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生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ - Never seek any other way to inherit the ultimate Law of life and death, and manifest it in your life.

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本文 相構え相構えて 強盛の大信力を致して 南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、 生死一大事の血脈 此れより外に 全く求むることなかれ、煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、 信心の血脈なくんば 法華経を持つとも無益なり あい かまえ あい かまえて ごうじょう の だいしんりき を いたして なんみょうほうれんげきょう・りんじゅうしょうねん と きねん し たまえ、 しょうじいちだいじ の けつみゃく これ より ほか に まったく もとむる こと なかれ、ぼんのう そく ぼだい・しょうじ そく ねはん とは これ なり、 しんじん の けつみゃく なくんば ほけきょう を たもつ とも むやく なり 生死一大事血脈抄 しょうじいちだいじけつみゃくしょう (1337頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) よくよく心して強盛の大信力を起こして、今死んでも悔いはないという覚悟(臨終正念)で、南無妙法蓮華経と祈念しなさい。 生死一大事の血脈をこれよりほかに決して求めてはならない。煩悩即菩提・生死即涅槃とはこのことである。信心の血脈がなければ、法華経を持っても無益である 「師弟不二」の闘争に「信心の血脈」 私は、この絶対勝利の信心を戸田先生から教わりました。戸田先生は、牧口先生から教わりました。牧口先生は、御本尊から、大聖人から、教わりました。ここに創価の師弟の血脈があります。 - 池田大作 英語で御書 Gosho in English Be resolved to summon forth the great power of faith, and chant Nam-myoho-renge-kyo with the prayer that your faith will be steadfast and correct at the moment of death. Never seek any other way to inherit the ultimate Law of life and death, and manifest it in your life. Only then will you realize that earthly desires are enlightenment, and that

多くの火あつまれども一水にはきゑぬ - Many raging fires are quenched by a single shower of rain.

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本文 日蓮が一類は 異体同心なれば 人人 すくなく 候へども 大事を成じて・一定 法華経 ひろまりなん と 覚へ候、 悪は多けれども 一善に かつ事なし、譬へば 多くの火 あつまれども 一水には きゑぬ  にちれん が いちるい は いだいどうしん なれば ひとびと すくなく そうらえども だいじ を じょうじて・いちじょう ほけきょう ひろまりなん と おぼえ そうろう、 あく は おおけれども いちぜん に かつ こと なし、たとえば おおく の ひ あつまれども いっすい には きえぬ 異体同心事 いたいどうしんじ I-TAI-DŌ-SHIN JI (1463頁) 年不明、8月11日 文永末、建治、弘安説あり (1274、1275、1279年) 通解(意訳) 日蓮の一門は異体同心(いたいどうしん・人数は少ないが心は一つである)であるから、人数は少ないけれども、広宣流布という大事を成し遂げ、必ず法華経は広まるであろうと思うのである。 悪は多くても、一善に勝つことはない。例えば、多くの火が集まっても、たった一水(一度の雨)で消えてしまうようなものである。 *異体同心を英語に訳すと、 "Many in Body, One in Mind." (多くの体に、一つの意思)となります。 英語で御書 Gosho in English Although Nichiren and his followers are few, because they are different in body, but united in mind *, they will definitely accomplish their great mission of widely propagating the Lotus Sutra. Though evils may be numerous, they cannot prevail over a single great truth, just as many raging fires are quenched by a single shower of rain. This principle also holds true with Nichiren and his follo

法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し - The votary of the Lotus Sutra is like the fire and the kālakula, while his persecutions are like the logs and the wind.

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本文 火にたきぎを加える時はさかんなり、大風吹けば求羅は倍増するなり、松は万年のよはひを持つ故に枝を・まげらる、 法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し、 法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられ・まげられん事疑なかるべし ひにたきぎをくわえるときはさかんなり、おおかぜふけばぐらはばいぞうするなり、まつはまんねんのよわいをもつゆえにえだを・まげらる、ほけきょうのぎょうじゃはひとぐらとのごとしまきとかぜとはだいなんのごとし、 ほけきょうのぎょうじゃはくおんちょうじゅのにょらいなり、しゅぎょうのえだをきられ・まげられんことうたがいなかるべし 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [此経難持御書] しきょうなんじごしょ (1136頁) 文永12年3月 (1275年) 通解(意訳) 火に薪を加える時には、火は盛んに燃える。大風が吹けば求羅(風が吹くと大きくなると言われている伝説上の生物)は倍増するのである。松は万年の長寿を持つゆえに枝をまげられる。 法華経の行者は火と求羅のようなもので、薪と風は大難のようなものである。 法華経の行者は久遠長寿の如来である。ゆえに松の譬えのように修行の枝を切られ、曲げられることは疑いないのである。 英語で御書 Gosho in English A fire burns higher when logs are added, and a strong wind makes a kālakula grow larger. The pine tree lives for ten thousand years, and therefore its boughs become bent and twisted. The votary of the Lotus Sutra is like the fire and the kālakula, while his persecutions are like the logs and the wind.  The votary of the Lotus Sutra is the Thus Come One whose life span is immeasurable; no wonder his practice is hindere

上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりて こそ いで給いしか - When Bodhisattva Superior Practices emerged from the earth, did he not emerge dancing?

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本文 大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、 すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、 迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし、 上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりて こそ いで給いしか だいじ には しょうずい なし、だいあく おこれば だいぜん きたる、すで に だいほうぼう・くに に あり だいしょうほう かならず ひろまる べし、おのおの なに をか なげかせ たもう べき、 かしょうそんじゃ に あらず とも・まい をも・まい ぬべし、しゃりほつ に あらねども・たって おどり ぬべし、じょうぎょうぼさつ の だいち より いで たまいし には・おどり て こそ いで たまいしか 大悪大善御書 だいあくだぜんごしょ (1300頁) 年月不明 (文永12年(1275年)2月の説有り) 通解(意訳) 大事の起こる前には小さな瑞相(ずいそう、前触れ)はない。大悪が起これば大善がくる。 既に、正法である法華経を謗る(そしる)という大悪(大謗法)が国に充満しているのであるから、大正法は必ず弘まるという大善もくるのである。各々(おのおの)何を嘆くことがあろうか。 迦葉尊者でなくても、舞いを舞うべきところである。舎利弗でなくても、立って踊るべきところである。 上行菩薩ら、地涌の菩薩が大地から湧出したときには、舞い踊りながら出られたのである。 末法において、教主釈尊は大地から「地涌の菩薩」を呼び出し、妙法蓮華経を弘める事を託された。この「地涌の菩薩」のリーダーである「上行菩薩」は、大地から舞い踊りながら出現されたのである。 「上行菩薩」は日蓮大聖人の事であり、「地涌の菩薩」とは、末法における法華経の行者である、私達の事なのである。  我々は、姿は凡夫の姿であるが、その内証(内に秘められた無限の可能性の証である、仏性)は尊い使命を果たすために今世に出現した、尊い「地涌の菩薩」なのである。 英語で御書 Gosho in English Great events never have minor omens. When great evil occurs, great good follows. Since great slander alrea

道心堅固にして今度・仏になり給へ - Strengthen your resolve to seek the way all the more and achieve Buddhahood in this lifetime.

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本文 いよいよ道心堅固にして今度・仏になり給へ、 御一門の御房たち 又 俗人等にも・かかるうれしきこと候はず、 かう 申せば今生の よく と をぼすか、 それも凡夫にて候へば・さも候べき上 慾をも・はなれずして仏になり候ける道の候いけるぞ いよいよ どうしん けんご に して こんど・ほとけ に なり たまえ、 ごいちもん の ごぼう たち また ぞくじん ら にも・かかる うれしき こと そうらわず、 こう もうせば こんじょう の よく と おぼすか、 それも ぼんぷ にて そうらえば・さも そうろう べき うえ よく をも・はなれず して ほとけ に なり そうらいける みち の そうらいけるぞ 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [所領書] しょりょうしょ (1184頁)  弘安元年10月   (1278年) 通解(意訳) (四条金吾の領地が増えたという功徳について) いよいよ信心を強盛にして今生に成仏を期していきなさい。 御一門の出家者や在家の人々にとっても、これほどうれしいことはない。 このように申せば、現世の欲と思われるかもしれないが、 凡夫であるからにはそれが当然であるし、その欲を離れずに仏になる道があるのである。 英語で御書 Gosho in English Strengthen your resolve to seek the way all the more and achieve Buddhahood in this lifetime. No more gratifying thing has ever happened to any member of your lord’s clan, whether priest or layman. When I say this, it may seem as if it is a desire of the present existence, but for ordinary people, that too is only natural, and moreover, a way exists to become a Buddha even without eradicating desires. " The Receipt of

己にまれなる人身をうけたり またあひがたきは仏法・是も又あへり - Not only are you endowed with human form, but you have had the rare fortune to encounter Buddhism.

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本文 夫れ人身をうくる事はまれなるなり、 己にまれなる人身をうけたり  またあひがたきは仏法・是も又あへり、 同じ仏法の中にも 法華経の題目にあひたてまつる結句 題目の行者となれり、 まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり それ じんしんを うくることは まれなるなり、 すでに まれなる じんしんを うけたり  また あいがたきは ぶっぽう・これもまた あえり、 おなじ ぶっぽうの なかにも ほけきょうの だいもくに あいてたまつる けっく だいもくの ぎょうじゃと なれり、 まことにまことに かこ じゅうまんおくの しょぶつを くようするものなり 寂日房御書 じゃくにちぼうごしょ (902頁) 弘安2年9月 (1279年) 通解(意訳) およそ人身を受けることは、まれなことである。 すでにそのまれな人身を受けている。 また、あいがたきは仏法であるが、これにもまたあうことができた。 しかも同じ仏法の中でも、法華経の題目にあい、その結果、南無妙法蓮華経の題目の行者となった。 まことに、まことに過去世で十万億の諸仏を供養した方であろう。 英語で御書 Gosho in English It is extremely rare to be born as a human being. Not only are you endowed with human form, but you have had the rare fortune to encounter Buddhism. Moreover, out of the Buddha’s many teachings you have encountered the daimoku, or the title, of the Lotus Sutra and become its votary. Truly you are a person who has offered alms to a hundred thousand million Buddhas in his past existences! " Letter to Jakunichi-bō "  "The Writings of Nichiren Daishonin&q

「衆生所遊楽」 - “. . . Where living beings enjoy themselves at ease.”

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本文 一切衆生 南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり 経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文あに自受法楽にあらずや いっさいしゅじょう なんみょうほうれんげきょう と となうる より ほか の ゆうらく なきなり きょう に いわく「しゅじょうしょゆうらく」うんぬん、この ぶん あに じじゅほうらく に あらずや 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [衆生所遊楽御書] しゅじょうしょゆうらくごしょ (1143頁) 建治2年6月 (1276年) 通解(意訳) 一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱える以外の遊楽はないのである。法華経如来受量品第十六にある「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所なり)」との、この一文は「自受法楽」のことではないか。 人生の途上において起こる様々な苦難を自ら受け止め、自身の胸中に厳然と存在する妙法の力を、南無妙法蓮華経の題目で自由自在に発揮し、悠々と、「絶対的幸福」の境涯で、今世の人生を楽しく乗り越えていく生き方である。 英語で御書 Gosho in English There is no true happiness for human beings other than chanting Nam-myoho-renge-kyo. The sutra reads, “. . . where living beings enjoy themselves at ease.” How could this passage mean anything but the boundless joy of the Law? " Happiness in This World " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 681 in June, 1276. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  By chanting the DAIMOKU of Nam-Myoho-Renge-Kyo, you can accept the various pains from yourself that occur in t