我等程の小力の者・須弥山はなぐとも... - Persons like myself who are of paltry strength might still be able to lift Mount Sumeru and toss it about...

本文 我等程の小力の者・須弥山はなぐとも 我等程の無通の者・乾草を負うて劫火には・やけずとも 我等程の無智の者・恒沙の経経をば・よみをぼうとも 法華経は 一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、 今度・強盛の菩提心を・をこして 退転せじと願しぬ。 われら ほど の しょうりき の もの しゅみせん は なぐ とも われら ほど の むつう の もの かれくさ を おうて ごうか には やけず とも われら ほど の むち の もの ごうしゃ の きょうぎょう をば よみ おぼう とも ほけきょう は いっく いちげ も まつだい に たもち がたし と とかるる は これ なる べし、 こんど・ごうじょう の ぼだいしん を・おこして たいてん せじ と がんしぬ。 開目抄・上 かいもくしょう・じょう [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (200頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) われらほどの小力の者が、須弥山のごとき大山を投げるとも、 われらほどの神通のない者が、燃えやすい乾草を背負って劫火のなかをくぐり、しかも焼けないことがあろうとも、 われらほどの無智の者が、数え切れない多数の経々を読みおぼえることができるとしても、 法華経は一句一偈ですら、末法に持つことは困難であると説かれているのは、宝塔品にある六難九易の事なのである。 この事に気づいたので、今度こそ強盛の大菩提心を起こして、いかなる大難に遭っても、絶対に退転しないと誓願したのである。 英語で御書 Gosho in English Persons like myself who are of paltry strength might still be able to lift Mount Sumeru and toss it about; persons like myself who are lacking in supernatural powers might still shoulder a load of dry grass and yet remain unburned in the fire at the end of the kalpa of decline; and persons like myself ...