「仏の智慧を以て籌量するも多少其の辺を得ず」 - “[The benefits he gains there will be such that] even the Buddha wisdom could never finish calculating their extent.”

本文 日蓮を供養し 又 日蓮が弟子檀那となり給う事、其の功徳をば 仏の智慧にても・はかり尽し給うべからず、 経に云く「仏の智慧を以て籌量するも多少其の辺を得ず」と云へり にちれんをくようしまたにちれんがでしだんなとなりたもうこと、そのくどくをばほとけのちえにても・はかりつくしたもうべからず、 きょうにいわく「ほとけのちえをもってちゅうりょうするもたしょうそのへんをえず」といえり 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1359頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 日蓮を供養し、また日蓮の弟子や檀那となられた功徳は、仏の智慧でも量り尽くすことはできない。 これは法華経薬王菩薩本事品第二十三にいわく 「仏の智慧を以て籌量(ちゅうりょう:考え量る)するも多少其の辺を得ず」と説かれているのである。 英語で御書 Gosho in English Not even the wisdom of the Buddha can fathom the blessings that one will obtain by giving alms to Nichiren and by becoming his disciple and lay supporter. The sutra reads, “[The benefits he gains there will be such that] even the Buddha wisdom could never finish calculating their extent.” " The True Aspect of All Phenomena " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 384 in May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 日蓮 を 供養 し又 日蓮 が 弟子 檀那 と なり 給う 事、其 の 功徳 をば 仏 の 智慧 にても・はかり 尽し 給う べからず、 経 に 云く「仏 の 智慧 を 以て 籌量 する も 多少 其 の 辺 を 得ず」と 云へり NICHIREN WO KUYŌ SHI MATA NICHIR...