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教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ - The purpose of the appearance in this world of Shakyamuni Buddha, the lord of teachings, lies in his behavior as a human being.

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本文 教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、 穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ きょうしゅ しゃくそん の しゅっせい の ほんかい は ひと の ふるまい にて そうらいけるぞ、 あなかしこ・あなかしこ、かしこき を ひと と いい はかなき を ちく と いう 崇峻天皇御書 すしゅんてんのうごしょ [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ (1174頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 教主釈尊が生まれ持った使命(出生の本懐)とは、法華経を説いて、人としての振る舞いを説くことであった。 くれぐれも、よくお聞きなさい。 誠実に振る舞う事を学んでいる、賢い者を人といい、振る舞いを知らない愚かなものを畜生というのである。  英語で御書 Gosho in English The purpose of the appearance in this world of Shakyamuni Buddha, the lord of teachings, lies in his behavior as a human being. Respectfully. The wise may be called human, but the thoughtless are no more than animals. " The Three Kinds of Treasure " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 852 in September, 1277.  [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 教主 釈尊 の 出世 の 本懐 は 人 の 振舞 にて 候けるぞ、 穴賢・穴賢、賢き を 人 と 云い はかなき を 畜 と いふ KYOSHU SHAKUSON NO SHUS'SEI NO HONKAI WA HITO NO FURUMAI NITE SŌRAIKERUZO,  ANAKASHIKO・ANAKASHIKO, KASHIKOKI WO HITO TO II HAKANAKI WO CHIKU TO IU 崇峻 天皇 御書 SUSH...

一切衆生異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり - The varied sufferings that all living beings undergo—all these are the Thus Come One’s own sufferings.

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本文 涅槃経に云く「一切衆生 異の苦 を 受くるは 悉く 是 如来一人の 苦なり」等云云、 日蓮云く 一切衆生の 同一苦は 悉く 是 日蓮一人の苦と申すべし ねはんぎょう に いわく「いっさいしゅじょう いのく を うくる は ことごとく これ にょらい ひとり の く なり」とう うんぬん、 にちれん いわく いっさいしゅじょう の どういっく は ことごとく これ にちれん ひとり の く と もうすべし 諫暁八幡抄 かんぎょうはちまんしょう (587頁) 弘安3年12月 (1280年) 通解(意訳) 涅槃経には「一切衆生の、異なる因縁や果報によって起こる種々さまざまな苦悩は、ことごとく、これ 如来一人の 苦である」等と説かれている。 日蓮も同じく「日本国の一切衆生が、皆同じ大謗法を犯すという大罪によって受ける苦しみは、ことごとく、これ日蓮一人の苦である」と言うのである。  英語で御書 Gosho in English The Nirvana Sutra says, “The varied sufferings that all living beings undergo—all these are the Thus Come One’s own sufferings.” And Nichiren declares that the sufferings that all living beings undergo, all springing from this one cause—all these are Nichiren’s own sufferings. " On Reprimanding Hachiman " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 934 in December, 1280. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 涅槃経 に 云く「一切衆生 異 の 苦 を 受くる は 悉く 是 如来 一人 の 苦 なり」等 云云、 日蓮 云く 一切衆生 の 同一苦 は 悉く 是 日蓮 一人 の 苦 と 申す べし NEHAN-GYŌ NI IWAKU「IS'...

先ず四表の静謐を祷らん者か - You should first of all pray for order and tranquillity throughout the four quarters of the land, should you not?

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本文 帝王は国家を基として天下を治め 人臣は田園を領して世上を保つ、 而るに他方の賊 来つて其の国を侵逼し 自界叛逆して 其の地を掠領せば 豈 驚かざらんや豈騒がざらんや、 国を失い家を滅せば 何れの所にか世を遁れん 汝須く一身の安堵を思わば 先ず四表の静謐を祷らん者か ていおうは こっかを もととして てんかを おさめ じんしんは でんえんを りょうして せじょうを たもつ、しかるに たほうの ぞく きたって そのくにを しんぴつし じかいほんぎゃくして そのちをりゃくりょうせば あにおどらかざらんや あにさわがざらんや、くにを うしない いえをめっせば いずれのところにか よをのがれん なんじ すべからく いっしんの あんどを おもわば まず しひょうの せいひつを いのらんものか 立正安国論 りっしょうあんこくろん (31頁) 文応元年7月 (1260年) 通解(意訳) 帝王・国家の指導者は、国家を基盤として天下を治めて、その国民は田園を領し、生産に励み、生活を支え、国家社会を支えていけるのである。 しかし、他方の賊が来て国を侵略し、自国内で叛乱が起きて、その土地を略奪されるならば、国民はどうして驚かないでいられようか。騒がないでいられようか。 国土を失い国が亡びてしまったならは、一体どこへ逃れて行けるであろう。 あなたが自身が安遠・平穏である事を願うならば、まず、自分の周囲を取り囲んでいる社会全体の静穏・平和を祈るべきである。 英語で御書 Gosho in English Emperors and kings have their foundation in the state and bring peace and order to the age; ministers and commoners hold possession of their fields and gardens and supply the needs of the world. But if marauders come from other regions to invade the nation, or if revolt breaks out within the domain and people’s lands are seized and plu...

他人なれどもかたらひぬれば命にも替るぞかし - Even a stranger, if you open up your heart to him, may be willing to lay down his life for you.

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本文 他人なれども かたらひぬれば 命にも替るぞかし たにんなれども 語合 ぬれば いのちにも かわるぞかし 呵責謗法滅罪抄 かしゃくほうぼうめつざいしょう (1132頁) 文永10年 (1273年) 通解(意訳) 他人であっても、心から語り合えば、かけがえのない命にも替わりうるのである。 英語で御書 Gosho in English Even a stranger, if you open up your heart to him, may be willing to lay down his life for you. " On Rebuking Slander of the Law and Eradicating Sins " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 435 in 1273. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 他人なれども かたらひぬれば 命にも替るぞかし TANIN NAREDOMO KATARAI NUREBA INOCHI NIMO KAWARU ZOKASHI 呵責 謗法 滅罪 抄 KASHAKU HŌBŌ METSUZAI SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

「仏の智慧を以て籌量するも多少其の辺を得ず」 - “[The benefits he gains there will be such that] even the Buddha wisdom could never finish calculating their extent.”

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本文 日蓮を供養し 又 日蓮が弟子檀那となり給う事、其の功徳をば 仏の智慧にても・はかり尽し給うべからず、 経に云く「仏の智慧を以て籌量するも多少其の辺を得ず」と云へり にちれんをくようしまたにちれんがでしだんなとなりたもうこと、そのくどくをばほとけのちえにても・はかりつくしたもうべからず、 きょうにいわく「ほとけのちえをもってちゅうりょうするもたしょうそのへんをえず」といえり 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1359頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 日蓮を供養し、また日蓮の弟子や檀那となられた功徳は、仏の智慧でも量り尽くすことはできない。 これは法華経薬王菩薩本事品第二十三にいわく 「仏の智慧を以て籌量(ちゅうりょう:考え量る)するも多少其の辺を得ず」と説かれているのである。 英語で御書 Gosho in English Not even the wisdom of the Buddha can fathom the blessings that one will obtain by giving alms to Nichiren and by becoming his disciple and lay supporter. The sutra reads, “[The benefits he gains there will be such that] even the Buddha wisdom could never finish calculating their extent.” " The True Aspect of All Phenomena "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p.  384 in May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 日蓮 を 供養 し又 日蓮 が 弟子 檀那 と なり 給う 事、其 の 功徳 をば 仏 の 智慧 にても・はかり 尽し 給う べからず、 経 に 云く「仏 の 智慧 を 以て 籌量 する も 多少 其 の 辺 を 得ず」と 云へり NICHIREN WO KUYŌ SHI MATA ...

賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり - Worthy persons deserve to be called so because they are not carried away by the eight winds

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本文 賢人は 八風と申して 八のかぜに をかされぬ を 賢人と申すなり、 利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、 をを心は 利あるに・よろこばず・をとろうるに なげかず等の事なり、 此の 八風に をかされぬ人をば 必ず天はまほらせ給うなり けんじんは はっぷう と もうして はち の かぜ に おかされぬ を けんじん と もうすなり、 り・すい・き・よ・そう・しき・く・らくなり、 おおこころ は り ある に・よろこばず・おとろうる に なげかず とう の こと なり、 この はっぷう に おかされぬ ひと をば かならず てん は まもらせ たもう なり 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [八風抄] はっぷうしょう (1151頁) 建治3年 (1277年) 通解(意訳) 賢人とは八風といって、八種の風に犯されないのを賢人というのである。八風とは利(利益を得る)・衰(衰える/損をする)・毀(非難される)・誉(誉められる)・称(讃えられる)・譏(謗られる)・苦(苦しむ)・楽(楽しむ)である。 大まかな意味は、世間的な利益を得たり、楽しい事が起きても喜ばず、逆に損をしたり、苦しい事が起きた事を嘆かない、ということである。この八風に犯されない人を、諸天善神は守られるのである。 多少の事で一喜一憂せず、何があっても動じない事が大切である。  英語で御書 Gosho in English Worthy persons deserve to be called so because they are not carried away by the eight winds: prosperity, decline, disgrace, honor, praise, censure, suffering, and pleasure. They are neither elated by prosperity nor grieved by decline. The heavenly gods will surely protect one who is unbending before the eight winds.  " The Eight Winds " "The Writings of Nichiren Dai...

諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし-May encounter various difficulties, if we do not harbor doubts in our hearts, we will as a matter of course attain Buddhahood.

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本文 我並びに我が弟子・諸難ありとも 疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、 天の加護なき事を疑はざれ 現世の安穏ならざる事をなげかざれ、 我が弟子に 朝夕 教えしかども・疑いを・をこして 皆すてけん つたなき者のならひは 約束せし事を・まことの時は わするるなるべし われ ならび に わが でし・しょなん ありとも うたがう こころ なくば じねん に ぶっかい に いたる べし、 てん の かご なき こと を うたがわざれ げんせ の あんのん ならざる こと を なげかざれ、 わが でし に ちょうせき おしえ しかども・うたがい を・おこして みな すてけん つたなき もの の ならい は やくそく せし こと を・まこと の とき は わするる なるべし 開目抄・下 かいもくしょう・げ [人本尊開顕書] にんほんぞんかいけんのしょ (234頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 我ならびに我が弟子達は、いかなる大難があろうとも、法華経を疑う心がなければ、自然に仏界を開く事ができるのである。 法華経を信受していても、諸天の加護がないといって、法華経の功力を疑ってはならない。また、現状が安穏でない事を嘆いてはならない。 我が弟子に朝に晩に、このことを教えてきたが、疑いを起こして、みな退転してしまったであろう。 愚か者の常として、約束したことを大事な時には忘れてしまうのである。 学会精神の根幹 「まことの時」に、決然と立ち上がり、迅速に戦えるかどうかが、一切の勝敗を決する -池田大作 英語で御書 Gosho in English Although I and my disciples may encounter various difficulties, if we do not harbor doubts in our hearts, we will as a matter of course attain Buddhahood. Do not have doubts simply because heaven does not lend you protection. Do not be discouraged because you do not enjoy an easy and secure existence in t...

法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる - Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring

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本文 法華経を信ずる人は冬のごとし 冬は必ず春となる、 いまだ昔より きかず・みず 冬の秋と かへれる事を、いまだきかず 法華経を信ずる人の凡夫となる事を、 経文には「若有聞法者無一不成仏」と とかれて候 ほけきょう を しんずる ひと は ふゆ の ごとし ふゆ は かならず はる と なる、 いまだ むかし より きかず・みず ふゆ の あき と かえれる ことを、いまだ きかず ほけきょう を しんずる ひと の ぼんぷ と なる ことを、 きょうもん には「にゃく う もん ぽう しゃ む いち ふ じょう ぶつ」と とかれて そうろう 妙一尼御前御消息 みょういちあまごぜんごへんじ [冬必為春事] ふゆはかならずはるとなるのこと (1253頁) 建治元年5月 (1275年) 通解(意訳) 法華経を信ずる人は、極寒の冬の辛い時期を耐える人のようなものである。 しかし、辛い冬も永遠に続くことはなく、信心根本に耐え貫いていけば、必ず春のような幸福が訪れるのである。 未だかつて、冬が春とならずに秋に戻ったということは、聞いたことも見たこともない。同じように、いまだかつて法華経を信ずる人が、仏に成らず凡夫のままである、ということも聞いたことがない。 経文には「もしこの法を聞くことがあれば、一人として成仏しない人はいない」と説かれている。   英語で御書 Gosho in English Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring. Never, from ancient times on, has anyone heard or seen of winter turning back to autumn. Nor have we ever heard of a believer in the Lotus Sutra who turned into an ordinary person. The sutra reads, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.” " W...

蔵の財よりも身の財すぐれたり - More valuable than treasure in at storehouse are the treasures of the body

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本文 中務三郎左衛門尉は 主の御ためにも 仏法の御ためにも 世間の心ねも よかりけり・よかりけりと 鎌倉の人人の口に うたはれ給へ、 穴賢・穴賢、蔵の財よりも身の財すぐれたり 身の財より心の財第一なり なかつかささぶろうさえもんのじょう は しゅ の おんため にも ぶっぽう の おんため にも せけん の こころね も よかりけり・よかりけり と かまくら の ひとびと の くち に うたわれ たまえ、 あなかしこ・あなかしこ・くら の たから より み の たから すぐれたり み の たから より こころ の たから だいいち なり 崇峻天皇御書 すしゅんてんのうごしょ [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ (1173頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 中務三郎左衛門尉(四条金吾)は、主君のためにも、仏法においての心がけも、世間に対する心がけについても、人間として立派な人であった、立派であったと、鎌倉の人々にいわれるようになりなさい。 おそれ多くも、蔵におさめている財産よりも、健康、技能や才能などの自分の身の財産が優れている。その身の財よりも、誠実な振舞や感謝の念などの、心の財が第一なのである。 英語で御書 Gosho in English Live so that all the people of Kamakura will say in your praise that Nakatsukasa Saburō Saemon-no-jō is diligent in the service of his lord, in the service of Buddhism, and in his concern for other people. More valuable than treasure in at storehouse are the treasures of the body,and the treasure of the heart are the most valuable of all. " The Three Kinds of Treasure " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 851 in ...

友にあふて礼あれ - Treating one’s friends with courtesy

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本文 友にあふて礼あれ とは 友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて 礼儀いささか・をろかに思うべからず とも に おうて れい あれ とは ともだち の いちにち に じゅうど・にじゅうど きたれる ひと なり とも せんり・にせんり きたれる ひと の ごとく おもうて れいぎ いささか・おろか に おもう べからず 上野殿御消息 うえのどのごしょうそく [四徳四恩御書] しとくしおんごしょ (1528頁) 建治元年 (1275年) 通解(意訳) 友に会ったら礼儀正しくあれ、というのは、友達で一日に10回、20回と訪ねてくる人であっても、千里・二千里の遠くから訪ねてきた人のように思って、少しも礼儀をおろそかにしてはならない。 英語で御書 Gosho in English Treating one’s friends with courtesy means that, although one may encounter them ten or twenty times in the course of a single day, one greets them courteously as though they had traveled a thousand or two thousand miles to see one, never showing them indifference. " Four Virtues and Four Debts of Gratitude " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 636 in 1275. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 友 に あふて 礼 あれ とは 友達 の 一日 に 十度・二十度 来れる 人 なりとも 千里・二千里・来れる 人 の 如く 思ふて 礼儀 いささか・をろか に 思う べからず TOMO NI OUTE REI ARE TOWA TOMODACHI NO ICHINITI NI JŪ-DO・NI-JŪ-DO KITARERU HITO NARI TOMO SEN-RI...

一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし - The sufferings that all living beings undergo, all springing from this one cause—all these are Nichiren’s own sufferings.

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本文 涅槃経に云く「一切衆生 異の苦 を 受くるは 悉く 是 如来一人の 苦なり」等云云、 日蓮云く 一切衆生の 同一苦は 悉く 是 日蓮一人の苦と申すべし ねはんぎょう に いわく「いっさいしゅじょう いのく を うくる は ことごとく これ にょらい ひとり の く なり」とう うんぬん、 にちれん いわく いっさいしゅじょう の どういっく は ことごとく これ にちれん ひとり の く と もうすべし 諫暁八幡抄 かんぎょうはちまんしょう (587頁) 弘安3年12月 (1280年) 通解(意訳) 涅槃経には「一切衆生の、異なる因縁や果報によって起こる種々さまざまな苦悩は、ことごとく、これ 如来一人の 苦である」等と説かれている。 日蓮も同じく「日本国の一切衆生が、皆同じ大謗法を犯すという大罪によって受ける苦しみは、ことごとく、これ日蓮一人の苦である」と言うのである。  英語で御書 Gosho in English The Nirvana Sutra says, “The varied sufferings that all living beings undergo—all these are the Thus Come One’s own sufferings.” And Nichiren declares that the sufferings that all living beings undergo, all springing from this one cause—all these are Nichiren’s own sufferings. " On Reprimanding Hachiman " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 934 in December, 1280. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 涅槃経 に 云く「一切衆生 異 の 苦 を 受くる は 悉く 是 如来 一人 の 苦 なり」等 云云、 日蓮 云く 一切衆生 の 同一苦 は 悉く 是 日蓮 一人 の 苦 と 申す べし NEHAN-GYŌ NI IWAKU「IS'...

悪は多けれども一善にかつ事なし - Though evils may be numerous, they cannot prevail over a single great truth

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本文 日本国の 人人は 多人 なれども 体同異心 なれば 諸事 成ぜん事 かたし、 日蓮が 一類は 異体同心 なれば 人人すくなく 候へども 大事を 成じて・一定 法華経 ひろまりなんと 覚へ候、 悪は 多けれども 一善に かつ事なし、譬へば 多くの火 あつまれども 一水には きゑぬ、此の一門も 又 かくのごとし にほんこくのひとびとはたにんなれどもたいどういしんなればしょじじょうぜんことかたし、 にちれんがいちるいはいたいどうしんなればひとびとすくなくそうらえどもだいじをじょうじて・いちじょうほけきょうひろまりなんとおぼえそうろう、 あくはおおけれどもいちぜんにかつことなし、たとえばおおくのひあつまれどもいっすいにはきえぬ、このいちもんもまたかくのごとし 異体同心事 いたいどうしんじ (1463頁) 年不明、8月11日 文永末、建治、弘安説あり (1274、1275、1279年) 通解(意訳) 今の日本の人々は大人数ではあっても、体同異心(たいどういしん・人数は多いが心が一つになっていない)、何事も成し遂げる事が難しい。 日蓮の一門は異体同心(いたいどうしん・人数は少ないが心は一つである)であるから、人数は少ないけれども大事(だいじ)を成し遂げ、必ず法華経は広まるであろうと思うのである。 悪は多くても一善に勝つことはない。例えば、多くの火が集まっても、たった一水(一度の雨)で消えてしまう。この日蓮の一門もまた同様である。 英語で御書 Gosho in English Though numerous, the Japanese will find it difficult to accomplish anything, because they are divided in spirit. In contrast, although Nichiren and his followers are few, because they are different in body, but united in mind, they will definitely accomplish their great mission of widely propagating the Lotus Sutra. Though evils may be numer...

世間のことわざにも一は万が母といへり - The popular proverb says that ‘one is the mother of ten thousand.'

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本文 世間のことわざにも 一は万が母 と いへり 此等の道理を知らずや、所詮実相の理の背契を論ぜよ 強ちに多少を執する事なかれ せけんのことわざにもいちはまんがははといえり これらのどうりをしらずや、いわゆるじっそうのことわりのはいけいをろんぜよ あながちにたしょうをしゅうすることなかれ 聖愚問答抄・下  しょうぐもんどうしょう・げ (498頁)  文永2年又は文永5年 (1265年、1268年) 通解(意訳) 世間のことわざにも、「一は万が母」といっている。これらの道理を知らないのか。 大切なことは、その宗派の教えが、世の中の実相の真理が集約されているか、背いているかを論じなさい。けっして教義が多いか少ないかに執着してはならない。 物事を見る際に、それに対する外見や数の多少だけに執着しては、物事の真実を見抜く事はできないのである。 英語で御書 Gosho in English The popular proverb says that ‘one is the mother of ten thousand.' Do you not understand the principle behind these matters? The important thing to consider is whether or not a doctrine conforms with the principle of the true aspect of all things. Do not be blindly attached to the question of many or few !  " Conversation between  a Sage and an Unenlightened Man "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 131 1265, or 1268. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 世間のことわざにも 一は万が母 と いへり 此等の道理を知らずや、所詮実相の理の背契を論ぜよ 強ちに多少を執する事なかれ SEKEN NO KOTOWAZA NIM...

先臨終の事を習うて後に他事を習うべし - [ You ] should first of all learn about death, and then about other things.

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本文 先 臨終の事を習うて 後に他事を習うべし まず りんじゅうの ことを なろうて のちに たじを なろうべし 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [臨終一大事] りんじゅういちだいじ (1404頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 先に自分の臨終の時の事を習って、後でその他の事を習うべきである。 仏法においての三世永遠の生命観とは、今世の人生の終わりは、新たな人生の始まりを迎えようとする時であり、来世への旅路の始まりでもある。 その今世の総仕上げの最期、臨終の時に「自分の人生に悔いはない」と思えるには、人生をどう生きていくかを習ってから、その他の事を習うべきである。 英語で御書 Gosho in English [ You ] should first of all learn about death, and then about other things.  " The Importance of the Moment of Death " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 759 July, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  The eternal view of life of the third generation in Buddhism is that the end of life in this world is about to reach the beginning of a new life, and it is also the beginning of a journey to the afterlife. In order to feel "I have no regrets in my life" at the end of the final stage of this world, I should learn how to live my life at first, and then learn other things. ...

さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし - Be millions of times more careful than ever.

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本文 さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし。 日蓮は少(わかき)より 今生の いのりなし 只 仏にならんと をもふ 計りなり、 されども殿の御事をば・ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり 其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり。 さきざき よりも ひゃくせんまんおくばい・ごようじん あるべし。 にちれん は わかき より こんじょう の いのりなし ただ ほとけ に ならん と おもう ばかり なり、 されども とのの おんこと をば・ひまなく ほけきょう・しゃかぶつ・にってんに もうす なり そのゆえ は ほけきょう の いのち を つぐ ひと なれば と おもう なり 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [世雄御書] せおうごしょ (1169頁) 建治3年 (1277年) 通解(意訳) 以前より百千万億倍、用心していきなさい。 日蓮は若い時から、自分の今生の繁栄を祈ったことはない。ただ仏になろうと思うばかりであった。 しかし、あなた方弟子達の事は、絶えず法華経、釈迦仏、日天子に祈っている。 それは、あなた方が法華経の命を継ぎ、後世に伝えるという使命がある人だと思うからである。 英語で御書 Gosho in English [ You must ] be millions of times more careful than ever. Since childhood, I, Nichiren, have never prayed for the secular things of this life but have single-mindedly sought to become a Buddha. Of late, however, I have been ceaselessly praying for your sake to the Lotus Sutra, Shakyamuni Buddha, and the god of the sun, for I am convinced that you are a person who can inherit the soul of the Lotus Sutra. " The Hero of the World " "The Writ...

いたづらに・くちん身を法華経の御故に捨てまいらせん - Giving a body that will decay uselessly for the sake of the Lotus Sutra

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本文 日蓮は日本国・東夷・東条・安房の国・海辺の旃陀羅が子なり、 いたづらに・くちん身を法華経の御故に捨てまいらせん事 あに 石に金を・かふるにあらずや にちれん は にほんこく・とうい・とうじょう・あわのくに・うみべ の せんだら が こ なり、 いたずらに・くちん み を ほけきょう の おん ゆえ に すて まいらせん こと あに いし に きん を・かうる に あらずや 佐渡御勘気抄 さどごかんきしょう (891頁) 文永8年10月 (1271年) 通解(意訳) 日蓮は、日本国の東国の片田舎の者で、安房の国東条の郷・海辺の旃陀羅(せんだら・漁師)の子であり、名誉も財産も地位もない身である。 むなしく朽ちるであろう、この身を法華経のために捨てることができるのは、ちょうど石を金にかえるようなものではないか。 英語で御書 Gosho in English Nichiren is the son of a chandāla family who lived near the sea in Tōjōin Awa Province, in the remote countryside of the eastern part of Japan. How could giving a body that will decay uselessly for the sake of the Lotus Sutra not be exchanging rocks for gold? " Banishment to Sado " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 202 in October, 1271. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Chandāla : fisherman  Gosho in Japanese 日蓮は日本国・東夷・東条・安房の国・海辺の旃陀羅が子なり、 いたづらに・くちん身を法華経の御故に捨てまいらせん事 あに 石に金を・かふるにあらずや NICHIREN WA NIHONKOKU・TŌI・TŌJŌ・AWA NO ...

皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり - Were they not Bodhisattvas of the Earth, they could not chant the daimoku.

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本文 いかにも今度・信心をいたして 法華経の行者にてとをり、日蓮が一門と なりとをし給うべし、 日蓮と同意ならば 地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、 経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり、 末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり いかにも こんど・しんじん を いたして ほけきょう の ぎょうじゃ にて とおり、にちれん が いちもん と なりとおし たもうべし、にちれん と どうい ならば じゆ の ぼさつ たらんか、じゆ の ぼさつ に さだまりなば しゃくそん くおん の でし たる こと あに うたがわんや、 きょう に いわく「われ くおん より この かた これら の しゅ を きょうけ す」とは これ なり、 まっぽう に して みょうほうれんげきょう の ごじ を ひろめん もの は なんにょ は きらう べからず、みな じゆ の ぼさつ の しゅつげん に あらずんば となえがたき だいもく なり 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1360頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) どんなことがあっても、今世で信心を起こしたなら、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり、師弟の道を貫き通しなさい。 日蓮と同じ志しならば、地涌の菩薩(じゆ の ぼさつ)であろうか。地涌の菩薩であると定まっているのであれば、釈尊の久遠の弟子であるということをどうして疑うことができようか。 法華経従地涌出品第十五に「これらの菩薩は、私が久遠の昔から教化してきたのである」と説かれているのは、このことである。 末法において、妙法蓮華経の五字を弘める者は、老若男女問わず、分け隔てをしてはならない。皆それぞれの使命を持って、地涌の菩薩として出現した人々でなければ、唱えることのできない題目だからである。  英語で御書 Gosho in English Now, no matter what, strive in faith and be known as a votary of the Lotus Sutra, and remain my disciple for the rest of your life...

人のものををしふると申すは車のおもけれども油を ぬりてまわり - Teaching another something is the same as oiling the wheels of a cart so that they turn even though it is heavy

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本文 仏にやすやすとなる事の候ぞ・をしへ まいらせ候はん、 人の ものを をしふる と 申すは 車のおもけれども 油を ぬりてまわり・ふねを水にうかべて ゆき やすき やうに をしへ候なり、 仏になりやすき事は 別のやう候はず、 旱魃に かわけるものに 水をあたへ・寒冰に こごへたるものに 火を あたふる が ごとし ほとけ に やすやす と なる こと の そうろう ぞ・おしえ まいらせ そうらわん、 ひと の もの を おしうる と もうす は くるま の おもけれども あぶら を ぬりて まわり・ふね を みず に うかべて ゆきやすき ように おしえ そうろう なり、 ほとけ に なりやすき こと は べつ の よう そうらわず、 かんばつ に かわける もの に みず を あたえ・かんひょう に こごえたる もの に ひ を あたうる が ごとし 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [須達長者御書] すだつちょうじゃごしょ (1574頁) 弘安3年12月 ( 1280年) 通解(意訳) 仏に安々と成れる方法を、教えて差し上げよう。 人がものを教えるというのは、車が重かったとしても、油を塗って車輪の回りをよくし、船を水に浮かべて、岸辺に行きやすくなるように教えるようなものである。 仏に成りやすい方法というのは、特別なことではない。干ばつの時、喉の渇いた者に水を与え、寒さに凍えた者に火を与えるようにすることである。 英語で御書 Gosho in English I will teach you how to become a Buddha easily. Teaching another something is the same as oiling the wheels of a cart so that they turn even though it is heavy, or as floating a boat on water so that it moves ahead easily. The way to become a Buddha easily is nothing special. It is the same as giving water to a thirsty person in a time of drou...

謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ - Reverently make this teaching your own, and transmit it as an axiom of faith for future generations.

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本文 此の法門を申すには必ず魔出来すべし 魔競わずは正法と知るべからず、 第五の巻に云く「行解 既に勤めぬれば 三障四魔 紛然として競い起る 乃至 随う可らず 畏る可らず 之に随えば 将に人をして 悪道に向わしむ 之を畏れば 正法を修することを妨ぐ」 等云云、 此の釈は 日蓮が身に当るのみならず 門家の明鏡なり 謹んで習い伝えて 未来の資糧とせよ この ほうもんを もうす には かならず ま しゅったい すべし ま きそわずは しょうほうと しる べからず、 だいごの まきに いわく「ぎょうげ すでに つとめぬれば さんしょうしま ふんぜんとして きそいおこる ないし したがう べからず おそる べからず これに したがえば まさに ひとをして あくどうに むかわしむ これを おそれば しょうほうを しゅうすることを さまたぐ」とう うんぬん この しゃくは にちれんが みに あたる のみならず もんけの めいきょうなり つつしんで ならい つたえて みらいの しりょうとせよ 兄弟抄 きょうだいしょう (1087頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) この法門を説けば、必ず魔が現れる。魔が競い起こらなければ、正法とは言えないのである。 天台大師の摩訶止観・第五巻には、「仏法の修行と理解が進んでくると、三障四魔が紛然として競い起こる。(乃至=中略の意味)しかし、決してしたがってはならない。おそれてはならない。これに随うならば、まさに人を悪道に向かわせる。これを畏れるならば、正法を修行することを妨げる」等と書かれている。 摩訶止観のこの内容は、日蓮の身にあてはまるばかりでなく、我が日蓮仏法の門家一同にも明鏡のように当てはまるものである。これをわきまえて、謹んで習い、次の世代に伝えて、未来の法華経の行者にとっての、修行の資料・糧としなさい。 英語で御書 Gosho in English If you propagate it, devils will arise without fail. If they did not, there would be no way of knowing that this is the correct teaching. One passage from the same volume reads: ...

冰は水より出でたれども水よりもすさまじ - Ice is made of water, but it is colder than water.

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本文 いよいよ強盛の御志あるべし、 冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、 同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり いよいよ ごうじょう の おんこころざし あるべし、 こおり は みず より いでたれども みず よりも すさまじ、あおき ことは あい より いでたれども・かさぬれば あい よりも いろ まさる、 おなじ ほけきょう にては・おわすれども こころざし を かさぬれば・たにん よりも いろ まさり りしょう も あるべきなり 乙御前御消息 おとごぜんごしょうそく [身軽法重抄] しんきょうほうじゅうしょう (1221頁) 建治元年8月 (1275年) 通解(意訳) いよいよ強盛な信心を起こしていきなさい。氷は水からできるが、水よりも冷たい。 青い色は、藍という草から生まれるが、重ねて染めれば、もとの藍の葉よりも色が鮮やかになる。 同じ法華経ではあっても、信心を重ねていくならば、他人よりも生命の輝きが増し、利益もあらわれてくるのである。 英語で御書 Gosho in English Strengthen your resolve more than ever. Ice is made of water, but it is colder than water. Blue dye comes from indigo, but when something is repeatedly dyed in it, the color is better than that of the indigo plant. The Lotus Sutra remains the same, but if you repeatedly strengthen your resolve, your color will be better than that of others, and you will receive more blessings than they do. " The Supremacy of the Law " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol...