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謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ - Reverently make this teaching your own, and transmit it as an axiom of faith for future generations.

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本文 此の法門を申すには必ず魔出来すべし 魔競わずは正法と知るべからず、 第五の巻に云く「行解 既に勤めぬれば 三障四魔 紛然として競い起る 乃至 随う可らず 畏る可らず 之に随えば 将に人をして 悪道に向わしむ 之を畏れば 正法を修することを妨ぐ」 等云云、 此の釈は 日蓮が身に当るのみならず 門家の明鏡なり 謹んで習い伝えて 未来の資糧とせよ この ほうもんを もうす には かならず ま しゅったい すべし ま きそわずは しょうほうと しる べからず、 だいごの まきに いわく「ぎょうげ すでに つとめぬれば さんしょうしま ふんぜんとして きそいおこる ないし したがう べからず おそる べからず これに したがえば まさに ひとをして あくどうに むかわしむ これを おそれば しょうほうを しゅうすることを さまたぐ」とう うんぬん この しゃくは にちれんが みに あたる のみならず もんけの めいきょうなり つつしんで ならい つたえて みらいの しりょうとせよ 兄弟抄 きょうだいしょう (1087頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) この法門を説けば、必ず魔が現れる。魔が競い起こらなければ、正法とは言えないのである。 天台大師の摩訶止観・第五巻には、「仏法の修行と理解が進んでくると、三障四魔が紛然として競い起こる。(乃至=中略の意味)しかし、決してしたがってはならない。おそれてはならない。これに随うならば、まさに人を悪道に向かわせる。これを畏れるならば、正法を修行することを妨げる」等と書かれている。 摩訶止観のこの内容は、日蓮の身にあてはまるばかりでなく、我が日蓮仏法の門家一同にも明鏡のように当てはまるものである。これをわきまえて、謹んで習い、次の世代に伝えて、未来の法華経の行者にとっての、修行の資料・糧としなさい。 英語で御書 Gosho in English If you propagate it, devils will arise without fail. If they did not, there would be no way of knowing that this is the correct teaching. One passage from the same volume reads: ...

此の妙の文字は月なり日なり星なりかがみなり衣なり食なり - this character myō is the moon, it is the sun, it is the stars, it is a mirror, it is garments, it is food

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本文 此の妙の字は 仏にて おはし候なり、 又 此の妙の文字は 月なり 日なり 星なり かがみなり 衣なり 食なり 花なり 大地なり 大海なり、 一切の功徳を合せて 妙の文字と ならせ給う、又は 如意宝珠の たまなり この みょう の じ は ほとけ にて おわし そうろう なり、 また この みょう の もじ は つき なり ひ なり ほし なり かがみ なり ころも なり しょく なり はな なり だいち なり たいかい なり、 いっさい の くどく を あわせて みょう の もじ と ならせ たもう、また は にょい ほうじゅ の たま なり 妙心尼御前御返事 みょうしんあまごぜんごへんじ (1484頁) 弘安3年5月4日 (1280年) 通解(意訳) この妙の文字は仏にてあらせられる。 また、この妙の文字は月であり、太陽であり、星であり、鏡であり、衣であり、花であり、大地であり、大海であり、一切の功徳を合わせて妙の文字となられたのである。 または、如意宝珠(にょい ほうしゅ、意のままに様々な宝を出す取り出すことができるという宝玉)の珠である。 英語で御書 Gosho in English This character myō is itself a Buddha. Furthermore, this character myō is the moon, it is the sun, it is the stars, it is a mirror, it is garments, it is food, it is flowers, it is the great earth, it is the great sea. All benefits clustered together make up the character myō. Also, it is the wish-granting jewel. " Reply to the Lay Nun Myōshin "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 880 in May, 1280. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japan...

よき火打とよき石のかどと・よきほくちと此の三寄り合いて火を用ゆるなり - To illustrate, in kindling a fire, three things are needed: a good piece of steel, a good flint, and good tinder.

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本文 よき火打と よき石のかどと・よきほくちと 此の三寄り合いて火を用ゆるなり、 祈も又是くの如し よき師と・よき檀那と・よき法と 此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり よき ひうち と よき いし の かど と・よき ほくち と この みつ よりあいて ひ を もちゆる なり、 いのり も また かく の ごとし よき し と・よき だんな と・よき ほう と この みつ よりあいて いのり を じょうじゅ し こくど の だいなん をも はらう べき もの なり 法華初心成仏抄 ほっけしょしんじょうぶつしょう (550頁) 建治3年3月 (1277) 通解(意訳) よい火打ち金と、よい火打ち石の角と、よい火口と、この三つが寄り合って、火を得るために用いられるのである。 祈りもまた同じである。よい師と、よい弟子と、よい法と、この三つが寄り合って、祈りを成就し、国土の大難をも払うことができるのである。 師弟共戦こそ学会精神の真髄 牧口先生も、戸田先生も、それぞれの御書に線を引いて大切にされた、まさに師弟共戦の御金言です。 南無妙法蓮華経を弘められた大聖人こそ、末法の御本仏であり、「よき師」であられます。そして、大聖人のご遺命のままに、広宣流布のため、不惜身命で戦い抜かれた先師・牧口先生、恩師・戸田先生は私達にとって、広布と人生の「よき師」であります。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English To illustrate, in kindling a fire, three things are needed: a good piece of steel, a good flint, and good tinder. The same is true of prayer. Three things are required—a good teacher, a good believer, and a good teaching—before prayers can be effective and disasters banished from the land. " How Those Initially Aspiring to the Way  Can Attain Buddhahood throu...

唯ひとへに末法の令法久住の故なり - What they decided on was nothing other than the perpetuation of the Law throughout the Latter Day.

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本文 ともかくも 法華経に名をたて 身をまかせ給うべし、 釈迦仏 多宝仏・十方の諸仏・菩薩・虚空にして 二仏 うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、 唯 ひとへに末法の 令法久住の故なり ともかくも ほけきょうに なを たて みを まかせ たもうべし、 しゃかぶつ たほうぶつ・じっぽう の しょぶつ・ぼさつ・こくう に して にぶつ うなずきあい、さだめさせ たまいしは べつのこと には あらず、 ただ ひとえに まっぽうの りょうほうくじゅう の ゆえ なり 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1360頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) なんとしても、法華経に名を立て、身を任せていきなさい。 釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏・菩薩等、あらゆる仏菩薩達が集まり、虚空会の儀式において、釈迦仏と多宝仏の二人の仏がうなずきあい、その時に定められた(決めた)ことは、(一切衆生を仏にする事以外の)別のことではない。 ただひとえに、末法において、法華経の肝心である南無妙法蓮華経という、万人成仏のための立派な法(令法・りょうほう)を、釈尊滅度より久しく末法の世に住在させる(久住・くじゅう、令法久住・りょうほう くじゅう)のためであり、地涌の菩薩にその使命を託されたのである。 英語で御書 Gosho in English Now you must build your reputation on the Lotus Sutra and give yourself up to it. At the Ceremony in the Air, when the Buddhas and bodhisattvas of the ten directions gathered together, the two Buddhas, Shakyamuni and Many Treasures, nodded in agreement. What they decided on was nothing other than the perpetuation of the Law throughout the Latter Day. " The True Aspect of All Phenomena " "The Writin...

大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し - Will be like the drops of dew that gather to form the great ocean, or the specks of dust that pile up to become Mount Sumeru.

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本文 便宜ごとの青鳧五連の御志は 日本国の法華経の題目を弘めさせ給ふ人に当れり、  国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし、 其の功徳は大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し べんぎごと の せいふ ごれん の おんこころざし は にほんこく の ほけきょう の だいもく を ひろめ させ たもう ひと に あたれり、 くにじゅう の ひとびと・ひとり・ふたり・ないし いっせんまんおく の ひと・だいもく を となうる ならば ぞんがい に くどく みに あつまらせ たもうべし、 その くどく は たいかい の つゆ を あつめ しゅみせん の みじん を つむ が ごとし BENGI GOTO NO SEIFU GOREN NO ON KOKOROZASHI WA NIHONKOKU NO HOKEKYO NO DAIMOKU WO HIROME SASE TAMOU HITONI ATARERI, KUNIJU NO HITOBITO・HITORI・FUTARI・NAISHI ISSENMAN-OKU NO HITO・DAIMOKU WO TONAURU NARABA ZONGAI NI KUDOKU MI NI ATSUMARASE TAMOUBESHI, SONO KUDOKU WA TAIKAI NO TSUYU WO ATSUME SHUMISEN NO MIJIN WO TSUMU GA GOTOSHI 妙密上人御消息 みょうみつしょうにんごしょうそく MYOMITSU SHONIN GOSHOSOKU [法華経功徳抄] ほけきょうくどくしょう HOKEKYO KUDOKU SHO (1234頁) 建治2年3月 (1276年) 通解(意訳) あなたが便りごとに送ってくださる青鳧(せいふ:当時の通貨=金銭)五連の御供養の志は、日本国に妙法の題目を弘められる人にあたるのである。 国中の人々が、一人・二人・ないし千万億の人が題目を唱えるようになれば、知らず知らずのうちに、功徳があなたの身に集まるであろう。 その功徳は、ちょうど大海が露をあつめ、須弥山が塵を積んで大きくなっていくようのものである。 英語で御書 Gosho in English Your sincerity i...

女人となる事は物に随って物を随える身なり - Women support others and thereby cause others to support them.

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本文 女人となる事は物に随って物を随える身なり にょにん と なる こと は もの に したがって もの を したがえる み なり 兄弟抄 きょうだいしょう (1088頁) 文永12年4月 (健治2年の説あり) (1275年又は1276年) 通解(意訳) 女性になるということは、物に従って、物を従える身となることである。 女性の特質として、相手に従いつつ、忍耐強く豊かな感性で、周囲と調和しながら全体を導いていく(従える)のである。 英語で御書 Gosho in English Women support others and thereby cause others to support them. " Letter to the Brothers " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 498 in April, 1275, or 1276. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  As a characteristic of woman, woman follow the other person with patience and abundant sensibilities, and guide the whole in harmony with the surroundings. Gosho in Japanese 女人 と なる 事 は 物 に 随って 物 を 随える 身 なり NYONIN TO NARU KOTO WA MONO NI SHITAGAT'TE MONO WO SHITAGAERU MI NARI 兄弟 抄 KYŌDAI-SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

心の師とはなるとも心を師とすべからず - one should become the master of one’s mind rather than let one’s mind master oneself.

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本文 相構へ相構へて 心の師とはなるとも 心を師とすべからず と 仏は記し給ひしなり、 法華経の御為に 身をも捨て 命をも惜まざれ と 強盛に申せしは 是なり あいかまえ あいかまえて こころ の し とは なる とも こころ を し と すべからず と ほとけ は しるし たまいし なり、 ほけきょう の おん ために み をも すて いのち をも おしまざれ と ごうじょう に もうせし はこれなり 義浄房御書 ぎじょうぼうごしょ [己心仏界抄] こしんぶっかいしょう (892頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) よくよく心して、揺らぎやすい自身の心を、師匠の教え通りに自身の心とはしても、自分のわがままな心や臆病な心など、自分の心を師匠としてはならない、と釈尊は経文に記されている。 「法華経のためには身をも捨て、命をも惜しまないように」と強盛に教えてきたのは、このことである。 この師匠の教えの通りに実践するのが本当の弟子であり、本当の師弟である。 英語で御書 Gosho in English The Buddha wrote that one should become the master of one’s mind rather than let one’s mind master oneself. This is what I mean when I emphatically urge you to give up even your body, and never begrudge even your life for the sake of the Lotus Sutra. " Letter to Gijō-bō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 390 in May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 相構へ 相構へて 心 の 師 とは なるとも 心 を 師 と すべからず と 仏 は 記し 給ひし なり、 法華経 の 御為 に 身 をも 捨て 命 をも 惜まざれ と 強盛 に 申せし は 是 なり AI KAMAE  AI K...

仏の種は 法華経より外になきなり - the seeds of Buddhahood exist nowhere apart from the Lotus Sutra.

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本文 とてもかくても 法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし 謗ぜん者は 毒鼓の縁となって仏になるべきなり、 何にとしても  仏の種は 法華経より外になきなり とてもかくても ほけきょう を しいて とき きかす べし、しんぜん ひと は ほとけ に なるべし ぼうぜん もの は どっく の えん と なって ほとけ に なるべき なり、 いかにとしても ほとけ の たね は ほけきょう より ほか に なきなり 法華初心成仏抄 ほっけしょしんじょうぶつしょう (552頁) 建治3年3月 (1277年) 通解(意訳) とにもかくにも、法華経を強いて 説き聞かせるべきである。信ずる人は仏になり、謗る(そしる)者は 、涅槃経にある毒鼓の縁(どっく の えん、毒を塗った太鼓を叩くと、聞く人も聞こうとしない人も、その音を聞いた者は皆死ぬ=煩悩を滅し、法華経への道を得る)、逆縁となって仏になるのである。 どちらにしても仏の種は、法華経よりほかにはないのである。 相手が聞くか聞かないかはともかく、「自分の勇気を強く奮い立たせて、誠実に粘り強く」あえて信心の事を語り、信心の種を相手に植え付ける(下種していく)べきである。すぐにその種が芽生える人(発心下種・ほっしんげしゅ)もいれば、すぐには芽生えない人(聞法下種・もんぽうげしゅ)もいる。 どちらにしても、種はまいているのだから、必ず相手が信心をする時がくる。折伏の結果は相手ではなく、自分の一念次第なのである。 英語で御書 Gosho in English One should by all means persist in preaching the Lotus Sutra and causing them to hear it. Those who put their faith in it will surely attain Buddhahood, while those who slander it will establish a “poison-drum relationship” with it and will likewise attain Buddhahood. In any event, the seeds of Buddhahood exist nowhere ...

法華経の行者を供養する功徳はすぐれたり - One will gain greater blessings by giving alms to the votary of the Lotus Sutra

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本文 仏を一中劫が間 供養し たてまつるより、末代悪世の中に人の あながちに にくむ 法華経の行者を供養する功徳は すぐれたり ほとけ を いっちゅうこう が あいだ くよう し たてまつる より、まつだい あくせ の よ の なか に ひと の あながち に にくむ ほけきょう の ぎょうじゃ を くよう する くどく は すぐれたり 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [土餅供養御書] つちもちくようごしょ (1508頁) 文永11年11月 (1274年) 通解(意訳) 釈迦仏を一中劫という長い時間の間供養するよりも、末代悪世において、人が強く憎んでいる法華経の行者という地湧の菩薩を供養する功徳の方が勝れているのである。 英語で御書 Gosho in English One will gain greater blessings by giving alms to the votary of the Lotus Sutra, who in the evil world of the latter age is so intensely hated, than by giving alms to the Buddha for a whole medium kalpa.  " On the Offering of a Mud Pie "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 499 in November, 1274. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 仏 を 一中劫 が 間 供養 し たてまつる より、末代 悪世 の 中 に 人 の あながち に にくむ 法華経 の 行者 を 供養 する 功徳 は すぐれたり HOTOKE WO IC'CHŪ-KŌ GA AIDA KUYŌ SHI TATEMATSURU YORI, MATSUDAI AKUSE NO YO NO NAKA NI HITO NO ANAGACHI NI NIKUMU HOKEKYO NO GYŌJA WO KUYŌ SURU KUDOKU WA SUGURETARI 上野 殿 御返事 UENO DON...

過去の宿縁ふかしとおぼしめすべし - You should realize that it is because of a profound karmic relationship from the past

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本文 法華経の法門を一文一句なりとも人に・かたらんは過去の宿縁ふかしとおぼしめすべし ほけきょうのほうもんをいちもんいっくなりともひとに・かたらんはかこのしゅくえんふかしとおぼしめすべし 椎地四郎殿御書 しいじしろうどのごしょ [如度得船御書] にょととくせんごしょ [身軽法重死身弘法御書] しんきょうほうじゅうししんぐほうごしょ (1448頁) 弘長元年4月 (1261年) 通解(意訳) 法華経の法門を一文一句であっても人に語るのは、師弟の過去の宿縁が深いと思うべきである。 英語で御書 Gosho in English You should realize that it is because of a profound karmic relationship from the past that you can teach others even a sentence or phrase of the Lotus Sutra.  " A Ship to Cross the Sea of Suffering " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 33 in April, 1261. 英語で御書 Gosho in English You should realize that it is because of a profound karmic relationship from the past that you can teach others even a sentence or phrase of the Lotus Sutra.  " A Ship to Cross the Sea of Suffering " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 33 in April, 1261. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 法華経 の 法門 を 一文 一句 なりとも 人に・かたらん は 過去 の 宿縁 ふかし と おぼしめす べし HOKEKYO NO HŌMON WO ...

二人一同の儀は車の二つのわの如し鳥の二つの羽のごとし - The fact that the two of you are one in mind may be likened to the two wheels of a carriage, or the two wings of a bird.

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本文 二人一同の儀は 車の二つのわの如し 鳥の二つの羽のごとし、 設い 妻子等の 中の たがわせ給うとも 二人の御中・不和なるべからず、 恐れ候へども 日蓮を たいとし と をもひあわせ給へ ふたり いちどうの ぎは くるまの ふたつの わの ごとし とりの ふたつの はねの ごとし、 たとい さいし とうの なかの たがわせ たもうとも ふたりの おんなか・ふわ なる べからず、 おそれ そうらへども にちれんを たいとしと おもい あわせ たまえ 兵衛志殿御返事 ひょうえのさかんどのごへんじ [兄弟同心御書] きょうだい どうしん ごしょ (1108頁) 弘安3年11月 (1280年) 通解(意訳) あなた方二人が団結した姿は、ちょうど車の両輪のごとく、また鳥の二つの翼のようなものである。 たとえ、あなた方の妻子同士が仲違いするようなことがあっても、兄弟二人の仲は不和になってはならない。 恐れ多いことではあるけれども、日蓮のことを尊いと思って、お互い心を合わせていきなさい。 英語で御書 Gosho in English The fact that the two of you are one in mind may be likened to the two wheels of a carriage, or the two wings of a bird. Though your wives and children may have their disagreements, there should never be any disharmony between the two of you. Though I may seem presumptuous in saying so, you should join together in paying honor to Nichiren. " Brothers One in Mind " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 914 in November, 1280. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 二人 一同...

仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや - Surely they should not forget the debts of gratitude they owe to their parents, their teachers, and their country.

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本文 仏教を ならはん者 父母・師匠・国恩を わするべしや、 此の大恩を ほうぜんには 必ず仏法を ならひ きはめ 智者とならで叶うべきか ぶっきょうを ならわん もの ぶも・ししょう・こくおんを わするべしや、 この だいおんを ほうぜんには かならず ぶっぽうを ならい きわめ ちしゃと ならで たもうべきか 報恩抄 ほうおんしょう (293頁) 建治2年7月 (1276年) 通解(意訳) 仏法を習っている者が、父母の恩、師匠の恩、国(社会)の恩を忘れていいわけがあろうか。 この親・師匠・国主の大恩(主・師・親の三徳)に報恩(ほうおん・恩返し)するためには、必ず仏法の真髄を徹底して習い極め、智者へと成長する事で、報恩が叶うのである。 英語で御書 Gosho in English What can we say, then, of persons who are devoting themselves to Buddhism? Surely they should not forget the debts of gratitude they owe to their parents, their teachers, and their country. But if one intends to repay these great debts of gratitude, one can hope to do so only if one learns and masters Buddhism, becoming a person of wisdom. " On Repaying Debts of Gratitude " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 690 in July, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 仏教 を ならはん 者 父母・師匠・国恩 を わするべしや、 此の 大恩 を ほうぜん には 必ず 仏法 を ならひ きはめ 智者 と ならで 叶う べきか BUK'KYO WO NARAWAN MONO BUMO・SHISHŌ・KOKUON ...

癩人猶命を惜む何に況や壮人をや - Even a leper clings to life; how much more so a healthy person.

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本文 世間に人の恐るる者は 火炎の中と 刀剣の影と 此身の死すると なるべし 牛馬 猶(なお)身を惜む 況や(いわんや)人身をや 癩人(らいにん) 猶 命を惜む 何に況や 壮人をや せけん に ひと の おそるる もの は ほのお の なか と つるぎ の かげ と この み の し すると なるべし ぎゅうば なお み を おしむ いわんや じんしん をや らいにん なお いのち を おしむ いかに いわんや そうにん をや 佐渡御書 さどごしょ [富木殿等御返事] ときどのとうごへんじ (956頁) 文永9年3月 (1272年) 通解(意訳) 世間において、人が最も恐れるものは、事故や災害に遭うことと、暴力や戦争におびやかされることと、自身が死ぬことである。 牛や馬ですら命を惜しむのだから、人間が命を惜しまないわけがない。 不治の病であるハンセン病に罹った人でさえ命を惜しむ。まして健康な人が命を惜しむのは当然である。 自分の命を大切にする事が「不惜身命」 何のために生き、何のために死んでいくのか、自身の「生死」と真剣に向き合う事で、深い人生を送ることが出来る。これを可能にするのが、「不惜身命」、命を惜しまず信心に励み、仏の境涯を開き、人生の困難に立ち向かう生き方なのである。 - 池田大作 英語で御書 Gosho in English The most dreadful things in the world are the pain of fire, the flashing of swords, and the shadow of death. Even horses and cattle fear being killed; no wonder human beings are afraid of death. Even a leper clings to life; how much more so a healthy person. " Letter from Sado " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 301 in March, 1272. [ --- ] is liberal translation. Interpret...

法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり - The sutra known as the Lotus Sutra is good medicine for the various ills of body and mind.

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本文 法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり、 されば経に云く「此の経は則ち為 閻浮提の人の病の良薬なり 若し人 病有らんに 是の経を聞くことを得ば 病 即消滅して不老不死ならん」等云云 ほけきょう と もうす おきょう は しんしん の しょびょう の りょうやく なり、されば きょう に いわく「この きょう は すなわち これ えんぶだい の ひと の やまい の りょうやく なり もし ひと やまい あらん に この きょう を きく こと を えば びょうそく しょうめつ して ふろう ふし ならん」とう うんぬん 太田左衛門尉御返事 おおたさえもんのじょうごへんじ [方便寿量肝心事] ほうべんじゅりょうかんじんじ (1015頁) 弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) 法華経という御経は身心の諸々の病の良薬である。 そうであるから、法華経薬王品第23に「この経はすなわちこれ、閻浮提(えんぶだい=全世界)の人の病の良薬である。もし人が病であっても、この経を聞くことができれば、病はすぐに治って、不老不死となるであろう」等とある。 法華経は、体や心の全ての病の良薬である。 毎朝夕の勤行で法華経の方便品第二、如来寿量品第十六を読み、法華経の主題である「南無妙法蓮華経」と題目を深く信じていきなさい。 自分自身も題目を唱え、病人にも題目や日蓮仏法の素晴らしさを勧め聞かせていけば、必ず病は治り、老いや死への恐怖をも希望へと変革できるであろう、と説かれている。 英語で御書 Gosho in English The sutra known as the Lotus Sutra is good medicine for the various ills of body and mind. Thus it states: “This sutra provides good medicine for the ills of the people of Jambudvīpa. If a person who has an illness is able to hear this sutra, then his illness will be wiped out and he will know neither old age nor death.” ...

凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり - Ordinary people keep in mind the words “earnest resolve” and thereby become Buddhas.

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本文 仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり ほとけになりそうろうことはぼんぷはこころざしともうすもじをこころえてぼんぷになりそうろうなり 白米一俵御書 はくまいいっぴょうごしょ [事理供養御書] じりくようごしょ (1596頁)  年月不明 通解(意訳) 仏に成るということは、凡夫は「志」という文字を心得て仏に成るのである。 英語で御書 Gosho in English As for the matter of becoming a Buddha, ordinary people keep in mind the words “earnest resolve” and thereby become Buddhas. " The Gift of Rice " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1125 Unknown Year. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 仏 に なり 候 事 は 凡夫 は 志ざし と 申す 文字 を 心へて 仏 に なり 候なり HOTOKE NI NARI SŌRŌ KORO WA BONPU WA KOKOROZASHI TO MŌSU MOJI WO KOKOROETE HOTOKE NI NARI SŌRŌ NARI 白米 一俵 御書 HAKUMAI IP'PYO GOSHO [事 理 供養 御書] JI RI KUYŌ GOSHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

末代の法華経の行者を供養するは... - The blessings from making offerings to a votary of the Lotus Sutra in the latter age...

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本文 末代の法華経の行者を供養するは 十号を具足しまします如来を 供養したてまつるにも 其の功徳すぎたり、 又 濁世に法華経の行者あらんを留難をなさん人は頭七分にわるべし まつだい の ほけきょう の ぎょうじゃ を くよう する は じゅうごう を ぐそく し まします にょらい を くよう し たてまつる にも その くどく すぎたり、 また じょくせ に ほけきょう の ぎょうじゃ あらん を るなん を なさん ひと は こうべ しちぶん に わる べし 国府尼御前御書 こうあまごぜんごしょ [佐渡給仕御書] さどきゅうじごしょ (1324頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) 末代の法華経の行者を供養することは、十号を具足された仏を供養するよりも、その功徳が勝れているということである。 また五濁悪世(末法)に出現した法華経の行者に対して迫害する人々は、頭(心、精神)が七つに破れるということである。  英語で御書 Gosho in English The blessings from making offerings to a votary of the Lotus Sutra in the latter age exceed even those from making offerings to a Thus Come One endowed with the ten honorable titles, while those who persecute a votary of the Lotus Sutra in the defiled age will have their heads split into seven pieces. " Letter to the Lay Nun of Kō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 595 in July, 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  ... their heads split into seven pieces  : Break Minds,...

煩悩即菩提 生死即涅槃 を説かれたり - States that earthly desires are enlightenment, and that the sufferings of birth and death are nirvana.

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本文 この文は 煩悩即菩提 生死即涅槃を 説かれたり、 法華の行者は 貪欲は貪欲のまま 瞋恚は瞋恚のまま 愚癡は愚癡のまま 普賢菩薩の行法なりと 心得可きなり この もん は ぼんのう そく ぼだい しょうじ そく ねはん を とかれたり、 ほっけ の ぎょうじゃ は とんよく は とんよく の まま しんに は しんに の まま ぐち は ぐち の まま ふげんぼさつ の ぎょうほう なり と こころうべき なり 御義口伝 おんぎくでん 普賢経五箇の大事 ふげんきょうごかのだいじ 第二 不断煩悩不離五欲の事 だいに ふだんぼんのうふりごよくのこと (785頁) 通解(意訳) この文(法華経の結経である普賢経の「普段煩悩不離五欲」)は「煩悩即菩提」「生死即涅槃」を説かれたものである。 法華経の行者は、貪欲は貪欲のまま、瞋恚は瞋恚のまま、愚癡は愚癡のままで、「普賢菩薩の行法」と自覚していくべきである。 見栄や体裁などにとらわれず、自分らしく、ありのままに御本尊に祈っていく事が大切なのである。 英語で御書 Gosho in English This passage states that earthly desires are enlightenment, and that the sufferings of birth and death are nirvana. For the votaries of the Lotus Sutra, greed is greed and remains just as it is; anger is anger and remains just as it is; foolishness is foolishness and remains just as it is. And yet they are carrying out Bodhisattva Universal Worthy’s practice of the Law. One should understand this clearly. ==================================== The Universal Worthy Sutra Five important points Point Two, regardi...

妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ - Hasten to the summit of perfect enlightenment, and look around you in all directions.

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本文 日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、 妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、 法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし・金繩を以て八の道をさかひ、 天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば・我れ等も必ず其の数に列ならん、 法華経はかかる・いみじき御経にて・をはしまいらせ候 にち や ちょう せき・なんみょうほうれんげきょう と となえ そうらえて さいご りんじゅう の とき を みさせ たまえ、 みょうかく の やま に はしり のぼり しほう を ごらんぜよ、 ほうかい は じゃっこうど に して るり を もって ち とし・こがねなわ を もって やっつ の みち を さかい、 てん より ししゅ の はな ふり こくう に おんがく きこえ、しょぶつ・ぼさつ は みな じょうらくがじょう の かぜ に そよめき たまえば・われら も かならず その かず に つらならん ほけきょう は かかる・いみじき おきょう にて・おわし まいらせ そうろう 松野殿御返事 まつのどのごへんじ (1388頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 日夜、朝夕に、南無妙法蓮華経と真剣に唱えて、法華経を受持しきったあなたの最期・臨終の時を考えてみなさい。 妙覚の山に走り登って、頂上から東西南北の四方を御覧なさい。 法界は寂光土であり、七宝の一つである瑠璃(るり・インド古代の七宝の一つであるラピスラズリ)を大地とし、黄金の繩で成仏にいたる八つの道を境とし、 天からは曼荼羅華等の四種類の花が降り注ぎ、空には音楽が聞え、諸仏・菩薩は皆、常楽我浄の四徳の風にそよめいている。我らも必ず、その仏・菩薩の数の内に列なるのである。 法華経はこのようにすぐれた経なのである。 英語で御書 Gosho in English You should just single-mindedly chant Nam-myoho-renge-kyo morning and evening, day and night, and observe what happens at the last moments of your life. At that time, hasten to the summit of perfect...

夫れ仏法と申すは勝負をさきとし - Buddhism primarily concerns itself with victory or defeat

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本文 夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、 故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり それ ぶっぽう と もうす は しょうぶ を さき とし、おうほう と もうす は しょうばつ を もと と せり、 ゆえ に ほとけ をば せおう と ごう し おう をば じざい と なづけたり 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [世雄御書] せおうごしょ (1165頁) 建治3年 (1277年) 通解(意訳) そもそも仏法というものは勝負を第一とし、王法というものは賞罰を根本としている。 故に、仏を世雄と号し、王を自在と名づけるのである。 英語で御書 Gosho in English Buddhism primarily concerns itself with victory or defeat, while secular authority is based on the principle of reward and punishment. For this reason, a Buddha is looked up to as the Hero of the World, while a king is called the one who rules at his will.  " The Hero of the World " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 835 in 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、 故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり SORE BUP'PŌ TO MŌSU WA SHŌBU WO SAKI TOSHI, Ō-HŌ TO MŌSU WA SHŌ-BATSU WO MOTO TO SERI, YUE NI HOTOKE WOBA SEŌ TO GOU SHI Ō WOBA JIZAI TO NAZUKETARI 四条金吾殿御返事 SHIJŌ KINGO DONO GOHENJI [世雄御書] SE-Ō GOSHO 参...

幸なるかな楽しいかな穢土に於て喜楽を受くるは但日蓮一人なる而已 - How fortunate, how joyful! In this impure land, I alone enjoy happiness and delight.

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本文 幸なるかな 楽しいかな 穢土に於て 喜楽を受くるは 但 日蓮一人なる而已 さいわいなるかな たのしいかな えどにおいて きらくをうくるのは ただ にちれんいちにん なるのみ 聖人知三世事 しょうにんちさんぜじ (975頁) 建治元年 (1275年) 通解(意訳) なんと幸せなことか。なんと楽しいことか。穢土(悩み苦しみに満ちた汚れた土地:現実世界)にあって、南無妙法蓮華経という生命の真理を悟り、即身成仏の喜びを受ける事ができるのは、全世界において唯一、日蓮一人のみである。 英語で御書 Gosho in English How fortunate, how joyful! In this impure land, I alone enjoy happiness and delight. " A Sage Perceives the Three Existences of Life " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p.975 in 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Nichiren realized truth of the life called Nam-myoho-renge-kyo. It is only Nichiren alone in the whole world to know the joy of attaining to the Buddhahood as a living body. Gosho in Japanese 幸なるかな 楽しいかな 穢土 に 於て 喜楽 を 受くる は 但 日蓮 一人 なる 而已 SAIWAI-NARUKANA TANOSHĪ-KANA EDO NI OITE KIRAKU WO UKURU WA TADA NICHIREN ICHININ NARUNOMI 聖人 知三世事 SHŌNIN CHISANZE JI 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "Th...