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名聞名利は今生のかざり - Worldly fame and profit are mere baubles of your present existence

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本文 只須く 汝 仏にならんと思はば 慢の はたほこを たをし 忿りの 杖を すてて 偏に 一乗に 帰すべし、 名聞名利は 今生のかざり 我慢 偏執は 後生のほだしなり ただ すべからく なんじ ほとけ に ならん と おもわば まん の はたほこ を たおし いかり の つえ を すてて ひとえ に いちじょう に き すべし、 みょうもん みょうり は こんじょう の かざり がまん へんしゅう は ごしょう の ほだし なり 持妙法華問答抄 じみょうほっけもんどしょう (463頁) 弘長3年 (1263年) 通解(意訳) あなたがただ仏になろうと思うならば、傲慢な心という旗鉾(はたほこ)を倒し、怒りという杖を捨てて、ただひとえに、仏に成る事ができる唯一の法(一乗)である法華経に帰依すべきである。 世間の評判や名誉(名聞名利)は今生だけの飾りであり、それらに自惚れ、固執(我慢偏執)していても、来世には何の役にも立たず、ただ成仏への足かせにしかならないのである。 英語で御書 Gosho in English Now, if you wish to attain Buddhahood, you have only to lower the banner of your arrogance, cast aside the staff of your anger, and devote yourself exclusively to the one vehicle of the Lotus Sutra. Worldly fame and profit are mere baubles of your present existence, and arrogance and prejudice are ties that will fetter you in the next one. " Questions and Answers about Embracing the Lotus Sutra "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 58 to 59 in 1263. [ --- ] is liberal translati...

火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや - Doesn’t a fire burn more briskly when logs are added?

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本文 末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心 弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんに さかんなる事なかるべしや まっぽう には ほけきょう の ぎょうじゃ かならず しゅったい すべし、ただし だいなん きたり なば ごうじょう の しんじん いよいよ よろこび を なすべし、ひ に まき を くわえん に さかん なること なかるべしや 椎地四郎殿御書 しいじしろうどのごしょ [如度得船御書] にょととくせんごしょ [身軽法重死身弘法御書] しんきょうほうじゅうししんぐほうごしょ (1448頁) 弘長元年4月 (1261年) 通解(意訳) 末法には法華経の行者が必ず出現する。 ただし、大難が来たならば、さらに強盛に信心に励むことができると、これを喜びなさい。例えば、火に薪を加えれば、その火が増々さかんに燃え上がらない事があるだろうか。 英語で御書 Gosho in English In the Latter Day of the Law, the votary of the Lotus Sutra will appear without fail.  The greater the hardships befalling him, the greater the delight he feels,  because of his strong faith. Doesn’t a fire burn more briskly when logs are added? " A Ship to Cross the Sea of Suffering " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 33 in April, 1261. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 末法 には 法華経 の 行者 必ず 出来 すべし、 但し 大難 来りなば 強盛 の 信心 弥弥 悦び を なすべし、 火 に 薪 を くわへん に さかん なる 事 なかる べしや MAP'PO NIWA HOKEKYO NO GYŌJA KANARAZU SHUT'T...

一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり - I, Nichiren, am the first to embark on propagating, throughout Jambudvīpa

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本文 法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提に ひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、 わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし ほけきょう の かんじん・しょぶつ の がんもく たる みょうほうれんげきょう の ごじ・まっぽう の はじめ に いち えんぶだい に ひろまらせ たもう べき ずいそう に にちれん さきがけ したり、 わとうども にじん さんじん つづきて かしょう・あなん にも すぐれ てんだい・でんぎょう にも こえよかし 種種御振舞御書 しゅじゅおふるまいごしょ [佐渡抄] さどしょう (910~911頁)  建治2年3月 (1276年) 通解(意訳) 法華経の肝心であり・諸仏の眼目である妙法蓮華経の五字が、末法の始めに全世界に広まっていくきっかけとして、日蓮がその先駆を切った。わが門下一党の者も、二陣・三陣と日蓮に続いて正法を弘通して、法華経を伝えてきた先人達である、迦葉・阿難にも勝り、天台・伝教をも超えていきなさい。 英語で御書 Gosho in English Now, at the beginning of the Latter Day of the Law, I, Nichiren, am the first to embark on propagating, throughout Jambudvīpa, the five characters of Myoho-renge-kyo, which are the heart of the Lotus Sutra and the eye of all Buddhas. During the 2,220 or more years since the Buddha’s passing, not even  Mahākāshyapa, Ānanda, Ashvaghosha, Nāgārjuna, Nan-yüeh, T’ien-t’ai, Miao-lo, or Dengyō has propagated them. My disciples, form your ranks and follow me, and surpass even Mahākāshyapa ...

雨の猛きを見て竜の大なるを知り - By observing the fury of the rain, we can tell the greatness of the dragon that caused it

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本文 天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り花の盛なるを見て池の深きことを知る」等云云、 妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、 天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか。 てんだい いわく、「あめ の たけき を みて りゅう の だい なる を しり はな の さかん なる を みて いけ の ふかき こと を しる」とう うんぬん、みょうらく いわく、「ちじん は き を しり へび は みずから へび を しる」とう うんぬん、 てん はれぬれば ち あきらか なり ほっけ を しる もの は せほう を う べきか。 観心本尊抄 かんじんのほんぞんしょう [如来滅後五五百歳始観心本尊抄] にょらいめつごごごひゃくさいにはじむかんじんのほんぞんしょう (246頁) 文永10年4月 (1272年) 通解(意訳) 天台大師は「雨が猛々しく降る現証を見て、雨を降らせる言われている、竜の力の偉大なることを知り、蓮華の花が大きく咲き盛なっている様子を見て、その池の深いことを知る」等と言い、妙楽大師は「智人は将来起こるべきことを知り、蛇は自ら蛇の本質を知っている」等と言っている。 天が晴れるならば、大地は明るくなる。太陽の光に従って大地が明るくなるように、法華経を識る者は、世の中の道理と仏法の法理がかけ離れていないこと(世法=仏法即社会)を、自ら明らかに知ることができて、自身の使命を果たし、実証を示すことに目覚めることができるであろう。 英語で御書 Gosho in English T’ien-t’ai states, “By observing the fury of the rain, we can tell the greatness of the dragon that caused it, and by observing the flourishing of the lotus flowers, we can tell the depth of the pond they grow in.” Miao-lo says, “Wise men can perceive the cause of things, as snakes know the way of snakes.” When the...

いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず - However wretched a beggar you might become, never disgrace the Lotus Sutra.

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本文 一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食には・なるとも 法華経に きずをつけ給うべからず いっしょう は ゆめ の うえ・あす を ご せず・いかなる こつじき には・なるとも ほけきょう に きず を つけ たもう べからず 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [不可惜所領事] ふかしゃくしょりょうのこと (1163頁) 建治3年7月 (1277年) 通解(意訳) 一生は夢の上の出来事のように、はかないものであり、明日の命があるか分からない。 たとえどのような乞食になったとしても、あなた自身の信心に傷をつけてはならない。 英語で御書 Gosho in English This life is like a dream. One cannot be sure that one will live until tomorrow. However wretched a beggar you might become, never disgrace the Lotus Sutra.  " A Warning against Begrudging One’s Fief " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 824 in July, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 一生 は ゆめ の 上・明日 を ごせず・いかなる 乞食 には・なるとも 法華経 に きず を つけ 給う べからず IS'SHO WA YUME NO UE・ASU WO GO SEZU・IKANARU KOTSUJIKI NIWA・NARUTOMO HOKEKYO NI KIZU WO TSUKE TAMOU BEKARAZU 四条 金吾 殿 御返事 SHIJŌ KINGO DONO GOHENJI [不可惜 所領事] FUKASHAKU SHORYŌ-NO-KOTO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daish...

御みやづかいを法華経とをぼしめせ - Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra.

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本文 御みやづかいを法華経とをぼしめせ、 「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり おん みやづかいを ほけきょうと おぼしめせ、 「いっさい せけんの ちせい さんぎょうは みな じっそうと あい いはい せず」とは これなり 檀越某御返事 だんおつぼうごへんじ (1295頁) 弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) あなたの仕事が、そのまま法華経の修行なのだと思いなさい。 法華経に「社会全般の政治・経済・産業・日常生活は皆、法華経と相反する事はない」と説かれているのは、このことである。 仕事も、日常生活も、すべてが法華経の教えの根本である「誠実な振る舞い」が基本となっているのである。   英語で御書 Gosho in English Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra. This is what is meant by “No worldly affairs of life or work are ever contrary to the true reality.” " Reply to a Believer " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 905 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Regard your work as the practice of the Lotus Sutra. Because the work and everyday life are all based on "The Behavior of sincerely" which is the basis of the Lotus Sutra. Gosho in Japanese 御 みやづかい を 法華経 と をぼしめせ、 「一切 世間 の 治生 産業 は 皆 実相 と 相 違背 せず」とは 此れ なり ON MIYAZUKAI WO HOKEKY...

仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや - Surely they should not forget the debts of gratitude they owe to their parents, their teachers, and their country.

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本文 仏教を ならはん者 父母・師匠・国恩を わするべしや、 此の大恩を ほうぜんには 必ず仏法を ならひ きはめ 智者とならで叶うべきか ぶっきょうを ならわん もの ぶも・ししょう・こくおんを わするべしや、 この だいおんを ほうぜんには かならず ぶっぽうを ならい きわめ ちしゃと ならで たもうべきか 報恩抄 ほうおんしょう (293頁) 建治2年7月 (1276年) 通解(意訳) 仏法を習っている者が、父母の恩、師匠の恩、国(社会)の恩を忘れていいわけがあろうか。 この親・師匠・国主の大恩(主・師・親の三徳)に報恩(ほうおん・恩返し)するためには、必ず仏法の真髄を徹底して習い極め、智者へと成長する事で、報恩が叶うのである。 英語で御書 Gosho in English What can we say, then, of persons who are devoting themselves to Buddhism? Surely they should not forget the debts of gratitude they owe to their parents, their teachers, and their country. But if one intends to repay these great debts of gratitude, one can hope to do so only if one learns and masters Buddhism, becoming a person of wisdom. " On Repaying Debts of Gratitude " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 690 in July, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 仏教を ならはん者 父母・師匠・国恩を わするべしや、 此の大恩を ほうぜんには 必ず仏法を ならひ きはめ 智者とならで叶うべきか BUK'KYO WO NARAWAN MONO BUMO・SHISHŌ・KOKUON WO...