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大地の底にかくしをきたる真の弟子あり - The Buddha declared: My true disciples I have kept hidden in the depths of the earth

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本文 我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり・此れにゆづるべしとて、 上行菩薩等を涌出品に召し出させ給いて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給いて、 あなかしこ・あなかしこ・我が滅度の後・正法一千年・像法一千年に弘通すべからず、 われ ごひゃく じんてんこう より だいち の そこ に かくし おきたる しん の でし あり・これ に ゆずる べし とて、 じょうぎょうぼさつ ら を ゆしゅつぼん に めし ださせ たまいて、ほけきょう の ほんもん の かんじん たる みょうほうれんげきょう の ごじ を ゆずらせ たまいて、 あなかしこ・あなかしこ・わが めつど の のち・しょうほう いっせんねん・ぞうほう いっせんねん に ぐつう す べからず、 末法の始に謗法の法師一閻浮提に充満して諸天いかりをなし彗星は一天にわたらせ大地は大波のごとくをどらむ、 大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難並びをこり、 一閻浮提の人人・各各・甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、 諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給わざらん時、 まっぽう の はじめ に ほうぼう の ほうし いち えんぶだい に じゅうまん して しょてん いかり を なし すいせい は いってん に わたらせ だいち は おおなみ の ごとく おどらん、 だいかんばつ・たいか・たいすい・たいふう・だいえきびょう・だいききん・だいひょうらん とう の むりょうの だいさいなん ならび おこり、 いち えんぶだい の ひとびと・おのおの・かっちゅう を きて ゆみつえ を て に にぎらん とき、 しょぶつ・しょ ぼさつ・しょ だいぜんじん とう の おんちから の およばせ たまわざらん とき、 諸人皆死して無間地獄に堕ること雨のごとく・しげからん時・ 此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん、乃至後生の大火炎を脱るべしと仏・記しをかせ給いぬ しょにん みな し して むげんじごく に おちる こと あめ の ごとく・しげ からん とき・ この ご じ の だい まんだら を み に たい し こころ に ぞん ぜば しょおう は くに を たすけ ばんにん は なん を のがれん、ないし ごしょう の だいかさ...

日蓮が悦び候のみならず釈迦仏定めて御悦び候わん - Not only am I, Nichiren, delighted, but I am sure that Shakyamuni Buddha is delighted as well.

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本文 いまにはじめぬ御心ざし申しつくしがたく候 日蓮が悦び候のみならず釈迦仏 定めて御悦び候わん、 我則歓喜諸仏亦然は是なり いまにはじめぬおんこころざしもうしつくしがたくそうろう にちれんがよろこびそうろうのみならずしゃかぶつさだめておんよろこびそうらん、 がそくかんきしょぶつやくねんはこれなり 六郎次郎殿御返事 ろくろうごろうどのごへんじ [報二檀越書] ほうにだんのつしょ (1464頁) 建治3年3月19日  (1277年) 通解(意訳) 今に始まったのではない御志、申し尽くしがたい。 日蓮が喜んでいるだけでなく、釈迦仏もきっとお喜びであろう。 法華経見宝塔品第11に、「我(釈迦仏)は歓喜する。諸仏もまた同様である」とあるのはこれである。 英語で御書 Gosho in English This is not the first time you have shown such kindness and I do not know how to thank you. Not only am I, Nichiren, delighted, but I am sure that Shakyamuni Buddha is delighted as well. As the Lotus Sutra says, “I will surely rejoice and so will the other Buddhas.” " Reply to Rokurō Jirō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 680 in 19, March, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese いまに はじめぬ 御心ざし 申し つくし がたく 候 日蓮 が 悦び 候 のみならず 釈迦仏 定めて 御悦び 候わん、 我 則 歓喜 諸仏 亦 然 は 是 なり IMA NI HAJIMENU ON-KOKOROZASHI MŌSHI TSUKUSHI GATAKU SŌRŌ NICHIREN GA YOROKOBI SŌRŌ NOMINARAZU SHAKABUTSU SA...

法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる - Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring

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本文 法華経を信ずる人は冬のごとし 冬は必ず春となる、 いまだ昔より きかず・みず 冬の秋と かへれる事を、いまだきかず 法華経を信ずる人の凡夫となる事を、 経文には「若有聞法者無一不成仏」と とかれて候 ほけきょう を しんずる ひと は ふゆ の ごとし ふゆ は かならず はる と なる、 いまだ むかし より きかず・みず ふゆ の あき と かえれる ことを、いまだ きかず ほけきょう を しんずる ひと の ぼんぷ と なる ことを、 きょうもん には「にゃく う もん ぽう しゃ む いち ふ じょう ぶつ」と とかれて そうろう 妙一尼御前御消息 みょういちあまごぜんごへんじ [冬必為春事] ふゆはかならずはるとなるのこと (1253頁) 建治元年5月 (1275年) 通解(意訳) 法華経を信ずる人は、極寒の冬の辛い時期を耐える人のようなものである。 しかし、辛い冬も永遠に続くことはなく、信心根本に耐え貫いていけば、必ず春のような幸福が訪れるのである。 未だかつて、冬が春とならずに秋に戻ったということは、聞いたことも見たこともない。同じように、いまだかつて法華経を信ずる人が、仏に成らず凡夫のままである、ということも聞いたことがない。 経文には「もしこの法を聞くことがあれば、一人として成仏しない人はいない」と説かれている。   英語で御書 Gosho in English Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring. Never, from ancient times on, has anyone heard or seen of winter turning back to autumn. Nor have we ever heard of a believer in the Lotus Sutra who turned into an ordinary person. The sutra reads, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.” " W...

法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき - where this wondrous votary of the Lotus Sutra dwells, how can it be any less sacred than the pure land of Eagle Peak?

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本文 法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、 法 妙なるが故に 人 貴し・人 貴きが故に 所 尊し と申すは是なり ほけきょう の ぎょうじゃ の すみか なれば・いかでか りょうぜん じょうど に おとる べき、 ほう みょう なる が ゆえに ひと とうとし・ひと とうとき が ゆえに ところ とうとし と もうす は これ なり 南条殿御返事 なんじょうどのごへんじ [法妙人貴事] ほうみょうにんきのこと (1578頁) 弘安4年9月 (1281年) 通解(意訳) 法華経の行者が住んでいる処であれば、どうして霊山浄土に劣ることがあろうか。 法華文句に「法が妙であるゆえに、その法を持った人は貴い。人が貴いがゆえに、その人の居る場所も尊い」と申してあるのは、このことである。 英語で御書 Gosho in English This mountain is where this wondrous votary of the Lotus Sutra dwells, how can it be any less sacred than the pure land of Eagle Peak? This is what [The Words and Phrases of the Lotus Sutra means when] it says, “Since the Law is wonderful, the person is worthy of respect; since the person is worthy of respect, the land is sacred.” " The Person and the Law " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1097 in September, 1281. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  This mountain: Nichiren Daishonin lived place where he lived about late, it is called the...

此の法門を申すには必ず魔出来すべし - If you propagate it, devils will arise without fail.

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本文 此の法門を申すには必ず魔出来すべし 魔競わずは正法と知るべからず、 第五の巻に云く「行解 既に勤めぬれば 三障四魔 紛然として競い起る 乃至 随う可らず 畏る可らず 之に随えば 将に人をして 悪道に向わしむ 之を畏れば 正法を修することを妨ぐ」 等云云、 此の釈は 日蓮が身に当るのみならず 門家の明鏡なり 謹んで習い伝えて 未来の資糧とせよ この ほうもんを もうす には かならず ま しゅったい すべし ま きそわずは しょうほうと しる べからず、 だいごの まきに いわく「ぎょうげ すでに つとめぬれば さんしょうしま ふんぜんとして きそいおこる ないし したがう べからず おそる べからず これに したがえば まさに ひとをして あくどうに むかわしむ これを おそれば しょうほうを しゅうすることを さまたぐ」とう うんぬん この しゃくは にちれんが みに あたる のみならず もんけの めいきょうなり つつしんで ならい つたえて みらいの しりょうとせよ 兄弟抄 きょうだいしょう KYŌDAI SHŌ (1087頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) この法門を説けば、必ず魔が現れる。魔が競い起こらなければ、正法とは言えないのである。 天台大師の摩訶止観・第五巻には、「仏法の修行と理解が進んでくると、三障四魔が紛然として競い起こる。(乃至=中略の意味)しかし、決してしたがってはならない。おそれてはならない。これに随うならば、まさに人を悪道に向かわせる。これを畏れるならば、正法を修行することを妨げる」等と書かれている。 摩訶止観のこの内容は、日蓮の身にあてはまるばかりでなく、我が日蓮仏法の門家一同にも明鏡のように当てはまるものである。これをわきまえて、謹んで習い、次の世代に伝えて、未来の法華経の行者にとっての、修行の資料・糧としなさい。 英語で御書 Gosho in English If you propagate it, devils will arise without fail. If they did not, there would be no way of knowing that this is the correct teaching. One passage from the same vol...

蒼蠅驥尾に附して万里を渡り - A blue fly, if it clings to the tail of a thoroughbred horse, can travel ten thousand miles

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本文 蒼蠅 驥尾に附して 万里を渡り 碧蘿 松頭に懸りて 千尋を延ぶ、 弟子 一仏の子と生れて 諸経の王に事う、何ぞ 仏法の衰微を見て 心情の哀惜を起さざらんや そうよう きび に ふ して ばんり を わたり へきら しょうとう に かかりて せんじん を のぶ、 でし いちぶつ の こ として うまれて しょきょう の おう に つかう、なんぞ ぶっぽう の すいび を みて しんじょう の あいせき を おこさざらんや 立正安国論 りっしょうあんこくろん (26頁) 文応元年7月 (1260年) 通解(意訳) 小さな青バエも、駿馬の尾につかまれば万里を渡ることができ、みどりのツル草は大きな松の枝先に寄り掛かれば、千尋も高く延びることができる、というたとえもある。 たとえ器は小さくとも、仏弟子である私は、第一の仏である釈尊の子と生まれて、あらゆる宗教の王である法華経に仕え信じている。 どうして仏法が衰弱していくのをみて、哀れ惜しむ心情を起こさないでいられようか   英語で御書 Gosho in English A blue fly, if it clings to the tail of a thoroughbred horse, can travel ten thousand miles, and the green ivy that twines around the tall pine can grow to a thousand feet. I was born as the son of the one Buddha, Shakyamuni, and I serve the king of scriptures, the Lotus Sutra. How could I observe the decline of the Buddhist Law and not be filled with emotions of pity and distress? " On Establishing the Correct Teaching  for the Peace of the Land " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 17 ...

きわめて・まけじたましの人 - A man who never gives in to defeat

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本文 きわめて・まけじたましの人にて我がかたの事をば大事と申す人なり きわめて・まけじたましの ひとにて わが かたの こと をば だいじと もうす ひと なり 可延定業書 かえんじょうごうしょ [定業延命抄] じょうごうえんめいしょう (986頁) 弘安2年(1279年) 1月~2月の説有り 通解(意訳) (四条金吾は) 極めて負けじ魂の人で、自分の味方の事を大切にする人である。  英語で御書 Gosho in English He is a man who never gives in to defeat and who greatly values his friends. [He: Shijō Kingo.] " On Prolonging One’s Life Span " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 955 There is an opinion of January or February, 1279. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese きわめて・まけじたましの人にて我がかたの事をば大事と申す人なり KIWAMETE・MAKEJI-TAMASHI NO HITO NITE WAGA KATA NO KOTO WOBA DAIJI TO MŌSU HITO NARI 可延定業書 KA-EN-JŌ-GŌ-SHO [定業延命抄] JŌ-GŌ-ENMEI-SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"