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慢のはたほこをたをし忿りの杖をすてて - If you wish to attain Buddhahood, you have only to lower the banner of your arrogance, cast aside the staff of your anger

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本文 只須く 汝 仏にならんと思はば 慢の はたほこを たをし 忿りの 杖を すてて 偏に 一乗に 帰すべし、 名聞名利は 今生のかざり 我慢 偏執は 後生のほだしなり ただ すべからく なんじ ほとけ に ならん と おもわば まん の はたほこ を たおし いかり の つえ を すてて ひとえ に いちじょう に き すべし、 みょうもん みょうり は こんじょう の かざり がまん へんしゅう は ごしょう の ほだし なり 持妙法華問答抄 じみょうほっけもんどしょう (463頁) 弘長3年 (1263年) 通解(意訳) あなたがただ仏になろうと思うならば、傲慢な心という旗鉾(はたほこ)を倒し、怒りという杖を捨てて、ただひとえに、仏に成る事ができる唯一の法(一乗)である法華経に帰依すべきである。 世間の評判や名誉(名聞名利)は今生だけの飾りであり、それらに自惚れ、固執(我慢偏執)していても、来世には何の役にも立たず、ただ成仏への足かせにしかならないのである。 英語で御書 Gosho in English Now, if you wish to attain Buddhahood, you have only to lower the banner of your arrogance, cast aside the staff of your anger, and devote yourself exclusively to the one vehicle of the Lotus Sutra. Worldly fame and profit are mere baubles of your present existence, and arrogance and prejudice are ties that will fetter you in the next one. " Questions and Answers about Embracing the Lotus Sutra "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 58 to 59 in 1263. [ --- ] is liberal translation. Gosh...

御みやづかいを法華経とをぼしめせ - Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra.

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本文 御みやづかいを法華経とをぼしめせ、 「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり おん みやづかいを ほけきょうと おぼしめせ、 「いっさい せけんの ちせい さんぎょうは みな じっそうと あい いはい せず」とは これなり 檀越某御返事 だんおつぼうごへんじ (1295頁) 弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) あなたの仕事が、そのまま法華経の修行なのだと思いなさい。 法華経に「社会全般の政治・経済・産業・日常生活は皆、法華経と相反する事はない」と説かれているのは、このことである。 仕事も、日常生活も、すべてが法華経の教えの根本である「誠実な振る舞い」が基本となっているのである。    英語で御書 Gosho in English Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra. This is what is meant by “No worldly affairs of life or work are ever contrary to the true reality.” " Reply to a Believer " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 905 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Regard your work as the practice of the Lotus Sutra. Because the work and everyday life are all based on "The Behavior of sincerely" which is the basis of the Lotus Sutra. Gosho in Japanese 御 みやづかい を 法華経 と をぼしめせ、 「一切 世間 の 治生 産業 は 皆 実相 と 相 違背 せず」とは 此れ なり ON MIYAZUKAI WO HOKEKYO TO OBOS...

心は是れ身の主なり - The mind is the ruler of the body.

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本文 心は是れ身の主なり 同名 同生の天 是れ能く人を守護す 心固ければ則ち強し 身の神 尚 爾なり 況や道場の神をや  こころ は これ み の ぬし なり どうみょう どうしょう の てん これ よく ひと を しゅご す こころ かたければ すなわち つよし み の かみ なお しかなり いわんや どうじょう の かみ をや 道場神守護事 どうじょうしんしゅごのこと (979頁) 建治2年12月 (1276年) 通解(意訳) 心は身の主であるから、生まれた時からその人の両肩に常にいる、同名天・同生天は、その人をよく守護するのである。 信心が堅固なときは、天の守りも強い。身の神でさえそうである。ましてや、法華経の道場である心を護る諸天善神の守護はなおさらである。 英語で御書 Gosho in English The mind is the ruler of the body. The deities Same Name and Same Birth protect people. If one’s mind is strong, then their protection is great. And if this is true of the gods who dwell on one’s body, how much truer is it of the gods who protect the place of practice! " How the Gods Protect the Place of Practice " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 668 December, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 心 は 是れ 身 の 主 なり 同名 同生 の 天 是れ 能く人 を 守護 す 心 固ければ 則ち 強し 身 の 神 尚 爾 なり 況や 道場 の 神 をや  KOKORO WA KORE MI NO NUSHI NARI DŌMYŌ DŌSHŌ NO TEN KORE YOKU HITO WO SHUGO SU KOKORO KATAK...

大地の底にかくしをきたる真の弟子あり - The Buddha declared: My true disciples I have kept hidden in the depths of the earth

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本文 我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり・此れにゆづるべしとて、 上行菩薩等を涌出品に召し出させ給いて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給いて、 あなかしこ・あなかしこ・我が滅度の後・正法一千年・像法一千年に弘通すべからず、 われ ごひゃく じんてんこう より だいち の そこ に かくし おきたる しん の でし あり・これ に ゆずる べし とて、 じょうぎょうぼさつ ら を ゆしゅつぼん に めし ださせ たまいて、ほけきょう の ほんもん の かんじん たる みょうほうれんげきょう の ごじ を ゆずらせ たまいて、 あなかしこ・あなかしこ・わが めつど の のち・しょうほう いっせんねん・ぞうほう いっせんねん に ぐつう す べからず、 末法の始に謗法の法師一閻浮提に充満して諸天いかりをなし彗星は一天にわたらせ大地は大波のごとくをどらむ、 大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難並びをこり、 一閻浮提の人人・各各・甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、 諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給わざらん時、 まっぽう の はじめ に ほうぼう の ほうし いち えんぶだい に じゅうまん して しょてん いかり を なし すいせい は いってん に わたらせ だいち は おおなみ の ごとく おどらん、 だいかんばつ・たいか・たいすい・たいふう・だいえきびょう・だいききん・だいひょうらん とう の むりょうの だいさいなん ならび おこり、 いち えんぶだい の ひとびと・おのおの・かっちゅう を きて ゆみつえ を て に にぎらん とき、 しょぶつ・しょ ぼさつ・しょ だいぜんじん とう の おんちから の およばせ たまわざらん とき、 諸人皆死して無間地獄に堕ること雨のごとく・しげからん時・ 此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん、乃至後生の大火炎を脱るべしと仏・記しをかせ給いぬ しょにん みな し して むげんじごく に おちる こと あめ の ごとく・しげ からん とき・ この ご じ の だい まんだら を み に たい し こころ に ぞん ぜば しょおう は くに を たすけ ばんにん は なん を のがれん、ないし ごしょう の だいかさ...

日蓮が悦び候のみならず釈迦仏定めて御悦び候わん - Not only am I, Nichiren, delighted, but I am sure that Shakyamuni Buddha is delighted as well.

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本文 いまにはじめぬ御心ざし申しつくしがたく候 日蓮が悦び候のみならず釈迦仏 定めて御悦び候わん、 我則歓喜諸仏亦然は是なり いまにはじめぬおんこころざしもうしつくしがたくそうろう にちれんがよろこびそうろうのみならずしゃかぶつさだめておんよろこびそうらん、 がそくかんきしょぶつやくねんはこれなり 六郎次郎殿御返事 ろくろうごろうどのごへんじ [報二檀越書] ほうにだんのつしょ (1464頁) 建治3年3月19日  (1277年) 通解(意訳) 今に始まったのではない御志、申し尽くしがたい。 日蓮が喜んでいるだけでなく、釈迦仏もきっとお喜びであろう。 法華経見宝塔品第11に、「我(釈迦仏)は歓喜する。諸仏もまた同様である」とあるのはこれである。 英語で御書 Gosho in English This is not the first time you have shown such kindness and I do not know how to thank you. Not only am I, Nichiren, delighted, but I am sure that Shakyamuni Buddha is delighted as well. As the Lotus Sutra says, “I will surely rejoice and so will the other Buddhas.” " Reply to Rokurō Jirō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 680 in 19, March, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese いまに はじめぬ 御心ざし 申し つくし がたく 候 日蓮 が 悦び 候 のみならず 釈迦仏 定めて 御悦び 候わん、 我 則 歓喜 諸仏 亦 然 は 是 なり IMA NI HAJIMENU ON-KOKOROZASHI MŌSHI TSUKUSHI GATAKU SŌRŌ NICHIREN GA YOROKOBI SŌRŌ NOMINARAZU SHAKABUTSU SA...

法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる - Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring

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本文 法華経を信ずる人は冬のごとし 冬は必ず春となる、 いまだ昔より きかず・みず 冬の秋と かへれる事を、いまだきかず 法華経を信ずる人の凡夫となる事を、 経文には「若有聞法者無一不成仏」と とかれて候 ほけきょう を しんずる ひと は ふゆ の ごとし ふゆ は かならず はる と なる、 いまだ むかし より きかず・みず ふゆ の あき と かえれる ことを、いまだ きかず ほけきょう を しんずる ひと の ぼんぷ と なる ことを、 きょうもん には「にゃく う もん ぽう しゃ む いち ふ じょう ぶつ」と とかれて そうろう 妙一尼御前御消息 みょういちあまごぜんごへんじ [冬必為春事] ふゆはかならずはるとなるのこと (1253頁) 建治元年5月 (1275年) 通解(意訳) 法華経を信ずる人は、極寒の冬の辛い時期を耐える人のようなものである。 しかし、辛い冬も永遠に続くことはなく、信心根本に耐え貫いていけば、必ず春のような幸福が訪れるのである。 未だかつて、冬が春とならずに秋に戻ったということは、聞いたことも見たこともない。同じように、いまだかつて法華経を信ずる人が、仏に成らず凡夫のままである、ということも聞いたことがない。 経文には「もしこの法を聞くことがあれば、一人として成仏しない人はいない」と説かれている。   英語で御書 Gosho in English Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring. Never, from ancient times on, has anyone heard or seen of winter turning back to autumn. Nor have we ever heard of a believer in the Lotus Sutra who turned into an ordinary person. The sutra reads, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.” " W...

法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき - where this wondrous votary of the Lotus Sutra dwells, how can it be any less sacred than the pure land of Eagle Peak?

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本文 法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、 法 妙なるが故に 人 貴し・人 貴きが故に 所 尊し と申すは是なり ほけきょう の ぎょうじゃ の すみか なれば・いかでか りょうぜん じょうど に おとる べき、 ほう みょう なる が ゆえに ひと とうとし・ひと とうとき が ゆえに ところ とうとし と もうす は これ なり 南条殿御返事 なんじょうどのごへんじ [法妙人貴事] ほうみょうにんきのこと (1578頁) 弘安4年9月 (1281年) 通解(意訳) 法華経の行者が住んでいる処であれば、どうして霊山浄土に劣ることがあろうか。 法華文句に「法が妙であるゆえに、その法を持った人は貴い。人が貴いがゆえに、その人の居る場所も尊い」と申してあるのは、このことである。 英語で御書 Gosho in English This mountain is where this wondrous votary of the Lotus Sutra dwells, how can it be any less sacred than the pure land of Eagle Peak? This is what [The Words and Phrases of the Lotus Sutra means when] it says, “Since the Law is wonderful, the person is worthy of respect; since the person is worthy of respect, the land is sacred.” " The Person and the Law " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1097 in September, 1281. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  This mountain: Nichiren Daishonin lived place where he lived about late, it is called the...

此の法門を申すには必ず魔出来すべし - If you propagate it, devils will arise without fail.

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本文 此の法門を申すには必ず魔出来すべし 魔競わずは正法と知るべからず、 第五の巻に云く「行解 既に勤めぬれば 三障四魔 紛然として競い起る 乃至 随う可らず 畏る可らず 之に随えば 将に人をして 悪道に向わしむ 之を畏れば 正法を修することを妨ぐ」 等云云、 此の釈は 日蓮が身に当るのみならず 門家の明鏡なり 謹んで習い伝えて 未来の資糧とせよ この ほうもんを もうす には かならず ま しゅったい すべし ま きそわずは しょうほうと しる べからず、 だいごの まきに いわく「ぎょうげ すでに つとめぬれば さんしょうしま ふんぜんとして きそいおこる ないし したがう べからず おそる べからず これに したがえば まさに ひとをして あくどうに むかわしむ これを おそれば しょうほうを しゅうすることを さまたぐ」とう うんぬん この しゃくは にちれんが みに あたる のみならず もんけの めいきょうなり つつしんで ならい つたえて みらいの しりょうとせよ 兄弟抄 きょうだいしょう KYŌDAI SHŌ (1087頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) この法門を説けば、必ず魔が現れる。魔が競い起こらなければ、正法とは言えないのである。 天台大師の摩訶止観・第五巻には、「仏法の修行と理解が進んでくると、三障四魔が紛然として競い起こる。(乃至=中略の意味)しかし、決してしたがってはならない。おそれてはならない。これに随うならば、まさに人を悪道に向かわせる。これを畏れるならば、正法を修行することを妨げる」等と書かれている。 摩訶止観のこの内容は、日蓮の身にあてはまるばかりでなく、我が日蓮仏法の門家一同にも明鏡のように当てはまるものである。これをわきまえて、謹んで習い、次の世代に伝えて、未来の法華経の行者にとっての、修行の資料・糧としなさい。 英語で御書 Gosho in English If you propagate it, devils will arise without fail. If they did not, there would be no way of knowing that this is the correct teaching. One passage from the same vol...