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5月, 2024の投稿を表示しています

天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か - The heavenly devil and evil spirits* are using illness to try to intimidate you.

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本文 人もすすめぬに 心中より信じまいらせて・上下万人に あるいは・いさめ 或は をどし候いつるに・ ついに捨つる心なくて候へば・すでに仏になるべしと見へ候へば・ 天魔・外道が病をつけて をどさんと心み候か、 命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ ひと も すすめぬ に しんちゅう より しんじ まいらせて・じょうげ ばんにん に あるいは・いさめ あるいは おどし そうらいつるに・ついに すつる こころ なくて そうらえば・すでに ほとけ に なるべし と みえ そうらえば・ てんま・げどう が やまい を つけて おどさん と こころみ そうろうか、いのち は かぎりある こと なり・すこし も おどろく こと なかれ 法華証明抄 ほっけしょうめいしょう [死活抄] しかつしょう (1586頁) 弘安5年2月 (1282年) 通解(意訳) (南条時光殿は)だれも法華経の信仰を勧めないのに、心から信仰され、地位の上下に関係なく、あらゆる人から法華経の信仰をやめるように言われても、あるいは諌められても、あるいは脅かされながらも、最終的には信心を捨てる心がなくなっておられる。そして成仏を成し遂げそうになったので、第六天魔王等の魔が、時光殿に病をつけて、信心をやめさせようと脅かしているのであろう。 命は限りがあることであり、少しも驚いてはならない。 英語で御書 Gosho in English Many people, both high and low, have admonished or threatened you, but you have refused to give up your faith. Since you now appear certain to attain Buddhahood, perhaps the heavenly devil and evil spirits* are using illness to try to intimidate you. Life in this world is limited. Never be even the least bit afraid! " The Proof of the Lotus Sutra " "T...

法華を識る者は世法を得可きか - When one knows the Lotus Sutra, one understands the meaning of all worldly affairs.

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本文 正像に無き大地震・大彗星等 出来す、此等は金翅鳥・修羅・竜神等の動変に非ず 偏に四大菩薩を出現せしむ可き 先兆なるか、 天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り 花の盛なるを見て池の深きことを知る」等云云、妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、 天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか しょうぞうに なき おおじしん・だいすいせいとう しゅったいす、これらは こんじちょう・しゅら・りゅうじんとうの どうへんに あらず ひとえに しだいぼさつを しゅつげん せしむべき せんちょう なるか、 てんだいいわく「あめの たけきをみて りゅうの だいなるをしり はなの さかんなるを みて いけの ふかきことを しる」とう うんぬん、みょうらくたいし いわく「ちじんは きを しり へびは みずから へびを しる」とう うんぬん、 てん はれぬれば ち あきらかなり ほっけを しるものは せほうを うべきか 観心本尊抄 かんじんのほんぞんしょう [如来滅後五五百歳始観心本尊抄] にょらいめつご ご ごひゃくさい に はじむ かんじん の ほんぞんしょう [法本尊開顕の書] ほうほんぞんかいけんのしょ (246頁) 文永10年4月 (1272年) (254頁) 文永10年4月 正法・像法時代には起きなかった大地震・大彗星等の天変地異が、近年立て続けに出来している。これらは金翅鳥・阿修羅・竜神等が起こす動変ではない。ひとえに地涌の菩薩のリーダーである、上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩の四菩薩が出現すべき先兆であろう。 天台大師は「雨が猛々しく降る現証を見て、雨を降らせる言われている、竜の力の偉大なることを知り、蓮華の花が大きく咲き盛なっている様子を見て、その池の深いことを知る」等と言い、妙楽大師は「智人は将来起こるべきことを知り、蛇は自ら蛇の本質を知っている」等と言っている。 天が晴れるならば、大地は明るくなる。太陽の光に従って大地が明るくなるように、法華経を識る者は、今の世間の本質(世法)を明らかに知り得られるであろう。 英語で御書 Gosho in English We have recently experienced great earthquakes, huge comets, and oth...

如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり - You will naturally become endowed with the Buddha’s thirty-two features and eighty characteristics.

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本文 此の経の信心と申すは少しも私なく 経文の如くに人の言を用ひず法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ、 仏に成り候事は別の様は候はず、南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申して候へば天然と三十二相八十種好を備うるなり、如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり このきょうの しんじんと もうすは すこしも わたくしなく きょうもんの ごとくに ひとの げんを もちいず ほっけいちぶに そむくことなければ ほとけに なりそうろうぞ、 ほとけに なりそうろうことは べつのようは そうらわず、なんみょうほうれんげきょうと たじなく となえ もうして そうらえば てんねんと さんじゅうにそう はちじっしゅこうを そなうるなり、 にょがとうむいと もうして しゃくそんほどの ほとけに やすやすと なりそうろうなり 新池御書 にいけごしょ (1143頁) 弘安3年2月 (1280年) 通解(意訳) この経の信心というのは、少しも我見なく経文のとおりに、人の言葉を用いず法華経の一部に背くことがなければ、仏に成るのである。 仏に成るということは別のことではない。南無妙法蓮華経と他の事にとらわれることなく唱へていくときに自然と三十二相・八十種好を備えるのである。「我が如く等しくして異なることなし」といって釈尊のような仏に簡単に成るのである。 英語で御書 Gosho in English Faith in this sutra means that you will surely attain Buddhahood if you are true to the entirety of the Lotus Sutra, adhering exactly to its teachings without adding any of your own ideas or following the arbitrary interpretations of others. Becoming a Buddha is nothing extraordinary. If you chant Nam-myoho-renge-kyo with your whole heart, you will naturally become endowed with th...

つちのもちゐを仏に供養せし人は王となりき - A man who offered a mud pie to the Buddha was reborn as a king.

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本文 竜馬につきぬる・だには千里をとぶ、松にかかれる・つたは千尋をよづと申すは是か、各各主の御心なり、 つちのもちゐを 仏に供養せし人は 王となりき、法華経は仏にまさらせ給う法なれば 供養せさせ給いて、いかでか 今生にも 利生にあづかり 後生にも 仏にならせ給はざるべき  りょうめ に つきぬる・だに は せんり を とぶ、まつ に かかれる・つた は せんじん を よず と もうす は これ か、おのおの しゅ の みこころ なり、 つち の もちい を ほとけ に くよう せし ひと は おう と なりき、ほけきょう は ほとけ に まさらせ たもう ほう なれば くよう せ させ たまいて、いかでか こんじょう にも りしょう に あずかり ごしょう にも ほとけ に ならせ たまわざる べき 九郎太郎殿御返事 くろうたろうどのごへんじ [題目仏種御書] だいもくぶっしゅごしょ (1554頁) 弘安元年11月 (1278年) 通解(意訳) (故・上野殿は、ただ南無妙法蓮華経の七字を信じて仏に成られた。あなた方もその一族なので、同じように志(こころざし)を果たされるであろう) 竜馬(駿馬、良い馬)にとりついたダニは千里を飛ぶことができ、松にかかったツタは、千尋という高さをよじ登るというのは、このことであろう。あなたがた上野殿(南条家)の一族は、信心強盛であられた故・上野殿(南条兵衛七郎)と同じ志をお持ちであられる。 土の餅を釈尊に供養した人は、のちに国王となった。法華経は釈尊より勝れた法であるから、この法華経に供養された人が、どうして今生でも利益(りやく)を授かる事ができ、後生に仏に成れないはずがあるだろうか。 英語で御書 Gosho in English A mite clinging to a fleet horse flies a thousand miles, and that the ivy winding around the pine tree soars a thousand feet? Each of you possesses the same heart as the late Ueno. A man who offered a mud pie to the Buddha was reborn as a ki...

教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ - The purpose of the appearance in this world of Shakyamuni Buddha, The lord of teachings, lies in his behavior as a human being.

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本文 一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、 不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ 教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ いちだい の かんじん は ほけきょう・ほけきょう の しゅぎょう は ふきょうぼん にて そうろう なり、 ふきょうぼさつ の ひと を うやまいし は・いかなることぞ きょうしゅ しゃくそん の しゅっせ の ほんかい は ひと の ふるまい にて そうらいけるぞ 崇峻天皇御書 すしゅんてんのごしょ [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ (1174頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 釈尊一代の説法の肝心は法華経であり、法華経の修行の肝心が説かれているのは不軽品である。 不軽菩薩がすべての人を敬ったということは、どのような意味があるのだろうか。 教主釈尊の出世の本懐(この世に出現した究極の目的)は、人間としての振る舞いを示すことにあったのである。 不軽菩薩の実践の集いが創価学会 学会の根本精神は人を敬うことにある。 人の幸福を願い、実現していくことにある。人に尽くしていくことにある。 現代社会にあっては、他者への無関心が進む一方、利害や力関係によるつながりが優先され、”人間性”が追いやられてきた。 だからこそ、尊敬と信頼の励ましの、人間の温もりにあふれた社会を築いていくのだ -池田大作 英語で御書 Gosho in English The heart of the Buddha's lifetime of teachings is the Lotus Sutra, and the heart of the practice of the Lotus Sutra is found in the "Never Disparaging" chapter. What does Bodhisattva Never Disparaging's profound respect for people signify? The purpose of the appearance in this world of Shakyamuni Buddha, The lord of teachings, lies in his behavior as a human b...

此の経計り一念三千の玉をいだけり - the Lotus Sutra alone contains this jewel that is the doctrine of three thousand realms in a single moment of life.

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本文 一念三千こそ仏になるべき道とみゆれ、 此の一念三千も我等一分の慧解もなし、 而ども一代経経の中には此の経計り一念三千の玉をいだけり いちねんさんぜん こそ ほとけ に なるべき みち と みゆれ、 この いちねさんぜん も われら いちぶん の えげ も なし、しかれども いちだい きょう きょう の なか には この きょう ばかり いちねんさんぜん の たま を いだけり 開目抄・上 かいもくしょう・じょう [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (234頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 一念三千の法理こそ、成仏の唯一の道である。 この一念三千について、私達は一部分でも悟る知恵や理解はもっていない。 それでも、釈尊が一生の間に説いた様々な経の中には、この法華経だけが、一念三千という、万人成仏の宝玉を抱いているのである。 英語で御書 Gosho in English [Only the] doctrine of three thousand realms in a single moment of life is the path to Buddhahood. Even in the case of this doctrine of three thousand realms in a single moment of life, we do not possess the kind of wisdom and understanding to comprehend it fully. Nevertheless, among all the sutras preached by the Buddha during his lifetime, the Lotus Sutra alone contains this jewel that is the doctrine of three thousand realms in a single moment of life. " The Opening of the Eyes " Part One  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p...

善知識に値う事が第一のかたき事なり - Encountering a good friend is the hardest possible thing to do.

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本文 善知識に値う事が第一のかたき事なり、されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り・梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとへ給へり ぜんちしきに あうことが だいいちの かたきこと なり、されば ほとけは ぜんちしきに あうこと をば いちげんの かめの うきぎに いり・ぼんてんより いとを さげて だいちの はりの めに いるに たとえ たまえり 三三蔵祈雨事 さんさんぞうきうのこと (1468頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) 善知識に値うことが最も難しいことである。それゆえ、仏は善知識に値うことを、千年に一度しか浮かび上がってこない伝説の一眼の亀が、たまたま海に浮いている浮木に出会って、浮き木の穴に入るようなものであり、天より糸を下げて、大地に立ててある針の目に通すようなものである、と譬えられているのである。 英語で御書 Gosho in English Encountering a good friend is the hardest possible thing to do. For this reason, the Buddha likened it to the rarity of a one-eyed turtle finding a floating log with a hollow in it the right size to hold him, or to the difficulty of trying to lower a thread from the Brahmā heaven and pass it through the eye of a needle on the earth. " Three Tripitaka Masters Pray for Rain " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 598  in June, 1275. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 善知識 に 値う 事 が 第一 の かたき 事 なり、 されば 仏 は 善知識 に 値う 事 をば 一眼 の かめ の ...

情無き 草木すら 友の喜び 友の歎き 一つなり - Even insentient plants and trees share as one a friend’s joys and sorrows.

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本文 松 栄れば 柏 悦ぶ 芝 かるれば 蘭 なく 情無き 草木すら 友の喜び 友の歎き 一つなり まつ さかえば かしわ よろこぶ しば かるれば らん なく じょう なき そうもく すら とも の よろこび とも の なげき ひとつ なり 光日上人御返事 こうにちしょうにんごへんじ (934頁) 弘安4年8月   (1281年) 通解(意訳) 松が栄えれば柏が悦ぶ、芝が枯れれば蘭は泣くといわれる。 非情の草木ですら、友の喜び、友の歎きは一体なのである。 英語で御書 Gosho in English When the pine flourishes, the cypress is overjoyed; when grasses wither, orchids weep. Even insentient plants and trees share as one a friend’s joys and sorrows.  " Reply to the Honorable Kōnichi " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 964 in August, 1281. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 松 栄れば 柏 悦ぶ 芝 かるれば 蘭 なく 情 無き 草木すら 友の 喜び 友の 歎き 一つ なり MATSU SAKAEBA KASHIWA YOROKOBU SHIBA KARUREBA RAN NAKU JŌ NAKI SŌ-MOKU SURA TOMO NO YOROKOBI TOMO NO NAGEKI HITOTSU NARI 光日 上人 御返事 KŌNICHI SHŌNIN GOHENJI 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

題目の光無間に至りて... - The ray of light from the daimoku reaches all the way to the hell of incessant suffering...

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本文 日蓮等の類い 聖霊を訪う時 法華経を読誦し 南無妙法蓮華経と唱え奉る時 題目の光 無間に至りて 即身成仏せしむ、廻向の文 此れより 事 起るなり、 法華不信の人は 堕在無間なれども、題目の光を以て 孝子 法華の行者として訪わんに 豈 此の義に 替わる可しや にちれんとうの たぐい しょうりょうを とぶらう とき ほけきょう を どくじゅし なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるとき だいもくの ひかり むげんに いたりて そくしんじょうぶつ せしむ、えこうの もん これより こと おこるなり、 ほっけ ふしんの ひとは だざいむげん なれども、だいもくの ひかりを もって こうし ほっけの ぎょうじゃとして とぶらわんに あに この ぎに かわるべしや NICHREN TOU NO TAGUI SHOURYOU WO TOBURAU TOKI HOKEKYO WO DOKUJU SHI NAM-MYOHO-RENGE-KYO TO TONAE TATEMATSURU TOKI DAIMOKU NO HIKARI MUGEN NI ITARITE SOKUSHIN-JOBUTSU SESHIMU, EKOU NO MON KORE YORI KOTO OKORU NARI, HOKKE FUSHIN NO HITO WA DAZAI-MUGEN NAREDOMO, DAIMOKU NO HIKARI WO MOTTE KOUSI HOKKE NO GYOUJA TO SHITE TOBURAWAN NI ANI KONO GI NI KAWARU BESHIYA 御義口伝 おんぎくでん 序品七箇の大事 じょほんななかのだいじ 第五・下至阿鼻地獄の事 だいご・げしあびじごくのこと (712頁) 通解(意訳) 日蓮とその門下が、聖霊を弔う際に、法華経を誦読し、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光は無間地獄まで至って、即身成仏させることができるのである。回向の勤行・唱題も、生前と同じように聖霊も「仏の生命を成く(ひらく)=成仏する」という、宇宙に厳然と備わっている生命の原理から起きたものである。 また、法華経に不信を持ち退転したり、謗法を犯したりした人は、無間地獄におちて苦しまなければならないが、孝行しようとする遺族の方が...

日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり - Nichiren alone, without sparing his voice, now chants Nam-myoho-renge-kyo, Nam-myoho-renge-kyo..

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本文 一閻浮提に 人ごとに有智無智を きらはず 一同に他事をすてて 南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだ・ひろまらず 一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間 一人も唱えず 日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と 声も をしまず 唱うるなり いちえんぶだいにひとごとにうちむちをきらわずいちどうにたじをすててなんみょうほうれんげきょうととなうべし、 このこといまだ・ひろまらずいちえんぶだいのうちにぶつめつご・2225ねんがあいだひとりもとなえずにちれんひとり・なんみょうほうれんげきょう・なんみょうほうれんげきょうとこえをおしまずとなうるなり 報恩抄 ほうおんしょう (328~329頁)  建治2年7月 (1276年) 通解(意訳) 全世界の人々が、仏法の知識のある者と、知恵のない者の区別なく、皆が一同に他の経を捨てて、南無妙法蓮華経と唱えるべきである。この事は未だに弘まっておらず、全世界において、釈尊滅後2225年の間、一人として唱えなかった。日蓮が初めて、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と声を惜しまず唱えているのである。 英語で御書 Gosho in English Every person, regardless of whether wise or ignorant, will set aside other practices and join in the chanting of Nam-myoho-renge-kyo. This teaching has never been taught before. Here in the entire land of Jambudvīpa, in all the 2,225 years since the passing of the Buddha, not a single person chanted it. Nichiren alone, without sparing his voice, now chants Nam-myoho-renge-kyo, Nam-myoho-renge-kyo. " On Repaying Debts of Gratitude " "The Writings of Nichiren Daisho...

強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ - I vowed to summon up a powerful and unconquerable desire for the salvation of all beings and never to falter in my efforts.

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本文 法華経は 一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、 今度・強盛の菩提心を・をこして 退転せじと願しぬ。 ほけきょうは いっく いちげ も まつだいに たもちがたし と とかるるは これ なるべし、 こんど・ごうじょうの ぼだいしんを・おこして たいてん せじと がん しぬ。 開目抄・上 かいもくしょう・じょう [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (200頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 法華経は一句一偈ですら、末法に持つことは困難であると説かれているのは、宝塔品にある六難九易の事なのである。 この事に気づいたので、今度こそ強盛の大菩提心を起こして、いかなる大難に遭っても、絶対に退転しないと誓願したのである。  英語で御書 Gosho in English The difficulty of embracing even one phrase or verse of the Lotus Sutra in the Latter Day of the Law.  Nevertheless, I vowed to summon up a powerful and unconquerable desire for the salvation of all beings and never to falter in my efforts. " The Opening of the Eyes " Part I " The Writings of Nichiren Daishonin ", Vol.1, p.240 in February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  These guidance is the teachings of the “Treasure Tower” chapter on the six difficult and nine easy acts. Gosho in Japanese 法華経は 一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、 今度・強盛の菩提...

秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし - even the most excellent medicine will have little effect if poison is added to it.

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本文 能く能く信心あるべく候、 たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれども・わるびれたる人のためには何かせん よくよくしんじんあるべくそうろう、 たとえばひやくなりともどくをいれぬればくすりのようすくなし、つるぎなれども・わるびれたるひとのためにはなにかせん 四条金吾女房御書 しじょうきんごにょうぼうごしょ [安産福子御書] あんざんふくしごしょ (1109頁) 文永8年5月 (1271年) 通解(意訳) さらに信心を強くするべきである。 たとえば、どんな秘薬であっても、毒を入れたならば薬の効果は少ないし、また、いかなる剣であっても、臆病な人にとってはなんの役にもたたない。 英語で御書 Gosho in English You must be careful to have firm faith. For example, even the most excellent medicine will have little effect if poison is added to it. Even a sword will be of no use to a coward. " Easy Delivery of a Fortune Child " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 186 in May, 1271. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 能く 能く 信心 あるべく 候、 たとへば 秘薬 なり とも 毒 を 入れぬれば 薬 の 用 すくなし、 つるぎ なれども・わるびれたる 人 の ため には 何かせん YOKU YOKU SHINJIN ARUBEKU SŌRŌ,  TATOEBA HIYAKU NARI TOMO DOKU WO IRENUREBA KUSURI NO YŌ SUKUNASHI,  TSURUGI NAREDOMO・WARUBIRETARU HITO NO TAME NIWA NANIKASEN 四条金吾 女房 御書 SHIJŌ-KINGO DONO GOSHO [安産 福子 御書] ANZAN FUKU...

若し日蓮地涌の菩薩の数に入らば豈に日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非ずや - If Nichiren is to be counted among the Bodhisattvas of the Earth, then so must his disciples and lay supporters.

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本文 地涌の菩薩のさきがけ 日蓮一人なり、地涌の菩薩の数にもや 入りなまし、 若し日蓮 地涌の菩薩の数に入らば 豈に 日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非ずや じゆの ぼさつの さきがけ にちれん いちにん なり、じゆの ぼさつの かずにもや いりなまし、 もし にちれん じゆの ぼさつの かずにいらば あに にちれんが でしだんな・じゆの るうりに あらずや 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1359頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 地涌の菩薩の先駆けは、日蓮一人である。もしくは地涌の菩薩の数にも入っているのであろうか。 もし、日蓮が地涌の菩薩の数に入っているのであれば、日蓮の弟子檀那達もまた地涌の菩薩であり、仲間ということになろう。 英語で御書 Gosho in English Nichiren alone took the lead in carrying out the task of the Bodhisattvas of the Earth. He may even be one of them. If Nichiren is to be counted among the Bodhisattvas of the Earth, then so must his disciples and lay supporters. " The True Aspect of All Phenomena " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 385 May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 地涌 の 菩薩 の さきがけ 日蓮 一人 なり、地涌 の 菩薩 の 数 にもや 入りなまし、 若し 日蓮 地涌 の 菩薩 の 数 に 入らば 豈に 日蓮 が 弟子 檀那・地涌 の 流類 に 非ずや JIYU NO BOSATSU NO SAKIGAKE NICHIREN ICHININ NARI, JIYU NO BOSATSU NO KAZU NIMOYA IRINAMASHI, MOSHI NICHIREN JIYU NO BOSATSU...

南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人として仏にならざるはなし - those who so much as one time pronounce the words Nam-myoho-renge-kyo, not one will fail to become a Buddha.

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本文 無量劫が間・一度も そら事なくして其の功に依りて仏となり給いて候が・無一不成仏と申して 南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人として仏にならざるは なしと・とかせ給いて候 釈迦一仏の仰せなりとも 疑うべきにあらざるに・十方の仏の御前にて・なにのゆへにか・そら事 をばせさせ給うべき むりょうこうが あいだ・いちども そらごと なくして その こうに よりて ほとけと なり たまいて そうろうが・むいちふじょうぶつと もうして なんみょうほうれんげきょうを だ いちど もうせし ひと・ひとりとして ほとけに ならざるは なしと・とかせ たまいて そうろう しゃか いちぶつの おおせなり とも うたがうべきに あらざるに・じっぽうの ほとけの ごぜんにて・なにの ゆえにか・そらごと をば せさせ たもうべき 南条殿御返事 なんじょうどのごへんじ [百箇日御書] ひゃっかにちごしょ (1573頁) 弘安3年~弘安4年 (1280年~1281年) 通解(意訳) 釈尊は、無量劫(遥か昔の過去世)の修行の間、一度も虚言(うそ)をつくことはなかった。その功徳によって仏となられた方が「無一不成仏(むいちふじょうぶつ・一人として仏にならないものはない)」と言われて、南無妙法蓮華経とただ一度でも唱えた人は、一人として仏の生命を成かない者はない、と説かれているのである。 虚言を言わなかった釈迦仏がこう仰せになっているだけでも疑う余地はなく、さらに十方の諸仏(諸天善神)も、この事が真実であることを証明したのである。 これ以上、何を理由にしても虚言ではなく、「必ず功徳が顕れる」と、南無妙法蓮華経を深く信受し、題目を唱えていくべきである。 英語で御書 Gosho in English [ Shakyamuni Buddha was ] During those countless kalpas, not once did he tell a lie. And when, as a result of the merit he had gained, he became a Buddha, he declared that "not a one will fail to attain Buddhahood." That is, h...

さいわいは心よりいでて我をかざる - Fortune comes from one’s heart and makes one worthy of respect.

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本文 わざわいは口より出でて 身をやぶる・ さいわいは 心よりいでて我をかざる わざわいは くちより いでで みを やぶる・ さいわいは こころより いでて われを かざる 十字御書 むしもちごしょ (1492頁) 弘安4年1月 (1281年) 通解(意訳) 災事は口から出て、災難を呼び寄せて、自分自身の身を滅ぼす元となる。 幸福とは誠意と真心からの振舞いから、幸福を呼び寄せて、どのような宝石よりも自分自身を輝かせる事ができるのである。  英語で御書 Gosho in English Misfortune comes from one’s mouth and ruins one, but fortune comes from one’s heart and makes one worthy of respect. " New Year’s Gosho "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1137 in January, 1281. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese わざわいは口より出でて 身をやぶる・ さいわいは 心よりいでて我をかざる WAZAWAI WA KUCHI YORI IDETE MI WO YABURU・ SAIWAI WA KOKORO YORI IDETE WARE WO KAZARU 十字御書 MUSHIMOCHI GOSHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

磁石の鉄を吸うがごとく月の水に遷るがごとく - Like iron drawn to a magnet or the reflection of the moon appearing in the water

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本文 諸天は法華経の行者 出来せば 磁石の鉄を吸うがごとく 月の水に遷るがごとく 須臾に来つて行者に代り 仏前の御誓を はたさせ給べし しょてんは ほけきょうのぎょうじゃ しゅったいせば じしゃくの てつをすうがごとく つきの みずにうつるがごとく しゅゆにきたって ぎょうじゃにかわり ぶつぜんの おんちかいを はたさせたもうべし 開目抄・下  かいもくしょう・げ [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (217頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 諸天善神は、法華経の行者が出来したならば、磁石が鉄を吸うように、月の影がそのまま水に映るように、 ただちに来って、かたく法華経の行者を守護し、行者に代わって難を受けもって、仏前の誓いを果たすべきである。 英語で御書 Gosho in English If a votary of the Lotus Sutra should appear, then, like iron drawn to a magnet or the reflection of the moon appearing in the water, they will instantly come forth to take on his sufferings for him and thereby fulfill the vow that they made in the presence of the Buddha. " The Opening of the Eyes " Part Two "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 261 in February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 諸天 は 法華経 の 行者 出来せば 磁石 の 鉄 を 吸う が ごとく 月 の 水 に 遷る が ごとく 須臾 に 来つて 行者 に 代り 仏前 の 御誓 を はたさせ 給べし SHOTEN WA HOKEKYO NO GYŌJA SHUT'TAI SEBA JISHAKU NO TETSU WO...

元品の無明は第六天の魔王と顕われたり - The fundamental darkness manifests itself as the devil king of the sixth heaven.

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本文 法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶 備われ 元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ 元品の無明は第六天の魔王と顕われたり ほっけしゅう の こころ は いちねん さんぜん・しょうあく しょうぜん・みょうかく の くらい に なお そなわれ がんぽん の ほっしょう は ぼんてん・たいしゃく とう と あらわれ がんぽん の むみょう は だいろくてん の まおう と あらわれたり 治病大小権実違目 じびょうだいしょうごんじついもく (997頁) 弘安元年6月 (1278年) 通解(意訳) 日蓮仏教の根本である、一念三千の法門に人の心(境涯)の善悪を照らせば、善の心も悪の心も、本来人の心の本性に備わっているものである。そのため、仏の境涯を開いたとしても、心の本性が消える訳ではなく、心のあらゆる側面(一念三千)がそのまま備わっているのである。 この法理によって、善心によって開かれた法性には、梵天・帝釈天等の諸天善神の加護が顕れ、無明に陥った悪心には第六天の魔王が顕れるのである。 英語で御書 Gosho in English The heart of the Lotus school is the doctrine of three thousand realms in a single moment of life, which reveals that both good and evil are inherent even in those at the highest stage of perfect enlightenment. The fundamental nature of enlightenment manifests itself as Brahmā and Shakra, whereas the fundamental darkness manifests itself as the devil king of the sixth heaven. " The Treatment of Illness " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1113 in June, 1278.  [ --- ] ...

桜梅桃李 - The cherry, the plum, the peach, the damson

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本文 桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり おうばいとうり の ここ の とうたい を あらためず して むささんじん と かいけん すれば これ すなわち りょう の ぎ なり 御義口伝 おんぎくでん 無量義経六箇の大事 むりょうぎきょうろっかのだいじ 第二 量の字の事 だいにりょうのじのこと (784頁) 通解(意訳) 桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの姿を改めずに、自分らしく、ありのままで、自己に秘められた仏性を開いていくことが、無量義の「量」の意義である。 「無量義」の大意 あらゆる仏法の最高峰である御本尊を根本とし、南無妙法蓮華経の題目で、宇宙の法則を自分の身心と一致させて、仏性という無限の可能性を開き出す。この妙法の力で、信心、生活、社会など、すべての場面で、自分の能力を最も自分らしく発揮していくこと。  ありのままの自分で輝く 私どもは『ありのまま』でいいのです。 凡夫そのままの『無作』でいくのです。 久遠の凡夫のまま『つくろわず、もとのまま』で、 自体顕照(じたいけんしょう・ありのままの姿を顕し照らしていくこと)していけばよい -池田大作 英語で御書 Gosho in English The cherry, the plum, the peach, the damson—in its own entity, without undergoing any change, possesses the eternally endowed three bodies. ==================================== The Immeasurable Meanings Sutra Six important points, Point Two, concerning the character ryō. " The Record of The Orally Transmitted Teachings "  Part 2, P 200 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal transl...

法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず - It could never come about that the prayers of the practitioner of the Lotus Sutra would go unanswered.

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本文 大地は ささば はづるるとも 虚空を つなぐ者は ありとも・潮の みちひぬ事は ありとも日は西より出づるとも・ 法華経の行者の祈りの かなはぬ事は あるべからず だいち は ささば はずるる とも おおぞら を つなぐ もの は ありとも・しお の みちいぬ こと は ありとも ひ は にし より いづる とも・ ほけきょう の ぎょうじゃ の いのり の かなわぬ こと は ある べからず 祈祷抄 きとうしょう (1352頁) 文永9年 (1272年) 通解(意訳) 大地を刺して外れる事があっても、大空をつなぎ合わせる者があっても、 潮の満ち干きがなくなることがあっても、太陽が西の空から昇るようなことがあっても、 法華経の行者の祈りが叶わないことは絶対にない。 英語で御書 Gosho in English Though one might point at the earth and miss it, though one might bind up the sky, though the tides might cease to ebb and flow and the sun rise in the west, it could never come about that the prayers of the practitioner of the Lotus Sutra would go unanswered. " On Player "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 345 in 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 大地は ささば はづるる とも 虚空 を つなぐ 者 は あり とも・潮 の みちひぬ 事 は あり とも 日 は 西 より 出づる とも・ 法華経 の 行者 の 祈り の かなはぬ 事 は ある べからず DAICHI WA SASABA HAZURURU TOMO ŌZORA WO TSUNAGU MONO WA ARI TOMO・SHIO  NO MICHI-INU KOTO WA ARI TOMO HI...

師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し - Those with the heart of a lion king are sure to attain Buddhahood. Like Nichiren, for example.

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本文 悪王の正法を破るに 邪法の僧等が方人をなして 智者を失はん時は 師子王の如くなる心をもてる者 必ず仏になるべし 例せば日蓮が如し これおごれるにはあらず 正法を惜む心の強盛なるべし おごれる者は必ず強敵に値て おそるる心出来するなり あくおうの しょうほうを やぶる に じゃほうの そうらが かたうどを なして ちしゃを うしなわんときは ししおうの ごとく なる こころを もてるもの かならず ほとけに なるべし れいせば にちれんが ごとし これ おごれるには あらず しょうほうを おしむ こころの ごうじょう なるべし おごれるものは かならず ごうてきに あいて おそるる こころ しゅったい するなり 佐渡御書 さどごしょ [富木殿等御返事] ときどのとうごへんじ (957頁) 文永9年3月 (1272年) 通解(意訳) 悪王が正法を滅亡させようとする時、悪僧たちが悪王に味方して、智者を滅ぼそうとする時には、師子王のような心を持つ者が必ず仏になることができる。 例えば日蓮のようにである。 このように言うのは、傲慢な心を起こしているからではない。ただ、正法が滅することを惜しむ心が強いからである。傲れる者は、悪王や悪僧などの強敵にあうと、必ず恐怖の心が生まれてくるものである。 英語で御書 Gosho in English When an evil ruler in consort with priests of erroneous teachings tries to destroy the correct teaching and do away with a man of wisdom, those with the heart of a lion king are sure to attain Buddhahood. Like Nichiren, for example. I say this not out of arrogance, but because I am deeply committed to the correct teaching.  An arrogant person will always be overcome with fear when meeting a stron...