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南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや - Nam-myoho-renge-kyo is like the roar of a lion. What sickness can therefore be an obstacle?

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本文 南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや、 鬼子母神・十羅刹女・法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり なんみょうほうれんげきょう は ししく の ごとし・いかなる やまい さわり を なす べきや、 きしぼじん・じゅうらせつにょ・ほけきょう の だいもく を たもつ もの を しゅご すべし と みえたり 経王殿御返事 きょうおうどのごへんじ (1124頁) 文永10年8月 (1273年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、成仏への障りをなすことができようか。 鬼女母神や十羅刹女などの諸天善神が、法華経の題目を持つ者を守護すると、経文には書かれているのである 英語で御書 Gosho in English Nam-myoho-renge-kyo is like the roar of a lion. What sickness can therefore be an obstacle? It is written that those who embrace the daimoku of the Lotus Sutra will be protected by the Mother of Demon Children and by the ten demon daughters.  " Reply to Kyō’ō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 412 in August, 1273 [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 南無妙法蓮華経 は 師子吼 の 如し・いかなる 病 さはり を なすべきや、 鬼子母神・十羅刹女・法華経 の 題目 を 持つ もの を 守護 すべし と 見えたり NAM-MYOHO-RENGE-KYO WA SHISHI-KU NO GOTOSHI・IKANARU YAMAI SAWARI WO NASUBEKIYA, KISHIBOJIN・JŪRASETSUNYO・HOKEKYO NO DAIMOKU WO TAMOTU MONO WO SHUGO SUBESHI TO MIETARI 経王 ...

大人には・いのりなしまいらせ候べし - Calmly continue to offer prayers.

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本文 此の法門の一行 いかなる本意なき事ありとも・みずきかず・いわずして・むつばせ給へ、 大人には・いのりなしまいらせ候べし この ほうもん の いっこう いかなる ほんい なき こと ありとも・みず きかず・いわず して・むつばせ たまえ・だいにん には・いのり なし まいらせ そうろべし 陰徳陽報御書 いんとくようほうごしょ (1178頁)  弘安元年 (1278年) 通解(意訳) この法門の人々とは、たとえどんな不本意なことがあっても、見ず、聞かず、言わずして、仲良くしていきなさい。 おだやかにして、祈っていきなさい。 たがいに尊敬し仲良く前進 (リーダーの心がけとして)当然、根本である信心の大綱は、きちんと指導していかなければならない。 そのうえで、私的なことについては、いちいちこまかく指摘したり、非難しあったりすることは賢明ではない。 人それぞれに個性があり、生き方がある。 生活環境も違う。 たがいに尊重しあい、仲良くしていくことこそが大事である。(中略) たとえ不本意なことがあっても、広々とした心で、忍耐強く、大きく包容し、より強盛な信心に立てるよう激励していくことである。 また大きな立場から、成長を祈ってあげることである。 そうしていけば、本人の信心の深化とともに、しだいに人間的にも成長をめざしていくにちがいない。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English You must be on good terms with those who believe in this teaching, neither seeing, hearing, nor pointing out anything about them that may displease you. Calmly continue to offer prayers.  " Unseen Virtue and Visible Reward "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p.907 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  To resp...

法華を弘むる者は諸仏の使者なり - A person who propagates the Lotus Sutra is a votary of the Buddhas.

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本文 夫れ未萠を知る者は 六正の聖臣なり 法華を弘むる者は 諸仏の使者なり、 而るに日蓮 忝くも鷲嶺・鶴林の文を開いて 鵝王・烏瑟の志を覚り剰え 将来を勘えたるに粗符合することを得たり 先哲に及ばずと雖も 定んで後人には希なる可き者なり それ みぼう を しる もの は りくせい の せいしん なり ほっけ を ひろむる もの は しょぶつ の ししゃ なり、 しかるに にちれん かたじけなく も じゅれい・かくりん の もん を ひらいて がおう・うひつ の こころざし を さとり あまつさえ しょうらい を かんがえたる に ほぼ ふごう する こと を えたり せんてつ に およばず と いえども さだんで こうじん には まれ なる べき もの なり 一昨日御書 いっさくじつごしょ (183頁) 文永8年9月12日  (1271年) 竜の口法難の当日 通解(意訳) 未萠を知る者は、「六正の聖臣」といって、未来の危機を察知し、未然に封じて君主に仕える最高地位である。法華経を弘める者は、諸仏の使者である。 それにもかかわらず、日蓮は、おそれ多くも釈尊が霊鷲山で説いた法華経や、入滅の前に鶴林で説いた涅槃経の文を開いて、仏の本意を覚った。それだけではなく、日本国の将来をこれらの経典に照らし合わせて考えたところ、蒙古襲来や内乱(他国侵逼難・自界叛逆難)がほぼ符合している事を得た。 これらのことは、(日蓮は)先哲には及ばないとはいえ、後の将来には希な人となるべき者である。 英語で御書 Gosho in English A person who can foretell the future is known as a sage minister, the highest of the six upright ones. A person who propagates the Lotus Sutra is a votary of the Buddhas. And I make bold to declare that, opening the texts delivered on Eagle Peak and in the grove of sal trees, I have come to understand the intentions of t...

「衆生所遊楽」 - “. . . Where living beings enjoy themselves at ease.”

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本文 一切衆生 南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり 経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文あに自受法楽にあらずや いっさいしゅじょう なんみょうほうれんげきょう と となうる より ほか の ゆうらく なきなり きょう に いわく「しゅじょうしょゆうらく」うんぬん、この ぶん あに じじゅほうらく に あらずや 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [衆生所遊楽御書] しゅじょうしょゆうらくごしょ (1143頁) 建治2年6月 (1276年) 通解(意訳) 一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱える以外の遊楽はないのである。法華経如来受量品第十六にある「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所なり)」との、この一文は「自受法楽」のことではないか。 人生の途上において起こる様々な苦難を自ら受け止め、自身の胸中に厳然と存在する妙法の力を、南無妙法蓮華経の題目で自由自在に発揮し、悠々と、「絶対的幸福」の境涯で、今世の人生を楽しく乗り越えていく生き方である。 英語で御書 Gosho in English There is no true happiness for human beings other than chanting Nam-myoho-renge-kyo. The sutra reads, “. . . where living beings enjoy themselves at ease.” How could this passage mean anything but the boundless joy of the Law? " Happiness in This World " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 681 in June, 1276. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  By chanting the DAIMOKU of Nam-Myoho-Renge-Kyo, you can accept the various pains from yourself that occur in the course of you...

生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ - Never seek any other way to inherit the ultimate Law of life and death, and manifest it in your life.

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本文 相構え相構えて 強盛の大信力を致して 南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、 生死一大事の血脈 此れより外に 全く求むることなかれ、煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、 信心の血脈なくんば 法華経を持つとも無益なり あい かまえ あい かまえて ごうじょう の だいしんりき を いたして なんみょうほうれんげきょう・りんじゅうしょうねん と きねん し たまえ、 しょうじいちだいじ の けつみゃく これ より ほか に まったく もとむる こと なかれ、ぼんのう そく ぼだい・しょうじ そく ねはん とは これ なり、 しんじん の けつみゃく なくんば ほけきょう を たもつ とも むやく なり 生死一大事血脈抄 しょうじいちだいじけつみゃくしょう (1337頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) よくよく心して強盛の大信力を起こして、今死んでも悔いはないという覚悟(臨終正念)で、南無妙法蓮華経と祈念しなさい。 生死一大事の血脈をこれよりほかに決して求めてはならない。煩悩即菩提・生死即涅槃とはこのことである。信心の血脈がなければ、法華経を持っても無益である 「師弟不二」の闘争に「信心の血脈」 私は、この絶対勝利の信心を戸田先生から教わりました。戸田先生は、牧口先生から教わりました。牧口先生は、御本尊から、大聖人から、教わりました。ここに創価の師弟の血脈があります。 - 池田大作 英語で御書 Gosho in English Be resolved to summon forth the great power of faith, and chant Nam-myoho-renge-kyo with the prayer that your faith will be steadfast and correct at the moment of death. Never seek any other way to inherit the ultimate Law of life and death, and manifest it in your life. Only then will you realize that earthly desires are enlightenment, and that the sufferings ...

如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり - You will naturally become endowed with the Buddha’s thirty-two features and eighty characteristics.

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本文 此の経の信心と申すは少しも私なく 経文の如くに人の言を用ひず法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ、 仏に成り候事は別の様は候はず、南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申して候へば天然と三十二相八十種好を備うるなり、如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり このきょうの しんじんと もうすは すこしも わたくしなく きょうもんの ごとくに ひとの げんを もちいず ほっけいちぶに そむくことなければ ほとけに なりそうろうぞ、 ほとけに なりそうろうことは べつのようは そうらわず、なんみょうほうれんげきょうと たじなく となえ もうして そうらえば てんねんと さんじゅうにそう はちじゅうしゅごうを そなうるなり、 にょがとうむいと もうして しゃくそんほどの ほとけに やすやすと なりそうろうなり 新池御書 にいけごしょ (1143頁) 弘安3年2月 (1280年) 通解(意訳) この経の信心というのは、少しも我見なく経文のとおりに、人の言葉を用いず法華経の一部に背くことがなければ、仏に成るのである。 仏に成るということは別のことではない。南無妙法蓮華経と他の事にとらわれることなく唱へていくときに自然と三十二相・八十種好を備えるのである。「我が如く等しくして異なることなし」といって釈尊のような仏に簡単に成るのである。 英語で御書 Gosho in English Faith in this sutra means that you will surely attain Buddhahood if you are true to the entirety of the Lotus Sutra, adhering exactly to its teachings without adding any of your own ideas or following the arbitrary interpretations of others. Becoming a Buddha is nothing extraordinary. If you chant Nam-myoho-renge-kyo with your whole heart, you will naturally become endowed with the Buddha’s thir...

諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す - The heavenly beings day and night will for the sake of the Law constantly guard and protect them.

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本文 法華経の第五に云く 諸天昼夜に 常に 法の為の故に 而も之を衛護す、 経文の如くんば 南無妙法蓮華経と申す人をば 大梵天・帝釈・日月・四天等・昼夜に守護すべしと見えたり ほけきょう の だいご に いわく しょてん ちゅうや に つね に ほう の ため の ゆえ に しかも これ を えいご す、 きょうもん の ごとくんば なんみょうほうれんげきょう と もうす ひと をば だいぼんてん・たいしゃく・にちがつ・してんとう・ちゅうや に しゅご すべし と みえたり 諫暁八幡抄 かんぎょうはちまんしょう (588頁) 弘安3年12月 (1280年) 通解(意訳) 法華経の第五巻、安楽行品第十四には「諸天は昼夜に常に法のためのゆえに、これを衛護する」と説かれている。  この経文通りであれば、南無妙法蓮華経と唱える人を、大梵天王・帝釈天王・日月・四天等の諸天善神が、昼夜にこの人を守護されるのである。 英語で御書 Gosho in English The Lotus Sutra says in its fifth volume, “The heavenly beings day and night will for the sake of the Law constantly guard and protect them.” If we go by this passage of the sutra, then it would seem that Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, and the four heavenly kings ought day and night to guard and protect those persons who chant Nam-myoho-renge-kyo.  " On Reprimanding Hachiman " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 936 in December, 1280. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 法華経 の 第五 に 云く 諸天 昼夜 に 常 に...