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一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる - The Buddha nature of all living beings will be summoned and gather around you.

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本文 上は非想の雲の上・下は那落の炎の底まで 所有 一切衆生の備うる所の仏性を妙法蓮華経とは名くるなり、 されば一遍此の首題を唱へ奉れば 一切衆生の仏性が皆よばれて 爰に集まる時 我が身の法性の法 報 応の三身 ともに・ひかれて顕れ出ずる 是を成仏とは申すなり、 例せば籠の内にある鳥の鳴く時・空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる 是を見て篭の内の鳥も出でんとするが如し かみ は ひそう の くも の うえ・しも は ならく の ほのお の そこ まで いわゆる いっさいしゅじょう の そなうる ところ の ぶっしょう を みょうほうれんげきょう とは なづくる なり、 されば いっぺん この しゅだい を となえ たてまつれば いっさいしゅじょう の ぶっしょう が みな よばれて ここ に あつまる とき わが み の ほっしょう の ほっぽうおう の さんじん とも に ひかれて あらわれ いずる これ を ぶっしょう とは もうす なり、 れいせば かご の うち に ある とり の なく とき・そら を とぶ しゅうちょう の どうじ に あつまる これ を みて かご の うち の とり も いでん と する が ごとし 聖愚問答抄・下  しょうぐもんどうしょう・げ (498頁)  文永2年又は文永5年 (1265年、1268年) 通解(意訳) 上は想像もつかない雲の上にいるような生命の状態の者から、下は地獄の炎の底にいるような生命の状態の者まで、あらゆる者の生命に本来備えている仏性を、妙法蓮華経と名づけるのである。 そうであるから、一遍でもこの妙法蓮華経と唱へたてまつれば、あらゆる者の仏性が皆呼ばれて、そこに集まる時、自己の生命の中の法・報・応の三身(仏の生命力)がともに引かれて顕れ出る。これを成仏というのであり、成仏とは、妙法蓮華経と唱えた瞬間に、即ぐに自己の仏の生命を成く(ひらく)という意味なのである。 たとえば籠の内いる鳥が鳴く時、その鳴き声を聞いて、空を飛ぶ多くの鳥が同時に集まる、これを見て、籠の中の鳥も出ようとするようなものである。 英語で御書 Gosho in English All living beings from the realm where there is neither thought nor no ...

法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず - It could never come about that the prayers of the practitioner of the Lotus Sutra would go unanswered.

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本文 大地は ささば はづるるとも 虚空を つなぐ者は ありとも・潮の みちひぬ事は ありとも日は西より出づるとも・ 法華経の行者の祈りの かなはぬ事は あるべからず だいち は ささば はずるる とも おおぞら を つなぐ もの は ありとも・しお の みちいぬ こと は ありとも ひ は にし より いづる とも・ ほけきょう の ぎょうじゃ の いのり の かなわぬ こと は ある べからず 祈祷抄 きとうしょう (1352頁) 文永9年 (1272年) 通解(意訳) 大地を刺して外れる事があっても、大空をつなぎ合わせる者があっても、 潮の満ち干きがなくなることがあっても、太陽が西の空から昇るようなことがあっても、 法華経の行者の祈りが叶わないことは絶対にない。 英語で御書 Gosho in English Though one might point at the earth and miss it, though one might bind up the sky, though the tides might cease to ebb and flow and the sun rise in the west, it could never come about that the prayers of the practitioner of the Lotus Sutra would go unanswered. " On Player "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 345 in 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 大地は ささば はづるる とも 虚空 を つなぐ 者 は あり とも・潮 の みちひぬ 事 は あり とも 日 は 西 より 出づる とも・ 法華経 の 行者 の 祈り の かなはぬ 事 は ある べからず DAICHI WA SASABA HAZURURU TOMO ŌZORA WO TSUNAGU MONO WA ARI TOMO・SHIO  NO MICHI-INU KOTO WA ARI TOMO HI WA NISHI ...

11周年: 或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり - The 11th Anniversary: The belief of some is like fire while that of others is like water.

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本文 法華経を信ずる人あり・或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり、 聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、 水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり ほけきょう を しんずる ひと あり・あるいは ひ の ごとく しんずる ひと も あり・あるいは みず の ごとく しんずる ひと も あり、 ちょうもん する とき は・もえたつ ばかり おもえども・とおざかり ぬれば・すつる こころ あり、 みず の ごとく と もうす は・いつも・たいせず しんずる なり 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [水火二信抄] すいかにしんしょう (1544頁) 建治4年2月 (1279年) 通解(意訳) 法華経を信ずる人がいる。あるいは火のように信ずる人もあり、あるいは水の流れるように信ずる人もいる。 火のように信ずる人というのは、法華経の法門を聴いたその時は、燃え立つような信心が沸き起こるように思うけれども、時が経つにつれて遠ざかると、その発心した心を忘れてしまうのである。  水のように信ずる人というのは、常に後退せずに信ずる人をいうのである。  謝辞 日替わり御書 Daily-Gosho を読んで頂き、本当にありがとうございます。 2015年3月16日から始めた「日替わり御書 Daily-Gosho」を、また今年も1年投稿することができました。 今後とも、「日替わり御書 Daily-Gosho」」をよろしくお願いします。 日替わり御書  X/twitter @Daily_Gosho 英語で御書 Gosho in English Today there are people who have faith in the Lotus Sutra. The belief of some is like fire while that of others is like water. When the former listen to the teachings, their passion flares up like fire, but as time goes on, they tend to discard their faith. To have faith like w...

凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり - Ordinary people keep in mind the words “earnest resolve” and thereby become Buddhas.

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本文 仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり ほとけになりそうろうことはぼんぷはこころざしともうすもじをこころえてぼんぷになりそうろうなり 白米一俵御書 はくまいいっぴょうごしょ [事理供養御書] じりくようごしょ (1596頁)  年月不明 通解(意訳) 仏に成るということは、凡夫は「志」という文字を心得て仏に成るのである。 英語で御書 Gosho in English As for the matter of becoming a Buddha, ordinary people keep in mind the words “earnest resolve” and thereby become Buddhas. " The Gift of Rice " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1125 Unknown Year. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 仏 に なり 候 事 は 凡夫 は 志ざし と 申す 文字 を 心へて 仏 に なり 候なり HOTOKE NI NARI SŌRŌ KORO WA BONPU WA KOKOROZASHI TO MŌSU MOJI WO KOKOROETE HOTOKE NI NARI SŌRŌ NARI 白米 一俵 御書 HAKUMAI IP'PYO GOSHO [事 理 供養 御書] JI RI KUYŌ GOSHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

金珠女 - The Woman Who Gave a Piece of Gold

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本文 金珠女は金銭一文を木像の薄と為し 九十一劫金色の身と為りき 其の夫の金師は今の迦葉 未来の光明如来是なり こんじゅにょ は きんせん いちもん を もくぞう の はく と なし きゅうじゅういっこう こんじき の み と なりき その おとこ の こんし は いま の かしょう みらい の こうみょうにょらい これ なり 乗明聖人御返事 じょうみょうしょうにんごへんじ [金珠女御書] こんじゅにょごしょ (1012頁) 建治3年4月   (1277年) 通解(意訳) 金珠女は、金箔を施した木像の顔の一部が剥がれていたのを見て、貧相な身でありながら、物乞いをして集めた黄金の銭一文を供養し、錬金師であった夫は、その黄金を使って木造を修復した。この功徳によって、金珠女は91劫(1劫 =人間界での43億2千万年)の長い間、金色の身となった。その夫の鍛金師は釈尊在世の時代には迦葉尊者であり、未来の光明如来である。さらに、二人は生まれ変わっても常に夫婦として結ばれていたのである。 例えわずかであっても、心から法華経に供養すれば、莫大な功徳が必ず顕れるのである。 英語で御書 Gosho in English Long ago, the so-called Woman Who Gave a Piece of Gold donated a gold coin to be used to gild a wooden statue [of a Buddha. Because of the benefits she received], for ninety-one long kalpas she was reborn with a golden body. The goldsmith at that time, who became her husband, was reborn as Mahākāshyapa, who in the future, the Buddha predicted, will become a Buddha named Light Bright Thus Come One. " The Woman Who Gave a Piece of Gold "  "The Writings of Nichire...

白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり - The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo.

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本文 白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、 この声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし はくばの なくは われらが なんみょうほうれんげきょうの こえなり、 この こえを きかせたもう ぼんてん・たいしゃく・にちがつ・してんとう いかでか いろを まし ひかりを さかんに なし たまわざるべき、いかでか われらを しゅごし たまわざるべき と・つよづよと・おぼしめすべし 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [輪陀王御書] りんだおうごしょ (1065頁) 弘安2年8月 (1279年) 通解(意訳) 白馬がいななくのは、私達の南無妙法蓮華経の声である。 この唱題の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天等など(諸天善神)が、どうして色つやを増し、威光を強くされないことがあろうか。どうして我等を守護しないわけがあろうかと、強く強く思っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo. When Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, the four heavenly kings, and the others hear this sound, how could they fail to take on a healthy color and shine with a brilliant light? How could they fail to guard and protect us? We should be firmly convinced of this! " King Rinda " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 989 - 990 in August, 1279. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 白馬 の なく...

譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し - This is similar to a tarnished mirror that will shine like a jewel when polished.

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本文 衆生と云うも 仏と云うも 亦 此くの如し 迷う時は 衆生と名付け 悟る時をば 仏と名けたり、 譬えば 闇鏡も 磨きぬれば 玉と見ゆるが如し、 只今も 一念無明の迷心は 磨かざる鏡なり 是を磨かば 必ず 法性真如の明鏡と 成るべし、 深く信心を発して 日夜朝暮に 又 懈らず磨くべし 何様にしてか磨くべき 只 南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを 是を磨くとは云うなり しゅじょうと いうも ほとけと いうも また かくの ごとし まよう ときは しゅじょうと なづけ さとる ときをば ほとけと なづけたり、 たとえば あんきょうも みがき ぬれば たまと みゆるが ごとし、 ただいまも いっしんむみょうの めいしんは みがかざる かがみなり これを みがかば かならず ほっしょうしんにょの みょうきょうと なるべし、 ふかく しんじんを おこして にちやちょうぼに また おこたらず みがくべし いかようにしてか みがくべき ただ なんみょうほうれんげきょうと となえたてまつるを これを みがくとは いうなり 一生成仏抄 いっしょうじょうぶつしょう (384頁) 建長7年 (1255年) 通解(意訳) 衆生といっても仏といっても、また同様に2つの隔てがあるわけではない。迷う時は衆生と名付け、悟った時には仏と名付けるのである。 たとえば、曇っている鏡であっても、磨けば玉のように見えるようなものである。 一念無明の迷信とは、今の悩みや苦しみ等によって迷っている心の状態であり、まだ磨いていない鏡のようなものである。この鏡を磨けば、必ず仏性という本来生命に備わっている仏の生命(法性真如:仏界)を開き、明るく輝く鏡となるのである。 深く信心を奮い起こして、日夜、朝夕に、また怠らずに磨いていきなさい。 では、どのように磨けばよいのか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これを(生命という鏡を)磨くというのである。 英語で御書 Gosho in English It is the same with a Buddha and an ordinary being. When deluded, one is called an ordinary being, but when enlightened, one is called a Buddha. This is s...

「従藍而青」 - "From the indigo, an even deeper blue."

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本文 法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり、 天台云く、「従藍而青」云云、此の釈の心は あい は葉のときよりも・なを そむれば・いよいよ あをし、 法華経は あい のごとし 修行のふかきは・いよいよ あをき が ごとし ほけきょうの ほうもんを きくに つけて・なお なお しんじんを はげむを・まことの どうしんしゃ とは もうすなり、 てんだい いわく、「じゅうらんにしょう」うんぬん、この しゃくの こころは あいは はの ときよりも・なお そむれば・いよいよ あおし、 ほけきょうは あいの ごとし しゅぎょうの ふかきは・いよいよ あおきが ごとし 上野殿後家尼御返事 うえのどのごけあまごへんじ [地獄即寂光御書] じごくそくじゃっこうごしょ (1505頁) 文永11年7月 (1274年) 通解(意訳) 法華経の教えを聞くごとにつけて、今よりさらに信心の修行に励むのを、真の信仰者というのである。 天台大師は「藍よりして而も青し(あい よりして しかも あおし)」といわれている。 この「従藍而青(じゅうらんにしょう)」の意味は、藍は葉の時よりも、繰り返し染めれば染めるほど、いよいよ青さが増していく、という意味である。 法華経は藍のようであり、修行が深いのは、藍が染めるに従って、ますます青くなるようなものである。 英語で御書 Gosho in English On hearing the teachings of the Lotus Sutra, makes even greater effort in faith is a true seeker of the way.  T'ien-t'ai states,"From the indigo, an even deeper blue." This Passage means that, if one dyes something repeatedly in indigo, it becomes even bluer than the indigo leaves. The lotus Sutra is like the indigo, and the strength of one's practice is...

此の経を持つ女人は一切の女人に・すぎたるのみならず 一切の男子に・こえたり - A woman who embraces this sutra not only excels all other women, but also surpasses all men.

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本文 此の法華経計りに 此の経を持つ女人は一切の女人に・すぎたるのみならず 一切の男子に・こえたりと みえて候 このほけきょうばかりに このきょうをたもつにょにんは いっさいのにょにんに・すぎたるのみならず いっさいのだんしに・こえたりと みえてそうろう 四条金吾殿女房御返事 しじょうきんごどのにょうぼうごへんじ [夫婦同心御書] ふうふどうしんごしょ (1135頁) 文永12年1月 (1275年) 通解(意訳) この法華経にのみ、「この経を受持する女性は、他の一切の女性に優れているだけでなく、一切の男性にも超えている」と、説かれているのである。 英語で御書 Gosho in English Only in the Lotus Sutra do we read that a woman who embraces this sutra not only excels all other women, but also surpasses all men. " The Unity of Husband and Wife " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 464 in January, 1275. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 此の 法華経 計り に 此の 経 を 持つ 女人 は 一切 の 女人 に・すぎたる のみ ならず 一切 の 男子 に・こえたり と みえて 候 KONO HOKEKYO BAKARI NI KONO KYO WO TAMOTSU NYONIN W IS'SAI NO NYONIN NI・SUGITARU NOMINARAZU IS'SAI NO DANSHI NI ・KOETARI TO MIETE SŌRŌ 四条金吾 殿 女房 御返事 SHIJŌ-KINGO DONO NYŌBŌ GOHENJI [夫婦 同心 御書] FŪFU DŌSHIN GOSHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichir...

法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし - Those who now believe in the Lotus Sutra will gather fortune from ten thousand miles away.

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本文 法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし ほけきょう を しんずる ひと は・さいわい を ばんり の そと より あつむ べし 十字御書 むしもちごしょ (1492頁) 弘安4年1月 (1281年) 通解(意訳) 法華経を信じている人は、幸運を遠く離れた場所からでも集めることができるのである。 英語で御書 Gosho in English Those who now believe in the Lotus Sutra will gather fortune from ten thousand miles away. " New Year’s Gosho "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1137 in January, 1281. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし HOKEKYO WO SHINZURU HITO WA・SAIWAI WO BANRI NO SOTO YORI ATSUMU BESHI 十字御書 MUSHIMOCHI GOSHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

日蓮と同意ならば 地涌の菩薩たらんか - If you are of the same mind as Nichiren, you must be a Bodhisattva of the Earth.

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本文 いかにも今度・信心をいたして 法華経の行者にて とをり、日蓮が一門と なりとをし給うべし、日蓮と同意ならば 地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩に さだまりなば 釈尊 久遠の弟子たる事 あに疑はんや、 経に云く「我 久遠より 来かた 是等の 衆を 教化す」とは是なり、 末法にして 妙法蓮華経の 五字を弘めん者は 男女は きらふべからず、皆 地涌の菩薩の出現に非ずんば 唱へがたき題目なり いかにも こんど・しんじん を いたして ほけきょう の ぎょうじゃ にて とおり、にちれん が いちもん と なりとおし たもうべし、にちれん と どうい ならば じゆ の ぼさつ たらんか、じゆ の ぼさつ に さだまりなば しゃくそん くおん の でし たる こと あに うたがわんや、 きょう に いわく「われ くおん より この かた これら の しゅ を きょうけ す」とは これ なり、 まっぽう に して みょうほうれんげきょう の ごじ を ひろめん もの は なんにょ は きらう べからず、みな じゆ の ぼさつ の しゅつげん に あらずんば となえがたき だいもく なり 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1360頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) どんなことがあっても、今世で信心を起こしたなら、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり、師弟の道を貫き通しなさい。日蓮と同じ志しならば、地涌の菩薩(じゆ の ぼさつ)であろうか。地涌の菩薩であると定まっているのであれば、釈尊の久遠の弟子であるということをどうして疑うことができようか。 法華経従地涌出品第十五に「これらの菩薩は、私が久遠の昔から教化してきたのである」と説かれているのは、このことである。 末法において、妙法蓮華経の五字を弘める者は、老若男女問わず、分け隔てをしてはならない。皆それぞれの使命を持って、地涌の菩薩として出現した人々でなければ、唱えることのできない題目だからである。 英語で御書 Gosho in English Now, no matter what, strive in faith and be known as a votary of the Lotus Sutra, and remain my disciple for the rest of ...

大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し - Will be like the drops of dew that gather to form the great ocean, or the specks of dust that pile up to become Mount Sumeru.

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本文 国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば 存外に功徳 身にあつまらせ給うべし、 其の功徳は 大海の露をあつめ 須弥山の微塵を つむが如し くにじゅう の ひとびと・ひとり・ふたり・ないし いっせんまんのく の ひと・だいもく を となうる ならば ぞんがい に くどく みに あつまらせ たもうべし、 その くどく は たいかい の つゆ を あつめ しゅみせん の みじん を つむ が ごとし 妙密上人御消息 みょうみつしょうにんごしょうそく [法華経功徳抄] ほけきょうくどくしょう (1234頁) 建治2年3月 (1276年) 通解(意訳) 国中の人々が、一人・二人・ないし千万億の人が題目を唱えるようになれば、知らず知らずのうちに、功徳があなたの身に集まるであろう。 その功徳は、ちょうど大海が露をあつめ、須弥山が塵を積んで大きくなっていくようのものである。 英語で御書 Gosho in English As first one person, then two persons, then a thousand, ten thousand, a hundred thousand, and then all the people throughout the country come to chant the daimoku, before you know it, their blessings will accrue to you. Those blessings will be like the drops of dew that gather to form the great ocean, or the specks of dust that pile up to become Mount Sumeru.  " The Blessings of the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 667 in March, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 国中 の 諸人・一人・二人・乃至 千万億 の 人・題目 ...

天晴れぬれば地明かなり - When the skies are clear, the ground is illuminated.

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本文 天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り花の盛なるを見て池の深きことを知る」等云云、妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、 天晴れぬれば地明かなり 法華を識る者は世法を得可きか。 てんだい いわく、「あめ の たけき を みて りゅう の だい なる を しり はな の さかん なる を みて いけ の ふかき こと を しる」とう うんぬん、みょうらく いわく、「ちじん は き を しり へび は みずから へび を しる」とう うんぬん、 てん はれぬれば ち あきらか なり ほっけ を しる もの は せほう を う べきか。 観心本尊抄 かんじんのほんぞんしょう [如来滅後五五百歳始観心本尊抄] にょらいめつごごごひゃくさいにはじむかんじんのほんぞんしょう (246頁) 文永10年4月 (1272年) 通解(意訳) 天台大師は「雨が猛々しく降る現証を見て、雨を降らせる言われている、竜の力の偉大なることを知り、蓮華の花が大きく咲き盛なっている様子を見て、その池の深いことを知る」等と言い、妙楽大師は「智人は将来起こるべきことを知り、蛇は自ら蛇の本質を知っている」等と言っている。 天が晴れるならば、大地は明るくなる。太陽の光に従って大地が明るくなるように、法華経を識る者は、世の中の道理と仏法の法理がかけ離れていないこと(世法=仏法即社会)を、自ら明らかに知ることができて、自身の使命を果たし、実証を示すことに目覚めることができるであろう。 英語で御書 Gosho in English T’ien-t’ai states, “By observing the fury of the rain, we can tell the greatness of the dragon that caused it, and by observing the flourishing of the lotus flowers, we can tell the depth of the pond they grow in.” Miao-lo says, “Wise men can perceive the cause of things, as snakes know the way of snakes.” When the skies are...

法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり - The Lotus Sutra is like the seed, the Buddha like the sower, and the people like the field.

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本文 此法門を日蓮申す 故に 忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ 命にも及びしなり、然どもいまだこりず候 法華経は種の如く 仏はうへての如く 衆生は田の如くなり この ほうもん を にちれん もうす ゆえ に ちゅうげん みみ に さからう どうり なる が ゆえに るざい せられ いのち にも およびし なり、しかれども いまだ こりず そうろう、 ほけきょう は たね の ごとく ほとけ は うえて の ごとく しゅじょう は た の ごとく なり 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [成仏用心抄] じょうぶつようじんしょう (1056頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 法華経の法門を日蓮が申すゆえに、忠告は耳障りに聞こえるのが人間の道理でもあるから、流罪にされたり、命にも及んだのである。しかしながら、私はいまだに懲りていない。 法華経は種のようであり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである。 英語で御書 Gosho in English I have expounded this teaching [ of The Lotus Sutra ] , I have been exiled and almost killed. As the saying goes, “Good advice grates on the ear.” But still I am not discouraged. The Lotus Sutra is like the seed, the Buddha like the sower, and the people like the field. " The Essentials for Attaining Buddhahood " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 748 in August, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 此 法門 を 日蓮 申す 故に 忠言 耳 に 逆う 道理 なる が 故 に 流罪 せられ 命 にも 及びし なり、 然ども いまだ こりず 候 法華経 は 種 の 如く 仏 は うへて の ...

喜とは自他共に喜ぶ事なり - “Joy” means that oneself and others together experience joy.

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本文 御義口伝に云く 随とは事理に随順するを云うなり 喜とは自他共に喜ぶ事なり おんぎくでんにいわく ずいとはじりにずいじゅんするをいうなりきとはじたともによろこぶことなり 御義口伝 おんぎくでん 随喜品二箇の大事 ずいきぼん にかのだいじ 第一 妙法蓮華経随喜功徳の事 だいいち みょうほうれんげきょうずいきくどくのこと (761頁) 通解(意訳) 御義口伝には、次のように仰せである。 随喜(ずいき)の随とは、「事理に随順すること」を随という。 「事理に随順する(じり に ずいじゅん する)」とは、法華経の法理で功徳を得る事(事理)に素直に従う(順して随う=随順する)、すなわち、法華経の肝心である「南無妙法蓮華経」の法理を実直に信じて題目を唱えて、自分も実行し他人にも勧める「自行化他の信心」を実直に実践して、功徳を得る事を随というのである。 随喜の喜とは、「自他共に喜ぶこと」を喜という。 「自他ともに喜ぶ」とは、信心によって得られる功徳や幸福境涯を共に分かち合い、素直に喜ぶ事である。 随喜とは、素直に信心に励み、功徳で得られる幸福境涯を人にも勧め、歓喜を共に分かち合って喜ぶ事なのである。 英語で御書 Gosho in English The Record of the Orally Transmitted Teachings says: “Respond” means to respond to and comply with actuality and principle. “Joy” means that oneself and others together experience joy.  ==================================== Chapter Eighteen: The Benefits of Responding with Joy Two important points "The Record of The Orally Transmitted Teachings" Part 2, p. 146 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Interpreta...

弓の つよくして つる よはく・太刀 つるぎ にて・つかう人の臆病なるやうにて候 - like a strong bow with a weak bowstring, or a fine sword in the hands of a coward.

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本文 御いのりの叶い候はざらんは 弓の つよくして つる よはく・太刀 つるぎ にて・つかう人の臆病なるやうにて候べし、 あへて法華経の 御とが にては候べからず おん いのり の かない そうらわざらん は ゆみ の つよく して つる よわく・たち つるぎ にて・つかう ひと の おくびょう なる よう にて そうろう べし、 あえて ほけきょう の おん とが にては そうろう べからず 王舎城事 おうしゃじょうじ (1138頁) 建治元年4月 (1275年) 通解(意訳) 祈りが叶わないのは、法華経という強い弓があっても、それを信じる心という弓のつるが弱く、妙法の利剣という最強の剣があっても、相手に立ち向かおうとせず、臆病であっては意味が無いようなものである。 このように、信心で自身の仏界を涌現させ、勇気と智慧を引き出そうという姿勢がないからであって、祈りが叶わないのは、決して法華経のせいではない。 英語で御書 Gosho in English The fact that her prayers have gone unanswered is like a strong bow with a weak bowstring, or a fine sword in the hands of a coward. It is in no sense the fault of the Lotus Sutra.  " The Royal Palace " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 488 in April, 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Why does your prayer not come true, that reason is even if you have a strong bow called Lotus Sutra, you have weak faith which the bow string is weak. Also, if you are coward and you...

道理証文よりも現証にはすぎず - even more valuable than reason and documentary proof is the proof of actual fact.

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本文 日蓮 仏法をこころみるに 道理と証文とには すぎず、 又 道理 証文よりも現証にはすぎず にちれん ぶっぽう を こころみる に どうり と しょうもん と には すぎず、 また どうり しょうもん よりも げんしょう には すぎず 三三蔵祈雨事 さんさんぞうきうのこと (1468頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) 日蓮が様々な宗教の優劣・正邪を判断する際、その宗教の教義や主張に、道徳や人道といった道理にかなっており、普遍妥当性(ふへん だとうせい、条件や時間などにとらわれず、どのような場合にも常に当てはまる性質)があるかを問う「理証」と、 記録または文書などの証拠があり、どの経典や文献を根本としているかを問う「文証」で判断をする以上の方法はない。 さらに、その宗教の正しさが、現実社会や実生活で証明されて、現実を変える力を持っているかを問う「現証」に勝るものない。 英語で御書 Gosho in English In judging the relative merit of Buddhist doctrines, I, Nichiren, believe that the best standards are those of reason and documentary proof. And even more valuable than reason and documentary proof is the proof of actual fact. " Three Tripitaka Masters Pray for Rain " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 598  in June, 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  When Nichiren Buddhism judges the superiority or evilness of various religions, the doctrines and insistences of the religions called  “Mo...

いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず - However wretched a beggar you might become, never disgrace the Lotus Sutra.

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本文 一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食には・なるとも 法華経に きずをつけ給うべからず いっしょう は ゆめ の うえ・あす を ご せず・いかなる こつじき には・なるとも ほけきょう に きず を つけ たもう べからず 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [不可惜所領事] ふかしゃくしょりょうのこと (1163頁) 建治3年7月 (1277年) 通解(意訳) 一生は夢の上の出来事のように、はかないものであり、明日の命があるか分からない。 たとえどのような乞食になったとしても、あなた自身の信心に傷をつけてはならない。 英語で御書 Gosho in English This life is like a dream. One cannot be sure that one will live until tomorrow. However wretched a beggar you might become, never disgrace the Lotus Sutra.  " A Warning against Begrudging One’s Fief " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 824 in July, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 一生 は ゆめ の 上・明日 を ごせず・いかなる 乞食 には・なるとも 法華経 に きず を つけ 給う べからず IS'SHO WA YUME NO UE・ASU WO GO SEZU・IKANARU KOTSUJIKI NIWA・NARUTOMO HOKEKYO NI KIZU WO TSUKE TAMOU BEKARAZU 四条 金吾 殿 御返事 SHIJŌ KINGO DONO GOHENJI [不可惜 所領事] FUKASHAKU SHORYŌ-NO-KOTO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin...

此の妙の文字は月なり日なり星なりかがみなり衣なり食なり - this character myō is the moon, it is the sun, it is the stars, it is a mirror, it is garments, it is food

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本文 此の妙の字は 仏にて おはし候なり、 又 此の妙の文字は 月なり 日なり 星なり かがみなり 衣なり 食なり 花なり 大地なり 大海なり、 一切の功徳を合せて 妙の文字と ならせ給う、又は 如意宝珠の たまなり この みょう の じ は ほとけ にて おわし そうろう なり、 また この みょう の もじ は つき なり ひ なり ほし なり かがみ なり ころも なり しょく なり はな なり だいち なり たいかい なり、 いっさい の くどく を あわせて みょう の もじ と ならせ たもう、また は にょい ほうじゅ の たま なり 妙心尼御前御返事 みょうしんあまごぜんごへんじ (1484頁) 弘安3年5月4日 (1280年) 通解(意訳) この妙の文字は仏にてあらせられる。 また、この妙の文字は月であり、太陽であり、星であり、鏡であり、衣であり、花であり、大地であり、大海であり、一切の功徳を合わせて妙の文字となられたのである。 または、如意宝珠(にょい ほうしゅ、意のままに様々な宝を出す取り出すことができるという宝玉)の珠である。 英語で御書 Gosho in English This character myō is itself a Buddha. Furthermore, this character myō is the moon, it is the sun, it is the stars, it is a mirror, it is garments, it is food, it is flowers, it is the great earth, it is the great sea. All benefits clustered together make up the character myō. Also, it is the wish-granting jewel. " Reply to the Lay Nun Myōshin "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 880 in May, 1280. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japan...

よき火打とよき石のかどと・よきほくちと此の三寄り合いて火を用ゆるなり - To illustrate, in kindling a fire, three things are needed: a good piece of steel, a good flint, and good tinder.

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本文 よき火打と よき石のかどと・よきほくちと 此の三寄り合いて火を用ゆるなり、 祈も又是くの如し よき師と・よき檀那と・よき法と 此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり よき ひうち と よき いし の かど と・よき ほくち と この みつ よりあいて ひ を もちゆる なり、 いのり も また かく の ごとし よき し と・よき だんな と・よき ほう と この みつ よりあいて いのり を じょうじゅ し こくど の だいなん をも はらう べき もの なり 法華初心成仏抄 ほっけしょしんじょうぶつしょう (550頁) 建治3年3月 (1277) 通解(意訳) よい火打ち金と、よい火打ち石の角と、よい火口と、この三つが寄り合って、火を得るために用いられるのである。 祈りもまた同じである。よい師と、よい弟子と、よい法と、この三つが寄り合って、祈りを成就し、国土の大難をも払うことができるのである。 師弟共戦こそ学会精神の真髄 牧口先生も、戸田先生も、それぞれの御書に線を引いて大切にされた、まさに師弟共戦の御金言です。 南無妙法蓮華経を弘められた大聖人こそ、末法の御本仏であり、「よき師」であられます。そして、大聖人のご遺命のままに、広宣流布のため、不惜身命で戦い抜かれた先師・牧口先生、恩師・戸田先生は私達にとって、広布と人生の「よき師」であります。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English To illustrate, in kindling a fire, three things are needed: a good piece of steel, a good flint, and good tinder. The same is true of prayer. Three things are required—a good teacher, a good believer, and a good teaching—before prayers can be effective and disasters banished from the land. " How Those Initially Aspiring to the Way  Can Attain Buddhahood throu...