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なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし - Employ the strategy of the Lotus Sutra before any other.

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本文 なにの兵法よりも 法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、 兵法 剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候 なにのへいほうよりもほけきょうのへいほうをもちいたもうべし、「しょよおんてき・かいしつさいめつ」のきんげんむなしかるべからず、 へいほうけんぎょうのだいじもこのみょうほうよりいでたr,ふかくしんじんをとりたまえ、あえておくびょうにてはかなうべからずそうろう 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [法華経兵法事] ほけきょうへいほうじ [剣形書] けんぎょうしょ (1193頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) どのような策や方法よりも、信心によって智慧を引き出す「法華経の兵法」を用いていきなさい。 法華経を信受している者の成仏を妨げようとする、あらゆる魔の働きは、すべて信心の功徳で滅ぼすことができるのである(諸余怨敵・皆悉摧滅 しょ よ おん てき ・かい しつ さい めつ)。 教主釈尊の御金言が決して空しいはずがない。信心によって乗り越えられない苦難はないのである。 すべての世法も技術も、「心こそ大切なれ」という妙法の思想から生まれ出たものである。 いかなる逆境にあっても、題目を唱えて智慧を頂き、その智慧と御本尊の妙法の力を信じ抜いて、努力を惜しまず、前進する勇気をもって行動していきなさい。 信心も行動も、臆病であっては何事も成就することはできないのである。 英語で御書 Gosho in English Employ the strategy of the Lotus Sutra before any other. “All others who bear you enmity or malice will likewise be wiped out.” These golden words will never prove false.  The heart of strategy and swordsmanship derives from the Mystic Law. Have profound faith. A coward ...

声仏事を為す - The voice carries out the work of the Buddha

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本文 経とは 一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く 声仏事を為す 之を名けて経と為すと きょう とは いっさいしゅじょう の ごんご おんじょう を きょう と いう なり、しゃく に いわく こえ ぶつじ を なす これ を なづけて きょう と なす と 御義口伝 おんぎくでん 南無妙法蓮華経 なんみょうほうれんげきょう (708頁) 通解(意訳) (南無妙法蓮華経の) 経とは、一切衆生の言葉や発する音、声をいうのである。章安大師は、「声が仏の振る舞い等の働きをする。これを名付けて経という」といっている。 このように、南無妙法蓮華経こそ最高の法であり、最高の音声(おんじょう)なのである。 英語で御書 Gosho in English Kyō [of the Nam-myoho-renge-kyo] represents the words and voices of all living beings. A commentary [On “The Profound Meaning,” volume one] says, “The voice carries out the work of the Buddha, and this is called kyō, or sutra.” ==================================== Nam-myoho-renge-kyo " The Record of The Orally Transmitted Teachings "  Part One, P 4 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) The voice is work like a Buddha's behavior. thus, Nam-Myoho-Renge-Kyo is a greatest law and a greatest voice. 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 B...

一丈のほりを・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか - If a person cannot manage to cross a moat ten feet wide, how can he cross one that is a hundred or two hundred feet?

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本文 一丈のほりを・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか いちじょうのほりを・こえぬものじゅうじょう・にじゅうじょうのほりを・こうべきか 種種御振舞御書 しゅじゅおふるまいごしょ [佐渡抄] さどしょう (912頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 一丈(約3m)の幅の堀を超えられない者が、十丈、二十丈の堀を超えることができようか。 何事も成し遂げるには、小さな挑戦とその勝利を繰り返していく事で、無理だと思われる困難を乗り越え、勝利をつかむ事ができるのである。 英語で御書 Gosho in English If a person cannot manage to cross a moat ten feet wide, how can he cross one that is a hundred or two hundred feet? " The Actions of the Votary of the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 766 February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) In order to accomplish anything, by repeating a small challenge and its victory, it is possible to overcome difficulties that seems impossible and to capture victory. 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

南無妙法蓮華経に余事をまじへば・ゆゆしきひが事なり - To mix other practices with this Nam-myoho-renge-kyo is a grave error.

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本文 今 末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但 南無妙法蓮華経なるべし、 かう申し出だして候も・わたくしの計(はからい)にはあらず、釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界(じゆうせんかい)の御計なり、 此の南無妙法蓮華経に余事をまじへば・ゆゆしきひが事なり いま まっぽう に はいり ぬれば よきょう も ほけきょう も せん なし、ただ なんみょうほうれんげきょう なるべし、 こう もうしだして そうろう も・わたくし の はからい には あらず、しゃか・たほう・じっぽうのしょぶつ・じゆうせんかい の おんはからい なり、 この なんみょうほうれんげきょう に よじ を まじえば・ゆゆしき ひがこと なり 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [末法要法御書] まっぽうようほうごしょ (1545~46頁) 弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) 今、時代は末法に入ったのであれば、諸教も法華経も効果(詮無し)がなく、無益である。ただ南無妙法蓮華経以外にない。 こう言い出しているのも、私(日蓮)が自分で考えだした事ではない。釈尊、多宝仏、十方の諸仏、地涌千界の菩薩のお計らいによることである。 この南無妙法蓮華経の題目を唱えていながら、偏った(僻んだ・ひがんだ)我見(がけん)や他の諸教の修行などを交えてしまえば、それは大変な間違いである。 英語で御書 Gosho in English Now, in the Latter Day of the Law, neither the Lotus Sutra nor the other sutras lead to enlightenment. Only Nam-myoho-renge-kyo can do so.  This is not my own judgment. Shakyamuni, Many Treasures, the Buddhas of the ten directions, and the bodhisattvas who emerged from the earth as numerous as the dust particles of a thousand worlds have so determined ...

相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ - Be resolved to summon forth the great power of faith, and chant Nam-myoho-renge-kyo with the prayer that your faith will be steadfast and correct at the moment of death.

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本文 相構え相構えて 強盛の大信力を致して 南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈 此れより外に 全く求むることなかれ、煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、信心の血脈なくんば 法華経を持つとも無益なり あい かまえ あい かまえて ごうじょう の だいしんりき を いたして なんみょうほうれんげきょう・りんじゅうしょうねん と きねん し たまえ、しょうじいちだいじ の けつみゃく これ より ほか に まったく もとむる こと なかれ、ぼんのう そく ぼだい・しょうじ そく ねはん とは これ なり、しんじん の けつみゃく なくんば ほけきょう を たもつ とも むやく なり 生死一大事血脈抄 しょうじいちだいじけつみゃくしょう (1338頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) よくよく心して強盛の大信力を起こして、今死んでも悔いはないという覚悟(臨終正念)で、 南無妙法蓮華経と祈念しなさい。生死一大事の血脈をこれよりほかに決して求めてはならない。煩悩即菩提・生死即涅槃とはこのことである。信心の血脈がなければ、法華経を持っても無益である。 「師弟不二」の闘争に「信心の血脈」 私は、この絶対勝利の信心を戸田先生から教わりました。戸田先生は、牧口先生から教わりました。牧口先生は、御本尊から、大聖人から、教わりました。ここに創価の師弟の血脈があります。  - 池田大作 英語で御書 Gosho in English Be resolved to summon forth the great power of faith, and chant Nam-myoho-renge-kyo with the prayer that your faith will be steadfast and correct at the moment of death. Never seek any other way to inherit the ultimate Law of life and death, and manifest it in your life. Only then will you realize that earthly desires are...

只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり - The Gohonzon exists only within the mortal flesh of us ordinary people who embrace the Lotus Sutra and chant Nam-myoho-renge-kyo.

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本文 此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只 我れ等 衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団に おはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり この ごほんぞん まったく よそ に もとむる こと なかれ・ただ われら しゅじょう の ほけきょう を たもちて なんみょうほうれんげきょう と となうる きょうちゅう の にくだん に おわします なり、これ を く しき しん のう しん にょ の みやこ とは もうすなり 日女御前御返事 にちにょごぜんごへんじ [御本尊相貌抄] ごほんぞんそうみょうしょう (1244頁) 建治3年8月 (1277年) 通解(意訳) この御本尊を決して別の所に求めてはならない。ただ、われわれ衆生が法華経を信受して、南無妙法蓮華経と唱える、自身の胸中の肉団にいらっしゃるのである。これを「九識心王真如の都」(自身の奥底にある、絶対的幸福の生命の都)というのである。 英語で御書 Gosho in English Never seek this Gohonzon outside yourself. The Gohonzon exists only within the mortal flesh of us ordinary people who embrace the Lotus Sutra and chant Nam-myoho-renge-kyo. The body is the palace of the ninth consciousness, the unchanging reality that reigns over all of life’s functions. " The Real Aspect of the Gohonzon " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 821 August, 1277. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) The palace of the ninth consciousne...

法華経 誹謗の者は心には思はざれども - As for the person who slanders the Lotus Sutra, though he may not be serious at heart,

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本文 法華経 誹謗の者は 心には思はざれども 色にも嫉み戯れにもソシる程ならば 経にて無けれども 法華経に名を寄たる人を軽しめぬれば 上の一劫を重ねて 無数劫・無間地獄に堕ち候と見えて候 ほけきょう ひぼう の もの は こころ には おもわざれども いろ にも ねたみ たわむれ にも そしる ほど ならば きょう にて なけれども ほけきょう に な を よせたる ひと を かろしめ ぬれば かみ の いっこう を かさねて むすうこう・むげんじごく に おち そうろう と みえてそうろう 呵責謗法滅罪抄 かしゃくほうぼうめつざいしょう (1125頁) 文永10年 (1273年) 通解(意訳) 法華経を誹謗する者は、心には思っていなくても、顔や態度に嫉みの色をあらわしたり、冗談であってもにも謗る(そしる)ことがあれば、また経を嫉み謗るのではなくとも、法華経に名を寄せた人を軽蔑すれば、前文に述べた、一劫という計り知れぬ時間を重ねて、無数の一劫の間、無間地獄に堕ちると経文には説かれている。 英語で御書 Gosho in English As for the person who slanders the Lotus Sutra, though he may not be serious at heart, if he so much as manifests the outward appearance of animosity, disparages the sutra even in jest, or makes light, not of the sutra itself, but of those who act in its name, then, the sutra says, he will fall into the hell of incessant suffering for countless kalpas of the kind described above " On Rebuking Slander of the Law and Eradicating Sins "  "The Writings of Nichiren Daishonin...