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日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし - The soul of Nichiren is nothing other than Nam-myoho-renge-kyo.

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本文 日蓮がたましひを すみにそめながして・かきて候ぞ 信じさせ給へ、 仏の御心は法華経なり 日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるは なし にちれん が たましい を すみ に そめながして・かきて そうろう ぞ しんじ させ たまえ ほとけ の みこころ は ほけきょう なり にちれん が・たましい は なんみょうほうれんげきょう に・すぎたる は なし 経王殿御返事 きょうおうどのごへんじ (1124頁) 文永10年8月 (1273年) 通解(意訳) 日蓮が顕した御本尊は、日蓮の生命を削ってでも、すべての人々を救いたいという魂を墨に染め流して書き認めたものである。しっかりと信じ抜き、受持していきなさい。 釈尊が説いた真の法門は法華経であるが、諸法が乱立している末法においては、南無妙法蓮華経が真の法門であり、日蓮仏法の南無妙法蓮華経以外にはない。 英語で御書 Gosho in English I, Nichiren, have inscribed my life in sumi ink, so believe in the Gohonzon with your whole heart. The Buddha’s will is the Lotus Sutra, but the soul of Nichiren is nothing other than Nam-myoho-renge-kyo. " Reply to Kyō’ō " " Reply to Kyo'o " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 412 in August, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Nichiren wrote the GOHONZON with the soul that I want to save everyone even if I lose my life. Believe this GOHONZON firmly and keeping on it. Sakyamuni Buddha pre

因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す - Shakyamuni’s practices and the virtues he consequently attained are all contained within the five characters of Myoho-renge-kyo.

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本文 釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す 我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う しゃくそんの いんぎょうかとく の にほうは みょうほうれんげきょうの ごじ に ぐそくす われら この ごじを じゅじすれば じねんに かの いんがの くどくを ゆずりあたえ たもう 観心本尊抄 かんじんのほんぞんしょう [如来滅後五五百歳始観心本尊抄] にょらいめつご ご ごひゃくさい に はじむ かんじん の ほんぞんしょう [法本尊開顕の書] ほうほんぞんかいけんのしょ (246頁) 文永10年4月 (1272年) 通解(意訳) 釈尊が久遠より積み重ねた、成仏の原因である修行(因行)と、その結果として得た福徳(果徳)の二法は、全て妙法蓮華経の五字に具足している。 私たちは、この妙法蓮華経を受持して、自行化他の題目を唱え実践していくならば、自然に必ず、成仏の原因も結果も私達に譲り与えられるのである。 英語で御書 Gosho in English Shakyamuni’s practices and the virtues he consequently attained are all contained within the five characters of Myoho-renge-kyo. If we believe in these five characters, we will naturally be granted the same benefits as he was. " The Object of Devotion for Observing the Mind " " The Object of Devotion for Observing the Mind Established  in the Fifth Five-Hundred-Year Period  after the Thus Come One’s Passing " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 365 in April, 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho

唯ひとへに末法の令法久住の故なり - What they decided on was nothing other than the perpetuation of the Law throughout the Latter Day.

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本文 ともかくも法華経に名をたて 身をまかせ給うべし、 釈迦仏 多宝仏・十方の諸仏・菩薩・虚空にして 二仏 うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、 唯 ひとへに末法の 令法久住の故なり ともかくも ほけきょうに なを たて みを まかせ たもうべし、 しゃかぶつ たほうぶつ・じっぽう の しょぶつ・ぼさつ・こくう に して にぶつ うなずきあい、さだめさせ たまいしは べつのこと には あらず、 ただ ひとえに まっぽうの りょうほうくじゅう の ゆえ なり 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1360頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) なんとしても、法華経に名を立て、身を任せていきなさい。 釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏・菩薩等、あらゆる仏菩薩達が集まり、虚空会の儀式において、釈迦仏と多宝仏の二人の仏がうなずきあい、その時に定められた(決めた)ことは、(一切衆生を仏にする事以外の)別のことではない。 ただひとえに、末法において、法華経の肝心である南無妙法蓮華経という、万人成仏のための立派な法(令法・りょうほう)を、釈尊滅度より久しく末法の世に住在させる(久住・くじゅう、令法久住・りょうほう くじゅう)のためであり、地涌の菩薩にその使命を託されたのである。 英語で御書 Gosho in English Now you must build your reputation on the Lotus Sutra and give yourself up to it. At the Ceremony in the Air, when the Buddhas and bodhisattvas of the ten directions gathered together, the two Buddhas, Shakyamuni and Many Treasures, nodded in agreement. What they decided on was nothing other than the perpetuation of the Law throughout the Latter Day. " The True Aspect of All Phenomena " "The Writing

冬は必ず春となる - Winter always turns to spring.

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本文 法華経を信ずる人は冬のごとし 冬は必ず春となる、 いまだ昔より きかず・みず 冬の秋と かへれる事を、いまだきかず 法華経を信ずる人の凡夫となる事を、 経文には「若有聞法者無一不成仏」と とかれて候 ほけきょう を しんずる ひと は ふゆ の ごとし ふゆ は かならず はる と なる、 いまだ むかし より きかず・みず ふゆ の あき と かえれる ことを、いまだ きかず ほけきょう を しんずる ひと の ぼんぷ と なる ことを、 きょうもん には「にゃく う もん ぽう しゃ む いち ふ じょう ぶつ」と とかれて そうろう 妙一尼御前御消息 みょういちあまごぜんごへんじ [冬必為春事] ふゆはかならずはるとなるのこと (1253頁) 建治元年5月 (1275年) 通解(意訳) 法華経を信ずる人は、極寒の冬の辛い時期を耐える人のようなものである。 しかし、辛い冬も永遠に続くことはなく、信心根本に耐え貫いていけば、必ず春のような幸福が訪れるのである。 未だかつて、冬が春とならずに秋に戻ったということは、聞いたことも見たこともない。同じように、いまだかつて法華経を信ずる人が、仏に成らず凡夫のままである、ということも聞いたことがない。 経文には「もしこの法を聞くことがあれば、一人として成仏しない人はいない」と説かれている。  英語で御書 Gosho in English Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring. Never, from ancient times on, has anyone heard or seen of winter turning back to autumn. Nor have we ever heard of a believer in the Lotus Sutra who turned into an ordinary person. The sutra reads, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.” " Wi

南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや - Nam-myoho-renge-kyo is like the roar of a lion. What sickness can therefore be an obstacle?

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本文 南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや、 鬼子母神・十羅刹女・法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり なんみょうほうれんげきょう は ししく の ごとし・いかなる やまい さわり を なす べきや、 きしぼじん・じゅうらせつにょ・ほけきょう の だいもく を たもつ もの を しゅご すべし と みえたり 経王殿御返事 きょうおうどのごへんじ (1124頁) 文永10年8月 (1273年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、成仏への障りをなすことができようか。 鬼女母神や十羅刹女などの諸天善神が、法華経の題目を持つ者を守護すると、経文には書かれているのである 英語で御書 Gosho in English Nam-myoho-renge-kyo is like the roar of a lion. What sickness can therefore be an obstacle? It is written that those who embrace the daimoku of the Lotus Sutra will be protected by the Mother of Demon Children and by the ten demon daughters.  " Reply to Kyō’ō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 412 in August, 1273 [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 南無妙法蓮華経 は 師子吼 の 如し・いかなる 病 さはり を なすべきや、 鬼子母神・十羅刹女・法華経 の 題目 を 持つ もの を 守護 すべし と 見えたり NAM-MYOHO-RENGE-KYO WA SHISHI-KU NO GOTOSHI・IKANARU YAMAI SAWARI WO NASUBEKIYA, KISHIBOJIN・JŪRASETSUNYO・HOKEKYO NO DAIMOKU WO TAMOTU MONO WO SHUGO SUBESHI TO MIETA

かかる大難にあへり - Hence I have suffered this severe persecution.

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本文 一日・片時も・たゆむ事なく・よばわりし故に・かかる大難にあへり いちにち・かたときも・たゆむことなく・よばわりしゆえに・かかるだいなんにあえり 弥源太殿御返事  やげんたどのごへんじ [善悪二刀御書] ぜんあくにとうごしょ (1226頁) 文永11年2月 (1274年) 通解(意訳) 法華経の肝心である南無妙法蓮華経こそが正しい法であることを、一日たりとも、また片時もたゆむことなく叫び続けてきたゆえに、様々な法難にあったのである。 信心を貫き通す法華経の行者であるからこそ、様々な難が起きるのである。 英語で御書 Gosho in English I am forever reminding them that they will not only ruin themselves and destroy the country in this lifetime, but fall into the great Avīchi hell in the next. Hence I have suffered this severe persecution. " The Swords of Good and Evil "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 451 in February, 1274. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 一日・片時 も・たゆむ 事 なく・よばわりし 故 に・かかる 大難 に あへり ICHINICHI・KATATOKI MO・TAYUMU KOTO NAKU・YOBAWARISHI YUENI・KAKARU DAINAN NI AERI 弥源太 殿 御返事  YAGENTA DONO GOHENJI [善悪 二刀 御書] ZEN-AKU NI TŌ GOSHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Trans

過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか - It must be ties of karma from the distant past that have destined you to become my disciple at a time like this.

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本文 過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、 「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ かこの しゅくえん おい きたって こんど にちれんが でしと なり たもうか・しゃか たほうこそ ごぞんじ そうらめ、 「ざい ざい しょ ぶつ ど じょう よ し ぐ しょう」よも そらごと そうらわじ 生死一大事血脈抄 しょうじいちだいじけつみゃくしょう (1338頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 過去世からの宿縁に導かれて、今世に日蓮と同じ日本の国土に共に生まれ、日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦仏・多宝如来こそご存知のことであろう。 法華経化城喩品第7に、「あらゆる場所の、あらゆる諸仏の国土に、常に師と同じ時・同じ場所に生まれる」(在在諸仏土常与師倶生、ざい ざい しょ ぶつ ど じょう よ し ぐ しょう)と書かれていることが、まさか嘘であるはずがない。 生死を貫く師弟の絆 「あなた(初代会長・牧口常三郎先生)の慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。  そのおかげで、『在在諸仏土・常与師倶生』と、妙法蓮華経の一句を身でもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。 なんたるしあわせでございましょうか」 -戸田城聖 「この一言に私は感動した。 それと同じ心で私もまた戸田先生にお仕えしようと決めた。 師に捧げた、わが人生に一つの後悔もない」 -池田大作 英語で御書 Gosho in English It must be ties of karma from the distant past that have destined you to become my disciple at a time like this. Shakyamuni and Many Treasures certainly realized this truth. The sutra’s statement, “Those persons who had heard the Law dwelled here and there in various Buddha lands, constantly reborn in company with

夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ - Cut short your sleep by night and curtail your leisure by day and ponder this!

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本文 我が門家は 夜は眠りを断ち 昼は暇を止めて 之を案ぜよ 一生空しく過して 万歳 悔ゆること勿れ わが もんけは よるは ねむりを たち ひるは いとまを とどめて これを あんぜよ いっしょう むなしく すごして ばんさい くゆること なかれ 富木殿御書 ときどのごしょ [止暇断眠御書] しかだんみんごしょ (970頁) 建治元年8月 (1275年) 通解(意訳) 我が門下生は、夜は眠りを断ち、昼は暇なく「今、広宣流布の為に自分に何ができるか」を思案しなさい。 一生を空しく過ごして、後生・万歳(来世以降・万年の歳月)に渡って、悔やしく思うようであってはならない。 英語で御書 Gosho in English In the light of the above points, this shows my followers, cut short your sleep by night and curtail your leisure by day and ponder this! You must not spend your lives in vain and regret it for ten thousand years to come. " The Problem to Be Pondered Night and Day " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 622 in Month, 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  "In the light of the above points" Meaning this phrase is "What can I do now for spread the SGI Nichiren Buddhism, for Kosen-Rufu." Gosho in Japanese 我が 門家 は 夜 は 眠り を 断ち 昼 は 暇 を 止めて 之 を 案ぜよ 一生 空しく 過して 万歳 悔ゆる こと 勿れ WAGA MONKE

受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり - To accept is easy; to continue is difficult. But Buddhahood lies in continuing faith.

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本文 此の経をききうくる人は多し、まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、 受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり この きょう を きき うくる ひと は おおし、まこと に きき うくる ごとく に だいなん きたれども おくじふぼう の ひと は まれ なる なり、うくる は・やすく たもつ は かたし・さる あいだ・じょうぶつ は たもつ に あり、 この きょう を たもたん ひと は なん に あう べし と こころえて たもつ なり 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [此経難持御書] しきょうなんじごしょ (1136頁) 文永12年3月 (1275年) 通解(意訳) 法華経を聞き受ける人は多い。だが、本当に聞き信受して、どんな大難がきても、この法華経を常に思い持って忘れない人はまれである。受けることはやさしいが、持つことは難しい。したがって、成仏は持ちつづけることにある。 この法華経を持つ人は必ず難に値うのだと心得て持つべきである。 英語で御書 Gosho in English A passage from the Lotus Sutra reads that it is “the most difficult to believe and the most difficult to understand.” Many hear about and accept this sutra, but when great obstacles arise, just as they were told would happen, few remember it and bear it firmly in mind. To accept is easy; to continue is difficult. But Buddhahood lies in continuing faith. Those who uphold this sutra should be prepared to meet difficulties. " The Difficulty of Sustaining Faith " "The Wr

甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず - Even a feeble person will not stumble if those supporting him are strong

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本文 夫れ 木をうえ候には 大風吹き候へども つよき すけを かひぬれば・たうれず、本より生いて候 木なれども 根の弱きは・たうれぬ、 甲斐無き者なれども・たすくる者強ければ たうれず、すこし健の者も 独なれば悪しき みちには・たうれぬ それ き を うえ そうろう には おおかぜ ふき そうらえども つよき すけ を かい ぬれば・たうれず、もと より おいて そうろう き なれども ね の よわき は・たうれぬ、 かい なき もの なれども・たすくる もの つよければ たうれず、すこし けなげ の もの も ひとり なれば あしき みち には・たうれぬ 三三蔵祈雨事 さんさんぞうきうのこと (1468頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) そもそも、木を植えた場合、大風が吹いたとしても、強い支柱で支えてあれば倒れない。元々生えていた木であっても、根が弱ければ倒れてしまう。 弱くて不甲斐ない者であっても、助けるものが強ければ倒れない。すこし強くで頑強な者であっても、独りであれば悪い道では倒れてしまうのである。 善き友 『孤独』になってはいけない。人を『孤独』にしてもいけない。悩みに寄り添って、その苦しい『心音』に耳を傾けてあげなければ。  そうすることによって、じつは自分自身が癒されていくのです。人を受け入れ、励ますことによって、自分の心が励まされ、開かれていくのです。 -池田大作  英語で御書 Gosho in English When a tree has been transplanted,though fierce winds may blow, it will not topple if it has a firm stake to hold it up. but even a tree that has grown up in place may fall over if its roots are weak. Even a feeble person will not stumble if those supporting him are strong, but a person of considerable strength, when alone, may fall down on an uneven path.

題目の光無間に至りて... - the ray of light from the daimoku reaches all the way to the hell of incessant suffering...

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本文 日蓮等の類い 聖霊を訪う時 法華経を読誦し 南無妙法蓮華経と唱え奉る時 題目の光 無間に至りて 即身成仏せしむ、廻向の文 此れより 事 起るなり、 法華不信の人は 堕在無間なれども、題目の光を以て 孝子 法華の行者として訪わんに 豈 此の義に 替わる可しや にちれんとうの たぐい しょうりょうを とぶらう とき ほけきょう を どくじゅし なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるとき だいもくの ひかり むげんに いたりて そくしんじょうぶつ せしむ、えこうの もん これより こと おこるなり、 ほっけ ふしんの ひとは だざいむげん なれども、だいもくの ひかりを もって こうし ほっけの ぎょうじゃとして とぶらわんに あに この ぎに かわるべしや 御義口伝 おんぎくでん 序品七箇の大事 じょほんななかのだいじ 第五・下至阿鼻地獄の事 だいご・げしあびじごくのこと (712頁) 通解(意訳) 日蓮とその門下が、聖霊を弔う際に、法華経を誦読し、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光は無間地獄まで至って、即身成仏させることができるのである。回向の勤行・唱題も、生前と同じように聖霊も「仏の生命を成く(ひらく)=成仏する」という、宇宙に厳然と備わっている生命の原理から起きたものである。 また、法華経に不信を持ち退転したり、謗法を犯したりした人は、無間地獄におちて苦しまなければならないが、孝行しようとする遺族の方が法華経の行者となり、南無妙法蓮華経と唱え、題目の光で追善供養して差し上げれば、どうしてこの成仏の原理という義に変わる事があるだろうか。 英語で御書 Gosho in English Now when Nichiren and his followers perform ceremonies for the deceased, reciting the Lotus Sutra and chanting Nam-myoho-renge-kyo, the ray of light from the daimoku reaches all the way to the hell of incessant suffering and makes it possible for them to attain Buddhahood the

南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり - There is no true happiness for human beings other than chanting Nam-myoho-renge-kyo.

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本文 一切衆生 南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり 経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文あに自受法楽にあらずや いっさいしゅじょう なんみょうほうれんげきょう と となうる より ほか の ゆうらく なきなり きょう に いわく「しゅじょうしょゆうらく」うんぬん、この ぶん あに じじゅほうらく に あらずや 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [衆生所遊楽御書] しゅじょうしょゆうらくごしょ (1143頁) 建治2年6月 (1276年) 通解(意訳) 一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱える以外の遊楽はないのである。法華経如来受量品第十六にある「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所なり)」との、この一文は「自受法楽」のことではないか。 人生の途上において起こる様々な苦難を自ら受け止め、自身の胸中に厳然と存在する妙法の力を、南無妙法蓮華経の題目で自由自在に発揮し、悠々と、「絶対的幸福」の境涯で、今世の人生を楽しく乗り越えていく生き方である。  英語で御書 Gosho in English There is no true happiness for human beings other than chanting Nam-myoho-renge-kyo. The sutra reads, “. . . where living beings enjoy themselves at ease.” How could this passage mean anything but the boundless joy of the Law? " Happiness in This World " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 681 in June, 1276. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  “. . . where living beings enjoy themselves at ease.” Please accept from yourself various pains that occur in the cours

二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり - Then two, three, and a hundred followed, chanting and teaching others.

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本文 日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、 未来も又しかるべし、是 あに地涌の義に非ずや、 剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし にちれん ひとり はじめ は なんみょうほうれんげきょう と となえしが、ににん・さんにん・ひゃくにん と しだい に となえ つたうる なり、 みらい も また しかるべし、これ あに じゆ の ぎ に あらずや、 あまつさえ こうせんるふ の とき は にほん いちどう に なんみょうほうれんげきょうと となえん こと は だいち を まと と する なるべし 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1360頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきたのである。 未来もまたそうであろう。これが地涌の義ではないだろうか。 そればかりか広宣流布のときは、あらゆる人達が一同に南無妙法蓮華経と唱えることは大地を的とするようなものである。 英語で御書 Gosho in English At first only Nichiren chanted Nam-myoho-renge-kyo, but then two, three, and a hundred followed, chanting and teaching others. Propagation will unfold this way in the future as well. Does this not signify “emerging from the earth”? At the time when the Law has spread far and wide, the entire Japanese nation will chant Nam-myoho-renge-kyo, as surely as an arrow aimed at the earth cannot miss the target. " The True Aspect of All Phenomena "  "The Writings of Nichiren Daisho

此の度仏法を心みよ - Test the truth of Buddhism now!

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本文 我が 弟子等 心みに 法華経の ごとく 身命も おしまず 修行して 此の度 仏法を 心みよ わが でしら こころみに ほけきょうの ごとく しんみょうも おしまず しゅぎょうして このたび ぶっぽうを こころみよ 撰時抄 せんじしょう (287頁) 建治元年4月 (1275年) 通解(意訳) 我が弟子達よ、試みに法華経のとおり身命もおしまず修行して、このたび仏法を試してみなさい。 英語で御書 Gosho in English I say to you, my disciples, try practicing as the Lotus Sutra teaches, exerting yourselves without begrudging your lives! Test the truth of Buddhism now! " The Selection of the Time " "The Writings of Nichiren Daishonin",  Vol.1, p. 583 - 584 in April, 1275. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 我が 弟子等 心み に 法華経 の ごとく 身命 も おしまず 修行 して 此の 度 仏法 を 心みよ WAGA DESHI-RA KOKOROMI NI HOKEKYO NO GOTOKU SHIN-MYŌ MO OSHIMAZU SHUGYŌ SHITE KONO TABI BUP'PŌ WO KOKOROMIYO 撰時 抄 SENJI SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

猶木石の衣鉢を帯持せるが如し - It was as though there were only wooden or stone statues garbed in priests’ robes and carrying begging bowls.

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本文 伝持の人無れば 猶 木石の衣鉢を帯持せるが如し でんじのひとなければなおもくせきのえはつをたいじせるがごとし 顕仏未来記 けんぶつみらいき (508頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 仏法を持ち、伝えていく人がいなければ、それはちょうど木石の像が衣を着て、鉢を持っているようなもので、何の役にも立っていない。 正しい仏法を、正しく伝える人がいるからこそ、人と法と、どちらも共に尊いものなのである。 英語で御書 Gosho in English One was found there who could embrace these sutras and teach them to others. It was as though there were only wooden or stone statues garbed in priests’ robes and carrying begging bowls. " On the Buddha’s Prophecy " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 401 May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Both people and the law are precious because there are people who correctly convey the correct Buddhist law. Gosho in Japanese 月は西より出でて東を照し 日は東より出でて西を照す 仏法も又 以て是くの如し 正像には 西より東に向い 末法には 東より西に往く TSUKI WA NISHI YORI IDETE HIGASHI WO TERASHI HI WA HIGASHI YORI IDETE NISHI WO TERASU BUPPO MO MATA MOTTE KAKU NO GOTOSHI SHŌZŌ NIWA NISHI YORI HIGASHI NI MUKAI MAPPO NIWA HIGASHI YORI N

法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり - The Lotus Sutra offers a secret means for leading all living beings to Buddhahood.

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本文 今 法華経と申すは 一切衆生を仏になす 秘術まします御経なり、 所謂 地獄の一人・餓鬼の一人・乃至 九界の一人を 仏になせば 一切衆生・皆 仏になるべき ことはり顕る、 譬えば竹の節を一つ破ぬれば 余の節 亦 破るるが如し いま ほけきょう と もうす は いっさいしゅじょう を ほとけ に なす ひじゅつ まします おきょう なり、 いわゆる じごく の ひとり・がき の ひとり・ないし きゅうかい の ひとり を ほとけ に なせば いっさいしゅじょう・みな ほとけ に なる べき ことわり あらわる、 たとえば たけ の ふし を ひとつ やぶり ぬれば よ の ふし また やぶるる が ごとし 法蓮抄 ほうれんしょう [父子成仏抄] ふしじょうぶつしょう (1046頁) 建治元年4月 (1275年) 通解(意訳) 今、法華経というのは、一切衆生を仏にする秘術がある御経である。生命の状態をあらわした、いわゆる十界論の地獄界の一人・餓鬼界の一人・ないし九界の中の一人、この「一人の人」を仏にすることで、「全ての人々が皆、同じように仏になることができる」という道理が顕れるのである。 例えば、竹の節を縦に一つ割れば、他の節もそれにしたがって、一瞬で縦に割れるようなものである。 このように、どのような状況にあったとしても、南無妙法蓮華経と唱えた瞬間に、仏界・仏性という、自己の無限の力、可能性を涌現させることができるのである。 英語で御書 Gosho in English The Lotus Sutra offers a secret means for leading all living beings to Buddhahood. It leads one person in the realm of hell, one person in the realm of hungry spirits, and thus one person in each of the nine realms of existence to Buddhahood, and thereby the way is opened for all living beings to attain Buddhahood. The situation is like th

日蓮は...海辺の旃陀羅が子なり - Nichiren is the son of a chandāla family...

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本文 日蓮は日本国・東夷・東条・安房の国・海辺の旃陀羅が子なり、 いたづらに・くちん身を法華経の御故に捨てまいらせん事 あに 石に金を・かふるにあらずや にちれん は にほんこく・とうい・とうじょう・あわのくに・うみべ の せんだら が こ なり、 いたずらに・くちん み を ほけきょう の おん ゆえ に すて まいらせん こと あに いし に きん を・かうる に あらずや 佐渡御勘気抄 さどごかんきしょう (891頁) 文永8年10月 (1271年) 通解(意訳) 日蓮は、日本国の東国の片田舎の者で、安房の国東条の郷・海辺の旃陀羅(せんだら・漁師)の子であり、名誉も財産も地位もない身である。 むなしく朽ちるであろう、この身を法華経のために捨てることができるのは、ちょうど石を金にかえるようなものではないか。 英語で御書 Gosho in English Nichiren is the son of a chandāla family who lived near the sea in Tōjōin Awa Province, in the remote countryside of the eastern part of Japan. How could giving a body that will decay uselessly for the sake of the Lotus Sutra not be exchanging rocks for gold? " Banishment to Sado " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 202 in October, 1271. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Chandāla [ Fisherman ] Gosho in Japanese 日蓮 は 日本国・東夷・東条・安房 の 国・海辺 の 旃陀羅 が 子 なり、 いたづら に・くちん 身 を 法華経 の 御故 に 捨て まいらせん事 あに 石 に 金 を・かふる に あらずや NICHIREN WA NI

烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし - they are being as ridiculous as fireflies laughing at the sun and moon...or a magpie mocking a phoenix.

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本文 日蓮御房は 師匠にて おはせども余に こはし 我等は やはらかに 法華経を弘むべし と 云んは 螢火が日月をわらひ 蟻塚が華山を下し 井江が河海をあなづり 烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし わらふなるべし。 にちれんごぼうは ししょうにて おわせども あまりにこわし われらは やわらかに ほけきょうを ひろむべしと いわんは ほたるびが にちがつをわらい ありづかが かざんをくだし せいこうが かかいをあなずり かささぎが らんほうを わらうなるべし わらうなるべし 佐渡御書 さどごしょ [富木殿等御返事] ときどのとうごへんじ (961頁) 文永9年3月 (1272年) 通解(意訳) (愚かな弟子達が)「日蓮御房は私達の師匠ではあられるが、余りにも強盛すぎる。我らは柔らかに法華経を弘めよう」と言っていることは、 ホタルの光が太陽や月の光を笑い、蟻塚が華山(約2kmある中国の山)を見下し、井戸や小川が大河や海を侮り、カササギが鸞鳥や鳳凰(らんちょう、ほうおう、いずれも伝説上の鳥)を笑うようなものである。笑うようなものである。 英語で御書 Gosho in English The renegade disciples say, “Though the priest Nichiren is our teacher, he is too forceful. We will spread the Lotus Sutra in a more peaceful way.” In so asserting, they are being as ridiculous as fireflies laughing at the sun and moon, an anthill belittling Mount Hua, wells and brooks despising the river and the ocean, or a magpie mocking a phoenix. Nam-myoho-renge-kyo. " Letter from Sado " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 306 March, 1272.  [ --- ] is liberal t

声仏事を為す - The voice carries out the work of the Buddha

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本文 経とは 一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く 声仏事を為す 之を名けて経と為すと きょう とは いっさいしゅじょう の ごんご おんじょう を きょう と いう なり、しゃく に いわく こえ ぶつじ を なす これ を なづけて きょう と なす と 御義口伝 おんぎくでん 南無妙法蓮華経 なんみょうほうれんげきょう (708頁) 通解(意訳) (南無妙法蓮華経の) 経とは、一切衆生の言葉や発する音、声をいうのである。章安大師は、「声が仏の振る舞い等の働きをする。これを名付けて経という」といっている。 このように、南無妙法蓮華経こそ最高の法であり、最高の音声(おんじょう)なのである。 英語で御書 Gosho in English Kyō [of the Nam-myoho-renge-kyo] represents the words and voices of all living beings. A commentary [On “The Profound Meaning,” volume one] says, “The voice carries out the work of the Buddha, and this is called kyō, or sutra.” ==================================== Nam-myoho-renge-kyo " The Record of The Orally Transmitted Teachings "  Part One, P 4 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  The voice is work like a Buddha's behavior. thus, Nam-Myoho-Renge-Kyo is a greatest law and a greatest voice.  Gosho in Japanese 経とは 一切衆生 の 言語音声 を 経 と 云う なり、釈 に 云く 声 仏事 を 為す 之 を 名けて