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桜梅桃李 - The cherry, the plum, the peach, the damson

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本文 桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり おうばいとうり の ここ の とうたい を あらためず して むささんじん と かいけん すれば これ すなわち りょう の ぎ なり 御義口伝 おんぎくでん 無量義経六箇の大事 むりょうぎきょうろっかのだいじ 第二 量の字の事 だいにりょうのじのこと (784頁) 通解(意訳) 桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの姿を改めずに、自分らしく、ありのままで、自己に秘められた仏性を開いていくことが、無量義の「量」の意義である。 「無量義」の大意 あらゆる仏法の最高峰である御本尊を根本とし、南無妙法蓮華経の題目で、宇宙の法則を自分の身心と一致させて、仏性という無限の可能性を開き出す。この妙法の力で、信心、生活、社会など、すべての場面で、自分の能力を最も自分らしく発揮していくこと。  ありのままの自分で輝く 私どもは『ありのまま』でいいのです。 凡夫そのままの『無作』でいくのです。 久遠の凡夫のまま『つくろわず、もとのまま』で、 自体顕照(じたいけんしょう・ありのままの姿を顕し照らしていくこと)していけばよい -池田大作 英語で御書 Gosho in English The cherry, the plum, the peach, the damson—in its own entity, without undergoing any change, possesses the eternally endowed three bodies. ==================================== The Immeasurable Meanings Sutra Six important points, Point Two, concerning the character ryō. " The Record of The Orally Transmitted Teachings "  Part 2, P 200 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal transl

法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず - It could never come about that the prayers of the practitioner of the Lotus Sutra would go unanswered.

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本文 大地は ささば はづるるとも 虚空を つなぐ者は ありとも・潮の みちひぬ事は ありとも日は西より出づるとも・ 法華経の行者の祈りの かなはぬ事は あるべからず だいち は ささば はずるる とも おおぞら を つなぐ もの は ありとも・しお の みちいぬ こと は ありとも ひ は にし より いづる とも・ ほけきょう の ぎょうじゃ の いのり の かなわぬ こと は ある べからず 祈祷抄 きとうしょう (1352頁) 文永9年 (1272年) 通解(意訳) 大地を刺して外れる事があっても、大空をつなぎ合わせる者があっても、 潮の満ち干きがなくなることがあっても、太陽が西の空から昇るようなことがあっても、 法華経の行者の祈りが叶わないことは絶対にない。 英語で御書 Gosho in English Though one might point at the earth and miss it, though one might bind up the sky, though the tides might cease to ebb and flow and the sun rise in the west, it could never come about that the prayers of the practitioner of the Lotus Sutra would go unanswered. " On Player "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 345 in 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 大地は ささば はづるる とも 虚空 を つなぐ 者 は あり とも・潮 の みちひぬ 事 は あり とも 日 は 西 より 出づる とも・ 法華経 の 行者 の 祈り の かなはぬ 事 は ある べからず DAICHI WA SASABA HAZURURU TOMO ŌZORA WO TSUNAGU MONO WA ARI TOMO・SHIO  NO MICHI-INU KOTO WA ARI TOMO HI

師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し - Those with the heart of a lion king are sure to attain Buddhahood. Like Nichiren, for example.

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本文 悪王の正法を破るに 邪法の僧等が方人をなして 智者を失はん時は 師子王の如くなる心をもてる者 必ず仏になるべし 例せば日蓮が如し これおごれるにはあらず 正法を惜む心の強盛なるべし おごれる者は必ず強敵に値て おそるる心出来するなり あくおうの しょうほうを やぶる に じゃほうの そうらが かたうどを なして ちしゃを うしなわんときは ししおうの ごとく なる こころを もてるもの かならず ほとけに なるべし れいせば にちれんが ごとし これ おごれるには あらず しょうほうを おしむ こころの ごうじょう なるべし おごれるものは かならず ごうてきに あいて おそるる こころ しゅったい するなり 佐渡御書 さどごしょ [富木殿等御返事] ときどのとうごへんじ (957頁) 文永9年3月 (1272年) 通解(意訳) 悪王が正法を滅亡させようとする時、悪僧たちが悪王に味方して、智者を滅ぼそうとする時には、師子王のような心を持つ者が必ず仏になることができる。 例えば日蓮のようにである。 このように言うのは、傲慢な心を起こしているからではない。ただ、正法が滅することを惜しむ心が強いからである。傲れる者は、悪王や悪僧などの強敵にあうと、必ず恐怖の心が生まれてくるものである。 英語で御書 Gosho in English When an evil ruler in consort with priests of erroneous teachings tries to destroy the correct teaching and do away with a man of wisdom, those with the heart of a lion king are sure to attain Buddhahood. Like Nichiren, for example. I say this not out of arrogance, but because I am deeply committed to the correct teaching.  An arrogant person will always be overcome with fear when meeting a strong en

合掌とは法華経の異名なり - Gasshō, or “pressing the palms together,” is another name for the Lotus Sutra

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本文 合掌とは法華経の異名なり 向仏(こうぶつ)とは法華経に値い奉ると云うなり 合掌は色法なり 向仏は心法なり、 色心の二法を妙法と開悟するを歓喜踊躍(かんぎ ゆやく)と説くなり がっしょうとはほけきょうのいみょうなりこうぶつとはほけきょうにあいたてまつるというなり がっしょうはしきほうなりこうぶつはしんぽうなり、 しきしんのにほうをみょうほうとかいごするをかんぎゆやくととくなり 御義口伝 おんぎくでん 譬喩品九箇の大事 ひゆぼんきゅうかのだいじ 第二 即起合掌の事  だいに そっきがっしょうのこと (722頁) 通解(意訳) 「合掌」とは法華経の異名である。「向仏」とは、妙法蓮華経にあいたてまつるということである。 合掌は色法(肉体・身心の変化の法)の姿であり、向仏とは信心であり、心法(心や精神の変化の法)である。 色心の二法を妙法蓮華経であると悟る事を、譬喩品の中で、釈尊の弟子である舎利弗が、喜びのあまり踊り出したと説くのである。 歓喜踊躍(歓喜のあまり身体は踊りだし、心はいきいきとしていて、その人の身心の生命が躍動する姿)とは、色法と心法がかけ離れたものではなく一体の姿(色心不二)なのであり、歓喜踊躍と説くのであり、この歓喜こそ法華経の真髄の妙法蓮華経と説くのである。 英語で御書 Gosho in English Gasshō [;合掌] , or “pressing the palms together,” is another name for the Lotus Sutra.  Kōbutsu [;向仏] , or “turning to face the Buddha,” means that one encounters and pays respect to the Lotus Sutra. Pressing the palms together is an element of the body. Turning to face the Buddha is an element of the mind. The passage describes how one dances with joy when one comes to the realization that the elements of

偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず - I say all this solely for the sake of the nation, for the sake of the Law, for the sake of others, not for my own sake.

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本文 但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず ただ ひとえ に くに の ため ほう の ため ひと の ため に して み の ため に これ を もうさず 安国論御勘由来 あんこくろんごかんゆらい [立正安国論] りっしょうあんこくろん (35頁) 文永5年4月   (1268年) 通解(意訳) (立正安国論を書き、国家に提出したことは) ただ、国のため、正法のため、民衆救済のためであって、自身の名声や利益のためにいうのではない。 英語で御書 Gosho in English I say all this solely for the sake of the nation, for the sake of the Law, for the sake of others, not for my own sake. " The Rationale for Writing  “On Establishing the Correct Teaching for the Peace of the Land” "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 164 in April, 1268. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  To submit to the government "On Establishing the Correct Teaching for the Peace of the Land" is only for the nation, for the law of justice, for the salvation of the people. It is not for my own fame or profit. Gosho in Japanese 但 偏に 国 の 為 法 の 為 人 の 為 に して 身 の 為 に 之 を 申さず TADA HITOE NI KUNI NO TAME HŌ NO TAME HITO NO TAME NI SHITE MI

善知識に値う事が第一のかたき事なり - Encountering a good friend is the hardest possible thing to do.

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本文 善知識に値う事が第一のかたき事なり、されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り・梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとへ給へり ぜんちしきに あうことが だいいちの かたきこと なり、されば ほとけは ぜんちしきに あうこと をば いちげんの かめの うきぎに いり・ぼんてんより いとを さげて だいちの はりの めに いるに たとえ たまえり 三三蔵祈雨事 さんさんぞうきうのこと (1468頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) 善知識に値うことが最も難しいことである。それゆえ、仏は善知識に値うことを、千年に一度しか浮かび上がってこない伝説の一眼の亀が、たまたま海に浮いている浮木に出会って、浮き木の穴に入るようなものであり、天より糸を下げて、大地に立ててある針の目に通すようなものである、と譬えられているのである。 英語で御書 Gosho in English Encountering a good friend is the hardest possible thing to do. For this reason, the Buddha likened it to the rarity of a one-eyed turtle finding a floating log with a hollow in it the right size to hold him, or to the difficulty of trying to lower a thread from the Brahmā heaven and pass it through the eye of a needle on the earth. " Three Tripitaka Masters Pray for Rain " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 598  in June, 1275. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 善知識 に 値う 事 が 第一 の かたき 事 なり、 されば 仏 は 善知識 に 値う 事 をば 一眼 の かめ の

各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすとも をづる事なかれ - Each of you should summon up the courage of a lion king and never succumb to threats from anyone.

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本文 各各 師子王の心を取り出して・いかに 人 をどすとも をづる 事なかれ、 師子王は百獣に をぢず・師子の子・又かくのごとし、 彼等は野干の ほうるなり 日蓮が一門は師子の吼るなり おのおの ししおう の こころ を とり いだして いかに ひと おどす とも おずる こと なかれ、 ししおう は ひゃくじゅう に おじず・ しし の こ・また かくのごとし、 かれら は やかん の ほうる なり にちれん が いちもん は しし の ほうる なり 聖人御難事 しょうにんごなんじ (1190頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) 日蓮と我が弟子ら一門は、一人ひとりが百獣の王ライオン(師子王)の心を取り出して、どのように人に脅されようとも、決して恐れる事があってはならない。 ライオン(師子王=師匠)は、他のどんな動物(百獣)をも恐れない。師子の子(弟子)もまた同じである。 彼ら(法華経を非難する人々)は、野犬やキツネらのような畜生が吠えているのと同じである。日蓮と我が弟子ら一門は、師弟が一体となって吼えているのである。 英語で御書 Gosho in English Each of you should summon up the courage of a lion king and never succumb to threats from anyone. The lion king fears no other beast, no do its cubs. Slanders are like barking foxes, but Nichiren's followers are like roaring lions. " On Persecutions Befalling the Sage " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 997 in October, 1279. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Lion king: Teacher.  Cubs: Disciples.