投稿

2025の投稿を表示しています

難を忍び 慈悲のすぐれたる事 - To endure persecution and the wealth of my compassion for others

イメージ
本文 日蓮が法華経の智解は 天台・伝教には 千万が一分も 及ぶ事なけれども 難を忍び 慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし にちれんが ほけきょうの ちげは てんだい・でんきょうには せんまんが いちぶんにも およぶこと なけれども なんを しのび じひの すぐれたることは・おそれをも・いだきぬべし 開目抄・上 かいもくしょう・じょう [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (202頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 日蓮が法華経に対する智解は、中国の天台大師、日本の伝教大師に比べて、千万が一分もおよぶことはないけれども、 いかなる難に耐え忍び、慈悲の心が勝れている点では、像法(ぞうほう)時代に法華経を説いた彼らは、末法において法華経を説いている日蓮に恐れをもいだくであろう。 英語で御書 Gosho in English When it comes to understanding the Lotus Sutra, I have only a minute fraction of the vast ability that T’ien-t’ai and Dengyō possessed. But as regards my ability to endure persecution and the wealth of my compassion for others, I believe they would hold me in awe.  " The Opening of the Eyes " Part I " The Writings of Nichiren Daishonin ", Vol.1, p. 242 [ --- ] is liberal translation Gosho in Japanese 日蓮 が 法華経 の 智解 は 天台・伝教 には 千万 が 一分 も 及ぶ事なけれども 難 を 忍び 慈悲 の すぐれたる 事 は・をそれ をも・いだきぬべし NICHIREN GA HOKEKYO NO CHIGE WA TENDAI・DENKYŌ NIWA SEN-MAN GA ICHI-BUN MO OYOBU KOTO N...

元品の無明は第六天の魔王と顕われたり - The fundamental darkness manifests itself as the devil king of the sixth heaven.

イメージ
本文 法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶 備われ 元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ 元品の無明は第六天の魔王と顕われたり ほっけしゅう の こころ は いちねん さんぜん・しょうあく しょうぜん・みょうかく の くらい に なお そなわれ がんぽん の ほっしょう は ぼんてん・たいしゃく とう と あらわれ がんぽん の むみょう は だいろくてん の まおう と あらわれたり 治病大小権実違目 じびょうだいしょうごんじついもく (997頁) 弘安元年6月 (1278年) 通解(意訳) 日蓮仏教の根本である、一念三千の法門に人の心(境涯)の善悪を照らせば、善の心も悪の心も、本来人の心の本性に備わっているものである。そのため、仏の境涯を開いたとしても、心の本性が消える訳ではなく、心のあらゆる側面(一念三千)がそのまま備わっているのである。 この法理によって、善心によって開かれた法性には、梵天・帝釈天等の諸天善神の加護が顕れ、無明に陥った悪心には第六天の魔王が顕れるのである。 英語で御書 Gosho in English The heart of the Lotus school is the doctrine of three thousand realms in a single moment of life, which reveals that both good and evil are inherent even in those at the highest stage of perfect enlightenment. The fundamental nature of enlightenment manifests itself as Brahmā and Shakra, whereas the fundamental darkness manifests itself as the devil king of the sixth heaven. " The Treatment of Illness " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1113 in June, 1278.  [ --- ] is liberal...

法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し - The votary of the Lotus Sutra is like the fire and the kālakula, while his persecutions are like the logs and the wind.

イメージ
本文 火にたきぎを加える時はさかんなり、大風吹けば求羅は倍増するなり、松は万年のよはひを持つ故に枝を・まげらる、 法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し、 法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられ・まげられん事疑なかるべし ひにたきぎをくわえるときはさかんなり、おおかぜふけばぐらはばいぞうするなり、まつはまんねんのよわいをもつゆえにえだを・まげらる、ほけきょうのぎょうじゃはひとぐらとのごとしまきとかぜとはだいなんのごとし、 ほけきょうのぎょうじゃはくおんちょうじゅのにょらいなり、しゅぎょうのえだをきられ・まげられんことうたがいなかるべし 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [此経難持御書] しきょうなんじごしょ (1136頁) 文永12年3月 (1275年) 通解(意訳) 火に薪を加える時には、火は盛んに燃える。大風が吹けば求羅(風が吹くと大きくなると言われている伝説上の生物)は倍増するのである。松は万年の長寿を持つゆえに枝をまげられる。 法華経の行者は火と求羅のようなもので、薪と風は大難のようなものである。 法華経の行者は久遠長寿の如来である。ゆえに松の譬えのように修行の枝を切られ、曲げられることは疑いないのである。 英語で御書 Gosho in English A fire burns higher when logs are added, and a strong wind makes a kālakula grow larger. The pine tree lives for ten thousand years, and therefore its boughs become bent and twisted. The votary of the Lotus Sutra is like the fire and the kālakula, while his persecutions are like the logs and the wind.  The votary of the Lotus Sutra is the Thus Come One whose life span is immeasurable; no wonder his practice is hin...

かくれたる事のあらはれたる徳となり候なり - What is hidden turns into manifest virtue.

イメージ
本文 仏法の中に 内薫外護(ないくん げご)と申す 大なる大事ありて 宗論にて候、 法華経には「我 深く汝等を敬う」 涅槃経には「一切衆生 悉く 仏性有り」 (中略) かくれたる事のあらはれたる 徳となり候なり ぶっぽう の なか に ないくん げご と もうす おおい なる だいじ ありて しゅうろん にて そうろう、 ほけきょう には「われ ふかく なんだち を うやまう」 ねはんぎょう には「いっさい しゅじょう ことごとく ぶっしょう あり」 (ちゅうりゃく) かくれ たる こと の あらわれ たる とく と なり そうろう なり 崇峻天皇御書 すしゅんてんのうごしょ [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ (1170~1171頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 仏法の中に「内薫外護」という大事な法門があり、これが仏教を説く上で大事となる原理である。 法華経の不軽品には、「私は深くあなた達のことを敬う」とあり、 涅槃経には「あらゆる人々の生命には、等しく仏性という無限の可能性が元来備わっている」とある。 「あらゆる人の生命に、もともと仏性が内在しており、布に染み込ませた香料が薫りを発するように、仏性が生命の内より薫発すること(内薫)によって、迷いの生命が消滅して、自己の仏性が身体や言動などの現証という、目に見える働きとなって顕れるのである。この時、仏性を涌現した自分と縁している周囲の人々の言動や様々な現証も、仏性という無限の可能性を大きく引き出す助けとなって、自分も、自分に縁した人々をも護る(外護)という働きが顕れる。」 これを内薫外護と呼ぶのである。 (中略) 人知れず、人のために動き働いた事実は、隠れてはいるが内薫として自己の生命を豊かにし、仏性を開き、振舞いや周囲の助けといった徳・外護となって顕れてくるのである。 英語で御書 Gosho in English Buddhism teaches that, when the Buddha nature manifests itself from within, it will receive protection from without. This is one of its fundamental principles.  The L...

虎に似たる石を射しかば 其の矢 羽ぶくらまでせめぬ - Shot an arrow at the stone he believed was the tiger. The arrow penetrated the stone all the way up to its feathers.

イメージ
本文 李広将軍と申せし・つはものは 虎に母を食れて 虎に似たる石を射しかば 其の矢 羽ぶくらまでせめぬ、後に石と見ては立つ事なし、後には石虎将軍と申しき、 貴辺も又かくのごとく 敵は・ねらふらめども 法華経の御信心 強盛なれば大難も・かねて消え候か、是につけても能く能く御信心あるべし りこうしょうぐん と もうせし・つわもの は とら に はは を くわれて とら に にたる いし を い しかば そのや はぶくら まで せめぬ、のち に いし と みては たつ こと なし、のち には せっこしょうぐん と もうしき、 きへん も また かくの ごとく てき は・ねらうめ ども ほけきょう の ごしんじん ごうじょう なれば だいなん も・かねて きえ そうろう か、これ に つけても よくよく ごしんじん あるべし 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [石虎将軍御書] せっこしょうぐんごしょ (1186頁) 弘安元年10月 (1278年) 通解(意訳) 中国の李広将軍(りこうしょうぐん)という武将は、一頭の虎に母を食い殺された辛い経験があった。 ある日、その虎が草むらにうずくまっているものを見つけた。そこで「これこそ親の仇の虎だ」と、仇討ちの一念に燃えて矢を射たところ、見事に命中した。「遂に仕留めた」と駆け寄ってみると、なんと、虎ではなく、形のよく似た石であった。しかし、矢はその硬い石を貫き羽まで突き刺さっていた。その後、矢を射ても石に刺さることはなかったという。 ある日、よく似た虎を見つけ、「母の敵討ち」という強い一念で矢を放った。 「仇討ちをやり遂げた」と駆け寄ったところ、実はそれは虎ではなく、形のよく似た石であったが、その矢は硬い石を貫き通し、矢ぶくら(矢の羽根の部分)にまで突き刺さっていた。 その後、それが虎に似た石であると気付いてからは、何度その石に矢を射ても、矢が石に刺さるということはなかったという。 このことから、後世には人々から「石虎将軍」と呼ばれるようになったのである。 あなたもまた、この故事のように、敵はあなたを襲撃しようと狙っているだろうが、法華経への信心が強盛であるので、大難も、事が起こる前に消えたのであろうか。この事を踏まえても、よくよく御本尊を信じていきなさい。 - 深き「一念」が、不可能を可能に - 日々、人...

雨の猛きを見て竜の大なるを知り - By observing the fury of the rain, we can tell the greatness of the dragon that caused it

イメージ
本文 天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り花の盛なるを見て池の深きことを知る」等云云、 妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、 天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか。 てんだい いわく、「あめ の たけき を みて りゅう の だい なる を しり はな の さかん なる を みて いけ の ふかき こと を しる」とう うんぬん、みょうらく いわく、「ちじん は き を しり へび は みずから へび を しる」とう うんぬん、 てん はれぬれば ち あきらか なり ほっけ を しる もの は せほう を う べきか。 観心本尊抄 かんじんのほんぞんしょう [如来滅後五五百歳始観心本尊抄] にょらいめつごごごひゃくさいにはじむかんじんのほんぞんしょう (246頁) 文永10年4月 (1272年) 通解(意訳) 天台大師は「雨が猛々しく降る現証を見て、雨を降らせる言われている、竜の力の偉大なることを知り、蓮華の花が大きく咲き盛なっている様子を見て、その池の深いことを知る」等と言い、妙楽大師は「智人は将来起こるべきことを知り、蛇は自ら蛇の本質を知っている」等と言っている。 天が晴れるならば、大地は明るくなる。太陽の光に従って大地が明るくなるように、法華経を識る者は、世の中の道理と仏法の法理がかけ離れていないこと(世法=仏法即社会)を、自ら明らかに知ることができて、自身の使命を果たし、実証を示すことに目覚めることができるであろう。 英語で御書 Gosho in English T’ien-t’ai states, “By observing the fury of the rain, we can tell the greatness of the dragon that caused it, and by observing the flourishing of the lotus flowers, we can tell the depth of the pond they grow in.” Miao-lo says, “Wise men can perceive the cause of things, as snakes know the way of snakes.” When the skies are...

人身は持ちがたし草の上の露 - Life as a human being is hard to sustain—as hard as it is for the dew to remain on the grass.

イメージ
本文 人身は受けがたし 爪の上の土・人身は持ちがたし 草の上の露、 百二十まで持ちて 名を・くたして死せんよりは 生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ じんしん は うけがたし つめ の うえ の つち・じんしん は もちがたし くさ の うえ の つゆ、 ひゃく にじゅう まで もちて な を くたして し せん より は いきて いちにち なりとも な を あげん こと こそ たいせつ なれ 崇峻天皇御書 すしゅんてんのうごしょ [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ (1173頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 人間として生まれてくることは難しいことであって、爪の上に乗っているわずかな土のようにまれである。また、人間として生まれたとしてもその身を持つことは難しく、草の上に乗っている朝露がすぐに蒸発してしまうようにはかない。 たとえ120歳まで身を持ったとしても、悪い評判を残して死ぬよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である。 英語で御書 Gosho in English It is rare to be born a human being. The number of those endowed with human life is as small as the amount of earth one can place on a fingernail. Life as a human being is hard to sustain—as hard as it is for the dew to remain on the grass. But it is better to live a single day with honor than to live to 120 and die in disgrace. " The Three Kinds of Treasure " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 850 in November, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 人身 は 受けがたし 爪 の 上 の 土・人...

人は善根をなせば必ずさかう - Will human beings never fail to prosper when they make good causes.

イメージ
本文 花は開いて果となり・月は出でて必ずみち・燈は油をさせば光を増し・草木は雨ふればさかう・ 人は善根をなせば必ずさかう はな は ひらいて このみ と なり・つき は いでて かならず みち・ともしび は あぶら を させば ひかり を まし・そうもく は あめ ふれば さかう・ひと は ぜんこん を なせば かならず さかう 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [正月三日御書] しょうがつみっかごしょ (1562頁)  弘安3年1月   (1280年) 通解(意訳) 花は咲いて果実となり、月は出て必ず満ち、燈火は油をさせば光を増し、草木は雨が降れば生い茂って栄える。同じように人は善根を積めば必ず栄えるのである。 明けましておめでとうございます! 今年も日替わり御書をよろしくお願いいたします。 令和7年(2025年)元旦 英語で御書 Gosho in English Just as flowers open up and bear fruit, just as the moon appears and invariably grows full, just as a lamp becomes brighter when oil is added, and just as plants and trees flourish with rain, so will human beings never fail to prosper when they make good causes. " The Third Day of the New Year " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1013  in January, 1280. [ --- ] is liberal translation. A Happy New Year! and Thanks to visit the "Daily-Gosho" This Year. January 1st, 2025. Gosho in Japanese 花 は 開いて 果 と なり・月 は 出でて 必ず みち・...