんじょう も そくさいえんめい に して しょうみょう の だいかほう を え・こうせんるふ だいがん をも じょうじゅ す べき なり HOKEKYO NO GYŌJA WA SHINJIN NI TAITEN NAKU MI NI KISHIN NAKU・IS'SAI HOKEKYO NI SONO MI WO MAKASETE KINGEN NO GOTOKU SHUGYŌ SEBA, TASHIKA NI GOSHŌ WA MŌSU NI OYOBAZU KONJŌ MO SOKUSAI-ENMEI NI SHITE SHŌ-MYŌ NO DAI-KAHŌ WO E・KOSEN-RUFU DAIGAN WOMO JŌJU SU BEKINARI 祈祷経送状 きとうきょうそうじょう (1357頁) 文永10年正月 (1273年) 通解(意訳) 法華経の行者は、信心においては退転なく、行動や振舞いにおいては偽り親しむことなく誠実に、一切を法華経にその身を任せて、金言のとおりに修行するならば、たしかに後生(未来世)はいうまでもなく、今生においても息災延命で、勝れた大果報を得て、広宣流布という大願をも成就することができるであろう。 英語で御書 Gosho in English Practitioner of the Lotus Sutra remains unwavering in faith, free of all false alliances, entrusting himself wholeheartedly to the Lotus Sutra and practicing in accordance with the Buddha’s golden words, he will...

釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す - Shakyamuni’s practices and the virtues he consequently attained are all contained within the five characters of Myoho-renge-kyo.

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本文 釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す 我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う しゃくそんの いんぎょうかとく の にほうは みょうほうれんげきょうの ごじ に ぐそくす われら この ごじを じゅじすれば じねんに かの いんがの くどくを ゆずりあたえ たもう 観心本尊抄 かんじんのほんぞんしょう [如来滅後五五百歳始観心本尊抄] にょらいめつご ご ごひゃくさい に はじむ かんじん の ほんぞんしょう [法本尊開顕の書] ほうほんぞんかいけんのしょ (246頁) 文永10年4月 (1272年) 通解(意訳) 釈尊が久遠より積み重ねた、成仏の原因である修行(因行)と、その結果として得た福徳(果徳)の二法は、全て妙法蓮華経の五字に具足している。 私たちは、この妙法蓮華経を受持して、自行化他の題目を唱え実践していくならば、自然に必ず、成仏の原因も結果も私達に譲り与えられるのである。 英語で御書 Gosho in English Shakyamuni’s practices and the virtues he consequently attained are all contained within the five characters of Myoho-renge-kyo. If we believe in these five characters, we will naturally be granted the same benefits as he was. " The Object of Devotion for Observing the Mind " " The Object of Devotion for Observing the Mind Established in the Fifth Five-Hundred-Year Period  after the Thus Come One’s Passing " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 365 in April, 1272. [ --- ] is liberal transla...

皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり - Were they not Bodhisattvas of the Earth, they could not chant the daimoku.

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本文 いかにも今度・信心をいたして 法華経の行者にてとをり、日蓮が一門と なりとをし給うべし、 日蓮と同意ならば 地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、 経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり、 末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり いかにも こんど・しんじん を いたして ほけきょう の ぎょうじゃ にて とおり、にちれん が いちもん と なりとおし たもうべし、にちれん と どうい ならば じゆ の ぼさつ たらんか、じゆ の ぼさつ に さだまりなば しゃくそん くおん の でし たる こと あに うたがわんや、 きょう に いわく「われ くおん より この かた これら の しゅ を きょうけ す」とは これ なり、 まっぽう に して みょうほうれんげきょう の ごじ を ひろめん もの は なんにょ は きらう べからず、みな じゆ の ぼさつ の しゅつげん に あらずんば となえがたき だいもく なり 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1360頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) どんなことがあっても、今世で信心を起こしたなら、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり、師弟の道を貫き通しなさい。 日蓮と同じ志しならば、地涌の菩薩(じゆ の ぼさつ)であろうか。地涌の菩薩であると定まっているのであれば、釈尊の久遠の弟子であるということをどうして疑うことができようか。 法華経従地涌出品第十五に「これらの菩薩は、私が久遠の昔から教化してきたのである」と説かれているのは、このことである。 末法において、妙法蓮華経の五字を弘める者は、老若男女問わず、分け隔てをしてはならない。皆それぞれの使命を持って、地涌の菩薩として出現した人々でなければ、唱えることのできない題目だからである。 英語で御書 Gosho in English Now, no matter what, strive in faith and be known as a votary of the Lotus Sutra, and remain my disciple for the rest of y...