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一切の女人の成仏の印文なり - the seal that guarantees the enlightenment of all women.

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本文 此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども三世の諸仏の御師一切の女人の成仏の印文なり、 冥途にはともしびとなり死出の山にては良馬となり・天には日月の如し・地には須弥山の如し・生死海の船なり成仏得道の導師なり この まんだら は もじ は ごじ しちじ にて そうらえども さんぜ の しょぶつ の おんし いっさい の にょにん の じょうぶつ の いんもん なり、 めいど には ともしび と なり しで の やま にては りょうめ と なり・てん には にちがつ の ごとし・ち には しゅみせん の ごとし・しょうじかい の ふね なり じょうぶつ とくどう の どうし なり 妙法曼陀羅供養事 みょうほうまんだらくようのこと (1305頁) 文永10年 (1273年) 通解(意訳) この曼陀羅は、文字は五字・七字であるけれども、一念三千の法理を含んだ「南無妙法蓮華経」という法華経の肝心であるから、三世諸仏の御師であり、一切の女人成仏を約束する印文である。 冥途では灯火となり、その途中にある、死者が越えて行かなければならない死出の山という険しい山にては良き馬となる。天空にあっては、日月のようであり、大地にあっては須弥山のようなものである。生死の大海を渡る船である。成仏への道に導く師である。 英語で御書 Gosho in English I have offered prayers to the Gohonzon of Myoho-renge-kyo. Though this Mandala has but five or seven characters, it is the teacher of all Buddhas throughout the three existences and the seal that guarantees the enlightenment of all women. It will be a lamp in the darkness of the road to the next world and a fine horse to carry you over the mountains of death. It is like the sun and moon in t...

人の身の五尺・六尺のたましひも一尺の面にあらはれ - The spirit within one's body of five or six feet may appear in just one's face

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本文 南無妙法蓮華経と申すは是れ一句一偈にて候、然れども同じ一句の中にも肝心にて候、 南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしやと、此の御不審所詮に候・一部の肝要八軸の骨髄にて候。 人の身の五尺・六尺のたましひも一尺の面にあらはれ・一尺のかほのたましひも一寸の眼の内におさまり候、 又日本と申す二の文字に六十六箇国の人畜・田畠・上下・貴賎・七珍万宝・一もかくる事候はず収めて候、 其のごとく南無妙法蓮華経の題目の内には一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四の文字・一字ももれず・かけずおさめて候 なんみょうほうれんげきょうと もうす は これ いちぐ いっけ にて そうろう、しかれども おなじ いっく の なか にも かんじん にて そうろう、 なんみょうほうれんげきょう と となうる ばかり にて ほとけ に なるべしや と、この ごふしん しょせん に そうろう・いちぶ の かんよう はちじく の こつずい にて そうろう。 ひと の みの ごしゃく・ろくしゃく の たましい も いっしゃく の おもて に あらわれ・いっしゃく の かお の たましい も いっすん の め の うち に おさまり そうろう、 また にほん と もうす に の もじ に ろくじゅう ろく か こく の じんちく・た はた・じょうげ・きせん・しちちん まんぽう・ひとつ も かくる こと そうらわず おさめて そうろう、 その ごとく なんみょうほうれんげきょう の だいもく の うち には いちぶ はちかん・にじゅう はちほん・ろくまん きゅうせん さんびゃく はちじゅう よん の もじ・いちじ も もれず・かけず おさめて そうろう 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1402頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経というのは、法華経のうちのたった一句一偈である。しかしながら、同じ法華経の一句の中でも、最も肝心の一句である。 南無妙法蓮華経と唱えるだけで仏になることができるのかとのご質問であるが、このご質問こそ最も大切なことである。法華経一部の肝要であり、八巻の骨髄なのである。 人の身は五尺・六尺(約150cm~180cm)であっても、魂...

貴辺も上行菩薩の化儀をたすくる人なるべし - I am sure that you, too, are one who assists Bodhisattva Superior Practices in his propagation efforts.

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本文 経に云く「我が滅度の後に於て 応に斯の経を受持すべし 是の人 仏道に於て 決定して 疑 有ること無けん」云云、貴辺も上行菩薩の化儀をたすくる人なるべし。 きょう に いわく「わが めつど の のち に おいて まさ に この きょう を じゅじ すべし この ひと ぶつどう に おいて けつじょう して うたがい ある こと なけん」うんぬん、 きへん も じょうぎょうぼさつ の けぎ を たすくる ひと なる べし。 右衛門太夫殿御返事 うえもんたいふどのごへんじ [斯人行世間事] しにんぎょうせけんのこと (1102頁) 弘安2年12月 (1279年) 通解(意訳) 法華経神力品にいわく「我(釈尊)が滅度の後、末法において、まさにこの経を受持すべきである。この人が成仏することは決定していて疑いない」と説かれている。あなたも、末法における上行菩薩(=日蓮大聖人)の正法弘通を助ける使命を持った人なのである。 英語で御書 Gosho in English The sutra states, “After I have passed into extinction, [one] should accept and uphold this sutra. Such a person assuredly and without doubt will attain the Buddha way." I am sure that you, too, are one who assists Bodhisattva Superior Practices in his propagation efforts. " This Person Advances through the World " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1011 in December, 1279. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) Bodhisattva Superior Practices: Nichiren D...

日蓮は今時を得たり - Nichiren has truly been given this time.

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本文 日蓮は今時を得たり豈此の所嘱の本門を弘めざらんや にちれん は いま とき を えたり あに この しょずい の ほんもん を ひろめ ざらんや 妙一女御返事 みょういちあまごへんじ [事理成仏抄] じりじょうぶつしょう (1261頁) 弘安3年7月 (1280年) 通解(意訳) 日蓮は、法華経に説かれている末法に生まれ、妙法流布の時を得たのである。どうして末法において地涌の菩薩に託された、法華経の肝心である本門・南無妙法蓮華経を弘めずにはおられようか。 英語で御書 Gosho in English Nichiren has truly been given this time. How could I possibly not spread the essential teaching, which perfectly suits the age? " The Attainment of Buddhahood in Principle and in Its Actual Aspect " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 892 in July, 1280. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 日蓮 は 今 時 を 得 たり 豈 此の 所嘱 の 本門 を 弘め ざらんや NICHIREN WA IMA TOKI WO E TARI ANI KO SHOZUI NO HŌNMON WO HIROMEZARAN YA 妙一女御返事 MY Ō- ICHI AMA GOHENJI [事理成仏抄] JI RI JŌBUTSU SHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

況滅度後の大難の三類甚しかるべし - The great persecutions of the three types of enemies that are certain to be more horrible now after the Buddha’s passing.

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本文 されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし 況滅度後(きょう めつ ど ご)の大難の三類甚しかるべし されば この きょう を ちょうもん し はじめん ひ より おもい さだむ べし きょうめつ どご の だいなん の さんるい はなはだし かるべし 如説修行抄 にょせつしゅぎょうしょう (501頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 法華経の修行を真剣に始めようとするなら、この法華経を聞いたその日から、覚悟を定めなさい。 末法には、猶多怨嫉・況滅度後(ゆ た おん しつ・きょう めつ ど ご、釈尊在世の世でさえ猶(なお)、怨みや嫉妬が多い。況や滅度の後をや)と経文にある。 このように、釈尊在世以上に、在家の男女(俗衆増上慢)、出家の僧侶(道門増上慢)、世間的には聖人のように振る舞っているが、本心は名誉や財産に執着し、偽善を行っている僧侶(僭聖増上慢)の、三種類の強敵が、はなはだしく現われるのである  英語で御書 Gosho in English Therefore, from the very day you listen to [and take faith in] this sutra, you should be fully prepared to face the great persecutions of the three types of enemies that are certain to be more horrible now after the Buddha’s passing. " On Practicing the Buddha’s Teachings " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 391 May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Three types of enemies (1) “The arrogance and presumption of lay people” or arrogant lay people. (2) “The a...

上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそ いで給いしか - When Bodhisattva Superior Practices emerged from the earth, did he not emerge dancing?

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本文 大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、 すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、 迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし、 上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそ いで給いしか だいじ には しょうずい なし、だいあく おこれば だいぜん きたる、すで に だいほうぼう・くに に あり だいしょうほう かならず ひろまる べし、おのおの なに をか なげかせ たもう べき、 かしょうそんじゃ に あらず とも・まい をも・まい ぬべし、しゃりほつ に あらねども・たって おどり ぬべし、じょうぎょうぼさつ の だいち より いで たまいし には・おどり て こそ いで たまいしか 大悪大善御書 だいあくだぜんごしょ (1300頁) 年月不明 (文永12年(1275年)2月の説有り) 通解(意訳) 大事の起こる前には小さな瑞相(ずいそう、前触れ)はない。大悪が起これば大善がくる。 既に、正法である法華経を謗る(そしる)という大悪(大謗法)が国に充満しているのであるから、大正法は必ず弘まるという大善もくるのである。各々(おのおの)何を嘆くことがあろうか。 迦葉尊者でなくても、舞いを舞うべきところである。舎利弗でなくても、立って踊るべきところである。 上行菩薩ら、地涌の菩薩が大地から湧出したときには、舞い踊りながら出られたのである。 末法において、教主釈尊は大地から「地涌の菩薩」を呼び出し、妙法蓮華経を弘める事を託された。この「地涌の菩薩」のリーダーである「上行菩薩」は、大地から舞い踊りながら出現されたのである。 「上行菩薩」は日蓮大聖人の事であり、「地涌の菩薩」とは、末法における法華経の行者である、私達の事なのである。  我々は、姿は凡夫の姿であるが、その内証(内に秘められた無限の可能性の証である、仏性)は尊い使命を果たすために今世に出現した、尊い「地涌の菩薩」なのである。 英語で御書 Gosho in English Great events never have minor omens. When great evil occurs, great good follows. Since great slander al...

煩悩即菩提 生死即涅槃を説かれたり - States that earthly desires are enlightenment, and that the sufferings of birth and death are nirvana.

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本文 この文は 煩悩即菩提 生死即涅槃を 説かれたり、 法華の行者は 貪欲は貪欲のまま 瞋恚は瞋恚のまま 愚癡は愚癡のまま 普賢菩薩の行法なりと 心得可きなり この もん は ぼんのう そく ぼだい しょうじ そく ねはん を とかれたり、 ほっけ の ぎょうじゃ は とんよく は とんよく の まま しんに は しんに の まま ぐち は ぐち の まま ふげんぼさつ の ぎょうほう なり と こころうべき なり 御義口伝 おんぎくでん 普賢経五箇の大事 ふげんきょうごかのだいじ 第二 不断煩悩不離五欲の事 だいに ふだんぼんのうふりごよくのこと (785頁) 通解(意訳) この文(法華経の結経である普賢経の「普段煩悩不離五欲」)は「煩悩即菩提」「生死即涅槃」を説かれたものである。 法華経の行者は、貪欲は貪欲のまま、瞋恚は瞋恚のまま、愚癡は愚癡のままで、「普賢菩薩の行法」と自覚していくべきである。 見栄や体裁などにとらわれず、自分らしく、ありのままに御本尊に祈っていく事が大切なのである。 英語で御書 Gosho in English This passage states that earthly desires are enlightenment, and that the sufferings of birth and death are nirvana. For the votaries of the Lotus Sutra, greed is greed and remains just as it is; anger is anger and remains just as it is; foolishness is foolishness and remains just as it is. And yet they are carrying out Bodhisattva Universal Worthy’s practice of the Law. One should understand this clearly. ==================================== The Universal Worthy Sutra Five important points Point Tw...