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一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ - Believe in the Gohonzon, the supreme object of devotion in all of Jambudvīpa.

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本文 一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし、 行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし いちえんぶだい だいいち の ごほんぞん を しんじさせ たまえ、あいかまえて・あいかまえて・しんじん つよく そうらいて さんぶつ の しゅご を こうむらせ たもうべし、 ぎょうがく の にどう を はげみ そうろう べし、ぎょうがく たえなば ぶっぽう は ある べからず、われ も いたし ひと をも きょうけ そうらえ、ぎょうがく は しんじん より おこる べく そうろう、ちから あらば いちもん いっく なりとも かたらせ たもうべし 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1361頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 一閻浮提(全世界)で第一の御本尊を信じていきなさい。よくよく心を構えて信心を強め、釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏の三仏の守護を受けていきなさい。 法華経(広宣流布)のために行動し、法華経のことを学んでいきなさい。行学が途絶えてしまえば、仏法はないのである。 自分も行い、人にも教えて導いていきなさい。行学は信心から起こるものである。 力があれば、行学で学んだことや体験などを、一文一句でも人に語っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English Believe in the Gohonzon, the supreme object of devotion in all of Jambudvīpa. Be sure to strengthen your faith, and receive the protection of Shakyamuni, Many Treasures, and the Buddhas of the ten directions. Exert yourself in the two ways of practice and study. Without practice and study, there can be no Buddhism. You must not only persevere yourself...

謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ - Reverently make this teaching your own, and transmit it as an axiom of faith for future generations.

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本文 此の法門を申すには必ず魔出来すべし 魔競わずは正法と知るべからず、 第五の巻に云く「行解 既に勤めぬれば 三障四魔 紛然として競い起る 乃至 随う可らず 畏る可らず 之に随えば 将に人をして 悪道に向わしむ 之を畏れば 正法を修することを妨ぐ」 等云云、 此の釈は 日蓮が身に当るのみならず 門家の明鏡なり 謹んで習い伝えて 未来の資糧とせよ この ほうもんを もうす には かならず ま しゅったい すべし ま きそわずは しょうほうと しる べからず、 だいごの まきに いわく「ぎょうげ すでに つとめぬれば さんしょうしま ふんぜんとして きそいおこる ないし したがう べからず おそる べからず これに したがえば まさに ひとをして あくどうに むかわしむ これを おそれば しょうほうを しゅうすることを さまたぐ」とう うんぬん この しゃくは にちれんが みに あたる のみならず もんけの めいきょうなり つつしんで ならい つたえて みらいの しりょうとせよ 兄弟抄 きょうだいしょう KYŌDAI SHŌ (1087頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) この法門を説けば、必ず魔が現れる。魔が競い起こらなければ、正法とは言えないのである。 天台大師の摩訶止観・第五巻には、「仏法の修行と理解が進んでくると、三障四魔が紛然として競い起こる。(乃至=中略の意味)しかし、決してしたがってはならない。おそれてはならない。これに随うならば、まさに人を悪道に向かわせる。これを畏れるならば、正法を修行することを妨げる」等と書かれている。 摩訶止観のこの内容は、日蓮の身にあてはまるばかりでなく、我が日蓮仏法の門家一同にも明鏡のように当てはまるものである。これをわきまえて、謹んで習い、次の世代に伝えて、未来の法華経の行者にとっての、修行の資料・糧としなさい。 英語で御書 Gosho in English If you propagate it, devils will arise without fail. If they did not, there would be no way of knowing that this is the correct teaching. One passage from the same vol...

諸罪消ゆるのみならず衆罪かへりて功徳となる - Not only will all offenses vanish, but they will become sources of benefit.

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本文 一生の間の御罪は諸の乾草の如し法華経の妙の一字は小火の如し、 小火を衆草につきぬれば 衆草焼け亡ぶるのみならず 大木大石 皆焼け失せぬ、 妙の一字の智火以て此くの如し 諸罪消ゆるのみならず 衆罪かへりて功徳となる 毒薬変じて甘露となる是なり いっしょうのあいだのおんつみはもろもろのかれくさのごとし ほけきょうのみょうのいちじはしょうかのごとし、 しょうかのしゅそうにつきぬれば しゅそうやけほろぶるのみならず たいもくたいせき みなやけうせぬ、 みょうのいちじのちかもってかくのごとし しょざいきゆるのみならず しゅざいかえりてくどくとなる どくやくへんじてかんろとなるこれなり 千日尼御前御返事 せんにちあまごぜんごへんじ [雷門鼓御書] らいもんのつづみごしょ (1316頁) 弘安元年10月 (1278年) 通解(意訳) 一生の間の罪障は諸の乾草のようなものである。法華経の妙の一字は小火のようなものである。 小火を多くの草につけるならば、多くの草が焼け亡びてしまうだけでなく、大木・大石も皆焼け失せてしまう。 妙の一字の智火はこのようなものである。諸罪が消えるばかりでなく、多くの罪がかえって功徳となるのである。 毒薬が変じて甘露となるとはこの事である。 英語で御書 Gosho in English Lifetime are like dry grass, and the single character myō of the Lotus Sutra is like a small spark. When a small spark is set to a large expanse of grass, not only the grass but also the big trees and large stones will all be consumed. Such is the power of the fire of wisdom in the single character myō. Not only will all offenses vanish, but they will become sources of benefit. This is what changing poison into amrita means. ...

妙法蓮華経の徳あらあら申し開くべし - Let us openly and clearly outline the virtues of Myoho-renge-kyo

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本文 妙法蓮華経の徳 あらあら 申し開くべし、 毒薬変じて薬となる 妙法蓮華経の五字は悪変じて善と 玉泉と申す泉は石を玉となす 此の五字は凡夫を仏となす みょうほうれんげきょうの とく あらあら もうし ひらくべし、 どくやく へんじて くすりと なる みょうほうれんげきょうの ごじは あく へんじて ぜんと ぎょくせんと もうす いずみは いしを たまと なす この ごじは ぼんぷを ほとけと なす 内房女房殿御返事 うつぶさにょうぼうどのごへんじ [白馬白鳥御書] はくばはくちょうごしょ (1422頁) 弘安3年8月 (1280年) 通解(意訳) 妙法蓮華経の功徳を大まかに申し開いて差し上げよう。 毒薬が変じて薬となる、とのたとえがあるように、妙法蓮華経の五字は、悪が変じて善となるのである。 玉泉という泉は、石を宝玉に変えると言われている。同じように、この五字は凡夫を仏に成すのである。 英語で御書 Gosho in English Let us openly and clearly outline the virtues of Myoho-renge-kyo! Just as poisonous compounds are changed into medicine, so these five characters of Myoho-renge-kyo change evil into good. The Spring of Jewels is so called because, in this spring, stones are changed into jewels. In the same way, these five characters can change ordinary human beings into Buddhas. " White Horses and White Swans " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 1064 in August, 1280. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 妙法蓮華経 の 徳 あらあら...

「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」 - “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.”

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本文 経に云く「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」云云、 文の心は 此の経を持つ人は 百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成ると申す文なり きょう に いわく「もし ほう を きく こと あらん もの は ひとり と して じょうぶつ せざる こと なし」うんぬん、 もん の こころ は この きょう を たもつ ひと は ひゃくにん は ひゃくにん ながら・せんにん は せんにん ながら・ひとり も かけず ほとけ に なる と もうす もんなり 上野尼御前御返事 うえのあまごぜんごへんじ [鳥竜遺竜事] おりょういりょうのこと (1580頁) 弘安4年11月 (1281年) 通解(意訳) 法華経には「もし法華経を聞く事が有る者は、一人として成仏しないことはない」(若有聞法者無一不成仏:にゃくうもん ぽう しゃ む いち ふ じょう ぶつ)と書かれている。 この文章の意味は、法華経を受持する人は、誰もが自身の無限の可能性を開き、幸福な境涯をつかむことができるという文なのである。 英語で御書 Gosho in English The sutra states, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.” This passage means that, if there are a hundred or a thousand people who uphold this sutra, without a single exception all one hundred or one thousand of them will become Buddhas.  " Wu-lung and I-lung " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1099 November, 1281. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 経 に 云く「若し 法 を 聞く こと 有らん 者 は 一 と して 成仏...

皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり - Were they not Bodhisattvas of the Earth, they could not chant the daimoku.

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本文 いかにも今度・信心をいたして 法華経の行者にてとをり、日蓮が一門と なりとをし給うべし、 日蓮と同意ならば 地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、 経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり、 末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり いかにも こんど・しんじん を いたして ほけきょう の ぎょうじゃ にて とおり、にちれん が いちもん と なりとおし たもうべし、にちれん と どうい ならば じゆ の ぼさつ たらんか、じゆ の ぼさつ に さだまりなば しゃくそん くおん の でし たる こと あに うたがわんや、 きょう に いわく「われ くおん より この かた これら の しゅ を きょうけ す」とは これ なり、 まっぽう に して みょうほうれんげきょう の ごじ を ひろめん もの は なんにょ は きらう べからず、みな じゆ の ぼさつ の しゅつげん に あらずんば となえがたき だいもく なり 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1360頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) どんなことがあっても、今世で信心を起こしたなら、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり、師弟の道を貫き通しなさい。 日蓮と同じ志しならば、地涌の菩薩(じゆ の ぼさつ)であろうか。地涌の菩薩であると定まっているのであれば、釈尊の久遠の弟子であるということをどうして疑うことができようか。 法華経従地涌出品第十五に「これらの菩薩は、私が久遠の昔から教化してきたのである」と説かれているのは、このことである。 末法において、妙法蓮華経の五字を弘める者は、老若男女問わず、分け隔てをしてはならない。皆それぞれの使命を持って、地涌の菩薩として出現した人々でなければ、唱えることのできない題目だからである。  英語で御書 Gosho in English Now, no matter what, strive in faith and be known as a votary of the Lotus Sutra, and remain my disciple for the rest of...

さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし - Be millions of times more careful than ever.

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本文 さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし。 日蓮は少(わかき)より 今生の いのりなし 只 仏にならんと をもふ 計りなり、 されども殿の御事をば・ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり 其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり。 さきざき よりも ひゃくせんまんおくばい・ごようじん あるべし。 にちれん は わかき より こんじょう の いのりなし ただ ほとけ に ならん と おもう ばかり なり、 されども とのの おんこと をば・ひまなく ほけきょう・しゃかぶつ・にってんに もうす なり そのゆえ は ほけきょう の いのち を つぐ ひと なれば と おもう なり 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [世雄御書] せおうごしょ (1169頁) 建治3年 (1277年) 通解(意訳) 以前より百千万億倍、用心していきなさい。 日蓮は若い時から、自分の今生の繁栄を祈ったことはない。ただ仏になろうと思うばかりであった。 しかし、あなた方弟子達の事は、絶えず法華経、釈迦仏、日天子に祈っている。 それは、あなた方が法華経の命を継ぎ、後世に伝えるという使命がある人だと思うからである。 英語で御書 Gosho in English [ You must ] be millions of times more careful than ever. Since childhood, I, Nichiren, have never prayed for the secular things of this life but have single-mindedly sought to become a Buddha. Of late, however, I have been ceaselessly praying for your sake to the Lotus Sutra, Shakyamuni Buddha, and the god of the sun, for I am convinced that you are a person who can inherit the soul of the Lotus Sutra. " The Hero of the World " ...

法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる - Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring

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本文 法華経を信ずる人は冬のごとし 冬は必ず春となる、 いまだ昔より きかず・みず 冬の秋と かへれる事を、いまだきかず 法華経を信ずる人の凡夫となる事を、 経文には「若有聞法者無一不成仏」と とかれて候 ほけきょう を しんずる ひと は ふゆ の ごとし ふゆ は かならず はる と なる、 いまだ むかし より きかず・みず ふゆ の あき と かえれる ことを、いまだ きかず ほけきょう を しんずる ひと の ぼんぷ と なる ことを、 きょうもん には「にゃく う もん ぽう しゃ む いち ふ じょう ぶつ」と とかれて そうろう 妙一尼御前御消息 みょういちあまごぜんごへんじ [冬必為春事] ふゆはかならずはるとなるのこと (1253頁) 建治元年5月 (1275年) 通解(意訳) 法華経を信ずる人は、極寒の冬の辛い時期を耐える人のようなものである。 しかし、辛い冬も永遠に続くことはなく、信心根本に耐え貫いていけば、必ず春のような幸福が訪れるのである。 未だかつて、冬が春とならずに秋に戻ったということは、聞いたことも見たこともない。同じように、いまだかつて法華経を信ずる人が、仏に成らず凡夫のままである、ということも聞いたことがない。 経文には「もしこの法を聞くことがあれば、一人として成仏しない人はいない」と説かれている。   英語で御書 Gosho in English Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring. Never, from ancient times on, has anyone heard or seen of winter turning back to autumn. Nor have we ever heard of a believer in the Lotus Sutra who turned into an ordinary person. The sutra reads, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhah...

甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず - Even a feeble person will not stumble if those supporting him are strong

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本文 夫れ 木をうえ候には 大風吹き候へども つよき すけを かひぬれば・たうれず、本より生いて候 木なれども 根の弱きは・たうれぬ、 甲斐無き者なれども・たすくる者強ければ たうれず、すこし健の者も 独なれば悪しき みちには・たうれぬ それ き を うえ そうろう には おおかぜ ふき そうらえども つよき すけ を かい ぬれば・たうれず、もと より おいて そうろう き なれども ね の よわき は・たうれぬ、 かい なき もの なれども・たすくる もの つよければ たうれず、すこし けなげ の もの も ひとり なれば あしき みち には・たうれぬ 三三蔵祈雨事 さんさんぞうきうのこと (1468頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) そもそも、木を植えた場合、大風が吹いたとしても、強い支柱で支えてあれば倒れない。元々生えていた木であっても、根が弱ければ倒れてしまう。 弱くて不甲斐ない者であっても、助けるものが強ければ倒れない。すこし強くで頑強な者であっても、独りであれば悪い道では倒れてしまうのである。 善き友 『孤独』になってはいけない。人を『孤独』にしてもいけない。悩みに寄り添って、その苦しい『心音』に耳を傾けてあげなければ。  そうすることによって、じつは自分自身が癒されていくのです。人を受け入れ、励ますことによって、自分の心が励まされ、開かれていくのです。 -池田大作  英語で御書 Gosho in English When a tree has been transplanted,though fierce winds may blow, it will not topple if it has a firm stake to hold it up. but even a tree that has grown up in place may fall over if its roots are weak. Even a feeble person will not stumble if those supporting him are strong, but a person of considerable strength, when alone, may fall down on an une...

合掌とは法華経の異名なり - Gasshō, or “pressing the palms together,” is another name for the Lotus Sutra

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本文 合掌とは法華経の異名なり 向仏(こうぶつ)とは法華経に値い奉ると云うなり 合掌は色法なり 向仏は心法なり、 色心の二法を妙法と開悟するを歓喜踊躍(かんぎ ゆやく)と説くなり がっしょうとはほけきょうのいみょうなりこうぶつとはほけきょうにあいたてまつるというなり がっしょうはしきほうなりこうぶつはしんぽうなり、 しきしんのにほうをみょうほうとかいごするをかんぎゆやくととくなり 御義口伝 おんぎくでん 譬喩品九箇の大事 ひゆぼんきゅうかのだいじ 第二 即起合掌の事  だいに そっきがっしょうのこと (722頁) 通解(意訳) 「合掌」とは法華経の異名である。「向仏」とは、妙法蓮華経にあいたてまつるということである。 合掌は色法(肉体・身心の変化の法)の姿であり、向仏とは信心であり、心法(心や精神の変化の法)である。 色心の二法を妙法蓮華経であると悟る事を、譬喩品の中で、釈尊の弟子である舎利弗が、喜びのあまり踊り出したと説くのである。 歓喜踊躍(歓喜のあまり身体は踊りだし、心はいきいきとしていて、その人の身心の生命が躍動する姿)とは、色法と心法がかけ離れたものではなく一体の姿(色心不二)なのであり、歓喜踊躍と説くのであり、この歓喜こそ法華経の真髄の妙法蓮華経と説くのである。 英語で御書 Gosho in English Gasshō [;合掌] , or “pressing the palms together,” is another name for the Lotus Sutra.  Kōbutsu [;向仏] , or “turning to face the Buddha,” means that one encounters and pays respect to the Lotus Sutra. Pressing the palms together is an element of the body. Turning to face the Buddha is an element of the mind. The passage describes how one dances with joy when one comes to the realization that the ele...

つちのもちゐを仏に供養せし人は王となりき - A man who offered a mud pie to the Buddha was reborn as a king.

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本文 竜馬につきぬる・だには千里をとぶ、松にかかれる・つたは千尋をよづと申すは是か、各各主の御心なり、 つちのもちゐを 仏に供養せし人は 王となりき、法華経は仏にまさらせ給う法なれば 供養せさせ給いて、いかでか 今生にも 利生にあづかり 後生にも 仏にならせ給はざるべき  りょうめ に つきぬる・だに は せんり を とぶ、まつ に かかれる・つた は せんじん を よず と もうす は これ か、おのおの しゅ の みこころ なり、 つち の もちい を ほとけ に くよう せし ひと は おう と なりき、ほけきょう は ほとけ に まさらせ たもう ほう なれば くよう せ させ たまいて、いかでか こんじょう にも りしょう に あずかり ごしょう にも ほとけ に ならせ たまわざる べき 九郎太郎殿御返事 くろうたろうどのごへんじ [題目仏種御書] だいもくぶっしゅごしょ (1554頁) 弘安元年11月 (1278年) 通解(意訳) (故・上野殿は、ただ南無妙法蓮華経の七字を信じて仏に成られた。あなた方もその一族なので、同じように志(こころざし)を果たされるであろう) 竜馬(駿馬、良い馬)にとりついたダニは千里を飛ぶことができ、松にかかったツタは、千尋という高さをよじ登るというのは、このことであろう。あなたがた上野殿(南条家)の一族は、信心強盛であられた故・上野殿(南条兵衛七郎)と同じ志をお持ちであられる。 土の餅を釈尊に供養した人は、のちに国王となった。法華経は釈尊より勝れた法であるから、この法華経に供養された人が、どうして今生でも利益(りやく)を授かる事ができ、後生に仏に成れないはずがあるだろうか。 英語で御書 Gosho in English A mite clinging to a fleet horse flies a thousand miles, and that the ivy winding around the pine tree soars a thousand feet? Each of you possesses the same heart as the late Ueno. A man who offered a mud pie to the Buddha was reborn as a ki...

来集して我が身に入りかはり我を助け給へ - Will all gather and take possession of your body to assist you

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本文 釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へ と 観念せさせ給うべし しゃか・たほう・じっぽうのほとけ・らいしゅうしてわがみにいりかわりわれをたすけたまえとかんねんさせたもうべし 弥三郎殿御返事 やさぶろうどのごへんじ (1451頁) 建治3年8月 (1277年) 通解(意訳) 釈迦仏・多宝仏・十方の仏が集い来て我が身に入りかわり、我を助けたまえと、諸天善神や教主釈尊をも揺り動かすような題目を唱え、御祈念していきなさい。 英語で御書 Gosho in English You should pray intently that Shakyamuni, Many Treasures, and the Buddhas of the ten directions will all gather and take possession of your body to assist you. " Reply to Yasaburō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 829 in August, 1277. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  You should chanting the DAIMOKU with momentum that shakes the Buddhas. Gosho in Japanese 釈迦・多宝・十方 の 仏・来集 して 我が 身 に 入りかはり 我 を 助け 給へ と 観念 せさせ 給う べし SHAKA・TAHŌ・JIPPŌ NO HOTOKE・RAISHŪ SHITE WAGA MI NI IRI-KAWARI WARE WO TASUKE TAMAE TO KAN-NEN SASE TAMOU BESHI 弥三郎 殿 御返事 YASABURŌ DONO GOHENJI 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daisho...

諸河の水入る事なくば大海あるべからず - Were it not for the flowing rivers, there would be no sea.

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本文 大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや、 法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども・かへす事とがむる事なし、 諸河の水入る事なくば大海あるべからず、大難なくば法華経の行者にはあらじ たいかい へ しゅうる いる・されども たいかい は かわ の みず を かえす こと ありや、 ほっけ たいかい の ぎょうじゃ に しょが の みず は だいなん の ごとく いれども・かえすこと とがむる こと なし、 しょが の みず いること なくば たいかい ある べからず、だいなん なくば ほけきょう の ぎょうじゃ には あらじ 椎地四郎殿御書 しいじしろうどのごしょ [如度得船御書] にょととくせんごしょ [身軽法重死身弘法御書] しんきょうほうじゅうししんぐほうごしょ (1448頁) 弘長元年4月 (1261年) 通解(意訳) 大海には様々な河水が流れこむ。けれども、大海は河水を押し返すようなことがあるだろうか。 法華経という大海の行者には、様々な河水のように大難として流れ込むが、大難を押し返すことも、とがめたりすることもない。 河水が入ることがなければ、大海ではないからである。大難がなければ法華経の行者ではないのである。 英語で御書 Gosho in English All rivers flow into the sea, but does the sea turn back their waters? The currents of hardship pour into the sea of the Lotus Sutra and rush against its votary. The river is not rejected by the ocean; nor does the votary reject suffering. Were it not for the flowing rivers, there would be no sea. Likewise, without tribulation there would be no votary of the Lotus Sutra. " A Ship to Cross the Sea of Suffering " "Th...

妙とは蘇生の義なり - Myō means to revive

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本文 妙とは蘇生の義なり 蘇生と申すは蘇る義なり みょう とは そせい の ぎ なり そせい と もうす は よみがえる ぎ なり 法華経題目抄 ほけきょうだいもくしょう (947頁) 文永3年1月6日 (1266年) 通解(意訳) (南無妙法蓮華経の)妙とは蘇生の意味である。 蘇生とは、悩んで苦しんでいる心や生命が蘇るということである。 妙とは蘇生の義なりの実証を示す 「生死」の問題は、「こうなっています。こういう理屈です」と言うだけでは、解決しない。 悲嘆にくれている。涙にむせんでいる、固く心を閉ざしている―その人のために、身を粉にし、誠実を尽くしてこそ、心を「蘇生」させられる。 「妙とは蘇生の義なり」の実証が出るのです。 ‐ 池田大作 英語で御書 Gosho in English Myō means to revive, that is, to return to life. " The Daimoku of the Lotus Sutra "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 149 in January, 1266. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Resuscitation means that the troubled and suffering body and mind is revive. "Myō : 妙" , This is the character of the Nam-Myoho-Renge-Kyo. Demonstration the proof of the "Myō means to revive." The problem of "life and death" cannot be solved simply by saying "This is what it is. This is the reason." Grieving, In tears, Thightly closed heart - Only by c...

石はやけばはいとなる金は・やけば真金となる - Put into flames, a rock simply turns to ashes, but gold becomes pure gold.

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本文 各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪を せめいだし給いて候、 たとへば くろがねを よくよく きたへば きずの あらわるる が ごとし、石は やけば はいとなる 金は・やけば真金となる、 此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて 法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ おのおの・ずいぶん に ほけきょう を じんぜられつる・ゆえ に かこ の じゅうざい を せめ いだし たまいて そうろう、 たとえば くろがね を よくよく きたえば きず の あらわるる が ごとし、 いし は やけば はい と なる 金 は やけば しんきん と なる、 この たび こそ・まこと の ごしんよう は・あらわれて ほけきょう の じゅうらせつ も しゅご せ させ たもうべき にて そうらめ 兄弟抄 きょうだいしょう (1083頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) あなた達はそれぞれに、これまで随分と法華経を信じられてきた。それゆえ、過去世で犯した重罪への重い償いを、軽くして今世に責め出しているのである。 これは、たとえば鉄を鍛錬するためにしっかりと鍛え打てば、内部に隠れていた傷が表面にあらわれて、本物の鋼へと鍛えられるようなものである。また、石は焼けば灰になるが、金は焼いて精錬すれば純金へと変わる。 今回の困難こそ、あなた方の信心が本物かどうかが試される「試練」として現れたのだろう。法華経の十羅刹女(諸天善神)もあなたがたを必ず守護するにちがいない。 英語で御書 Gosho in English Both of you have continued believing in the Lotus Sutra; thus you are now ridding yourselves of your grave offenses from the past. For example, the flaws in iron come to the surface when it is forged. Put into flames, a rock simply turns to ashes, but gold becomes pure gold. This trial, more than anything else, wi...

法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり - No treasure tower exists other than the figures of the men and women who embrace the Lotus Sutra

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本文 末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、 若し然れば 貴賤上下をえらばず 南無妙法蓮華経と・となうるものは 我が身 宝塔にして 我が身 又 多宝如来なり、 妙法蓮華経より外に 宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり 宝塔 又 南無妙法蓮華経なり まっぽう に いって ほけきょう を たもつ なんにょ の・すがた より ほか には ほうとう なき なり、 もし しかれば きせん じょうげ を えらばず なんみょうほうれんげきょう と・となうる もの は わが み ほうとう に して わが み また たほうにょらい なり、 みょうほうれんげきょう より ほか に ほうとう なき なり、ほけきょう の だいもく・ほうとう なり ほうとう また なんみょうほうれんげきょうなり 阿仏房御書 あぶつぼうごしょ [宝塔御書] ほうとうごしょ (1304頁) 文永9年3月(1272年) (建治2年(1279年)説有り) 通解(意訳) 末法に入って、法華経(御本尊)を持つ男女の姿より他には宝塔はない。 もしそうであれば、身分の貴さやいやしさ、立場の上と下といった差別なく、南無妙法蓮華経と唱える人は、その人自身がそのまま宝塔であり、またその身が多宝如来(仏)なのである。 妙法蓮華経以外に宝塔はない。法華経の題目は南無妙法蓮華経が宝塔である。宝塔はまた南無妙法蓮華経なのである。  英語で御書 Gosho in English In the Latter Day of the Law, no treasure tower exists other than the figures of the men and women who embrace the Lotus Sutra. It follows, therefore, that whether eminent or humble, high or low, those who chant Nam-myoho-renge-kyo are themselves the treasure tower, and, likewise, are themselves the Thus Come One Many Treasures. No treasure tower e...

南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり - Nam-myoho-renge-kyo is the greatest of all joys.

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本文 始めて我 心 本来の仏なりと知るを 即ち 大歓喜 と 名く 所謂 南無妙法蓮華経 は 歓喜の中の大歓喜なり はじめて わが こころ ほんらい の ほとけ なり と しる を すなわち だいかんき と なづく いわゆる なんみょうほうれんげきょう は かんき の なか の だいかんき なり 御義口伝 おんぎくでん 廿八品に一文充の大事 にじゅうはっぽんにいちもんずつのだいじ  五百品 ごひゃっぽん (788頁) 通解(意訳) 信心に懸命に励んでいき、我が生命に大きな歓喜が沸き起こった時、初めて自分自身が本来の仏なのだと知ることを、すなわち大歓喜というのである。いわゆる南無妙法蓮華経と唱えていくことは、自分自身の仏の境涯を開いていける、歓喜の中の大歓喜なのである。 英語で御書 Gosho in English Summary: This passage refers to the great joy that one experiences when one understands for the first time that one’s mind from the very beginning has been a Buddha. Nam-myoho-renge-kyo is the greatest of all joys. ==================================== The Essential Passage in Each of the Twenty-eight Chapters of the Lotus Sutra - 8. Prophecy of Enlightenment for Five Hundred Disciples "The Record of The Orally Transmitted Teachings" Part 2, p. 211 to 212 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 始めて 我 心 本来 の 仏 なりと 知る を 即ち 大歓喜 と 名く 所謂 南無妙法蓮華経 は 歓喜 の中 の 大歓喜 なり HAJIM...

祈祷に於ては顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈祷有り - Concerning prayer, there are conspicuous prayer and conspicuous response, conspicuous prayer and inconspicuous response, inconspicuous prayer and inconspicuous response, and inconspicuous prayer and conspicuous response.

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本文 祈祷に於ては 顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈祷 有りと雖も 只 肝要は此の経の信心を致し給い候はば 現当の所願満足 有る可く候 きとう に おいては けんき けんのう・けんき みょうおう・みょうき みょうおう・みょう きけんのう の きとう あり と いえども ただ かんよう は この きょう の しんじん を いたし たまい そうらわば げんとう の しょがん まんぞく ある べく そうろう 道妙禅門御書 どうみょうぜんもんごしょ [四種祈禱御書] ししゅきとうごしょ (1242頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 祈祷(祈り、信心)には、 顕祈顕応(けんき けんのう:目に見える信心と、何らかの形で見える功徳)、 顕祈冥応(けんき みょうおう:目に見える信心と、目に見えず、未知の間に出ている功徳)、 冥祈冥応(みょうき みょうおう:目には見えない信心と、目には見えない功徳)、 冥祈顕応(みょうき けんのう:目には見えない信心と、目に見える功徳)、 この4種類の信心と功徳の顕れがあると言えども、ただ肝心なことは、妙法の功徳は必ず顕れる事を信じ抜いて、この法華経を信心されるならば、現在及び未来の所願が満足されるであろう。 英語で御書 Gosho in English Concerning prayer, there are conspicuous prayer and conspicuous response, conspicuous prayer and inconspicuous response, inconspicuous prayer and inconspicuous response, and inconspicuous prayer and conspicuous response.  But the only essential point is that, if you believe in this sutra, all your desires will be fulfilled in both the present and the future. " Letter to the Lay Priest Dōmyō " "The Writings of Nich...

天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か - The heavenly devil and evil spirits* are using illness to try to intimidate you.

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本文 人もすすめぬに 心中より信じまいらせて・上下万人に あるいは・いさめ 或は をどし候いつるに・ ついに捨つる心なくて候へば・すでに仏になるべしと見へ候へば・ 天魔・外道が病をつけて をどさんと心み候か、 命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ ひと も すすめぬ に しんちゅう より しんじ まいらせて・じょうげ ばんにん に あるいは・いさめ あるいは おどし そうらいつるに・ついに すつる こころ なくて そうらえば・すでに ほとけ に なるべし と みえ そうらえば・ てんま・げどう が やまい を つけて おどさん と こころみ そうろうか、いのち は かぎりある こと なり・すこし も おどろく こと なかれ 法華証明抄 ほっけしょうめいしょう [死活抄] しかつしょう (1586頁) 弘安5年2月 (1282年) 通解(意訳) (南条時光殿は)だれも法華経の信仰を勧めないのに、心から信仰され、地位の上下に関係なく、あらゆる人から法華経の信仰をやめるように言われても、あるいは諌められても、あるいは脅かされながらも、最終的には信心を捨てる心がなくなっておられる。そして成仏を成し遂げそうになったので、第六天魔王等の魔が、時光殿に病をつけて、信心をやめさせようと脅かしているのであろう。 命は限りがあることであり、少しも驚いてはならない。 英語で御書 Gosho in English Many people, both high and low, have admonished or threatened you, but you have refused to give up your faith. Since you now appear certain to attain Buddhahood, perhaps the heavenly devil and evil spirits* are using illness to try to intimidate you. Life in this world is limited. Never be even the least bit afraid! " The Proof of the Lotus Sutra " "The Writing...