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偏に四大菩薩を出現せしむ可き先兆なるか - They must foretell the appearance of the four great bodhisattvas.

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本文 正像に無き大地震・大彗星等 出来す、此等は金翅鳥・修羅・竜神等の動変に非ず 偏に四大菩薩を出現せしむ可き 先兆なるか、 天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り 花の盛なるを見て池の深きことを知る」等云云、妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、 天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか しょうぞうに なき おおじしん・だいすいせいとう しゅったいす、これらは こんじちょう・しゅら・りゅうじんとうの どうへんに あらず ひとえに しだいぼさつを しゅつげん せしむべき せんちょう なるか、 てんだいいわく「あめの たけきをみて りゅうの だいなるをしり はなの さかんなるを みて いけの ふかきことを しる」とう うんぬん、みょうらくたいし いわく「ちじんは きを しり へびは みずから へびを しる」とう うんぬん、 てん はれぬれば ち あきらかなり ほっけを しるものは せほうを うべきか 観心本尊抄 かんじんのほんぞんしょう [如来滅後五五百歳始観心本尊抄] にょらいめつご ご ごひゃくさい に はじむ かんじん の ほんぞんしょう [法本尊開顕の書] ほうほんぞんかいけんのしょ (246頁) 文永10年4月 (1272年) (254頁) 文永10年4月 正法・像法時代には起きなかった大地震・大彗星等の天変地異が、近年立て続けに出来している。これらは金翅鳥・阿修羅・竜神等が起こす動変ではない。ひとえに地涌の菩薩のリーダーである、上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩の四菩薩が出現すべき先兆であろう。 天台大師は「雨が猛々しく降る現証を見て、雨を降らせる言われている、竜の力の偉大なることを知り、蓮華の花が大きく咲き盛なっている様子を見て、その池の深いことを知る」等と言い、妙楽大師は「智人は将来起こるべきことを知り、蛇は自ら蛇の本質を知っている」等と言っている。 天が晴れるならば、大地は明るくなる。太陽の光に従って大地が明るくなるように、法華経を識る者は、今の世間の本質(世法)を明らかに知り得られるであろう。 英語で御書 Gosho in English We have recently experienced great earthquakes, huge comets, and other calamit...

善悪の根本枝葉をさとり極めたるを仏とは申す - One who is thoroughly awakened to the nature of good and evil from their roots to their branches and leaves is called a Buddha.

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本文 本末究竟と申すは 本とは 悪のね 善の根・末と申すは 悪の をわり 善の終り ぞかし、 善悪の根本 枝葉をさとり極めたるを仏とは申すなり ほんまつくきょう と もうすは ほん とは あく の ね ぜん の ね・まつ と もうすは あく の おわり ぜん の おわり ぞかし、 ぜん あく の こんぽん しよう を さとり きわめたるを ほとけ とは もうすなり 減劫御書 げんこうごしょ [智慧亡国書] ちえぼうこくしょ (1466頁) 建治2年以後 (1276年) 通解(意訳) 本末究竟(ほんまつくきょう、勤行・方便品第二の最後にある、『所為諸法。如是相。如是性。。。如是本末究竟等。』の、十如是の箇所)というのは、本とは悪の根本・善の根本であり、末というのは悪の終わり、善の終わりのことである。善悪の根本から枝葉までを悟り極めているのを仏というのである。 英語で御書 Gosho in English In the phrase “consistency from beginning to end,” “beginning” indicates the root of evil and the root of good, and “end” indicates the outcome of evil and the outcome of good. One who is thoroughly awakened to the nature of good and evil from their roots to their branches and leaves is called a Buddha. " The Kalpa of Decrease " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1120 After 1276. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  In the phrase : The Part of the Gongyo from "SHO-I-SHO-HO" to "NYO-ZE-HON-MAK...

十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり - To be endowed with the Ten Worlds means that all ten, without a single exception, exist in one world.

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本文 此の御本尊 全く余所に求る事なかれ・只 我れ等 衆生の法華経を持ちて 南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を 九識心王真如の都 とは申すなり、 十界具足とは十界 一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり 此には 輪円具足 とも 功徳聚 とも名くるなり、 此の御本尊も 只 信心の二字に をさまれり 以信得入とは是なり。 この ごほんぞん まったく よそ に もとむる こと なかれ・ただ われら しゅじょう の ほけきょう を たもちて なんみょうほうれんげきょう と となうる きょうちゅう の にくだん に おわします なり、これ を く しき しんのう しんにょ の みやこ とは もうす なり、 じっかいぐそく とは じっかい いっかい も かけず いっかい に ある なり、これ に よって まんだら とは もうす なり、まんだら と いう は てんじく の な なり これ には えんりんぐそく とも くどくじゅ とも なづくる なり この ごほんぞん も ただ しんじん の にじ に おさまれり いしんとくにゅう とは これなり。 日女御前御返事 にちにょごぜんごへんじ [御本尊相貌抄] ごほんぞんそうみょうしょう (1244頁) 建治3年8月 (1277年) 通解(意訳) この御本尊を決して別の所に求めてはならない。ただ、われわれ衆生が法華経を信受して、南無妙法蓮華経と唱える、自身の胸中の肉団にいらっしゃるのである。これを「九識心王真如の都」(自身の奥底にある、絶対的幸福の生命の都)というのである。 十界具足とは、 十界 (一瞬の人の生命の状態を十界で著す考え方) の中の一界も欠けず、そのまま一界に納まっているということである。これによって、 自身の生命はそのまま御本尊であり、 御本尊を曼陀羅というのである。 曼陀羅というはインドの言葉であり、訳すれば 円の様に欠けることのなく、全てが備わっている完全な命の状態を指す 輪円具足とも、 功徳の集まりである 功徳聚ともいうのである。 この御本尊も、ただ信心の二字に収まっているのである。「信を以って入ることを得たり」とあるのは、このことである。 この御本尊も全く同じであり、ただ信心の二文字に全てが備わ...

いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ - If I speak out, I am fully aware that I will have to contend with the three obstacles and four devils.

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本文 法華経・涅槃経等に 此の二辺を合せ見るに・ いはずば 今生は事なくとも 後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中には・いうべし、 王難等・出来の時は 退転すべくは 一度に思ひ止るべしと 且くやすらいし程に 宝塔品の六難九易これなり ほけきょう ねはんぎょう に この にへん を あわせみる に いわずば こんじょう は こと なくとも ごしょう は かならず むけんじごく に おつ べし、いう ならば さんしょうしま かならず きそい おこる べし と・しりぬ、にへん の うち には・いう べし、 おうなん とう・しゅったい の とき は たいてん すべく は いちど に おもい とどまるべし と しばらく やすらいし ほど に ほうとうほん の ろくなんくい これ なり 開目抄・上 かいもくしょう・じょう [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (200頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 法華経・涅槃経等の文に、法華経を説くと様々な困難が競い起こる事について、言うか言わないのかの二辺を合わせ見るに、 言わないならば、今生には事がないけれども後生は必ず無間地獄に堕ちるであろう。 言うならば、三障四魔が競い起こってこれを妨げるのであるということがわかった。 この二辺の中には言うべきである。 しかし王難等の大迫害が起きたなら、一度に思いとどまるであろうと、しばらく考えつつある時に、思い当たったのが宝塔品の六難九易である。 英語で御書 Gosho in English I have considered which course to take in the light of the teachings of the Lotus and Nirvana sutras. If I remain silent, I may escape persecutions in this lifetime, but in my next life I will most certainly fall into the hell of incessant suffering. If I speak out, I am fully aware that I will have t...

況滅度後の大難の三類甚しかるべし - The great persecutions of the three types of enemies that are certain to be more horrible now after the Buddha’s passing.

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本文 されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし 況滅度後(きょう めつ ど ご)の大難の三類甚しかるべし されば この きょう を ちょうもん し はじめん ひ より おもい さだむ べし きょうめつ どご の だいなん の さんるい はなはだし かるべし 如説修行抄 にょせつしゅぎょうしょう (501頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 法華経の修行を真剣に始めようとするなら、この法華経を聞いたその日から、覚悟を定めなさい。 末法には、猶多怨嫉・況滅度後(ゆ た おん しつ・きょう めつ ど ご、釈尊在世の世でさえ猶(なお)、怨みや嫉妬が多い。況や滅度の後をや)と経文にある。 このように、釈尊在世以上に、在家の男女(俗衆増上慢)、出家の僧侶(道門増上慢)、世間的には聖人のように振る舞っているが、本心は名誉や財産に執着し、偽善を行っている僧侶(僭聖増上慢)の、三種類の強敵が、はなはだしく現われるのである  英語で御書 Gosho in English Therefore, from the very day you listen to [and take faith in] this sutra, you should be fully prepared to face the great persecutions of the three types of enemies that are certain to be more horrible now after the Buddha’s passing. " On Practicing the Buddha’s Teachings " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 391 May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Three types of enemies (1) “The arrogance and presumption of lay people” or arrogant lay people. (2) “The arrogance a...

世間に財を積める蔵に鍵なければ開く事かたし - If there is a storehouse full of treasures but no key, then it cannot be opened

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本文 妙と申す事は 開と云う事なり 世間に財を積める蔵に 鍵なければ 開く事かたし 開かざれば 蔵の内の財を見ず みょう と もうす こと は かい と いう こと なり せけん に たから を つめる くら に かぎ なければ ひらく こと かたし ひらかざれば くら の うち の たから を みず 法華経題目抄 ほけきょうだいもくしょう (943頁) 文永3年1月 (1266年) 通解(意訳) (南無妙法蓮華経の)「妙」とは、本来自身に備わっている仏の境涯を開くということである。世間のたとえで言えば、財宝が詰まった蔵があっても、蔵を開く鍵がなければ開くことができない。蔵が開かなければ、蔵の中の財宝を見ることはできない。 南無妙法蓮華経の妙の文字は、仏の境涯を開く「鍵」なのである。 英語で御書 Gosho in English The Great Teacher Chang-an states, “Myō means to reveal the depths of the secret storehouse.” The Great Teacher Miao-lo says of this, “To reveal means to open.” Hence the character myō means to open. If there is a storehouse full of treasures but no key, then it cannot be opened, and if it cannot be opened, then the treasures inside cannot be seen. " The Daimoku of the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 145 in January, 1266. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Myō : The Character of "Nam-Myoho-Renge-Kyo." Gosho i...

ひとつのかたびら・なれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし - Though only one robe, it has been offered to the Buddhas of all the characters of the Lotus Sutra

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本文 ひとつのかたびら・なれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。 この功徳は父母・祖父母・乃至 無辺の衆生にも.をよぼしてん、 まして・わが・いとをし(愛し)と・をもふ(想う)・をとこ(夫)は申すに及ばずと、おぼしめすべし ひとつ の かたびら・なれども ほけきょう の いっさい の もじ の ほとけ に たてまつるべし。 この くどく は ふぼ・そふぼ・ないし むへん の しゅじょう にも・およぼしてん、 まして・わが・いとおし と・おもう・おとこ は もうす に およばず と、おぼしめすべし さじき女房御返事 さじきにょうぼうごへんじ (1231頁) 建治元年5月 (1275年) 通解(意訳) 一枚の帷子(かたびら、着る物)ではあるが、法華経の一切の69,384文字に宿る、69,384の仏に供養したことになるのである。 この功徳は、あなたの父母・祖父母・さらには多くの衆生にも及ぶことは間違いない。 ましてや、あなたの最愛の夫に功徳が及ぶことはいうまでもないと、お思いなさい。 英語で御書 Gosho in English Though only one robe, it has been offered to the Buddhas of all the [ 69, 384 ] characters of the Lotus Sutra. Be firmly convinced that the benefits from this will extend to your parents, your grandparents, nay, even to countless living beings, not to mention your own husband, whom you hold most dear. " The Offering of an Unlined Robe " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 533 in May, 1275. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese ひとつ の かたびら・なれども 法華経 の 一切 の 文字 の 仏 に たて...