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法華経と申すは星の中の月ぞかし - Among the heavenly bodies [at night], the Lotus Sutra is comparable to the moon

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本文 法華経と申すは星の中の月ぞかし 人の中の王ぞかし 山の中の須弥山・水の中の大海の如し、是れ程いみじき御経に 女人 仏になると説かれぬれば 一切経に嫌はれたるに・なにか・くるしかるべき、 譬えば盗人・夜打・強盗・乞食・渇体にきらはれたらんと 国の大王に讃られたらんと 何れかうれしかるべき。 ほけきょう と もうす は ほし の なか の つき ぞかし ひと の なか の おう ぞかし やま の なか の しゅみせん・みず の なか の たいかい の ごとし、 これほど いみじき おきょう に にょにん ほとけ に なる と とかれぬれば いっさいきょう に きらわれたる に・なにか・くるしかる べき、 たとえば ぬすっと・ようち・ごうとう・こつじき・かったい に きらわれ たらん と くに の だいおう に たたえられ たらん と いずれか うれしかるべき。  日眼女造立釈迦仏供養事 にちげんにょぞうりゅうしゃかぶつくようのこと (1188頁) 弘安2年2月 (1279年) 通解(意訳) 法華経という法門は、星の中の月なのである。人の中の王なのである。山の中の須弥山、水の中の大海のようなものであり、諸経の中の王なのである。それほど尊い御経に女性が成仏すると説かれているのだから、法華経以外の経典では、女性は成仏できないと嫌われていても、何も悲観することはない。 たとえば盗人・夜打・強盗・乞食・渇体などの卑しい者に嫌われているのと、一国の王から讃られているのとでは、どちらが嬉しいことか。 英語で御書 Gosho in English Among the heavenly bodies [at night], the Lotus Sutra is comparable to the moon; among persons it is comparable to the king. Among mountains it is Mount Sumeru, among waters, the great ocean. And if so wonderful a sutra as this declares that women may attain Buddhahood, then what does it matter whether a...

病あれば死ぬべしといふ事不定なり - It is not certain that, because one is ill, one will die.

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本文 病あれば死ぬべしといふ事 不定なり、 又このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、 病によりて道心はをこり候なり やまい あれば しぬ べし と いう こと ふじょう なり、 また この やまい は ほとけ の おん はからい か・その ゆえ は じょうみょうきょう・ねはんぎょう には やまい ある ひと ほとけ に なるべき よし とかれて そうろう、 やまい に よりて どうしん は おこり そうろう なり 妙心尼御前御返事 みょうしんあまごぜんごへんじ [病之良薬御書] びょうしりょうやくごしょ (1480頁) 弘安元年8月 (1278年) 通解(意訳) 「病気にかかったら必ず死ぬ」という事はない。 (あなたが今回かかった)この病は、仏の御はからいであろうか。 その理由は浄名経・涅槃経には病がある人は仏になる、と説かれている。 病気にかかって初めて生命の大切さが分かり、「人間の生死とは何か」という、仏道を求める心が起こるのである。 英語で御書 Gosho in English It is not certain that, because one is ill, one will die. And could not this illness of your husband’s be the Buddha’s design, because the Vimalakīrti and Nirvana sutras both teach that sick people will surely attain Buddhahood? Illness gives rise to the resolve to attain the way. " The Good Medicine for All Ills " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 937 in August, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Only after getting sic...

「仏の智慧を以て籌量するも多少其の辺を得ず」 - “[The benefits he gains there will be such that] even the Buddha wisdom could never finish calculating their extent.”

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本文 日蓮を供養し 又 日蓮が弟子檀那となり給う事、其の功徳をば 仏の智慧にても・はかり尽し給うべからず、 経に云く「仏の智慧を以て籌量するも多少其の辺を得ず」と云へり にちれんをくようしまたにちれんがでしだんなとなりたもうこと、そのくどくをばほとけのちえにても・はかりつくしたもうべからず、 きょうにいわく「ほとけのちえをもってちゅうりょうするもたしょうそのへんをえず」といえり 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1359頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 日蓮を供養し、また日蓮の弟子や檀那となられた功徳は、仏の智慧でも量り尽くすことはできない。 これは法華経薬王菩薩本事品第二十三にいわく 「仏の智慧を以て籌量(ちゅうりょう:考え量る)するも多少其の辺を得ず」と説かれているのである。 英語で御書 Gosho in English Not even the wisdom of the Buddha can fathom the blessings that one will obtain by giving alms to Nichiren and by becoming his disciple and lay supporter. The sutra reads, “[The benefits he gains there will be such that] even the Buddha wisdom could never finish calculating their extent.” " The True Aspect of All Phenomena "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p.  384 in May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 日蓮 を 供養 し又 日蓮 が 弟子 檀那 と なり 給う 事、其 の 功徳 をば 仏 の 智慧 にても・はかり 尽し 給う べからず、 経 に 云く「仏 の 智慧 を 以て 籌量 する も 多少 其 の 辺 を 得ず」と 云へり NICHIREN WO KUYŌ...

皆おしなべて法華経にて成仏すべき国なり - A country where ... can all attain Buddhahood through the Lotus Sutra.

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本文 上も下も 貴も賎も 持戒も破戒も 男も女も 皆 おしなべて 法華経にて 成仏すべき国なり かみも しもも きも せんも じかいも はかいも おとこも おんなも みな おしなべて ほけきょうにて じょうぶつすべき くになり 法華初心成仏抄 ほっけしょしんじょうぶつしょう (545頁) 建治3年3月 (1277) 通解(意訳) 日本という国は、身分の上も下も、貴い人も賎しい人も、持戒を持つ僧侶も破戒の僧侶も、男も女も、皆が等しく法華経によって成仏することができる国なのである。 英語で御書 Gosho in English Japan is therefore a country where high and low, eminent and humble, those who observe the precepts and those who break them, men and women alike, can all attain Buddhahood through the Lotus Sutra. " How Those Initially Aspiring to the Way  Can Attain Buddhahood through the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 873 in March, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 上も下も 貴も賎も 持戒も破戒も 男も女も 皆 おしなべて 法華経にて 成仏すべき国なり KAMI MO SHIMO MO KI MO SEN MO JIKAI MO HAKAI MO OTOKO MO ON-NA MO MINA OSHINABETE HOKEKYO NITE JŌBUTSU SUBEKI KUNI NARI 法華 初心 成仏 抄 HOK'KE SHOSHIN JŌBUTSU SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The W...

地走る者の王たり師子王のごとし- It is like the lion king, the monarch of all the creatures that run on the ground

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本文 この経文は一切経に勝れたり 地走る者の王たり 師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり 鷲のごとし この きょうもん は いっさいきょう に すぐれたり ち はしる もの の おう たり ししおう の ごとし・そら とぶ もの の おう たり わし の ごとし 千日尼御前御返事 せんにちあまごぜんごへんじ [真実報恩経事] しんじつほうおんきょうじ (1311~1312頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) この法華経の経文は、釈尊の説いた一切経のなかで最も勝れている。地を走る者の王であり、 師子王のようである。空を飛ぶ者の王であり、鷲のようである。 英語で御書 Gosho in English This sutra is superior to all other sutras. It is like the lion king, the monarch of all the creatures that run on the ground, and like the eagle, the king of all the creatures that fly in the sky.  " The Sutra of True Requital "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 929 to 930 in 1278. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese この 経文 は 一切経 に 勝れ たり 地 走る 者 の 王 たり 師子王 の ごとし・空 飛ぶ 者 の 王 たり 鷲 の ごとし KONO KYŌMON WA IS'SAI-KYO NI SUGURETARI CHI HASHIRU MONO NO Ō TARI SHISHI-Ō NO GOTOSHI・SORA TOBU MONO NO Ō TARI WASHI NO GOTOSHI 千日尼 御前 御返事 SEN-NICHI-AMA GOZEN GOHENJI [真実 報恩 経 事] SHINJITSU HO-ON KYŌ JI 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもと...

宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり - Should realize the profound karmic relationship they share with him and spread the Lotus Sutra as he does.

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本文 かかる者の弟子檀那とならん人人は 宿縁ふかしと思うて 日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、 法華経の行者と いはれぬる事はや不祥なり まぬかれがたき身なり かかるものの でしだんなと ならん ひとびとは、しゅくえんふかしと おもうて にちれんと おなじく ほけきょうを ひろむべきなり、 ほけきょうのぎょうじゃと いわれぬること はや ふしょうなり まぬがれがたき み なり 寂日房御書 じゃくにちぼうごしょ (902頁) 弘安2年9月 (1279年) 通解(意訳) このような日蓮の弟子や檀那となる人々は、宿縁が深いと思って、日蓮と同じように法華経を広めるべきである。 法華経の行者と言われるようになったことは、もはや(世間の基準から言えば)不運なことであり、免れ難い身である。 英語で御書 Gosho in English Those who become Nichiren's disciples and lay believes should realize the profound karmic relationship they share with him and spread the Lotus Sutra as he does. Being known as a votary of the Lotus Sutra is a bitter, yet unavoidable, destiny.  " Letter to Jakunichi-bō "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 993 in September, 1279. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese かかる者の弟子檀那とならん人人は 宿縁ふかしと思うて 日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、 法華経の行者と いはれぬる事はや不祥なり まぬかれがたき身なり KAKARU MONO NO DESHI DANNA TO NARAN HITOBITO WA SHUKUEN FUKASHI TO OMOUTE NICHIREN TO ONAJIKU HOKEKYO WO HIROMUBEKI N...

願くは我が弟子等・大願ををこせ - My wish is that all my disciples make a great vow.

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本文 願くは我が弟子等・大願を をこせ、去年 去去年(こぞ おととし)の やくびやうに 死にし 人人の・かずにも入らず、又当時・蒙古のせめに・まぬかるべしとも みへず、 とにかくに死は一定なり、其の時のなげきは・たうじのごとし、 をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海に あつらへ・ちりを大地に うづむと をもへ ねがわくは わが でし ら・だいがん を おこせ、こぞ おととし の やくびょう に しに し ひとびと の・かず にも いらず、また とうじ・もうこ の せめ に・まぬかるべし とも みえず、 とにかく に し は いちじょう なり、そのときの なげき は とうじ の ごとし、 おなじく は・かり にも ほけきょう の ゆえ に いのち を すてよ、つゆ を たいかい に あつらえ・ちり を だいち に うずむ と おもえ 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [竜門御書] りゅうもんごしょ 1561頁 弘安2年11月 (1279年) 通解(意訳) 願わくは、我が弟子たちは広宣流布という大願を起こしなさい。 去年や一作年に起こった疫病で死んだ人々の数には入らなかったにしても、現在、蒙古(モンゴル帝国)が攻めてきた時に、死を免れることができるとは思えない。 とにかく、どんな形であれ、人の死というものは、いずれ皆に平等に訪れるものであり、决定した(けつじょう した、決まった)事である。その時の嘆きや苦しみは、死の間際では全く同じ苦しみなのである。 同じ死を迎える事が決定しているのであれば、「もしかしたら、自分の命は明日には無いかもしれない」と思い切って、法華経のために命を捨てなさい。 これこそ、露のような小さな生命を、法華経という大海に入れるように、また塵が妙法という大地に埋める事だと思いなさい。 法華経のために命を捨てるということは、今世においては、最高に幸福な人生を送ることができ、最期にはまた、法華経の行者として誉れ高い死を迎えることができる。そして来世に於いてもまた法華経に縁して、法華経の行者として生まれてくることができるのである。 英語で御書 Gosho in English My wish is that all my disciples make a great vow. We are...

蔵の財よりも身の財すぐれたり - More valuable than treasure in at storehouse are the treasures of the body

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本文 中務三郎左衛門尉は 主の御ためにも 仏法の御ためにも 世間の心ねも よかりけり・よかりけりと 鎌倉の人人の口に うたはれ給へ、 穴賢・穴賢、蔵の財よりも身の財すぐれたり 身の財より心の財第一なり なかつかささぶろうさえもんのじょう は しゅ の おんため にも ぶっぽう の おんため にも せけん の こころね も よかりけり・よかりけり と かまくら の ひとびと の くち に うたわれ たまえ、 あなかしこ・あなかしこ・くら の たから より み の たから すぐれたり み の たから より こころ の たから だいいち なり 崇峻天皇御書 すしゅんてんのうごしょ [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ (1173頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 中務三郎左衛門尉(四条金吾)は、主君のためにも、仏法においての心がけも、世間に対する心がけについても、人間として立派な人であった、立派であったと、鎌倉の人々にいわれるようになりなさい。 おそれ多くも、蔵におさめている財産よりも、健康、技能や才能などの自分の身の財産が優れている。その身の財よりも、誠実な振舞や感謝の念などの、心の財が第一なのである。 英語で御書 Gosho in English Live so that all the people of Kamakura will say in your praise that Nakatsukasa Saburō Saemon-no-jō is diligent in the service of his lord, in the service of Buddhism, and in his concern for other people. More valuable than treasure in at storehouse are the treasures of the body,and the treasure of the heart are the most valuable of all. " The Three Kinds of Treasure " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, ...

うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し - Just as a single crab leg will ruin a thousand pots of lacquer.

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本文 謗法を責めずして成仏を願はば 火の中に水を求め 水の中に火を尋ぬるが如くなるべし はかなし・はかなし、 何に法華経を信じ給うとも 謗法あらば必ず地獄にをつべし、 うるし千ばいに蟹の足一つ 入れたらんが如し、毒気深入・失本心故(どっけじんにゅう・しっぽんしんこ)は是なり ほうぼう を せめず して じょうぶつ を ねがわば ひ の なか に みず を もとめ みず の なか に ひ を たずぬる が ごとく なるべし はかなし・はかなし、 いかに ほけきょう を しんじたもう とも ほうぼう あらば かならず じごく に をつ べし、 うるし せんばい に かに の あし ひとつ いれたらん が ごとし、どっけ じんにゅう・しっぽん しんこ とはこれ なり 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [成仏用心抄] じょうぶつようじんしょう (1056頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 謗法を責めないで成仏を願うことは、火の中に水を求め、水の中に火を探すようなものである。はかないことである。はかないことである。 いかに法華経を信じていても、謗法があれば必ず地獄に堕ちるのである。 千杯もの漆の中にカニの足を一つ入れれば、漆の効能は全てなくなり、役立たなくなるようなものである。「毒気が深く入って本心を失えるが故」とは、このことである。 英語で御書 Gosho in English To hope to attain Buddhahood without speaking out against slander is as futile as trying to find water in the midst of fire or fire in the midst of water. No matter how sincerely one believes in the Lotus Sutra, if one is guilty of failing to rebuke slander of the Law, one will surely fall into hell, just as a single crab leg will ruin a thousand pots of l...

八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなり - The heavenly gods will surely protect one who is unbending before the eight winds.

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本文 賢人は 八風と申して 八のかぜに をかされぬ を 賢人と申すなり、 利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、 をを心は 利あるに・よろこばず・をとろうるに なげかず等の事なり、 此の 八風に をかされぬ人をば 必ず天はまほらせ給うなり けんじんは はっぷう と もうして はち の かぜ に おかされぬ を けんじん と もうすなり、 り・すい・き・よ・そう・しき・く・らくなり、 おおこころ は り ある に・よろこばず・おとろうる に なげかず とう の こと なり、 この はっぷう に おかされぬ ひと をば かならず てん は まもらせ たもう なり 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [八風抄] はっぷうしょう (1151頁) 建治3年 (1277年) 通解(意訳) 賢人とは八風といって、八種の風に犯されないのを賢人というのである。八風とは利(利益を得る)・衰(衰える/損をする)・毀(非難される)・誉(誉められる)・称(讃えられる)・譏(謗られる)・苦(苦しむ)・楽(楽しむ)である。 大まかな意味は、世間的な利益を得たり、楽しい事が起きても喜ばず、逆に損をしたり、苦しい事が起きた事を嘆かない、ということである。この八風に犯されない人を、諸天善神は守られるのである。 多少の事で一喜一憂せず、何があっても動じない事が大切である。  英語で御書 Gosho in English Worthy persons deserve to be called so because they are not carried away by the eight winds: prosperity, decline, disgrace, honor, praise, censure, suffering, and pleasure. They are neither elated by prosperity nor grieved by decline. The heavenly gods will surely protect one who is unbending before the eight winds.  " The Eight Winds " "The Writings of Nichiren Daishoni...

道心堅固にして今度・仏になり給へ - Strengthen your resolve to seek the way all the more and achieve Buddhahood in this lifetime.

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本文 いよいよ道心堅固にして今度・仏になり給へ、 御一門の御房たち 又 俗人等にも・かかるうれしきこと候はず、 かう 申せば今生の よく と をぼすか、 それも凡夫にて候へば・さも候べき上 慾をも・はなれずして仏になり候ける道の候いけるぞ いよいよ どうしん けんご に して こんど・ほとけ に なり たまえ、 ごいちもん の ごぼう たち また ぞくじん ら にも・かかる うれしき こと そうらわず、 こう もうせば こんじょう の よく と おぼすか、 それも ぼんぷ にて そうらえば・さも そうろう べき うえ よく をも・はなれず して ほとけ に なり そうらいける みち の そうらいけるぞ 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [所領書] しょりょうしょ (1184頁)  弘安元年10月   (1278年) 通解(意訳) (四条金吾の領地が増えたという功徳について) いよいよ信心を強盛にして今生に成仏を期していきなさい。 御一門の出家者や在家の人々にとっても、これほどうれしいことはない。 このように申せば、現世の欲と思われるかもしれないが、 凡夫であるからにはそれが当然であるし、その欲を離れずに仏になる道があるのである。 英語で御書 Gosho in English Strengthen your resolve to seek the way all the more and achieve Buddhahood in this lifetime. No more gratifying thing has ever happened to any member of your lord’s clan, whether priest or layman. When I say this, it may seem as if it is a desire of the present existence, but for ordinary people, that too is only natural, and moreover, a way exists to become a Buddha even without eradicating desires. " The Receipt of ...

元品の無明は第六天の魔王と顕われたり - The fundamental darkness manifests itself as the devil king of the sixth heaven.

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本文 法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶 備われ 元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ 元品の無明は第六天の魔王と顕われたり ほっけしゅう の こころ は いちねん さんぜん・しょうあく しょうぜん・みょうかく の くらい に なお そなわれ がんぽん の ほっしょう は ぼんてん・たいしゃく とう と あらわれ がんぽん の むみょう は だいろくてん の まおう と あらわれたり 治病大小権実違目 じびょうだいしょうごんじついもく (997頁) 弘安元年6月 (1278年) 通解(意訳) 日蓮仏教の根本である、一念三千の法門に人の心(境涯)の善悪を照らせば、善の心も悪の心も、本来人の心の本性に備わっているものである。そのため、仏の境涯を開いたとしても、心の本性が消える訳ではなく、心のあらゆる側面(一念三千)がそのまま備わっているのである。 この法理によって、善心によって開かれた法性には、梵天・帝釈天等の諸天善神の加護が顕れ、無明に陥った悪心には第六天の魔王が顕れるのである。 英語で御書 Gosho in English The heart of the Lotus school is the doctrine of three thousand realms in a single moment of life, which reveals that both good and evil are inherent even in those at the highest stage of perfect enlightenment. The fundamental nature of enlightenment manifests itself as Brahmā and Shakra, whereas the fundamental darkness manifests itself as the devil king of the sixth heaven. " The Treatment of Illness " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1113 in June, 1278.  [ --- ] ...

仏種は縁に従つて起る - The seeds of Buddhahood sprout as a result of conditions

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本文 其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、 仏種は縁に従つて起る 是の故に 一乗を説くなるべし その くに の ぶっぽう は きへん に まかせ たてまつり そうろうぞ、 ぶっしゅ は えん に よって おこる その ゆえに いちじょう を とく なるべし 高橋殿御返事 たかはしどのごへんじ [米穀御書] べいこくごしょ (1445頁) 年月不明 (建治~弘安が有力) (1275~78年) 通解(意訳) その国の広宣流布は、あなたにお任せする。仏種という、本来誰もが持っている仏の生命は、この妙法を誠実に語るという、妙法との縁によって起こるものである。この故に、”諸教で最も優れた法華経の法(一乗)”を説くのである。 友情と信頼の拡大 人の心は、他者との触れ合いという「縁」によって大きく変わることができる。ありのままの人間として心を開き、声をかけていくのだ。  その瞬間から、お互いの生命が、より強く、より豊かに変わり始める。 -池田大作  英語で御書 Gosho in English I entrust you with the propagation of Buddhism in your province. It is stated that “the seeds of Buddhahood sprout as a result of conditions, and for this reason they preach the single vehicle.” " Properties of Rice " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1117 The main opinion is from 1275 to 1278. [ --- ] is liberal translation. Expanding friendship and trust People's minds be able to change greatly on the fellowship with others. Open your  heart as an natural person and call out to oth...

元品の無明を切る利剣は此の法門に過ぎざるか - The sharp sword that severs the fundamental darkness inherent in life, is none other than the Lotus Sutra.

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本文 生死の長夜を照す大燈・元品の無明を切る利剣は此の法門に過ぎざるか しょうじ の ちょうや を てらす だいとう・がんぽん の むみょう を きる りけん は この ほうもん に すぎざるか 諸経と法華経と難易の事 しょきょう と ほけきょう と なんい の こと [難信難解法門] なんしんなんげほうもん (991頁) 弘安3年5月 (1280年) 通解(意訳) 生死の悩みや苦しみという長い夜を照らすほどの大きな燈明、衆生の元品の無明(生命が迷っている状態)を断ち斬り、本来持っている仏性を開く利剣は、この法門をおいて他にはないのである。 英語で御書 Gosho in English The great lantern that illuminates the long night of the sufferings of birth and death, the sharp sword that severs the fundamental darkness inherent in life, is none other than the Lotus Sutra.  " A Comparison of the Lotus and Other Sutras " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1038 in May, 1280. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 生死 の 長夜 を 照す 大燈・元品 の 無明 を 切る 利剣 は 此の 法門 に 過ぎざるか SHŌ-JI NO CHŌYA WO TERASU DAITŌ・GANPON NO MUMYO WO KIRU RIKEN WA KONO HŌMON NI SUGIZARUKA 諸経と法華経と難易の事 SHOKYO TO HOKEKYO TO NAN-I NO KOTO [難信難解法門] NAN SHIN NAN GE HŌMON 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of ...

仏法は体のごとし世間はかげのごとし - Buddhism is like the body, and society like the shadow.

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本文 仏法やうやく顛倒しければ 世間も又 濁乱せり、仏法は体のごとし 世間はかげのごとし 体曲れば影ななめ なり ぶっぽう ようやく てんとう し ければ せけんも また じょくらんせり、 ぶっぽうは からだの ごとし せけんは かげの ごとし からだ まがれば かげ ななめなり 諸経と法華経の難易の事 しょきょうとほけきょうのなんいのこと [難信難解法門] なんしんなんげほうもん (992頁) 弘安3年5月 (1280年) 通解(意訳) 仏法が年月が経つにつれて本末転倒し、曲がった解釈が広がってしまったので、世間もまた濁り乱れてしまった。 仏法は全宇宙の万理の法則の本体であり、世間の法はその影のようなものである。例えて言えば、体が曲がれば、影も斜めになる事と同じようなものである。 間違った法を用いて国を治めたなら、その国土は乱れて、民もまた乱れる。間違った法を信じれば、その者の性分も曲がり、乱れてしまうのである。 英語で御書 Gosho in English Buddhism has gradually been turned upside down, the secular world also has been plunged into corruption and chaos. Buddhism is like the body, and society like the shadow. When the body bends, so does the shadow. " A Comparison of the Lotus and Other Sutras " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1039 in May, 1280.  [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Buddhism is the body of a law in a metagalaxy. And a law in the world is the one like its shadow. If a country was ruled u...

謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ - Reverently make this teaching your own, and transmit it as an axiom of faith for future generations.

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本文 此の法門を申すには必ず魔出来すべし 魔競わずは正法と知るべからず、 第五の巻に云く「行解 既に勤めぬれば 三障四魔 紛然として競い起る 乃至 随う可らず 畏る可らず 之に随えば 将に人をして 悪道に向わしむ 之を畏れば 正法を修することを妨ぐ」 等云云、 此の釈は 日蓮が身に当るのみならず 門家の明鏡なり 謹んで習い伝えて 未来の資糧とせよ この ほうもんを もうす には かならず ま しゅったい すべし ま きそわずは しょうほうと しる べからず、 だいごの まきに いわく「ぎょうげ すでに つとめぬれば さんしょうしま ふんぜんとして きそいおこる ないし したがう べからず おそる べからず これに したがえば まさに ひとをして あくどうに むかわしむ これを おそれば しょうほうを しゅうすることを さまたぐ」とう うんぬん この しゃくは にちれんが みに あたる のみならず もんけの めいきょうなり つつしんで ならい つたえて みらいの しりょうとせよ 兄弟抄 きょうだいしょう KYŌDAI SHŌ (1087頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) この法門を説けば、必ず魔が現れる。魔が競い起こらなければ、正法とは言えないのである。 天台大師の摩訶止観・第五巻には、「仏法の修行と理解が進んでくると、三障四魔が紛然として競い起こる。(乃至=中略の意味)しかし、決してしたがってはならない。おそれてはならない。これに随うならば、まさに人を悪道に向かわせる。これを畏れるならば、正法を修行することを妨げる」等と書かれている。 摩訶止観のこの内容は、日蓮の身にあてはまるばかりでなく、我が日蓮仏法の門家一同にも明鏡のように当てはまるものである。これをわきまえて、謹んで習い、次の世代に伝えて、未来の法華経の行者にとっての、修行の資料・糧としなさい。 英語で御書 Gosho in English If you propagate it, devils will arise without fail. If they did not, there would be no way of knowing that this is the correct teaching. One passage from th...

一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ - Believe in the Gohonzon, the supreme object of devotion in all of Jambudvīpa.

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本文 一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし、 行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし いちえんぶだい だいいち の ごほんぞん を しんじさせ たまえ、あいかまえて・あいかまえて・しんじん つよく そうらいて さんぶつ の しゅご を こうむらせ たもうべし、 ぎょうがく の にどう を はげみ そうろう べし、ぎょうがく たえなば ぶっぽう は ある べからず、われ も いたし ひと をも きょうけ そうらえ、ぎょうがく は しんじん より おこる べく そうろう、ちから あらば いちもん いっく なりとも かたらせ たもうべし 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1361頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 一閻浮提(全世界)で第一の御本尊を信じていきなさい。よくよく心を構えて信心を強め、釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏の三仏の守護を受けていきなさい。 法華経(広宣流布)のために行動し、法華経のことを学んでいきなさい。行学が途絶えてしまえば、仏法はないのである。 自分も行い、人にも教えて導いていきなさい。行学は信心から起こるものである。 力があれば、行学で学んだことや体験などを、一文一句でも人に語っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English Believe in the Gohonzon, the supreme object of devotion in all of Jambudvīpa. Be sure to strengthen your faith, and receive the protection of Shakyamuni, Many Treasures, and the Buddhas of the ten directions. Exert yourself in the two ways of practice and study. Without practice and study, there can be no Buddhism. You must not only per...

弥はげませ給うべし懈ることなかれ - Strive ever harder in faith, and never give in to negligence.

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本文 弥 はげませ給うべし 懈ることなかれ、 皆 人の此の経を信じ始むる時は 信心有る様に見え候が・中程は 信心も よはく 僧をも恭敬せず 供養をも なさず・自慢して悪見をなす、これ恐るべし恐るべし、 始より終りまで 弥 信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん いよいよ はげませ たもうべし おこたる こと なかれ、 みな ひとの この きょうを しんじはじむる ときは しんじん あるように みえ そうろうが・なかほどは しんじんも よわく そう をも きょうけいせず くようも なさず・じまんして あっけんを なす、これ おそるべし おそるべし、 はじまりより おわりまで いよいよ しんじんを いたすべし・さなくして こうかいや あらんずらん 新池御書 にいけごしょ NIIKE GOSHO (1440頁)  弘安3年2月 (1280年) 通解(意訳) さらに信心に励んでいき、怠ることがあってはならない。 皆、人がこの法華経を信じはじめる時は、信心がある様に見えるが、時が経って信心が深まる途中になると、信心も弱まり、僧侶(信心の先輩、同志)も敬うこともせず、御本尊へのご供養や、困った同志を助ける心も忘れ、慢心を起こして邪悪な考えを起こしてしまうものである。 これは大変に恐るべきことである。 始めから終りまで、いよいよ信心を深めて貫くべきである。そうでなければ後悔するであろう。 英語で御書 Gosho in English Strive ever harder in faith, and never give in to negligence. All the people appear to believe sincerely when they first embrace the Lotus Sutra, but as time passes, they tend to become less devout; they no longer revere or make offerings to the priest, giving themselves up to arrogance and forming distorted views.  This is most frightening. Be ...

未来の大苦をまねぎこして少苦に値うなり - Meeting minor sufferings in this life we can change the karma that destines us to suffer terribly in the future.

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本文 我等過去に正法を行じける者に・あだをなして・ありけるが今かへりて信受すれば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、 今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦をまねぎこして少苦に値うなり われら かこに しょうほうを ぎょうじけるものに・あだをなして・ありけるが いま かえりて しんじゅすれば かこに ひとをさわる つみにて みらいに だいじごくに おつべきが、 こんじょうに しょうほうを ぎょうずる くどく・ごうじょうなれば みらいの だいくを まねぎこして しょうくに あたうなり 兄弟抄 きょうだいしょう (1083頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) 我らは、過去世で正法(法華経)を修行していた者に対して怨をなしたのであるが、今世では反対に自分が正法を信受することになったので、過去世に法華経の行者の修行を妨げた罪により、本当は未来世に大地獄に堕ちるはずであったが、 今世に強盛に正法を行じているため、その功徳も強盛であるから、来世の大きな苦しみを今世に招きよせて、少さな苦しみに値う事で済んでいるのである。 英語で御書 Gosho in English We, who now believe in the correct teaching , in the past once committed the offense of persecuting  its practitioners, and therefore are destined to fall into a terrible hell in the future. The blessings gained by practicing the correct teaching, however, are so great that by meeting minor sufferings in this life we can change the karma that destines us to suffer terribly in the future. " Letter to the Brothers " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol...