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命限り有り惜む可からず - Life is limited; we must not begrudge it.

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本文 流罪の事 痛く歎せ給ふべからず、 勧持品に云く不軽品に云く、命限り有り 惜む可からず 遂に願う可きは仏国也 るざい の こと いたく なげかせ たもう べからず、かんじぼん に いわく ふきょうぼん に いわく、 いのち かぎり あり おしむ べからず つい に ねがう べき は ぶっこく なり 富木入道殿御返事 ときにゅうどうどのごへんじ [願望仏国事] がんぼうぶっこくじ (955~956頁) 文永8年11月 (1271年) 通解(意訳) 日蓮の佐渡流罪のことは、決して嘆いてはならない。勧持品や不軽品にあるとおり、大難にあうのは法華経の行者の証拠だからである。 命は限りあるものであるから、今世の人生を法華経のために使い、惜しんではならない。最終的に願うべきは、現実社会を幸福な仏国土へと変える事を実現する事である。 英語で御書 Gosho in English You absolutely must not lament over my exile. It says in the “Encouraging Devotion” chapter and in the “Never Disparaging” chapter [that the votary of the Lotus Sutra will meet with persecution]. Life is limited; we must not begrudge it. What we should ultimately aspire to is the Buddha land. " Aspiration for the Buddha Land " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 213 in November, 1271. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  If you have face to the hardships by the faith,  that is an evidence for the behavior of the Lotus Sutra.

心の師とはなるとも心を師とすべからず - one should become the master of one’s mind rather than let one’s mind master oneself.

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本文 相構へ相構へて 心の師とはなるとも 心を師とすべからず と 仏は記し給ひしなり、 法華経の御為に 身をも捨て 命をも惜まざれ と 強盛に申せしは 是なり あいかまえ あいかまえて こころ の し とは なる とも こころ を し と すべからず と ほとけ は しるし たまいし なり、 ほけきょう の おん ために み をも すて いのち をも おしまざれ と ごうじょう に もうせし はこれなり 義浄房御書 ぎじょうぼうごしょ [己心仏界抄] こしんぶっかいしょう (892頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) よくよく心して、揺らぎやすい自身の心を、師匠の教え通りに自身の心とはしても、自分のわがままな心や臆病な心など、自分の心を師匠としてはならない、と釈尊は経文に記されている。 「法華経のためには身をも捨て、命をも惜しまないように」と強盛に教えてきたのは、このことである。 この師匠の教えの通りに実践するのが本当の弟子であり、本当の師弟である。 英語で御書 Gosho in English The Buddha wrote that one should become the master of one’s mind rather than let one’s mind master oneself. This is what I mean when I emphatically urge you to give up even your body, and never begrudge even your life for the sake of the Lotus Sutra. " Letter to Gijō-bō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 390 in May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 相構へ 相構へて 心 の 師 とは なるとも 心 を 師 と すべからず と 仏 は 記し 給ひし なり、 法華経 の 御為 に 身 をも 捨て 命 をも 惜まざれ と 強盛 に 申せし は 是 なり AI KAMAE  AI K

一丈のほりを・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか - If a person cannot manage to cross a moat ten feet wide, how can he cross one that is a hundred or two hundred feet?

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本文 一丈のほりを・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか いちじょうのほりを・こえぬものじゅうじょう・にじゅうじょうのほりを・こうべきか 種種御振舞御書 しゅじゅおふるまいごしょ [佐渡抄] さどしょう (912頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 一丈(約3m)の幅の堀を超えられない者が、十丈、二十丈の堀を超えることができようか。 何事も成し遂げるには、小さな挑戦とその勝利を繰り返していく事で、無理だと思われる困難を乗り越え、勝利をつかむ事ができるのである。  英語で御書 Gosho in English If a person cannot manage to cross a moat ten feet wide, how can he cross one that is a hundred or two hundred feet? " The Actions of the Votary of the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 766 in February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  To accomplish anything, by repeating small challenges and their victories, you can overcome seemingly impossible difficulties and win. Gosho in Japanese 一丈 の ほり を・こへぬもの 十丈・二十丈 の ほり を・こう べき か ICHI-JŌ NO HORI WO・KORENU MONO JŪ-JŌ・NIJŪ-JŌ NO HORI WO・KOU BEKI KA 種種 御振舞 御書 SHUJU OFURUMAI GOSHO [佐渡 抄] SADO SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings

悪象の為に殺されては三趣に至らず - Even if you are killed by a mad elephant, you will not fall into the three evil paths.

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本文 菩薩 悪象等に於ては心に恐怖すること無かれ 悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ・ 悪象の為に殺されては三趣に至らず 悪友の為に殺されては必ず三趣に至る ぼさつ あくぞうら に おいて は こころ に きょうふ する こと なかれ あくちしき に おいて は ふい の こころ を しょうぜよ・ あくぞう の ため に ころされて は さんしゅ に いたらず あくゆう の ため に ころされては かならず さんしゅ に いたる 立正安国論 りっしょうあんこくろん (17頁) 文応元年七月 (1260年) 通解(意訳) 地涌の菩薩たちよ、狂暴な悪象等に対しては心に恐怖心を抱く必要はない。正法を信じていこうとする人の心を迷わす者(悪知識)に対しては、恐れる心を起こす必要がある。 その理由は、悪象に殺されても、地獄・餓鬼・畜生の三悪道(十界論の内、最下位の三界)におちることはないが、悪友に惑わされ、正法を信ずる心を殺されたならば、必ず三悪道におちるからである。 英語で御書 Gosho in English Bodhisattvas , have no fear of mad elephants. What you should fear are evil friends! . . . Even if you are killed by a mad elephant, you will not fall into the three evil paths. But if you are killed by an evil friend, you are certain to fall into them. " On Establishing the Correct Teaching  for the Peace of the Land " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 11 in July, 1260. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  "The Three Evil Paths:" There are the wold

正像には西より東に向い末法には東より西に往く- It spread from west to east in the Former and Middle Days of the Law, but will travel from east to west in the Latter Day.

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本文 月は西より出でて東を照し 日は東より出でて西を照す 仏法も又 以て是くの如し 正像には 西より東に向い 末法には 東より西に往く つき は にし より いでて ひがし を てらし ひ は ひがし より いでて にし を てらす ぶっぽう も また もって かくの ごとし しょうぞう には にし より ひがし に むかい まっぽう には ひがし より にし に ゆく 顕仏未来記 けんぶつみらいき (508頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 月は西から出て東を照らし、日は東から出て西を照らす。仏法もまた、この大宇宙の法則の通りである。 正法・像法時代には、仏法は西のインドから、中国、朝鮮、日本へと東へ伝わり、代わりにその国々の仏法は、本質を失って形骸化してしまった。 しかし、釈尊の説いた法華経に予言された通り、末法に入ったなら、東の国・日本で、地涌の菩薩である法華経の行者が出現し、仏法の真髄である『南無妙法蓮華経』の大仏法を説き明かし、東のこの日本から西へと流布し、世界中に広く流布されてゆくのである。 *これを「仏法西還」といいます 英語で御書 Gosho in English The moon appears in the west and sheds its light eastward, but the sun rises in the east and casts its rays to the west. The same is true of Buddhism. It spread from west to east in the Former and Middle Days of the Law, but will travel from east to west in the Latter Day. " On the Buddha’s Prophecy " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 401 in May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  "The moon appears

地走る者の王たり師子王のごとし- It is like the lion king, the monarch of all the creatures that run on the ground

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本文 この経文は一切経に勝れたり 地走る者の王たり 師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり 鷲のごとし この きょうもん は いっさいきょう に すぐれたり ち はしる もの の おう たり ししおう の ごとし・そら とぶ もの の おう たり わし の ごとし 千日尼御前御返事 せんにちあまごぜんごへんじ [真実報恩経事] しんじつほうおんきょうじ (1311~1312頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) この法華経の経文は、釈尊の説いた一切経のなかで最も勝れている。地を走る者の王であり、 師子王のようである。空を飛ぶ者の王であり、鷲のようである。 英語で御書 Gosho in English This sutra is superior to all other sutras. It is like the lion king, the monarch of all the creatures that run on the ground, and like the eagle, the king of all the creatures that fly in the sky.  " The Sutra of True Requital "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 929 to 930 in 1278. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese この 経文 は 一切経 に 勝れ たり 地 走る 者 の 王 たり  師子王 の ごとし・空 飛ぶ 者 の 王 たり 鷲 の ごとし KONO KYŌMON WA IS'SAI-KYO NI SUGURETARI CHI HASHIRU MONO NO Ō TARI  SHISHI-Ō NO GOTOSHI・SORA TOBU MONO NO Ō TARI WASHI NO GOTOSHI 千日尼 御前 御返事 SEN-NICHI-AMA GOZEN GOHENJI [真実 報恩 経 事] SHINJITSU HO-ON KYŌ JI 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第

譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し - The situation is like the joints in a piece of bamboo: if one joint is ruptured, then all the joints will split.

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本文 今 法華経と申すは 一切衆生を仏になす 秘術まします御経なり、 所謂 地獄の一人・餓鬼の一人・乃至 九界の一人を 仏になせば 一切衆生・皆 仏になるべき ことはり顕る、 譬えば竹の節を一つ破ぬれば 余の節 亦 破るるが如し いま ほけきょう と もうす は いっさいしゅじょう を ほとけ に なす ひじゅつ まします おきょう なり、 いわゆる じごく の ひとり・がき の ひとり・ないし きゅうかい の ひとり を ほとけ に なせば いっさいしゅじょう・みな ほとけ に なる べき ことわり あらわる、 たとえば たけ の ふし を ひとつ やぶり ぬれば よ の ふし また やぶるる が ごとし 法蓮抄 ほうれんしょう [父子成仏抄] ふしじょうぶつしょう (1046頁) 建治元年4月 (1275年) 通解(意訳) 今、法華経というのは、一切衆生を仏にする秘術がある御経である。生命の状態をあらわした、いわゆる十界論の地獄界の一人・餓鬼界の一人・ないし九界の中の一人、この「一人の人」を仏にすることで、「全ての人々が皆、同じように仏になることができる」という道理が顕れるのである。 例えば、竹の節を縦に一つ割れば、他の節もそれにしたがって、一瞬で縦に割れるようなものである。 このように、どのような状況にあったとしても、南無妙法蓮華経と唱えた瞬間に、仏界・仏性という、自己の無限の力、可能性を涌現させることができるのである。 英語で御書 Gosho in English The Lotus Sutra offers a secret means for leading all living beings to Buddhahood. It leads one person in the realm of hell, one person in the realm of hungry spirits, and thus one person in each of the nine realms of existence to Buddhahood, and thereby the way is opened for all living beings to attain Buddhahood. The situation is like the jo